第55-2話 向う側(2)


 太陽が地平線に顔を見せたばかりの早朝。勇香は制服姿で、学園のとある教室の一角に背をピンと張って座っていた。その顔は緊張で強張っており、身体はガチガチに固まっている。

 何故かというと、勇香の対面で水色のスーツを着たふくよかな老婆が、ほくそ笑んだまま勇香をガン見しているのだ。意図はよく分からないが、その老婆はよく委員長と一緒にいるところを目撃したことがある。恐らく側近だろう。

 両者無言のまましばらくの時間が経過すると、だんだんと顔の険しさが限界を迎えそうになってきた勇香を見兼ねたのか、老婆が口を開いた。


「早朝から呼び出してしまい大変申し訳ございません。ですが、あなた様にお伝えしたいことがございましたので」

「いえ、大丈夫ですよ」


 勇香は見繕った微笑みで平然を装うが、その後に出た声は緊張のせいで吃りまくっている。老婆から見れば不審でしかないのだが、昨日の出来事を考えれば沸き上がるこの緊張感は必然だろう。

 昨日の一件で、委員会向う側に“自分の魔力すらも使いこなせない弱者”が明るみになってしまった。草資のは勇香に幻滅し、委員長に報告すると言っていた。それによって処罰を受けるのは目に見えている。それを宣告するために、目の前の老婆はこの場を設けたのであろう。


「お顔が悪いようで、どうなさいましたか?」

「へ、平気です!」


 案の定、老婆は勇香の顔を見て問いかけてくるが、勇香は首をブンブン振って精一杯に否定した。

 正直、どのような罰を受けることになるのかさっぱりだ。勇香を救うために向う側に乗り込み、追放された女性教師は今どうしてしているのか。もし、教師と同じように魔獣蔓延る裏日本の大地に捨てられたら。それは“死刑”同然、勇香なら尚更に。


 勇香は覚悟していた。委員会のことだ、どのような罰を加えようが今更何らおかしくない。しかし、委員長の胸の内にある一握りの良心にも気づいていた。

 昨日、アリスの授業で勇香を手助けした委員長の様は、草資の言う委員長の像からかけ離れていたからだ。


 此処で諦めてはいられない。陽咲乃との約束を、失態一つで掻き消すような自分ではもうない。陽咲乃のために強くなる。そのためには、委員長のわずかな良心を突き、うまく説得して委員会の庇護下に留まるしかない。少なくとも生徒会選挙が終えるまでは、裏日本の大地を彷徨うわけにはいかないのだ。陽咲乃にために、約束のために。

 とはいえ、処遇を告げられることへの恐怖心が存在しないわけではない。さっきからの緊張はそのためだ。勇香はぐっと目を瞑り、両手を握り締めながら老婆の言葉を待った。そして、老婆は勇香に告げた。


「やはり、気に障っていたのですね」

「へ?」


 予想外の言葉に目をパチクリと開けると、そこに映っていたのは、老婆の憐れむような悲し気な表情だった。


「昨日は魔獣演習でが大っ変失礼いたしました。あなた様を侮辱したうえ、無礼を働いたと当人が申しております」


 次には、老婆は両手を重ねて深くお辞儀をした。その方角は明らかに勇香へと向けられている。


「へ?」


 予想外すぎる出来事に、勇香は言葉を失った。


「裏切者はつい最近加入したばかりの新人……という言い訳は通用いたしませんね。これはすべて指導員への監督不行き届きである我ら上層部の責任です。どうかお許しください」

「……し、処罰は?」

「処罰、でございますか……でしたら委員長が裏切者に対して厳格な処置を下しましたのでご安心を!」


 顔を上げた老婆がそう続ける。勇香には何が起こっているのかさっぱりだった。


「それに伴い、本日付で私が新たな講師として着任します!才能のために、あなた様のご活躍のために日々邁進いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 老婆は再び顔を下げる。勇香はあわわわと口を押さえると、老婆に顔を上げるよう促した。


「そ、そんな!顔を上げてください!」


 勇香はひとまず状況を整理した。草資が委員長らに昨日の一件を伝えたことは事実だろう。しかし、委員長の女は勇香ではなく“草資”に処罰を与えた。そういうことになる。


(やっぱり、委員長さんは失態を責めるような人じゃなかった……!!)


 勇香の信じた女の良心は本物だったようだ。


「じゃあ私は、引き続き指導してくれるんですか?」

「えぇ、もちろん!我らが生涯の限りを尽くし、あなた様を一流の勇者にいたします!!」


 少々大げさな物言いではあるものの、老婆の言葉に勇香は全てのわだかまりが解けたように安堵した。


「さて、新たに着任した私から、失礼ながらあなた様へ苦言を呈したいと思う所存でございます」

「……は、はい!」


 前振りもなく口火を切った女に勇香は戸惑うが、気を引き締めて聞き耳を立てる。

 恐らくは、自分の“弱さ”についてだろうと勇香は推測した。処罰は免れたとはいえ、それが委員会に露呈してしまったことは事実。教育方針の変更やアドバイスを貰えるのだろうか、と思っていた。


「あなた様は孤高なる勇者。“協調”は不必要でございます」

「協調……ですか?」

「えぇもとより、同学年のたちと共に競わずとも、あなた様は強くなれるのです」

「凡人?」

「あなた様のことですから、友人とのささやかな交流は人間性を高めるという観点で是とお考えでしょう。しかしながらその人材は、あなた様の才能と同価値の者が望ましいでしょう。ですが残念ながら、この学園にそのような者は生徒会にしか……いいえ、下手すれば生徒会にすら存在しないかもしれません」


 老婆は熱弁を奮うも、勇香にはその意味がさっぱりだった。


「それだけです。では実習へと参りましょう」

「え、上級魔法は?」

「本日はアリスによる実習はございません。このまま実習場での戦闘実習を行います」

「そ、そうですか」

「委員長が優先度を鑑みての判断です。どうかご容認ください」


 未練は残るが、今は強くなることを優先しよう。勇香は再び頷く。


「では、さっそく実習場へ参りましょう!」

「実習場では、何を?」


「もちろん、昨日あなた様が行った魔獣演習です」

「え?それって、前の指導員さんの独断で……」

「はて?れっきとしたあなた様の教育プランです」

「そ、そう……ですか。ははっ」


 地獄はまだ、終わりを告げない。

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