第53話 妥協
考えの整理がつかなかった。陽咲乃は、力を吸い取られたような姿の勇香を見るなり声を失ってしまった。
勇香はおぼつかない足取りで陽咲乃に近づくと、華奢な身体を陽咲乃に預けるように寄りかかる。
「馬鹿……ッ!!ほんと馬鹿ッ!!」
「ごめん……でも、ちょっと……疲れた……だけだから」
大丈夫だと平然を装う勇香だが、預けられた腹は不自然に膨らんだり萎んだりを繰り返している。陽咲乃はそんな満身創痍な勇香を自らの腕でぎゅっと抱きしめ、声を強めて言った。
「そんなわけないでしょ。アイツらに何されたの?」
人間なら、誰しもが他人による魔力の干渉への限界を持っている。つまりは付与魔法等の恩恵を無限に浴び続けることはできないということ。
それは治癒魔法においても同様で、一度でも許容限界を超えてしまうと、疲労が濁流のように身体に降りかかり、魔力欠乏状態と同じような症状を引き起こす。要するに急激な身体のこわばりだ。勇香はその寸前だった。
勇香の身体を支えながら、陽咲乃は厚い声量のまま問いかける。だが、勇香は一向に口を開かない。
「話してよ。約束したでしょ」
声を緩め、陽咲乃は勇香の耳元で優しく諭した。
「……ちょっと、家に帰ってからでも……いいかな」
ここでは話しづらい内容なのだろうか。陽咲乃はコクリと頷く。
「りょーかい。歩ける?」
「ちょっと、きついかも……」
「でしょうね。ほら、アタシの背中貸すから」
陽咲乃は勇香を離すと、背を向けてしゃがみ込んだ。
「わ、悪いよ……」
「大丈夫!こう見えてアタシ鍛えてるから。ちっこい勇香なんて家まで楽々だっての!」
そう言ってにやけ面をする陽咲乃。観念したのか勇香は微笑し、陽咲乃の背中に倒れかかるように身体を乗せた。
「よーし、新快速勇香宅行、しゅっぱつしんこー!」
「なにそのネーミング……」
「疲れてるのにダメ出しだけはできるのね」
勇香を乗せた陽咲乃は、ふぅと大ぶりの深呼吸をして出発する。
その廊下の一角で、空気がふっと揺らいだ。
*
陽咲乃が思ったよりも、というか日常生活が心配になるくらいに勇香の身体は軽かったので、すんなりと家まで運ぶことができた。それでも勇香の他に、道中のロッカーで回収した二人分のリュックサックも両腕にぶら下げていたので、片道約十分ほどの街道は苦しかったことには変わりない。こればかりは日々の鍛錬で鍛えられた陽咲乃の肉体美の賜物である。
居住区の通りを外れあぜ道を少し行くと、勇香の家は間近に見えてくる。
「と……到着……」
「おつかれ様」
玄関口で勇香を降ろすと、同じくドサッと落とされたリュックサックから勇香が鍵を取り出す。その間、陽咲乃は壁に手を当ててゼェゼェと荒い息を吐いていた。
鍵を取り出しながら勇香が大丈夫?と声をかける。すると、平気平気こんなもんと片腕をブンブン振る陽咲乃。
強がっているように見えるが、額には汗がだくだくと流れており、申し訳程度に施された化粧はすっかりと色落ち、色白の素肌が露わになっている。
無理をさせてしまった。勇香は後悔の念に苛まれ、下を向いてしまう。そんな勇香の様子をじっと見つめていた陽咲乃は息を押し殺し、勇香の肩をパンと叩く。
「ぃた……」
「本当に平気。友達なんだからさ、無理をするのに理由なんて要らないでしょ?」
「……っ」
友達だから。そんな単純な理由で、陽咲乃には幾度となくお節介を受けてきた。
嬉しい反面。事あるごとに陽咲乃を頼ってしまう、自分の弱さに心が苦しくなる。
と、陽咲乃はまたもや勇香を背に屈んだ。
「ほら、あと一息。行くよ新快速勇香宅行、終点までラストスパート一直線!」
「だ、ダメだよ……陽咲乃も動けなくなっちゃうでしょ!流石にもう家なんだから、一人で上がれるよ!!」
「アタシより勇香の方が疲れてんだからさ。背に腹は代えられないって」
ニッと口を緩め、ウィンクする陽咲乃。勇香は仕方なく、リュックサックは一階に置いてとだけ伝え陽咲乃に飛び乗った。
「うぼっ!!飛び乗んなし!」
「ご、ごめん……」
この恩は、“お節介”としていずれ倍にして返す。勇香はそう誓った。
*
部屋の間取りを熟知している陽咲乃は、二階へ着くと真っ先に暖炉前のソファへ勇香を寝かし、自らはキッチンへ向かった。
そこで許可を取ると、陽咲乃は冷蔵庫を開け、スカスカの中から中身が半分になった緑茶のペットボトルを取り出す。そして食器棚から二つ分のコップを取ると、勇香のいるソファへ。
スマホを弄る気力もなく、ただソファにもたれかかりながら呆けていた勇香に緑茶の入ったコップを渡し、陽咲乃はその隣に座る。
「もう平気?」
「うん、大丈夫。座ったらちょっとだけ落ち着いた」
勇香は緑茶を一口だけ啜ると、陽咲乃にニコリと微笑みながら告げた。
「そう。何をされたかは後でたっぷり聞くとして、身体に傷の一つも残っていないという事は、その疲労は治癒魔法の多用による限界超過を起こしかけてるからだと思う」
「多用?」
「うん。これだけは気を付けてね。限界超過を引き起こすくらいまで治癒魔法のお世話にはならないこと。限界超過をその一歩手前まででも、何度も引き起こしてしまうと、身体に相応の負荷がかかって、なんらかの異常をきたすことがあるって講義で習ったから。流石に、アイツらも分かっているとは思うけど」
「わ、分かった」
「さて、じゃあ話してくれるよね」
緑茶を一口だけ啜り、陽咲乃はそう切り出した。
「うん」
勇香は目を瞑り、その時の記憶をまさぐり返す。
味わった地獄は、すっかりと目に焼き付いている。忘れられないのだ。思い出すだけでも、身体がぞくぞくと震えを覚える。
魔獣に右腕をかみ砕かれた時も、瀕死寸前で草資の罵倒を受けた時も、あらゆる作戦を立ててもなお、魔獣の大群には足元にも及ばなかった時も。
全部全部、話し出したらきりがない。
それでも──
「何それ……ただの体罰じゃん」
「それでね、後日処分がくだるって」
授業で受けた仕打ちは、陽咲乃には話さなかった。
陽咲乃には草資の歪んだ思想と、“勘当”された事だけを伝えた。それでも、聞き届けた陽咲乃は愕然として口を開けたままだった。
コップを両手で抱え、そこに視線を向けながら勇香は小さく吐いた」
「私、委員会から見放されちゃうかも……」
「いいんだよ。委員会専属なんて見放されてなんぼ。勘当されて自由の身になった方が勇香のため……流石に、学園から追放なんてされないと思うしね。英雄じゃなくてもあんたは、将来有望な勇者の卵にして学園の生徒なんだからさ。まあでも、仮にそん時がきたら、アタシが代表委員権限をブッパに使って猛抗議してやるわ」
「でも、それじゃ……陽咲乃との約束を叶えられない」
「そんなの、探せば別の方法いっぱいだってあるよ。わざわざ委員会を頼らなくたって、上級生とか……それこそ生徒会に指導を乞えば勇香はいくらでも強くなれる!」
「ダメ、ダメなの……」
ぶるぶると震える声音で吐露した勇香は、首を横に振って陽咲乃の言葉を否定する。
「委員会が私に何をしたのかなんて、自分の心が一番知ってる……だって重いし、すごい、ざわざわしてるもん。今」
自分の胸元に手を当て、円を描くように手を動かす勇香。その悲痛な表情に、陽咲乃は勇香を直視できなくなってしまう。
「でもね、それは……全部私のためにしてくれたことだって知ってる」
「勇香、それは違う。委員会は勇香を利用してるだけ。それ以外に何もない」
「……委員長さんが言ってくれたの。私は最高の勇者になれるって」
委員長は言った。我々は無理を強いてしまっていると。そのうえで、勇香が裏日本の英雄になれるように全力でサポートするとも。
「委員長が……?」
「だから私は妥協したくない。私の本気の想いを、全力で受け止めてくれる人たちがいる最善の場で……私を変えたい」
「そんなの、頼み込めば生徒会だって!!」
「話は終わり。私……何としても認められたい、そのために詠唱魔法を頭に入れないといけないから……」
話を無理矢理区切ると半目で立ち上がり、勇香はフラフラの足でソファを出た。
向かう場所は三階への階段。この状態のまま、詠唱魔法を覚えるつもりなのだろう。
「……っ」
陽咲乃は席を立ち、ソファを回りこんで勇香の前に立ち塞がるように立ちはだかった。
「陽咲乃……?」
「あんた、このまま委員会の犬にでもなるつもり?」
「なに?酷いよ……ぐすっ……私、そんな……」
「……ッ!」
勇香はポロポロと涙を零し始めた。
またやってしまった。陽咲乃は自責とばかりに自分の口を固く閉ざす。
勇香は涙を流しながらも、陽咲乃を避けて先を急ごうとする。
その道を、陽咲乃はまた塞いだ。
「さ、さっきから何なの……!?」
「じゃあこのまま、委員会に魂を売り飛ばすような真似をしてまで、あんたはアタシとの約束を果たすつもり?」
「あ、当たり前、だよ……」
「……ッ!!」
ツンと、陽咲乃はまた勇香の額に人差し指を置く。
「何、するの……」
「
指先がほのかに黄色に光る。と、勇香は力がなくなった様に膝から崩れ落ちた。
陽咲乃がその身体を支える。勇香はすぅすぅと寝息を立てていた。
「疲れてんなら、まずは休みな」
聞こえているはずもない勇香に、陽咲乃は小声で語りかける。
「あんたはさ……応えてくれる人には忠実なのね」
すぅすぅと寝息を立てる勇香。その寝顔を、陽咲乃は険しい表情で見つめる。
そのまま数分後、陽咲乃は吹っ切れたように首を左右に振ると、
「まっ、いいか!起きたらお腹空いてるかもだし、ご飯作ってあーげよ!」
両手で勇香を抱きかかえ、階段を登り三階へ向かった。
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