第52話 鍍金

 咄嗟に顔を覆った上腕をかぎ爪で抉り取られ、凄まじい勢いで結界に打ち付けられた。体中からドクドクと流れる鮮血、そして前回の右腕が可愛く見えるほど激痛に、勇香は喚きながら身を転がした。


「なぜ、何故ですの……!!何故あなたはこうまでして、捨てられた木偶人形でしかありませんの!?」


 命の灯の消えかけた勇香を直視してもなお、途絶えることのない草資の罵倒。

 その文句は、全身を蝕むほどの痛みで勇香にはほとんど耳に入ることはなかった。


「あなたは英雄のはず……!魔王を討滅し、この世界を救済する英雄のはずでございますのよ!!!!!」


 草資の声はほとんど聞こえていない。なのに胸の奥がチクチクと痛む。胃が重く感じる。


「私はその言葉を信じ、委員長のお導き通りに彼女の才能を練磨しているだけでございます!!それなのになぜ、彼女はこんなにも脆弱なのですの!これではの勇者と何ら変わりありませんの!」


 最後の声は、勇香にも聞こえた。


「もう一度!もう一度ですの!!何か|間違いがあるはずですの!原因を突き止めて参りましょう!!」


「うぐっ」


 草資は魔法で勇香を治癒させ、強制的に立ち上がらせる。次には、勇香は戦場へ突き出されていた。


「さぁ、神から与えられしあなたの恩寵で、魔獣を一網打尽にしてくださいませ!」


 勇香の目に映る草資の形相は、狂気の他なかった。

 

 *


 その後の授業は、まるで「地獄」を体現しているようなものだった。

 草資が命令し、勇香が魔獣の軍勢をたった一人で受け止め、それでも受け止めきれず、数舜の油断で魔獣の一撃を浴び、魔獣の猛襲が止まる。そこで深手を負った勇香に躊躇なく罵声の嵐が飛び込む。


 ずっとずっと、それの繰り返しだった。


 結局、百分を浪費して討伐できた魔獣は、


「失望しましたの」


 授業の終わり、草資は地面に倒れ伏せて荒息を吐く勇香に虚ろな目で投げ捨てた。


「本日の実習で獲得したのは恐怖のみ……否、恐怖はもとより希薄でございます。つまり、あなたには


 少しの情もかけることなく、草資は冷徹に告げる。


「拍子抜けですわ。委員長の慧眼も外れることはありますのね。……違いましょう、私が委員長にこの上ない期待をしていただけですわ。このことは隈なく委員長に報告いたします」 


 今日のことを委員長に知られたら、学園から追放されてしまうのだろうか。下手すれば教師同様、裏日本送りにされる可能性だってある。それだけは嫌だ。

 だが、数々の受けた傷が災いし、反論する気力も湧かなかった。


「今更ながら後悔していますの。こんなに使えない役立たずを育成しても時間の無駄ですわ」


 いくら罵倒されたっていい。尊厳を否定されたって構わない。だけどそれだけは嫌だ。約束を、果たせなくなるのは……


 草資の言葉が、無秩序に三叉の鉾として勇香の心臓を貫く。目の動揺が激しくなり、息遣いがさらに荒さを増す。


「ですが、私はこれからの実習も担当に割り当てられている。委員長に進言するのも御身を汚すに等しい……どういたしましょう……」


「先……生……」

「なんですの!?」


 勇香は掠れた声音を振り絞り、仰向けに倒れたまま草資を説得する。


「私は……今はこんな惨めで、才能もなくて……英雄なんて程遠い……ただの木偶の棒、ですけど……委員長さんが……期待してくれるような……魔力を……持ってるのは……事実なんです」


「何を……?」


「私……その魔力をまだ……完璧に……使いこなせてない、だけなんです……魔術師としても……まだまだ未熟、で……」

「はい?」

「今日だって、パニックになっちゃったのは……反省します。けど……ただの言い訳ですけど、魔獣と戦うのは初めてで……まだ慣れてなくて」 


「慣れていない?委員長に推薦を受けた者がそのような言葉を抜かすなど……侮辱の極みですわ!!!!!今すぐ謝罪しなさい!!!!!」

「……ぃ!?」


 考えを否定されでもしたかのように女は激怒し、勇香を無理あり掴み上げ、至近距離から怒号を浴びせる。勇香の涙はとうに枯れた。度重なる苦痛により女の罵詈雑言も意味を成さない。何よりも指導者である委員長が勇香に掛けた言葉は、草資の考える女の像とは対極にあった。


「い、委員長さんも……言ってました……自分の弱さを受け入れろ……って」


 ──勇者の仕事は魔の手から民を救うこと。それすなわち、魔を逃せば民は死ぬ。だからこそ許されるこの場で、咎を喰らうほど自分の無力さを惜しみなさい。


「私……まだ……弱いですけど……これからいっぱいいっぱい……魔獣と戦って……強くなって……みんなに認められて……委員会のみなさんの、期待に……応えられるように……頑張ります……」


 勇香は地面に仰け反って手を握る。

 苦痛に苛まれながらも、その瞳はかすかな輝きを放っていた。


「なので……もう少しだけ、優しく……」


「嘘をつかないでくださいまし?」


 草資は冷淡な声音で勇香の言葉を遮った。


「へ……?」


「委員長は、例え故意ではなくとも委員長の意にそぐわない罪を犯した愚か者には、問答無用でその首を斬っていらっしゃる方とお聞きしております」


 そんなはずはないと、勇香はまじまじと草資を見つめた。

 しかし草資は冷めきった目つきで付け加える。


「先程までのあなたの失態をただ傍観しておられるような方でないという事は、今この場で断言しておきましょう」


 その瞬間、草資の口元がふっと緩んだ。


「さて、処分が楽しみですわね」


 勇香には女を黙って見つめることしかできなかった。


 *


「勇香遅いなぁー」


 放課後。地下階へ繋がる階段の手前。時折スマホの時計を一瞥しながら、廊下を挟んだ壁に寄りかかり勇香を待つ陽咲乃。


「もう十分も経過してるのに、なんかあったのかな」


 代表委員で多忙な陽咲乃が、勇香と帰宅できる数少ない放課後だった。

 一時はいつもの待ち合わせ場所であるエントランスにいたものの、一向にくる気配が見られなかったので、地下の運動場で実習を行っていると踏んでこの場所に移動した。それでも来ない。行き違いをしてしまったのかと、一応チャットアプリにメッセージを残したが、閲覧した形跡すら付かず。


「やっぱり、アタシ言ったじゃん」


 陽咲乃の目には眼前の階段と一緒に、昼休みの勇香との会話が映し出されていた。


『お願いだから、邪魔をしないで』


 委員会が勇香に齎すものは、彼女を“惨め”にせしめるだけ。

 それなのに勇香は、その“惨め”を選んだ。

 陽咲乃は勇香の決意を止めることができなかった。なぜだかは、自分でも分からなかった。


「何処かで行違えたのかな。だったら、今から勇香を探しに……」


「そこに……いたんだ」


 スマホのチャットアプリを開こうと指を伸ばした陽咲乃の耳に、慣れ親しんだ小声が届く。


「あっ、勇香……」


 その言葉に釣られるように、すっと振り向く陽咲乃。しかし、そこにいた勇香は……


「ごめん、遅くなっ……た」


「勇香!?」


 外傷こそ見られないものの、今にも倒れそうに廊下をふらつく勇香。

 陽咲乃を見つけたからなのか、わずかには笑みで誤魔化しているようだが、その身は誰が見ようが満身創痍。

 駆け寄ってきた陽咲乃にも気づかずに、勇香は陽咲乃の身体を預けた。


「ごめん……そこに……いたんだ……ぶつかっちゃっ……た」


「馬鹿……ッ!!ほんと馬鹿ッ!!」

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