第49話 初陣

 勇者養成学園の広大な敷地内には、魔法での戦闘訓練が行える屋内の実習場がいくつも存在する。

 その一つ、敷地の最奥にあるこじんまりとした実習場に、勇香は魔法戦概論の専属教師──たちばな草資そうしに連れられやって来た。


「こちらですわ」


 周囲は巨木で覆われており、学院棟からこの場所は伺えない。学園の死角と言えるだろう。

 それだけでこの先に何が待ち受けているのかは、勇香でも想像つく。


 実習場へと通ずる古びた鉄の扉を草資がこじ開ける。その奥は、わずかな光すら届かず、永遠の宵闇が続いている。

 

 草資が照明を点灯させることで初めて、場内の様子が明らかになった。 

 実習場の中は、よくある体育館と同じような内装だ。ただ、その規模は桁違いに広く、まるでどこかのスタジアムを思わせる。

 なによりも注目したのは、場内に疎らに配置されている不気味な人形の数々。それは狼のような小型から、腕の長い巨人を思わせる巨体のものまで。その数はざっと数えても三十を超えている。

 問題は各々の個体の再現度。その相貌は、勇香が女性教師との授業で記憶したと酷似している。もしも動き出せば、本物に襲われたと勘違いする者がほとんどだろう。

 停止しているからこそ、勇香は人形と認識することができる。


「これは」

「さて。あなたにはこれから、を模した魔導人形との模擬戦闘を行ってもらうでございます」


 草資の口から、このだだっ広い演習場で行われる授業内容が明らかになった。


「戦闘……?私、魔獣と戦ったことなんて一度も……」

「ですから、これが実質のでございますね」


 魔獣との対戦はもう少し場数を踏んでからと思っていた。それが、相手は人形と言えど、こうもいきなり戦わされるとは、委員長はそれほどまでに自分を期待してくれているという事なのだろうか。

 そんな期待へのプレッシャー、そして戦闘への不安。当然ながら、緊張感で勇香の胸がバクバクと鼓動し始めた。


「魔導人形とは、術者の魔力を動力に動く機械人形。すなわち相手はただの人形……でございますが……お分かりの通り、その容貌は本来の魔獣変わりありません」


(大丈夫、私はできる……できなくちゃいけない)


 勇香は胸の高鳴りを必死に抑え、草資の説明に耳をそばだてる。


「初陣という事で、当然ながらいくらかを設けます。それでも、魔獣はわたくしの精密な魔力操作により、各々のモデルとなった魔獣本物と同一の挙動をいたしますので、くれぐれも気を緩めることのないように」

「はい」

「わたくしの講義で知り得た戦のすべを淀みなく使い、自己の能力を極限まで高めていきましょう。最も、あなたにはアドバイスであったのかもしれませんが」


 最後の言葉に多少の疑念を覚えながらも、勇香は草資の言葉に頷く。


「では戦場へ」

「せ、戦場……?」

「なにをぼうっとしているのでございます。さっさと前へ出なさい」

「は、はい!」


 ギッと勇香を睨む女。女の形相の豹変に気圧されながらも、勇香は数歩前へ歩み出る。

 そこで振り返ってみると、いつの間にか草資の後方に、見覚えのある黒髪の少女が立っていた。


「お構いなく。彼女はただの配給係でございます」


 笑顔を浮かべながら草資がそう言うので、勇香は胡乱ながらも前を向いた。


「結界を展開します」

「結界?」


 勇香が再び背後を向くと、女の手にはテニスボールサイズの謎の球体が握られている。草資はそれを、テンポよく眼前へ放った。

 それは空中のある一点でぶくぶくと膨張し始め、直後には勇香の視界の全てが深碧の壁に閉ざされた。

 色は直ぐに透明になり、勇香は草資に近づくも、見えない何かに阻まれ草資に到達できない。


「先生!これって……」

「魔法具については他の講義で学習したかと思いますが、要は自身の魔力を動力とし動かす戦闘用の便のようなモノでございます」


 そんなの分かっている。が、今聞きたいのはそれじゃない。


「わたくしが使ったのは最上級結界術具の一つ、“幽閉型・広域魔術結界郭大装置アマノイワト”。結界を境とした物質又は魔法の干渉を完全に遮断する魔法具でございます。我らは魔法戦での魔法の飛び火防止を主として利用されるためにADFアンチダメージフィルターと俗称してるでございますね」 


 草資は勇香の取り乱しをもろともせず、文章を読むかのような淡々とした口調で告げる。 


「訓練は二限跨いで行い、授業終了時刻まで継続するでございます。あなたは終刻まで結界を出れず、約五分、計三回の休憩以外は魔獣との戦闘訓練に挑んでもらいますわ」

「……っ」


 アドバンテージがあるとはいえ、これは横暴すぎではないか。口出ししようにも、草資は更に声音のボルテージを上げ、


「あぁ、わたくしはこの場に立ち会えることを誇りに思います!あなた様……いや、世界を救う英雄による輝かしき粛清の瞬間を、老いぼれながらこの眼で相まみえることができるなんて……!!」


 草資は唐突に高揚し、赤く染まった頬を両手で押さえる。


「わたくしを指導教員として指名した委員長には感謝せねばなりませんね……!!」


 草資は両手を天に広げ、此処にいるはずのない委員長の女に感謝の意を告げた。


「というわけで、進級試験までに目の前の魔獣全てをで全滅させること。刻限は数週間もありませんわよ?よろしいでございますね?」

「は、はい……」


 流れるように目線を下げ、気味の悪い笑みを浮かべそう宣告する草資。

 もはや、眼前の魔獣よりも草資の方が恐怖に値するのではないか。勇香はその異質さに戦慄した。  


「では、制限時間は五分でございます。始めましょう」

「きょ、今日からですか?」

「えぇ、あなたならば、容易いでしょう?」


 草資は涼しそうな顔で言う。が、勇香には無理難題どころではないのは当然だ。

 初陣で、しかも本の中でしか素性を知らない相手を、五分足らずで仕留めることなんてできはずがない。


 いいや、何も今できなくともよい。失敗を積み重ね、己を研鑽するのだ。委員長の女から助言されたばかりではないか。


「何か質問は……?」

「あ、あの……」


「ありませんのね!では開始!」


 草資の号令によって、魔獣たちの瞳が一斉に深紅の灯を宿す。その瞬間に、狩人としての獣の本能を取り戻した魔獣は、雄叫びを上げながら我先にと獲物勇香に突っ込み始めた。


『グガアアアアアアア!!!!!!』


「……っ」


 威圧感に呑まれ、勇香は一歩退く。だがその間にも、魔獣はぐんぐんとその距離を縮めていく。


(に、逃げなきゃ……!)


 勇香は周囲をあたふたと見渡し、


(ど、どうしよう……!!どうしよう!?)


 先陣を切って勇香を狙うは十二体の獣型・獅子ネメアー系魔獣。通称、黒豹ブラックサーバル

 漆黒の毛並み、そして天空へ突き出た二本の牙が特徴の大型魔獣。獣型魔獣としては一番の個体数を誇る。

 獅子系魔獣特有の鋼鉄の毛皮は、物理も魔法も構わず並の攻撃を一切遮断する。


 余談だが、魔獣はその強さの指標が「脅威度」という五つの段階で区別される。

 それらは各階級の代表的な魔獣種から取られており、竜級テュポンクラス巨人級ギガントクラス蛇神級ヒュドラークラス牛人級ミノスクラス獣級オルトロクラスの五つだ。


 黒豹はその最下位クラス、獣級だ。そうはいっても、相手は並の獣とはわけが違う。その圧倒的なスピードで、勇香の間合いに迫るのも数舜。


(私、死ぬの……?)


『ガラアアアアアアア!!!!!!』


 先頭の魔獣はぐわっと跳躍し、洗練された双牙が勇香の四肢を噛みちぎらんと飛びかかる。

 その恐怖に、勇香はすっと身を縮め、衝動的に目を閉じてしまった。




「《命じるコマンドセット》──ワールウィンド・ストライク!!!!!」


 切羽詰まった勇香は、目を瞑ったままブレブレの手で呪文を叫ぶ。

 轟音を響かせ凝縮する風の渦。一瞬でそれは巨大な風弾と化し、至近距離に迫った魔獣へ射出された。


 黒豹の毛皮は並大抵の攻撃を一切通さない。魔法も然り。

 しかしながら、極限まで凝縮された風弾の威力は大砲と同等。もちろん、敵を吹き飛ばすくらいの威力はある。

 魔獣は風弾に押し上げられ、天高く飛んでいく。空中に軌道を描き、無残にも場内の遥か彼方に落下した。


(や、やった……!!)


 初の魔獣討伐……とはいかないが、魔獣を吹き飛ばせたことに勇香は歓喜した。


 ──それが、早過ぎる命取りであった。


『ガルアアアアアアアア!!!!!』


 気が付くと、勇香の間合いには一匹の魔獣が。

 油断──勇香は愉悦をも忘れ、思考停止に陥った。

 そして、本能的に差し出された右腕。 

 

(え……?)


 状況の整理をすることすら、勇香には叶わなかった。

 魔獣はその腕目がけ、牙を突き刺した。


 魔獣は、人を“殺す”ために魔王軍によって極秘製造された生物兵器だ。

 必然的に、魔獣は身体の一部に、人に一撃で致命傷を負わせることが可能なを携えている。

 それは人形であっても然り。獅子ネメアー種の場合は、生存のための毛皮。そして、人の四肢を粉々にすることに特化した牙、強靭な顎。何よりも、一度噛みついたら粉々になるまで噛み続ける“執念”だ。


「あぁ……アアアアアアアァァァァァァ!!!!!!!!」


 数秒遅れで、電撃を浴びたような激痛が勇香の右腕を奔る。

 手を振り払おうとも、魔獣はその牙で肉を抉る。そこから鮮血がドクドクと流れ落ちる。腕の感覚はとうに失われた。


「いゃ……やめて……離し……」


『グギギッ』


 必死の抵抗も虚しく、魔獣はより奥へ奥へと牙を刺す。噴出した血が頬にピシャッと付着する。


「アアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!!!」


 勇香は再び、断末魔の悲鳴を上げた。

 今までに感じたこともない痛覚が勇香の思考を蝕み、勇香を“死”の恐怖へと誘う。

 橈骨を、尺骨を、腕の骨を咀嚼し、ミキサーにかけたように粉塵とする獣。


 魔獣の勢力は衰えるばかりか、後方にいた魔獣までもが、勇香の皮膚を引き千切らんと凶刃を突き立てる。


「あぁ……あがっ……やめて……お願い……やめ……て……」


 勇香は獰猛な肉食獣に捕らえられた哀れな子鼠。その先には命の輝きも非ず、抗いの灯すら燃え尽きた。

 魔獣たちに埋もれ、身動きがとれなくなってしまうのも時間の問題だった。


「ストップ」


 草資の一声で、魔獣の動きが止まった。

 その場にいた数匹だけではない。場内の全ての魔獣が、一つの信号で動力を失ったのだ。


 猛々しい雄叫びが止むと、代わりに聞こえてきたのは、コツコツという女のハイヒールの音色。

 勇香は痛みに堪えたまま、こちらへ向かって来た草資に目をやった。

 草資はニコニコと不気味な笑みを浮かべながら、勇香へと歩み寄る。そして眼前に迫るなり、その表情のまま勇香を仰ぎ見た。

 勇香は仰向けに倒れ、右腕に鮮血を垂らしながら、朦朧とする意識の中でかろうじて草資を目に止めている。身体は血の気が引いたように冷たい。腕一本が噛み砕かれたのは、不幸中の幸いだった。

 草資は前に立つと、優雅な微笑みで勇香を仰ぎ見る。

 そして、冷淡な口調で言った。


「立ち上がりなさい」


「……っ……ぇ」


「何を呑気に平野で野晒になっているのです?立ち上がりなさい」


 血に濡れた勇香の右腕を一瞥してまで、草資は素知らぬ顔でとそう言った。


「立ち上がりなさい」


 勇香は、何とかして身を起こそうと身体に力を加える。

 だが、血液を体外へ放出しすぎたのか、満身創痍を通り越した“死”の瀬戸際を彷徨う勇香には、立ち上がることさえ困難だった。


「無理……です……」


 勇香の力のない返答に、草資は勇香の姿を頭部から順に目で追うと、


「惨め」


 反射的に、そんな言葉が草資から漏れ出した。


「……っ!!」

「今のあなたには、この言葉がお似合いでしょう」


 何故だろう。先の激痛で枯れたはずの涙が、ジワジワと溢れて出てきた。

 醜態を晒してしまったのだろうか。けれど勇香には、涙を拭きとることもできなかった。動かせる左手も、その気力すら残っていない。


「よろしい。では先の戦闘の総評をいたしましょうか」


 そう思いきや、草資は一気に口を尖らせ、勇香に怒鳴り声を上げた。


「魔術師は敵に間合いに入られたら死同然と、何度教えたでございますか!!!!!」


 無慈悲にも勇香の命の瀬戸際が、草資の仮面が外れた瞬間だった。

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