第48話 昼時
昼休み。すっかり花弁の散ったチェリー・プラムを囲む円形のベンチに腰掛け、勇香はスマホゲームに没頭していた。
パラパラと軽快な音を立てる球体を動かし、三つ揃えて消す。消えた球体に応じてキャラクターがパワーアップし、敵にダメージを与えていく。その瞬間が何とも心地よい。
ふと顔を上げると、眼前には深緑が芽吹き始めた並木街道。さらにその奥には、巨大な運動場が太陽にサンサンと照らされている。
運動場には疎らに人がおり、皆スポーツに勤しんでいるようだ。
実は、勇者養成学園にも部活動は存在する。大会もなくお遊び程度の活動だが、それでも理不尽な運命を押し付けられた少女たちが、せめてもの“高校生”としての思い出を残したいと、熱心に取り組む生徒は少なくない。
通常の文化部や運動部はもちろん、中には裏日本特有の魔法に注目したユニークな部活まで、現時点で十五ほどの部が日夜精力的に活動している。生徒数も少ないため、兼部する生徒もざらにいるようだ。
そよ風が吹き木々が揺れる。自然に包まれたその景色はまさしく日常の癒しだ。このベンチを定例の待ち合わせ場所にしてよかったと、勇香は改めて実感した。
そこへ──
「勇香ーー!!!」
学園へと続く石畳の街道から、一人の少女が駆けこんでくる。肩まで伸ばした灰色の髪をそよ風に靡かせたその少女は、勇香の元に着くなりバフっと抱擁した。
「陽咲……乃っ!?」
あまりに突然の抱擁に、勇香はぎょっと陽咲乃に目をやる。
「よかったぁ~いつもの勇香だぁ……ほっぺ柔らかぁ」
陽咲乃は自身と勇香の頬をふにふにと擦り合わせながらそう漏らした。
ほんの数秒で勇香から離れると、陽咲乃は明後日の方向を向きながら言い訳する。
「ど、どうしたの?」
「別にーそういう気分だっただけー」
「どういうことよ……えっと、授業の帰り?」
「そっ!じゃあ食堂行こっか!」
「う……うん、そうだね。え……食堂……?」
勇香がゾッとしながら言葉を繰り返すと、陽咲乃はニヤリと悪戯そうに口元を綻ばせる。
「だってぇーいつも弁当買って屋上で二人きりなんてつまんないじゃん」
「い、いいじゃん……学校の屋上でランチなんて、表日本では絶対できないんだよ……」
「どうせ勇香は人多すぎて食堂行きたくないだけでしょ」
「うぅ……そうだけどぉ」
「大丈夫!勇香が怖がるほどじゃないからさ」
なよなよとしてベンチから腰を上げようとしない勇香に、陽咲乃はその丸まった背中をやや強めに叩く。
「あいたっ!?」
「ほら、友達作るチャンス、てか選挙活動するチャンスだよ」
「……まだ早いよ」
*
途中、ロッカーに大柄な荷物をリュックに詰めた陽咲乃は、そこでも屋上がいいと駄々を捏ねる勇香を強引に連行して食堂にやって来た。
時刻は午後一時。昼真っ盛りの食堂は、学園の生徒たちで賑わいを見せている。
そうは言っても、この学園での基準である。全校生徒が三七人しかいない分、当然ながら別の場所で昼を過ごそうとする者も現れる。昨日までの勇香と陽咲乃もそうだった。
ぱっと見で数えてみると、この広大な食堂にいる生徒は二十人ほど。所々で空席が目立っている。
「ね、言ったでしょ」
「うん。これくらいなら、大丈夫かも」
人塵を恐れていた勇香も、眼前の景色を見て胸をなでおろす。
「どうせなら麻里亜先輩と聖奈も誘えばよかったのに」
「二人は生徒会の仕事があるから」
「あんたは?」
おもむろに陽咲乃に尋ねられ、勇香は目を泳がせながらしょぼしょぼと吐露した。
「私は……特例で……免除されてるから」
「何それ、使えないからお役御免的な感じじゃないの?」
「……っ」
ケロッとした陽咲乃から放たれた何気ない一言に、勇香の全身がピリッと凍り付く。
陽咲乃は勇香の硬直具合を一目見ると、勇香の肩に手を掛けながら早々と詫びた。
「ごめんごめん、アタシが悪かった」
「会長さんに限って、そんなことしないと思うよ」
勇香は苦笑いで誤魔化しながら、話を茶化した。
「だよね。会長は学長に続いて聖人君主だからね」
「お腹空いたから、行こっか」
そう言って、勇香は辺りをキョロキョロと見まわす。そして、料理注文のカウンターを見つけると、いそいそと歩き出す。
陽咲乃もそれに続けて勇香の後を追う。だが、その足が数歩足らずで止まったことは、言うまでもなかった。
(またっ、やっちゃった……)
唐突に、陽咲乃の脳裏にあの時の記憶が過る。陽咲乃は額を片手で押さえ、ぐっと歯を噛み締める。
──もう、その記憶は忘れたはずだ。変わったのだから。
陽咲乃は再び歩き出すと、カウンター式の注文の列に並ぶ。
勇香の後方に立つと、そこに積まれていた盆を持つ。
カウンター越しの白衣を着た初老の女性に料理を注文し、陽咲乃は勇香と世話話を広げながら料理の完成を待った。
*
数分後。出来立てほやほやの料理を載せたお盆を持ちながら、勇香と陽咲乃は食堂を練り歩き、多くの空席の中から目当ての席を見定める。
「ここの食堂凄いね。てっきり洋食だけだと思ったら、生姜焼きとかラーメンまであって……なんというか、普通に食堂してた。全部無料だし」
「なにその表現、語彙力終わってんじゃん」
「自覚してるのに……陽咲乃は何頼んだの?」
「この学園の名物、裏日本満載丼♪」
「語彙力終わってない?」
ツッコミを入れつつ、陽咲乃のお盆にどんと載っているどんぶりに目をやると、それはどう見ても天丼の類だった。
「陽咲乃って、ダイエットしてるんじゃなかったっけ?」
「盗賊の職業柄毎日減量してるんだけどさ、此処へ来たら我慢しないって決めてるの」
「平気なのそれ?」
「だってぇ~周りがみーんな美味しい料理食べてるのに自分だけカロリーバーなんて耐える方が無理じゃない?」
「そうだね。確かに」
くすっと微笑する勇香。その眼下には、オム焼きそば目玉焼きトッピングと醤油ラーメンが今にもお盆をはみ出さんとばかりに載っている。
「そういう勇香だって……頼みすぎじゃない?太るぞ?」
「私普段少食だからいいの。身長だってちっとも伸びないし……せめてもの栄養」
「いいんだよ伸びなくて。勇香はアタシのマスコットなんだから!」
「意味わかんない」
と、食堂の最奥の席を勇香が指名し、二人は対面で腰かけた。
「じゃっ食べよっか」
「自分で頼んでおいてなんだけどこの量、食べきれるかな……」
「だろうと思った。余ったらこのアタシに任せなさーい。丁度午前の短剣技能実習でお腹空いてるしね」
「ありがとう。陽咲乃は頼もしいね」
「でしょー。じゃっ、頂きま~す!!」
「いただきまー……」
気分上々で料理にありつこうとした時、勇香は遠目に、颯爽と通り過ぎる見知った少女の姿を見つける。
水色の長髪を揺らした小柄な少女。腰に帯剣し、生徒会長の愛華に付き添っている姿が印象的だ。が、今は何故か、単独で食堂の隅を通り抜けている。
「あれ黒野さんじゃない?」
「本当だ。生徒会の仕事あるんじゃないの?」
「うん。なんでだろ」
その時、勇香はふと閃いた。
妃樺は生徒会室以外では滅多に遭遇することのない、ゲーム感覚で言えば「激レア」な存在である。
(……っ!)
丁度良い。妃樺を呼び出し、生徒会に所属した所以を洗いざらい問いただそうではないか。
……いや、やめておこう。
(こ、怖い……やっぱり放課後、聖奈さんに聞こぅ……)
大人しく諦め、大人しく箸を持った瞬間。
「おーい、妃樺~!」
「えっ、呼ぶの?」
「ちょっと話してみたいんだよね」
流石はクラスの中心的存在、陽咲乃である。孤高な人物ですら、躊躇なしに呼びかけるその様は感服モノだ。
「あれ~?」
が、陽咲乃の呼び声も虚しく、妃樺は一瞬だけ切れ目を此方に向けたものの、無視するように通り過ぎてしまった。
「行っちゃったね」
「あははっ、アタシなんでか知らないけどあの子によく避けられちゃうんだよねぇ」
「何かしたの?」
「う~ん。よく昼休みとかに妃樺にバッタリ出くわしたら今みたいに昼ごはんに誘ってるけど……それでも大体、妃樺には断られちゃうから、ちょっぴりだよ?ちょっぴりだけしつこくなっちゃうけど……それ以外に嫌われるようなことしたっけな~?」
「絶対それじゃん……」
「まっ、いいか。二人で喰らおうぜ!」
「言い方」
その後、二人で他愛もない会話を添えて食を進めていると、唐突に陽咲乃が切り出した。
「そーいえばさ、ぶっちゃけ委員会の講義ってどうなの?」
「うーん。良くもないし、悪くもないって感じ。アリスさんとの授業は、ほんの少しだけ楽しいけど」
「大丈夫?委員会の奴らに悪いこと唆されてない?」
「そ、そんなことないよ」
「ならよかったけど」
陽咲乃は今朝の一件もあり、ふうと嘆息を吐いた。
「あっ、そういえばね。今度試験をすることになったんだ!」
「試験?」
「やば、これ秘密にしろって言われてたんだ」
「ちょっと、自分で口火切ったんだから言いなさいよね」
「……絶対に、口外しないでね」
「りょーかい」
空返事の陽咲乃に心配しつつも、勇香はテーブルにその身を乗り出した。陽咲乃もテーブルの中心に耳を近づけると、勇香はこそこそと耳打ちする。
その内容を聞いた陽咲乃は、たちまち目を丸くさせ、
「マジ!?あれを!?」
約束も忘れ大声で驚嘆する。
「しーっ!声大きいよ」
「めんごめんご!」
勇香と周囲から注がれた視線に頭を下げた陽咲乃は、居心地悪そうに長椅子に腰かけると、小声で続きを促す。
「で、それはいつやるの?」
「分かんない。でも、試験当日までにアリスさんが指導してくれるって言ってるから、直ぐにじゃないと思う」
「だよねー。それにしても、二年生が受ける試験をみんなの前で、か。信用を得るための最善の手段だとは思うけど、まさか勇香がそれを受けるなんてね」
「正直、今から緊張しかない」
勇香の緊張ももっともだ。人前に立つことが苦手な勇香が、上級生が受けるはずの試験を初級魔法のみで二分台で攻略する。それほどの無理難題は他に存在しない。
「勇香も大変だねぇ」
「いいなぁ、陽咲乃にとっては他人事だもんね」
「そんなわけないでしょ。もし成功されたらアタシは一瞬で不利な立場に追いやられるんだし」
「あはは」
「それでもさ、ぶっちゃけ言うと大博打でしかないかな。仮に初級魔法だけで二分越えたとなれば、勇香は間違いなく生徒会の素質を認められると思うよ?でも、一年の進級試験でも三分越えた人なんて聞いたことないし、アリス先輩の指導があったとしても、うまくいくとは思えない。そんで失敗したとなれば勇香の信用度はダダ下がり。学園上層部は生徒会選挙に手出しはできないから、次の選挙では間違いなく落とされる。それを鑑みれば、今のアタシとしては安心材料しかないよ」
陽咲乃の真っ当な指摘に、勇香は食事の手を止め、口ごもってしまう。
うまくいく可能性は限りなく低い。例えアリスの
俯いてしまった勇香を見兼ねて陽咲乃が宥める。
「い、委員会に支えられてるほどだし、ゆ、勇香の魔法の腕前次第では、案外何とかなったり……?」
「ありがとう。でもお世辞なんて要らないよ。陽咲乃は
顔をすっと上げ、勇香は澄んだ形相で口にする。その瞳に秘めた紫炎は、これまでの後ろ向きだった勇香とは一線を画していた。
「そっか、でも助けて欲しいときは言うんだよ?例えライバルでも、アタシは勇香の友達なんだから」
「う……うん。それに元々、生徒会の称号は私には大きすぎる器だってことは分かってる。だから失敗したらしたで、委員会がどう言おうと生徒会は抜ける。そのつもりで臨むから」
勇香の決断に陽咲乃は微笑して。
「……ふっ、しょうがないなぁー!」
吹っ切れたかのように横に置いてあるバックからコソコソと何かを取り出そうとする。だがその前に、勇香が何かを思い出したかのようにバタンと立ち上がった。
「あっ、言い忘れてたことあった!」
「どっ、どったの!?」
いきなりのことに陽咲乃は大声を上げ、まさぐっていた手を止めて勇香を見る。
「アリスさんとの実習中に、なんとすっごい人が来たの!誰だと思う?」
ピカピカに目を輝かせながら、勇香は大仰に手を広げる。
「凄い人って、それ以外に形容する言葉ないの?」
「と、とにかく凄い人なの!」
陽咲乃はテーブルに肘を乗せてしばし考え込むと、
「学園長とか?」
「ぶぶー!不正解!」
「ウザ」
ぶっきらぼうに吐き捨てた陽咲乃に心を激しく削がれるも、勇香は気を取り直し甲高い声で告げる。
「学園統括委員会の、委員長さん!」
その答えに、陽咲乃は呆然と言葉を失った。
「えっ……」
──向うの裁量次第ではアイツがおかしくなる可能性もある。それだけは覚えとけよ
「それって……」
「あのね!委員長さんとは、今まで一度しかあったことなくて、超怖い人なのかなーって思ってたけど、実は正反対!超優しい人だったの!」
「そ、そうなんだ」
陽咲乃はとりあえずの相槌をするも、勇香ははきはきと話を続ける。
「今までの委員会の行いもちゃんと謝ってくれてね!一瞬だけど魔法の実習手伝ってくれたんだ~。委員長、堅物そうに見えて実は失敗も平気で受け入れてくれそうないい上司って感じ?」
「……っ」
「私、それでちょっと……委員会の事ちょっと見直しちゃったかな。ほんのちょっとだけだよ?でもよくよく考えれば講師の先生方も優しい人ばっかりだ……」
「勇香!」
突然ばっと立ち上がり、勇香の両肩を掴んだ陽咲乃。
「な、何……」
勇香は目を丸くして、陽咲乃を見つめる。
「あ、あのさ……」
「聖ヶ崎さん」
二人の横で、年季の入ったハスキーボイスが囁いた。
ぎょっと声の主に向くと、そこには藍色のカーディガンを羽織った老齢の女が立っていた。
「こちらにいらしたのでございますね」
女は独特な笑みを顔に浮かべて、勇香を仰ぎ見ている。
「だ、誰……」
「魔法戦概論の、先生……」
「それって、委員会の」
二人はすっと自席へ戻ると、勇香はスマホの時刻を確認してから女に尋ねる。
「すみません。授業までは、まだ時間があるのでは……」
「本日から、別室で特別実習を行いますの。時間はまだ早いですが、事前準備も想定して今から授業を始めるでございます」
「……っ」
女の言葉に俯いてしまった勇香。
一方の陽咲乃は、女の言った“特別実習”という言葉に疑問を抱き、
「ちょ、ちょっと待って!アンタたちは勇香を……!!」
「わかりました」
顔を上げ、目を見張る陽咲乃の横ですんなりとそう告げる勇香。
「勇香……」
「大丈夫、先生は優しいから」
「そういう問題じゃなくて、相手は委員会の……」
「陽咲乃」
きっと差し迫った表情で、勇香は陽咲乃を向く。
「私は陽咲乃との約束を果たすために強くなりたい。だから相手が誰であれ、これは私が望む試練なの」
約束を果たすために、強くならなければならない。そのためには手段を選んではいられない。
そんな勇香の思いを感じ取ってしまい、陽咲乃は口を噤んだ。
「お願いだから、邪魔をしないで」
勇香らしからぬ言葉で牽制し、行きましょうと女の後に続く。
止めたい。勇香が向う側へ踏み込んでしまうのを、自分の手で阻止したい。
けど、陽咲乃は何かを口に出すことさえ叶わなかった。
勇香と交わした約束が、陽咲乃が言葉を発すのを拒んだのだ。
何も考えることできず、陽咲乃は一人、友人の消えた席で項垂れる。
そしてこれが、陽咲乃にとって最大の──後悔であった。
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