第47話 展望
「授業は捗っておりますか。アリス」
「「……っ!!!!!」」
貫禄の効いたテノールの声音は、数度しか相対したことのない勇香でも、その姿貌は克明に記憶に刻まれており、無意識に戦慄してしまう。
アリスでさえもその声の主に視線を集中させ、ピシッと身体を張ってしまった。
年齢に似あわぬすらりとした体格、ややしわが残りつつも端正とした顔立ち。藍色のブラウスに乳白色のタイトスカートを纏った初老の女。
女を一目見るなり、アリスはぎょっと目を剥き、
「いいいいい委員長!?!?!?!?どうしてこちらに!!!!!!!」
突然の来訪に気が動転したアリスは、拡声器に声を通したかのように声を張り上げる。
女は小粋な所作で耳を塞ぎつつ、アリスに近寄りながら淡々とした声で、
「ちょうど業務が一段落したので、視察も兼ねての暇つぶしです」
「なーんだ!それなら最初に言ってくださいよ~」
女の言葉に、アリスは数舜足らずでいつものテンションに逆戻りする。
感情の温度差の激しいアリス。そんなアリスに対しても大した感情の起伏も立てずに対応する女。正反対の二人のたった二言しかない会話で、勇香は口を挟む余裕すらなく思考停止に陥ってしまった。
女はふと勇香に目をやる。視線が此方に向いたことで、勇香はビッと肩を竦ませた。
「二週間ぶりですね。聖ヶ崎勇香さん」
「お久しぶりで……ひぃ!!!」
途端、ギロリとした視線を送られ勇香は萎縮し、両手両足をビクビクと震わせてしまう。
「ほらぁ、委員長の圧が強すぎるせいで勇香ちゃんが生まれたての小鹿みたいになっちゃいましたよ?もう少しフレンドリーに接してあげてくださいよ~」
「具体的な対策を提示してくれねば、こちらでは対応しかねます」
「もぅ、相変わらず堅物~!!」
「私のことはお気になさらず、少々彼女の修学具合を確認するだけです」
そう言うと、女は数歩離れた壁際に後退する。
「さ、気を取り直して続きやろうか!」
ニコッと笑顔で促すアリスだが、勇香はへなへなと人工芝にへたり込んでしまった。
「無……無理です……よぉ」
女が勇香を監視している。それだけで勇香に重圧がのしかかった。
肩は重く、立ち上がることさえ不可能だ。
アリスはそんな勇香を引っ張り上げ、心を落ち着かせるように控えめな声で諭した。
「大丈夫、委員長は寛大なお方だよ?」
「で、でも……失敗……したら……」
「大丈夫だから。とにかくやってみて?」
「……っ」
「じゃあ、アリスちゃんを真似して魔法を撃ってみて!」
「は……はぃ……」
アリスは勇香を一瞥し笑みを送ると、その前に立ち片手を伸ばす。
「顕れよ!地上を吹き荒らす風神の怒号!
瞬間、アリスの伸ばした片手に深緑の光球が揺蕩う。その後、風の渦が出現したと思いきや、それは瞬時に激しい竜巻と化した。竜巻は周辺一帯に突風を引き起こし、勇香の金糸の髪が大きく揺れる。近づけば勇香の華奢な身体など簡単に吹き飛ばされそうだ。
数秒で竜巻は消滅し、アリスは勇香にさっと促した。
おじおじとしながらも、ごくりと息を呑み勇香は魔法を唱える。だが──
「顕……顕……れよ……」
詠唱の先が、出てこない。
たった数秒前にアリスが放った。勇香も忘れまいと気を張っていた。
それなのに、いつのまにか忘却の彼方へと落とし込んでしまった。
そんな由々しき事態に、勇香の背筋が凍りつくのは必然と言える。
(やばい……やばい……!!)
錯乱状態になり、だんだんと吐く息が荒くなってくる。
このままでは女にどころかアリスにすら幻滅されてしまう。
(なんで……出てこないの……!!)
陽咲乃とともに克服したはずだった。変わったはずだった。
けれど現実はこうだ。
「ゆ、勇香ちゃん」
見兼ねたアリスが勇香に手を伸ばす。
今更、思い出した。勇香は人生で何度も、こんな場面に遭遇した。その度に、切羽詰まるとこんな挙動をした。
転校初日の集会も、女性教師に全てを告げた際も、陽咲乃たちとのカラオケも。例を上げれば枚挙に暇がない。
たかが魔法を放つだけなのに、アリスと同じことをするだけなのに。
女が現れ、緊張に苛まれてしまった。女にはとっくに失望されてしまったことだろう。
勇香は目の前の景色を見るのも恐怖し、目を瞑ってしまった。
「心の乱れは魔法の照準に大きくかかわる。まずは精神の波濤を沈めるところから、さっ、深呼吸」
ふと、勇香の右手が身軽になった。
(……っ)
瞼をパッと開ける。
そこにいるのは、女だ。
女が勇香の右手を、身体全体で支えている。
「し、しんこ……きゅう……」
「落ち着きなさい。私はこの手を離しません」
女は前を向きながら、淡々と告げる。
「は……はい」
勇香は態勢を維持したまま、ふぅっと息を吸い上げる。
「まずは己の今を受け入れなさい。無力さを噛み締めなさい」
「……っ」
「緊張、そして失敗。それらは人間ならば誰しもが直面する成長への過程。受け入れなさい。恐怖しているようでは、己を変えるなんてできません」
無感情ながらもその声は声援となり、勇香の荒んだ心にじわじわと浸透する。
「勇者の仕事は魔の手から民を救うこと。それすなわち、魔を逃せば民は死ぬ。だからこそ許されるこの場で、咎を喰らうほど自分の無力さを惜しみなさい」
「勇香ちゃん!!顕れよ!地上を吹き荒らす風神の怒号!」
女の後ろから、アリスが鼓舞するように詠唱の文句を口にした。
「それが、そなたが一流の勇者へとたらしめるための火種となる」
支えられた右手を糧に、勇香は呪文を詠唱する。
「|顕れよ!地上を吹き荒らす風神の怒号!
刹那──勇香の右腕に光球が舞う。一瞬にして、勇香の目の前に巨大な竜巻が出現した。
「勇香ちゃん凄い!」
アリスからも、思わず称賛の声が鳴る。
竜巻から伝播した強風が勇香の風を靡かす。眼前に吹き荒れる自然現象見て、この災害を自分が放ったという事実に目を丸くする勇香。
その隣で立ち尽くし同じくその光景に目をやった女は、ぽつりと勇香に語りかける。
「我々はそなた無理を強いている。並の生徒が一年をかけて学ぶべき代物を、そなたにはたったの数週間で指南しているのだから」
「……っ」
「ですが、我々は決して、そなたを粗野に扱おうとしていないことだけは知ってほしい。裏日本の情勢を鑑みた結果、やむを得ない判断だった。と言っても、そなたにはかこつけにしか聞こえないかもしれません」
「い、いえ……そんなことは」
女から語られる言葉一つ一つは、勇香の想像する“委員会の長”としての像を崩壊させていく。
「先の魔法で再確認できました。そなたの中に眠る勇者の才は、私が期待する価値のあるものだと」
「……!」
「そなたは、最高の勇者になれる」
硬く閉ざされた決意を秘めた瞳が、勇香の全身に突き刺さる。さっきはこの瞳の底知れぬ力に、気圧されてしまった。しかし今は、呆然とその姿を注視することができる。
「私……」
「此度の作戦、成功を祈願していますよ」
竜巻が止むと女は踵を返し、スタスタと運動場を去っていった。
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