プロローグ(2) ある村で

 ──この村の魅力?それは何といっても美しい水と鶏さ。 


 不思議と村の住民に名産を聞くと、皆口を揃えてそんなことが返ってくる。


 確かに村の中を散策してみると、中心を東西に流れる大河があったり、至る所に水路が巡っていたりと、何かと水を感じさせられるスポットはたくさんあるようだ。

 しかも、そこらを流るる水の澄み具合が並の河原で見かけるそれではない。ガラス玉のように玲瓏れいろうな水のせせらぎ、ゆらゆらと水中を揺蕩う水草を眺めているだけで、数舜の時が経過してしまう。


 鶏については、村の大通りに構える露店の店主に聞いてみた。


では地元で採れた鳥のことを“地鶏”っつて旅人に売っとるんやろ?ならこの村で採れる鳥も“地鶏”なんじゃねぇのってな」


 どうやら、向うの慣習に倣っているだけのようだ。それでも店先に堂々と陳列されている串焼きを一目見るだけで、不思議と涎が垂れそうになってくる。


「よくご存じですね」

「昔通りすがりの商人に聞いたんだよ。その商人も勇者様に聞いたんだとか」

「勇者に、ですか」

「どうだい?嬢ちゃんも一つ。ウチィは別嬪さんには安くしとるよ?」


 唐突に店主は目の前の串焼きを掴み、こちらに湯気の立った一品を勧めてくる。どんなときも商売精神は欠かせないようだ。

 

「ではお一つ」


 その欲に負けてか、少女は人差し指を立てて串焼きを求める。


「嬢ちゃん気前いいね!一本120シェンだよ」

「はい。丁度です」


 少女は店主の豪快な掌の上に、銀貨を一枚、銅貨を二枚落とすと、対価として串焼きを渡される。

 シェンとは、この世界での通貨の単位だ。レートは特に変わりがなく、向うの通貨が訛ってこの読みになったのだろう。


「まいどありー」


 帰り際、店主は軽快に手を振って少女を見送る。それに快く手を振り返しながら、少女は串焼きにかぶりつこうと……慌てて用事を思い出し、駆け足で露店に舞い戻った。


「あの、別れ際で申し訳ないのですが、もう一つお聞きたいことがありまして……」

「なんだい?」


 少女は数秒考えこむも、直後キリっとした表情で店主に問いかける。


「お土産は、何処で買えるのでしょうか?」


 人差し指で頬をぽりぽりと掻きながら、少女ははにかみ気にそう言う。


「お、み、や、げ……?特産品の事かい?」


 が、店主は言葉の意味にポカンと首を傾げた。


「えぇ、私の友人がどうしてもというもので。何か見繕ってあげないといけないんです」

「んならそこら辺の商店で売っとるよ。今日はこの通り露店だらけやから、そこでも買えるんやねぇのか?」

「感謝します」


 少女は店主に深くお辞儀をすると、スッとそこを去った。


 それは、この村を訪れてから半日経過した時だった。

 少女は大柄な買い物袋を両手に人気のない裏路地へと足を踏み入れる。しばらく歩いた先、少女はふと視線を民家の壁に移し、着ているブレザーの内ポケットをゴソゴソとまさぐりだす。そして数秒経たずに取り出したのは、レモン色が鮮やかなビー玉サイズの小道具。中にはで作成した通話機能が備えられている。

 少女はその小道具に向けて、小さく声を吹き込んだ。


命じるコマンドセット──機能付加エンチャント:ロール遠撃リモート】」


 通常は攻撃魔法の装飾として利用されるこの付与魔法も、術者の手腕次第では通信手段としても転用可能だ。


『聞こえる?会長』


 小道具から、ハスキーな少女の声が響いてくる。


「えぇ、聞こえているわ」

『あたしに連絡してきたってことは、何かわかったみたいだね?』

「えぇ、どうやらこの村の勇者不在案件は、もう何年も前から常態化してるみたい」

『やっぱりね。観測データは間違いじゃなかった。忙しいのにわざわざ調査してくれてありがとね』


 小道具の奥から、少女の声と共にキーボードを打ち込むカタカタという音が聞こえてくる。


「いいのよ。それでなんだけど……」


 刹那──少女が続ける間もなく、村のどこかからカンカンカンと耳をつんざくほどの鐘の音が響き渡った。


 何事かと、開けた村の通りに踵を返すわけでもなく……その鐘の音が意味するものは、少女にも。


『何かあった?』


「えぇ悪いけど、報告はまた後で」


『分かった。どうかご武運を』


 その連絡を最後に、少女は小道具への魔力の供給を断ち切る。

 同時に空から彼女目がけて舞い降りてきたのは、だった。


 *


 賑やかな村の雰囲気は、一瞬にして恐怖と悲鳴に塗り替えられた。


「魔獣が来たぞ!!!!」

「皆逃げろ!!!」


 人々は逃げ惑い、村中のそこかしこから阿鼻叫喚の声が聞こえる。

 

「皆急いで、地下の避難所へ!!!」


 薙刀を持った男達は、狼狽する人々の奔流を一点に導く。その先は、地下へと続く避難所への扉。

 

「早く逃げろ!!早く!!」


 泣き喚く子供と、彼らを必死になって誘導する母親、鈍足ながらも生を渇望し、ひた走る老人。時には死を覚悟し、立ち止まる者もいた。だがその者には、男が必死こいて説得する。 


 この村には勇者がいない。の際、動くのは大抵屈強な村の男が守り手となる。そのため、彼らは然るべき時に備えて日々肉体を鍛錬してきた。

 その時が来ようと、勇者同様にと一戦を交えることのできるよう。


 しかし幸か不幸か、その土地柄で化け物の襲来は数年に一度も満たず。今日という今日とて、年に一度の祭日に微温湯に浸かっていた。

 この世界が、魑魅魍魎の巣窟とも知らずに。


『ガルルルルルルルルルッ!!!!!!!』


 遠方から、生命を噛みちぎらんとする化け物の唸り声が鳴り響いた。


「来た!魔獣が来やがった!!」

「お前ら行くぞ!!」


 集団の長らしき男の号令と共に、数人の男たちが薙刀を構え街道を遡る。

 まだ避難の途中だった。彼らの行く先には、逃げ遅れた住民が命の終焉を嘆いていた。


「助けて!!!」

「いやぁ……!!魔獣が!!」


「お前たち早く逃げろ!!!」


 長らしき男の牽制に、震えていた少女はがむしゃらに駆けだす。

 どうやら、付近にも逃げ遅れた者がいるらしい。その者たちは恐怖で足を竦め、少女同様ブルブルと震えている。


「ちっ、お前らは取り残された住民を探せ!魔獣は俺が!!」

「だ、団長……」

「な、なんだよ……これ」


 この世界は残酷だ。如何な命ですら、運命は簡単に切り捨てる。

 

 男たちが眼前に目にしたのは、大量の血溜まり、そして無残にも肉体を噛み千切られ、捨てられた同胞の骸。その後方には、今まさに死体を喰らう漆黒の襲撃者。


 村の民家をも凌ぐなりをした黒豹の化け物──魔獣だ。


 それも、一匹だけではない。最早一つの軍団とも言える魔獣の群れが、数少ない亡骸を巡って争っている。 


 その惨たらしい光景は、男達を恐怖へと誘う引き金となった。


「い、嫌だ……」


 一人の男が、薙刀を落とし頭を抱えて座り込む。

 薙刀が地面と衝突し、カタンと音が鳴った。

 

「お、お前……」


 長が声をかけようにも、もう無駄だった。

 男の絶望が伝播したように、次々に男たちが恐怖に悶える。

 長年の鍛錬すらも、魔獣という恐怖の前では小さな鼠同然だ。


「死にたくない!!!」

「妻が……待ってるんだ……」


 長の男の制止も聞かず、男たちは逃げ惑うこともできずに運命に心を閉ざした。


「アアアアアァァァァァ!!!!!」

 

 遂には、一人の男が恐怖に耐えかね叫び出した。当然、魔獣は男たちの存在に気付くだろう。


『ガルルルルル……』


 途端、魔獣たちは男たちに向け牙を突き立てた。魔獣は漆黒の毛並みをバサバサと揺らし、尖鋭なかぎ爪を生やした前足で土を抉り、彼らに急接近する。


『ガルアアアアアアア!!!!!』

 

 ──もう、助からない。


 長の男も、その取り巻きも、果ては残された住民すらも、その理不尽な未来を確定してしまった。

 

 逃げることもできずに、先頭の魔獣が一人の男に飛びかかる。


「がっ、がああああぁぁぁぁぁ!!!!!」


 魔獣によって男の四肢が引きちぎられる。今にでも喰いちぎらんと、男の胴体にギラリと光る鋭い犬歯を突き立てた。


 その鋭き魔の刃は、男に“死”を実感させ極大の恐怖を植え付けた。   


 この世界は残酷だ。

 

 その惨い結末さえも、人々は運命と諦めた。 





 だが、時に確定付けられた結末に抗う術も──人は運命と言うのではないのだろうか。


 ギュルルルと空気を裂く音が鳴った。


「ぇ……」


 瞬間、大量の血飛沫が舞い、男にドバっと降りかかる。

 魔獣に喰われる一瞬、男は瞬きした。だがその一瞬で、自分を襲っていたはずの魔獣が──粉々に引き裂かれた。

 

 代わりに、男の眼前で微笑んでいたのは、女神のような美しい容姿をした、金髪の少女。

 

「あな、たは……」


 少女は純白の鎧に身を包み、手には鎧と同じ色をした大盾を装備している。

 

「助けに参りました。です」


 次の瞬間──大盾は燦爛たる光を放ち、瞬く間にその形態を純白の槍へと変貌させる。


 魔獣は少女を見た途端、グルルルと少女を威嚇し、あろうことか標的を少女へと変えた。


 そのスピードでコンマ一秒も経たず、魔獣たちは少女へと襲いかかった。

 近くでへたり込んでいた男達は、再び発現した恐怖で目を瞑った。


 だが──


 彼らの黒き景色の中に、風を裂く音が鳴る。

 目を開けた時には、魔獣の軍団は、槍の一振りによってその身を粉々に引き裂かれていた。

 女神の有する楯の名を冠したその槍は、魔獣を一瞬にして肉片と化す。

 その瞬間、どす黒い返り血が少女に降りかかった。

 だがそれを受けてもなお、少女は凛然としている。


 その姿に、長の男は少女の正体を確信した。

 風に揺れる美しい金髪。女神のような容姿。

 この世界の人々を守る、守護者としての力。


 ──守護女神アテナ


 その力により、人々からつけられた少女の異名である。

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