第39話 矜持

 藤堂梨花との決闘──あの日から一週間たった。わずか一週間かと釘を刺す者もいるかもしれないが、勇香にとってその一週間は、文字通り激動の日々だったと言える。


 その理由は、この一週間で大きく変化したことがあったからだ。


 一つ目。偶然か必然か、あの日から二人の姿を見かけなくなった。二人とは、言わずもがな勇香に決闘を挑んできた藤堂梨花と金丸絵梨奈のことだ。

 二人は粘着的に勇香に絡んできては、過度な嫌がらせや恫喝を繰り返してきた。そのうえ、断れない、誰にも話せないという勇香の性格に付け込み決闘までも謀った。

 悪質極まりない。

 そんな二人が突然音沙汰もなく消えしまっては、何かの陰謀も疑いたくもなるだろう。いや、の陰謀と断言しても遜色ない。

 梨花は決闘中、勇香に勝利した暁には向う側へ直談判すると宣言していた。恐らくは、その宣言通りに学園内のどこかにある向う側のアジト拠点に乗り込み、女性教師同様“消された”のだろう。

 だが、皮肉にも彼女たちの勇敢な行いで決定的となった。

 学園統括委員会向う側は、その気になれば学園の生徒すらも裁きの天秤にかけ、権力の木槌ガベルで抹殺する。

 これは勇香の周囲の人間も例外ではなく、もし陽咲乃までもが委員会の手中に落ちてしまったら……それだけは絶対にあってはならない。

 

 そんな陽咲乃との仲は、たった二週間前の出会いとは言い難いまでに縮まった。互いにで語り合えるようになったためであろう。最早親友の域に達したのではいかと、勇香は甘い期待に頬を照らす。そして、陽咲乃との仲は勇香の内面にも変化を及ぼした。

 

 一週間で変わったこと、もう一つは勇香自身だ。あの日、本音をぶちまけた勇香に、陽咲乃は暴言を吐きつつ溜まりに溜まった鬱屈を積極的に話すよう説得した。

 その結果、勇香は決闘に負けたこと、更には人生で起こった“惨め”を洗いざらい陽咲乃に吐露した。

 そう、吐いたことで、勇香の心は身軽になったのだ。それはさながら、“惨め”という殻を破り、新しい自分の姿を得たよう。

 同時に変わろうと決意した。断れない自分を、話せない自分を、“惨め”で弱い自分を。

 その後援バックアップに、陽咲乃は嫌気なく名乗り出てくれた。それも全ては……

 

 変わるといっても別段、陽咲乃のように誰とでも仲良くなれるとか、クラスでも中心的存在になれとか、そういうわけではないようだ。寧ろそれは嫌だと、陽咲乃に苦言を呈され思わず苦笑いしてしまった。

 陽咲乃からは、素の自分を他人にも曝け出せるようになれば良いとだけ助言された。それは勇香の素を知った上での陽咲乃の助言だ。


 その一週間はいくらか過ごしやすかった。

 藤堂梨花との決闘で負けたという情報が、というアドバンテージもあるかもしれない。二人を見なくなったことに何か関係がありそうだ。

 それでも勇香に対する妬みや嫉妬が消えたわけじゃない。

 勇香が生徒会に所属している限りは、更なる嫉妬や妬みの応酬が予想できるだろう。気は引き締めていこうと思う。

 しかしてそんな陰口を言っていた者とも、時を経てば友の契りを交わせる日が来るかもしれない。そう勝手な期待に胸を膨らませて、勇香はその日まで耐えようと決めた。


 そんなある日のことだ。勇香は生徒会室に呼び出された。あの日、勇香が学園の生徒たちの敵となった日から、一度たりとも足を踏み入れることはなかった生徒会室に。


 生徒会の面子はどうしているのだろう。身近な存在の聖奈や麻里亜はまだしも、同じ一年なのにも関わらず、校内ではほとんど姿を見せない副会長の妃樺や、会長の愛華は。

 

 そう大量の緊張感を一雫の汗に滲ませながら、勇香は生徒会室の豪勢な木目扉の前で棒立ちしていた。


 ゴクリと息を呑む。徒手空拳で良かったのだろうか。今からでも手土産の一つくらいは調達したほうが……そんなことするために学園都市街に向かっていては昼休みが終えてしまう。だからといってこのまま手ぶらで生徒会室に入るのは……


 思えば此処に来るときには、毎度の如く緊張感に苛まれる。だが心配ない。沸き起こる不安も、今この瞬間ときまでだ。

 勇香は覚悟を決めて、やや強めに扉をノックする。

 すると、中から「どうぞ」という透き通った声が聞こえてきた。この声の主は愛華だろう。


「し、失礼します!」


 勇香はギシギシと鈍い音を立てる扉を力いっぱいに引き、中の景色を覗き見た。


「久しぶりね勇香。元気だったかしら」

「お久し、ぶりです」


 扉の目の前。美しいブロンドの髪の一房を。色白の手首で束ねながらこちらを見つめる美少女──生徒会長・椿川愛華。

 その容姿端麗さは、いつ見ても彼女の中に引き込まれてしまいそうだ。

 奥には、聖奈、麻里亜、生徒会長のデスク前には妃樺の姿も伺える。どうやら、役員勢揃いのようだ。


「とりあえず、座って」

「はい」


 愛華に促され、ソファに座っていた聖奈と麻里亜が掃けると、勇香は失礼しますと添えてそこに腰かける。向かいに愛華が座ったのを一目見て、勇香は開口一番、


「えっと、まずですね……生徒会に入ったのに一度も顔を出せなくてすみません。仕事も、迷惑かけちゃってますよね」


 そう深く腰を曲げて謝罪した。


 生徒会に所属した者には、名誉ある称号を授かった対価が仕事として求められる。

 それは此処“勇者養成学園”でも変わらずだ。

 

 勇香の役職は“庶務”。仕事としては生徒会室の清掃やお茶汲み、資料の整理や時には他の生徒会役員の手伝い。所謂雑用係である。

 しかしながら入学してからの一週間、そして新たに課せられた激務を熟すための一週間で身体に降りかかった疲労は尋常でなく、授業の合間や昼休みは休養に当てられ、放課後はまさに敵陣に突っ走る弓矢のような速さで帰宅してしまいなかなか生徒会室には顔を出せなかった。それは愛華にも伝わっていたようで。


「いいのよ。あなた、一週間ずっと多忙だったでしょう?」

「え、えぇ、まぁ……?」

「庶務の仕事は妃樺が代わりに行っていたから平気よ。というか庶務が欠員の期間も妃樺が代行してたから、今までとあまり変わりないわね。彼女、不愛想だけど紅茶の入れ方はうまいのよ」


 それなら自分はいらないのでは?と自分を卑下しそうになるも、首を振って飛散させる。


「何かあった?」

「い、いえ」


 先週、アリスの誘いに一言で快諾してしまったためか、勇香は「学園統括委員会専属育成勇者」という大それた肩書を見事獲得してしまった。アリスにはまだ早いと一蹴されたが、どうやら委員会はアリスの独断を認めなかったようだ。

 そのせいか通常授業の履修権はもろとも剥奪され、代わりに委員会専属講師による集中講義が幕を開けた。

 その内容は魔法や勇者、裏日本に関する基礎知識のマンツーマン講義。アリスによるこれまたマンツーマンの魔法実習。学園統括委員による“勇者活動促進概要論”という謎に満ちた専門科目等々。専門科目ももちろんマンツーマン。それらは一度出席しただけで、委員会による“洗脳教育”であると悟った。

 そんな授業が丸一日続くため、拘束が解ける小休憩や昼休み、放課後にはとてもじゃないが生徒会に足を運べるほどの体力は残っていない。


 が、愛華は強硬手段として、この昼休みに無理にでも勇香を呼び出した。愛華にはそれだけの理由があるのだ。


「貴重な昼休みに強引に呼びだしてしまって本当に申し訳ないわ。けど、どうしても勇香と話がしたかったの」

「話、ですか……?」

「えぇ、さっそく、本題に入らせてもらうわね」

「はい」


 麻里亜と聖奈が二人の会話を訝し気に眺める中、愛華は口火を切る。


「何か、私たちにして欲しいことはない?」

「して欲しいこと?」

「要望って言えばいいのかな……困ってることでも、悩んでることでも、なんでもいいの。あなたが今、率直な思いで私たち生徒会に頼みたい願望。特に、生徒会関係のこととか……」


 遠回しに語る愛華だが、勇香にはその言葉に込められた意味を理解し黙り込んでしまう。 


「……っ」

「心配しなくても大丈夫。私たちは勇香の願いを叶えることができる。そのための用意があるの」


 勇香の懸念は、愛華には伝播しているようだった。恐らく麻里亜や聖奈を通して、二週間に起こった勇香の動向も愛華の耳には入っているだろう。流石は生徒会、学園の情報も一手に収まっているようだ。決闘までは伝わっていないと信じたいが。 


「用意、ですか?」

「勇香のバックに学園統括委員会があるように、私たちにも当然、計画を後押ししてくれる頼もしい後援がいる」

「後援……」

「学園長よ」


 その一言で、勇香はハッと目を凝らす。

 その者は、勇香の記憶にも鮮明に残っている。裏日本にやってきたばかりの勇香に自らの罪を謝罪し、悲嘆に暮れる勇香を宥めた、まさしく聖人。いくら学園統括委員会が学園を牛耳っていようとも、この学園のトップは学園長・オフィーリア・テミスその人である。

 彼女なら、委員会の暴走を食い止めることができるかもしれない。


「学園長も、委員会が勇香に強いている理不尽を当然知っておられる。だから私たち生徒会に協力してくれると仰っているの」

「そうなんですね」

「だから……あなたが不安に感じていること──私たちの進退を気にする必要はないわ。あなたが私たちに望むことを、何でも言ってちょうだいな。私たちもあなたが平穏な学園生活を送れるように、なんとかしてみせるから」

 

 そう言って愛華は微笑む。その笑みは勇香でさえ頬が紅潮してしまう。

 愛華は、勇香の内気な性格を知っている。その望みを言ってしまえば、生徒会に迷惑を被ってしまうと考える事も推測の内だ。

 だからこそ、愛華は堅牢な“保証”を仕込んだ。学園長という巨大な存在が背後にいるからこそ、愛華は学園統括委員会の陰謀によって生徒会を除籍されることはありえない。

 その安心感は、勇香に心の迷いを生じさせた。


「えっと……」

「うん」


 勇香の胸中で、二つの選択が葛藤する。


 一方の選択肢を提示すれば、理不尽から解放されるのは確定事項といえるだろう。勇香は一生徒に舞い戻り、勇香に対する周りの蔑視や陰口は跡形もなく消え去る。

 さらに拘束時間が丸ごとなくなることで、陽咲乃らと接する時間も増えることだろう。

 そもそもだ、身の丈に合うはずのない“生徒会”という称号が消失することで、自分に重しになっている大岩のような枷が外れる。これは、勇香にとってこの上ない理想だ。

 しかし、その選択肢を取ってしまえば、が放棄されると同義。


「えっと」

「ゆっくりでいいのよ。自分で考えて、答えを出して」

「えっと、じゃあ、いいですか?」

「え、えぇ……どうぞ」


 たった数舜で答えが出てしまったことに、愛華は目を見張る。


「もう少し、私を生徒会にいさせてくれませんか?せめて、次の生徒会選挙……でいいんですかね?それが行われるまでは、私を」

「え?」


 そしてその答えに、愛華だけでなく、聖奈や麻里亜すらも目を丸くした。


「だだだだめですよね!私みたいな、素質のない人間が」

「いいえ、そうじゃないの。ただちょっと驚いただけ」


 慌てて手を振りつつ否定した愛華。勇香は胸に手を当てて、本懐を語り始める。


「私、どうしても戦いたい人がいるんです。私の友人、なんですけど」

「友人?」

 

 硬く決意の籠った一言一句。ソファ越しの麻里亜と聖奈はその友人とやらを察し、ニッと破顔して互いに目を見合わせた。


 陽咲乃と交わした約束は、勇香の血として身体全体を巡るように、強固とした決意で現れている。


 もちろん一生徒として生徒会選挙に臨むこともできる。反ってそちらの方が、他の生徒たちからも反感も最小限に抑えられることだ。

 だが陽咲乃は、「生徒会」としての勇香と戦い、負かすことを望んでいるのだ。

 それが勇香にとって、どれだけ不利な事かは分かり切っている。

 しかし、自分を絶望から救ってくれた大切な友人のために、生徒会を辞めるという手段は取れないのだ。


「約束したんです。その友人と来るべき戦いの場で、真っ向勝負すると。だからそれまでは、生徒会を辞めたくありません」


 確固とした決意。その澄みきった瞳に愛華は引き込まれてしまい、ただ茫然に勇香を眺める。どうしました?と尋ねると、愛華は覚醒したように碧眼を輝かせ、言葉を漏らす、


「分かったわ」

「あ、ありがとうございます!」

「でも、無理だけはしないこと。もしも辛くなって生徒会を辞めたいと思うようであれば、委員会の反応なんて気にしちゃダメ、遠慮なく駆け込んでくるのよ?」

「は、はい!」


 勇香は晴れやかな顔で、勢いよく立ち上がった。


「じゃあ、これで話は終わり。時間を取らせて悪かったわね」

「い、いいえ……あの……」

「何かしら」

「せっかく生徒会室に来れたので、いくつか仕事をして、帰りたいです……」


 頬をポリポリ掻きながら、勇香ははにかんでそう口にする。


「そう言うと思ってたっすー!」


 と、愛華が何かを言う前に、麻里亜が颯爽と勇香の前に滑り込んで来る。その両手には大量のお菓子のパッケージが詰め込まれた大袋が二つ、


「なんですか、これ?」

「ゴミの分別っす」


「これ、全部麻里亜ちゃんが食べた分だよね……?」

「そうっすけど、ボクは交流の仕事があるし、ゴミ出しは庶務の仕事っすよ」


 当然のように言い切る麻里亜に、愛華は細い目を向け、


「あなた、また分別せずにそのまま投げ込んだわね」

「ボクは分別なんて文化知らないですしー!そもそも、魔法のある文化でゴミの分別なんていうクソめんどいことしてんの此処だけっすよ!!!」

「言い訳してないで麻里亜も手伝いなさい。どうせ此処にいる理由もけいのSwitchで遊ぶだけためでしょう?」

「ちっ」


「あはは……」


 勇香は苦笑しながらも、渋々と袋の中の整理を始めた麻里亜と共に分別を始めた。生徒会の、一員として。

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