第38-1話 運命

「ぅぐ……!!」


「ちょ、陽咲乃!!」


 見兼ねたエメラルドグリーンの髪の少女が陽咲乃を止めようと一歩踏み入る。だがその前にも陽咲乃は低い声音で呟き、


「何……っ!?」


「理由がクソ過ぎんだよ……そんなクソみたいな理由でアタシ、今日一日中振り回されてたのかよ……」


「へ……?」


 陽咲乃から投げ槍に吐かれた言葉は、まさしく罵詈雑言。勇香は反論するよりも先に、陽咲乃から吐かれたという事実に絶句してしまう。その目に映っていたのは、勇香に一度も見せたことのないような、憤慨に尖らせた陽咲乃の瞳だった。


「心外だよ……ったく……」

「……っ!やっぱり陽咲乃に私の気持ちなんてわからなかったんだ!!!」

「あぁ、そうだよクソだよ!クソ!!アタシにとってはクソほど拍子抜けだよ!!!」


 口調すらも、普段の陽咲乃とは思えない程に激昂している。そこから出る言葉一つ一つは、既に陽咲乃「皆のリーダー」という少女の像からかけ離れているものばかりだった。


「だいいちアタシが一番ムカつくのは、あんたがこの世で惨めなのは自分だけっていう風に自分を特別視してることだよ。人間なら誰だって惨めなんだよ!!そんな道徳の授業みたいなこといちいち言わせんなよ!!!馬鹿じゃねぇの!?」

「特別視……?陽咲乃、話聞かなかったの!?私は普通じゃないの!!……どうしょうもなく惨めなの!!!」

「それを特別視っていうんだよ!!あんたいちいち大袈裟なんだよ!!!いい加減分かれよ!!!!!」


 遂に陽咲乃はベットに身を乗り出し、至近距離から怒声を浴びせる。眼前に迫りくる陽咲乃の怒号に、勇香は涙目になりながらも残りの根気を振り絞るように反撃した。


「そんなわけ、ないよ……じゃあ陽咲乃はどうなの?人間みんな惨めって言うけど、陽咲乃は優しいし、明るいし、誰とでも仲良くなれるし、全然惨めなんかじゃない!私と同じわけない!」


「アタシが優しい?あんたの目腐ってんのか!?表面だけで決めつけんじゃねぇよ!!!」


「え……?」


 恐怖と怯えで、勇香の瞳からはとめどなく涙が流れ落ちた。後方を覗くと、突然の出来事に二人して委縮する少女たちと、何事かと覗きに来たような老婆が目を丸くしている。


 そんな惨状にも臆せず、陽咲乃は勇香に顔を近づけ、自分の手を胸に力強めに叩きつけた。

 

「アタシだって、あんたと同じ、惨めだよ」


──だって私も同じだもの。私だけじゃない、人間はみんな弱い生き物なの。


「そんな……はずは……」


 否定したい気持ちでいっぱいだった。今までの“惨め”な人生は、自分一人だけが体験しているものだと、宿命とさえ思っていた。けれど、それはただの特別視だったようだ。 

 

「アタシだって勇香ほどかは知んないけどさ、人生で辛い経験なんていくらでもあったし……うまくいかないことなんて日常茶飯事だよ。あんた、アタシがこの学園で今の地位に辿り着いた過程に、何の苦労もなかったと思ってる?」   

「だって……」

「苦労の連続だったよ。自分が嫌になるくらい、今のあんたみたいに自分が惨めでしかたない時だってあった……それに、今日だって」


 信じられない。信じられるはずがない。しかし、陽咲乃の言葉に一切の虚言は感じ取れなかった。いや、陽咲乃は元から嘘を吐くはずがないと確信していたのだ。


「あんた、昨日からずっと何か隠してたでしょ?だからアタシ今日、空いてる時間に学園中探し回ってあんたを探してたんだよ?でも、気づいたら、ボロボロの姿になって、アタシの前で倒れて……」


 その瞬間、陽咲乃の黄金の瞳から、途切れていたはずの涙が滴った。


「あの時ほど、悔しくて、自分がちっぽけに思えた時はなかった、初めてだった」


 俯いたまま、陽咲乃は嗚咽を交えて綴る。


「勇香を、友達として何にもしてやれなかった。あんなに胸を張って虐め返してやるって豪語したのに、護ることさえできなかった……」


 なんでそこまでと、勇香は声を失った。


「だから同じなんだよ。アタシも、あんたと同じ」

「……」

「それなのに、あんたは自分だけが惨めだなんて大声で言い張って……正直不快でしかなかったし、アタシの事なんも知らないくせにって、超ムカついた」

「ご、ごめ……」

「謝っても許さないから。アンタが本当のこと話すまで口聞いてやんない」

「……っ!」


 そう言ってぷいっと目を背ける陽咲乃。ふと勇香は、


「ねぇ、陽咲乃」

「だから、口聞いてやんないって」

「陽咲乃って、そんなに口悪かったっけ?」


 純粋な質問だった。あんなに激昂した陽咲乃が、今でも信じられなかったからだ。


 陽咲乃は不貞腐れながらも、窓の外に揺れる深緑の木々に視線を添えて言葉を綴った。


「……これが本当のアタシだよ。あんたが思ってるような明るくて、みんなと仲のいいアタシは、ただ仮面を被ってるような偽りのアタシ」

「……っ!」

「ふふっ、拍子抜けでしょ。本当のアタシがこんなクソ連呼暴言吐き魔で。でもアタシだってあんたを……」


「そうなんだ……私と同じだ」


 ふっと、勇香は微笑した。


「あんたも、仮面被ってたの?」

「うん、虐められてた時にね。そうすれば、少しは痛みを減らせるかもしれないって思ったの……それに」

「そっか」


 その後二人はそれぞれが下を向きながら、無言で暫くの時を過ごした。勇香は陽咲乃の想いを、陽咲乃は勇香の苦しみを分かり合うように。そして次に口を開いたのは勇香だった。


「本当の陽咲乃と話せてよかった。優しい陽咲乃よりよっぽどいいかも」


 胸に手を当てながら、淡い想いに頬を赤くする。その顔に釣られ、陽咲乃も頬を赤くし、


「口きかないって言ったじゃん」

「そう言って返事してるじゃん」


「……アタシも素を曝け出したんだから、あんたもありのままを出せよ。嫌なことがあったら迷わず相談しろよ。これから一緒に友達やっていく気があんなら」

「……っ!」


 ありのまま。隠し事もせず、弱音を曝け出すことにも臆しない自分。今考えれば、それが“惨め”な自分を脱するための答えなのかもしれない。 


「隠し事なんて、絶対すんなよ」

「それは、陽咲乃も……?」


 勇香の言葉に、陽咲乃はきょとんと首を傾げた。


「え?」


 けど、直ぐに笑いかけて。


「そうだよ。アタシも」


「行こっ、結芽」

「ちょ、柊和。いいの?」

「うん、もういい。分かったから」


 藤色の髪の少女は感情の消え去った顔で、そんな二人の姿を見届ける。そしてエメラルドグリーンの髪の少女を連れて、部屋を出て行った。

 そんなことも知れず、陽咲乃は丸椅子から立ち上がり、晴れやかな笑みで勇香を指さす。


「ふぅーなんか色々言いたいこと吐いたらスッキリしちゃった!あんたはまず自己肯定感をマイナス一万メートルからプラマイゼロにするところから始めないとね。そんなんじゃ強くなんてなれないよ」

「なれるかな」


「惨めなアタシがどうやってみんなから信頼される代表委員になれたか、分かる?」

「どうやって?」

「諦めなかったから」


 その答えは、意外にも単純だった。


「単純だね」

「単純だよ。だって、それ以外に形容できる言葉ないもん」


「その人にはなれなかったけど……私だって自分を変えようとした。諦めないで変わろうとした。でも、それでも無理だった。運命が私を変わろうとさせてくれなかったから」


「あんた、まだ分かんないの?」

「え?」


 眉をしかめた陽咲乃に低音で指摘され、勇香は目を丸くする。


「さっきの動揺具合で、あんたにはアタシよりも辛い傷跡があることは分かった。でもね、それに乗じてあんたがしてることは責任転嫁ってやつだよ」

「責任転嫁?」

「虐められた時に誰が悪いって、そりゃ勇香にも原因の一端はあるかもしれないけど、クソ野郎はどう考えても虐めた側だってのは誰が見ても分かること。でも勇香はその責任を惨めだか運命だかありもしない言葉に擦り付けて、虐めを誰かに相談しようともしなかった。つまり辛い現実から逃げていただけ。変えられないじゃない、変えようとしなかった。あんたはとっくの昔に諦めてたんだよ」

「……っ」

「それでアタシ、思うんだ。運命っていうのは、自分で作っていくものなんだよ」

「自分で?」


 それは、勇香は一生かけても思いつかないような考え。


「うん、運命が自分の人生を左右しているなんて考え自体が、アタシは馬鹿げていると思う。確かに人生はうまくいかないことだらけだけど、その全部が巻き込まれただけって言えば、それはなんか違くない?」

「……っ」

「そもそもさ、運命を徒に操ろうとする神様がいたとしてだよ?勇香の言ってる通り、その神様はアタシたちの人生を“惨め”にしようとします。そのせいでアタシたちの人生は失敗だらけだ。でも、失敗しても失敗しても諦めずにもがき続けて、その末に成功した人だっているんだよ?神様はアタシたちを惨めにしようとしてるのに、成功者がいるなんておかしいでしょ」

「……っ!」

「だからアタシは諦めなかった。いくら失敗しても、いくら自分が嫌になろうと、なんでそうなってしまったのかを模索して、今日まで必死こいて頑張ってきた。その成果が今のアタシだよ」


 度重なる苦労の結果に、今の「みんなのリーダー」たる陽咲乃がいる。


「だから勇香も諦めなければいい。みんなに慕われる生徒会役員、そうなれる運命の地図を、自分の手で描けばいい」

「私……頑張ってみる」


 ほんのりはにかみながら勇香は小さな決意に手をぎゅっと握った。


「まあ、その地図の終着地点は生徒会選挙でアタシに惨敗する所だけどね!」

「酷い……」


「そろそろいいでしょ」

「何が?」

「何がって……あんたの身に何があったか教えてってことだよ、さっきからずっとそれ待ちなんだけど」

「あのね、もう一つ、あるの」


 ぎゅっとシーツを握り、勇香は陽咲乃の話を止めた。


「何?」

「実は私ね、今日の事、霧谷先生に話したんだ。そしたら、いなくなっちゃった」

「それっ、本当にあんたのせいだったの?」


 教師が学校を去った原因は、間違いなく勇香が弱音を吐いたからだと、今でも俯瞰で断言できる。


「うん、これは、自己肯定感とかじゃなくて、本当なんだ。私が、生徒会に入ったから苦しんでるって、言っちゃったから、多分先生、向こう側に、乗り込んじゃったんだと思うの。私を生徒会から、脱退させるために」

「そうなんだ。耀孤先生らしいわ」


 もしこれから本当のことを話すことによって、陽咲乃が目の前から消えてしまうほどの窮地に陥ってしまったら。そう思うと、余計に言葉が出ない。


 しかし、陽咲乃は、陽咲乃だったら。


「でもそっか。陽咲乃、言ったもんね」

「何を?」


「権力なんかに、絶対負けないって」


───アタシは絶対に勇香の背後バックに潜む権力なんかに屈したりしない。


「なに顔赤くしてんの?」

「だって、あの時のアタシは仮面被ってたから。今になってみれば、なんかすごい厨二感満載だし、ちょっと恥ずかしいなって」

「それって、別人格ってこと?」

「いや……まあ、そうでもあるし、そうじゃないかも……」

「えぇ、どういうこと?」

「でも、放ったのは偽りのアタシだけど、その言葉には偽りはない。今も偽りのアタシも、想いそのものは変わらない」

「じゃあ、ならさ、信じていいんだよね?」

「うん、約束する。私は絶対に屈したりしない。離れたりしない」

「なら教える……教えてあげる」


 恥ずかし気に頬を掻きながら、勇香は言った。


「超ウケる、さっそく自己肯定感高めに来たカンジ?」

「わわ、私が教えてあげるから、かかっ、感謝、しなささ、さい!」

「ぎこちな」

「……恥ず」


 頬を赤らめて、顔を隠す勇香。そんな勇香に、陽咲乃は微笑んで、


「じゃあ、さっそく」

「うん、私ね……藤堂さんと戦ったんだ。それで、負けちゃった」

 

 それは、決闘の回顧録。

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