第36話 経過報告

 午前の用務も一段落し、エスプレッソ片手にひと時の休息を裏日本の絶景に委ねる。これほどの贅沢を、魑魅魍魎としたこの世界で味わえるのは奇跡と言えるだろう。誰もいない、一人だけの経営企画室なら尚更だ。


 そんな時こそ、無心で景色に入り浸る。移り行く雲を目で追いかけながら、エスプレッソを一口啜る。口の中でほろ苦いエスプレッソの味に舌鼓を打ち、名残惜し気に飲み込む。それをただ無心で繰り返す。繰り返す、繰り返す。

 ふと目線を見上げれば、窓越しに広がる裏日本の絶景。日常の一コマのはずなのに、何故か極楽を感じてしまう。砂漠にもオアシスがあるように、この地獄のような世界にも極楽は存在するのだ。


 そして女はこの極楽を味わうために、今の地位に就いたといっても過言ではない。 

 多忙な職務に追われる日々。女はふとしたきっかけで、この勇者養成学園に「学園統括委員会」という組織を築き上げた。そして女の敏腕で数々の功績を残し、気付けば学園の全権を掌握していた。当然、立ち塞がる障壁も数えきれない。それらを死に物狂いで乗り越えた目的の一端にも、この瞬間を味わうという願望があったのかもしれない。


 考えてもやぶさかだ。無心の極楽は、大抵一瞬で喧騒の平時へと戻されてしまう。だからこそその一瞬が貴重なのだ。


 バンと盛大な扉の開閉音が鳴り、女は物音ひとつ立てずに大窓から視線を帰す。 


「アリスちゃん参上ー!」 


「アリス、ノックをしなさい」


 左手をビシッと上げ、いつもの無駄に煩い声音で自らの存在を誇示するアリス。女は感情の波風ひとつ立てず、アリスを一声で戒めた。


「もーもー硬いこと言わないでくださいよー」

「単なるマナーですよ」


 と、いつもは前置きを延々と引き延そうとするアリスだが、今は女の気迫に臆したのか、早々と本題に移る。


「それでそれで?今宵はアリスちゃんに何の用です??」

「今は昼間ですが、まあいいでしょう」


 大窓を離れ、ティーカップをデスクに置くと、女はアリスに向き直る。


「報告を」


 言葉に余計な付け足しはしない。ただ端的に要件を述べる。それが女のポリシーだ。故に、聞き手はその言葉の意味を自らの手で汲み取る必要がある。細微までを尋ねるのは女に対し失礼に値すると、その威厳で無意識に感じ取ってしまうからだ。能天気なアリスを除いて。

 

「ホウコク?」

「聖ヶ崎勇香を我々の指揮下に下し育成せよ。こう命じたはずですが」

「あぁそれね!そのことね!」

「全く……」


 アリスの軽々しい態度に軽微な頭痛を催してしまい、女はこめかみを押さつける。


「して、報告を」

「委員長がお創りになった育成プラン?を元にー、反発したよーこせんせーに変わってアリスちゃんによる魔法実習がスタートしましたー」

「そうですか」


 女はそれだけを返して目を瞑る。アリスは女の空返事にむぅっと眉を寄せ、


「ねぇねぇ委員長!よーこせんせーはどうなったの?」


 唐突に、そんな質問を投げた。


「質問は許可していません。続きを」

「えーケチー!勇香ちゃんに質問された時、アリスちゃんどう答えればいいんですかー!」


 女は一蹴するも、アリスは引き下がらずに女にどんどん近づく。普段の素っ気ない態度の仕返しだと言わんばかりに、女に顔を寄せつける。


「続きを……」

「どうしても、どうしても!」


 とり繕ったような涙目で両手をスリスリしてくるアリスに、女は遂に嘆息を吐き、


「学園からの無期限の除籍処分。そして裏日本への放流。以上」


 文章を音読するかのようにそう言った。


「ほーなかなかの重罪ですねー!よーこせんせー今頃魔獣に食べられちゃってるかな?まぁ、それはないかー、せんせー仮にも元勇者だし」

「あなたは件の教師と良好な関係だったようですね。よもや、あの教師に情が湧いたのですか?」

「まさかー!例えよーこせんせーに情が湧いたとしても、アリスちゃんは委員長への愛の方が強いですよ?」

「では、何故」

「ただちょっと気になっただけー」


 ふんふんと鼻息を立てるアリスに、女はそうですかとだけ返す。


「続きを」

「はい!勇香ちゃんとのマンツーマン実習はスケジュールどーりに始まりましたよー!でも、委員会への従順は見送りですねー」

「何故?」


 その瞬間、女は重かった瞳をこじ開け、アリスを凝視した。


「だってー勇香ちゃんはまだおこちゃまだしー委員会へ配属させるにはリスクが……」


「何故?」


 女は、悠々と話すアリスにその双眼をぐっと近づける。その眼圧は、アリスでさえも委縮して言葉が途切れ途切れになってしまう。


「え?いやだから、その……」

「何故?」


 端的な言葉だけを添えて、依然として全開した瞳を見せつけてくる女。その獲物を狩る猛獣のような眼力には、アリスでさえも目が泳いでしまう。


「あああ、アリスちゃんは委員会に超従順で委員会に背くなんて一億パーセントありえないけど、勇香ちゃんはほんの少しは裏切る可能性も無きにしも非ずだし……」

「それは理由として認められません」

「えぇ……」


 しょげしょげと猫背になってしまったアリスを横目に、女は再び大窓から雲が泳ぐ裏日本の景色を眺める。そしておもむろに口を開き、


「アリス、あなたは私が伝えた目的を履き違えていませんか?」

「はて?」


「謀反など、あなたの教育の手腕次第では事前に阻止することも可能でしょう」

「だから!勇香ちゃんがきちんと裏切ることのないように教育したら、再度提案する予定で……!」

「アリス、私はこう言っているのですよ」

「へ?」


 女は両手を背中に組み、こう告げる。


「聖ヶ崎勇香の裏切り、この問題は本計画遂行の懸念材料には含まれていない」


「は、はぁ……」


 とぼけ気味に、アリスは返す。


「アリス、そなたは彼女の魔力をとてもよくわかっていることでしょう」

「もちろん」

「彼女の魔力は言わずもがな最強。ならば当然、器である彼女自身もその使い手として、一流の勇者としての才を開花させねばならないのですよ」


 言葉の終止に、女は目を窄める。


「いち早く、早急に」


学園統括委員会我らは、彼女が使い手としての“能力”を極地へ誘うための最善の術を持っている」

「はぁ」

「したがって、彼女の能力を効率的に練磨させるためには、我らの傘下に下すのは必須事項なのです」

「必須……事項」

「そなたの言うデメリットは存在しない」


 目を光らせて、女はきっぱりと断言する。そして、腕を背中に組んだまま、女はアリスと肩を合わせた。


「アリス、そなたは彼女に情けをかけすぎている」

「それは……」

「彼女を一流の勇者に育てる気が一握りでも存在するのなら、彼女に対する情は捨てなさい」

「い、委員長は、なぜそうまでして勇者ちゃんの才能を一早く開花させたいのですか?」


 唐突にアリスはそう尋ねた。女は目の色一つ変えず、


「既知の質問には答えかねます」


 だが、アリスは首をブンブン振って否定する。


「し、知らないですよアリスちゃんは……!!こんなに協力してるんですからそろそろ教えてもらってもいい頃ですよね!?」


 アリスの返答に、女は一瞬だけ息を詰まらせ、


「……っ、失礼」


 再び大窓に全身を移し、語り始める。


「単純な話ですよ。彼女を戦線へ立たせれば、我ら勇者の劣勢を形勢逆転、いや、あわよくば魔王を討伐するさえ可能。彼女の存在は、裏日本の人間にとって希望なのです」

「それは分かりますけど!勇香ちゃんはアリスちゃんが見つけたんですから、もうちょっと大切に扱って欲しいです!」


 直後、女はギッと鋭い視線でアリスを睨みつける。

 

「そなたは我らと協力関係。それだけは忘れずに」


「……!!!」


「話を変えます。聖ヶ崎勇香の生徒会所属について、学園の生徒たちから少しずつ反感が飛び交っています。もし生徒たちが団結して反乱でも起きてしまえば、学園の体制維持に関わるでしょう」

「勇香ちゃん、いろいろと不満をぶつけられてるみたいですし、アリスちゃんがなんとかしないといけないです」


「一つ……計画書を変更しましょう。どんな方法でも構いません。アリス、彼女の才能を学園の生徒たちに開示しなさい」

「い、いいんですか……?」


 アリスは訝し気な形相で尋ねる。


「秘匿する必要もないでしょう」

「でも、リスクが高すぎるって言うか……いろんなが出る上に批判がさらに高まるのでは?」


「問題ありません、彼女たちには逃げ道はない。どう足掻こうが勇者として戦線に立つ運命は確定されている。もともと、この世界に来てまで遊びに更けている暇はないのですよ。そうですね、開示したうえで、学園の体制に恐怖政治なる教育方針を追加しましょうか」


 女はふっとほくそ笑む。


「そんなこと生徒思いながくちょーが間違いなく反対しちゃいますよ」


「……学園長は生徒たちに情を掛け過ぎなのです。そのせいで勇者劣勢の一途に目を背けてしまっている。危機感の欠如も甚だしい。先の裏東京急襲で、身をもって体感したはずなのですが」

「あんまりがくちょーの悪口を言われると、アリスちゃんもいい気持ちしません」


「……まあいいでしょう。一先ず生徒らによる反乱への対処はアリスに一任します。今後二週間以内に計画を練り、遂行しなさい」

「はぁ……」


 ぽかんと首を傾げるアリス。女はそのまま行きなさいと告げて、アリスを部屋から追い出した。一人になり、女は再びの静寂と共に大窓から裏日本の景色を眺めた。


 *


 放課後、人の気配もまばらな学園の地下階を歩く人影。チャラリと狐の耳飾りを揺らしながら、肩まで伸ばした灰色の髪の少女は普段の陽気な形相はどこに消えたのか、厳粛に眉を寄せながら無言で薄暗い廊下をひた進んでいた。そこへ、背後からドタドタと二人程の足音が聞こえてくる。その足音は、明らかに少女へと向かっているよう。少女は表情を崩すことなくすっと振り返った。


「陽咲乃!!!」


 息をつきながらも、有無を言わさぬ表情で少女の名を呼んだのは、藤色のボッブカットの少女。後方には、エメラルドグリーンの髪を後頭部に束ねた少女がおどおどと藤色の髪の少女に小指を伸ばしている。陽咲乃は、二人の少女の姿を見るなり厳格な顔を更にしかめて、


「何?」

「は、話があるんだけど……」

「悪いけど、アタシは勇香を探してる途中だから、じゃあ」

「ま、まって!」


 立ち去ろうとする陽咲乃を、藤色の髪の少女が逃がすまいと肩に触れる。その動作に嫌気が差したのか、陽咲乃はジロリと視線を突き刺しながら、その手を振りほどく。


「アンタたちとの縁は切ったはずよ。それとも、勇香に謝罪の一つでもしたの?」

「それは……」

「してないのなら、アタシはアンタたちと会話を交わす道理はないから」


 言い終える間もなく、すっと視点を戻し去って行く陽咲乃。その冷徹な態度に、藤色の髪の少女は下を向いてギリギリと歯を噛み締める。背後から少女の帰ろうという声も聞こえていない。そして数舜の思索の末に、


「した、したから!」

「ちょっと柊和!」


 魔が差したのか、虚言を吐いた藤髪の少女の口を、青緑髪の少女が慌てて塞ぐ。そんな二人に、この上なく蔑視の籠った視線が同時に突き刺さった。


「嘘はアタシとの距離を遠くするって、分からないの?」

「陽咲乃……」

「アンタ前から馬鹿だったけど、ここまでとは思わなかった」


 じゃあねとせめてもの情けを言い捨てて、陽咲乃は再び視線を廊下の先に返す。いやその言葉には、永久にという装飾が付けられている。そう藤髪の少女は感じ取ってしまった。少女は俯き、丸めた拳をわなわなと震わせ、ぼそりと呟いた。


「おかしいよ……」

「……」


 陽咲乃の足が止まる。


「なんでアイツなんかに肩入れするの?」


「……っ」

「おかしいよ!最近の陽咲乃!前は、絶対、そんなんじゃなかった……」

「っ!」


 振り向かずとも、陽咲乃は瞳孔を震わせた。


「あたしたちだって、友達じゃん」

「何を言って」

「あたしたちは、陽咲乃と別れたくなんかないの!友達で、いたいの……」


 グスグスと涙も交えた少女の言葉。その言葉に、虚言は存在しない。


「あたしたち心配してたんだよ?陽咲乃、ここんところ、ずっと忙しかったでしょ?」


 陽咲乃ははっと少女を振り向く。


「代表委員の仕事で何かあったの?あたしたちよければ、話……聞くから」


 そう言って、涙ながらに手を差し伸べる藤髪の少女。


「だから、お願い……元の陽咲乃に、もどっ……」


「たった半年の分際で、分かったようなことを言うな」

「ぇ……?」


「吐き気がする」


 大量の嫌悪が覆った言葉に、少女は息が詰まってしまう。青緑髪の少女ですら、喉の奥からものがこみ上げてくるような感覚に襲われる。その意味が、入学してからずっと友達でいたはずの少女から吐き出された言葉がどのような意味をもたらすか。


「アタシの何も知らないくせに」


 気づいた時には、陽咲乃は踵を返し早足で二人の元を離れた。


「陽咲乃……待っ……!!」

「ついてくるな」

「絶対嫌……!あたし、陽咲乃に言い足りないことが……!!」


 諦めきれず、藤髪の少女は駆け足で陽咲乃の腕を掴まんとする。陽咲乃は掴まれないよう、歩調を早める。そうして追いかけっこのようなやり取りを繰り返した挙句、交差する廊下の十字路に差し掛かった時、それは来た。


 ズルズルと、何かを這う小さな音が二人の耳に木霊した。微小にも、その音は段々とボリュームを増す。交差する廊下の先から、ゆっくりと何かがやって来る。


 思考をする間もなく、その者は姿を現した。 


「──っ!」


 壁を這うように歩く、満身創痍の勇香。


「勇香!!!」


 陽咲乃はその顔を見た瞬間、勇香の名を叫ぶ。


「陽咲……乃」


 僅かに陽咲乃を呼ぶと、勇香は壁が途切れると同時に、ばさりと倒れた。


「勇香!!勇香!!」


 倒れ伏した勇香の身体を、陽咲は必死に揺さぶる。それでも目を瞑ったまま応答しない。気絶しているのだろうか。悔しくも、陽咲乃の脳内に最悪の運命が過ってしまった。


「っ!!!!!」


 胸に手を当てると、不規則だが心臓の鼓動が確認できた。その流れで全身を見下ろすと、勇香の手先、踝、首筋、服から開けて伺える肌に雷模様の痣が広がっている。ぐっと歯を噛むと陽咲乃は直ぐに振り返り、唖然とする少女二人に呼びかけた。


「結芽、急いで医療院の先生を呼んできて!!医務委員の上級生でもいい!!!」

「えっ……?う、うん」


 陽咲乃は一瞬の選別で青緑髪の少女を指さすと、少女はコクリと頷く。


「柊和はここ残ってアタシと応急処置!!」

「……っ」


 指名された藤髪の少女は、頷かずに葛藤で声が途切れた。


「さぁ、早く!!」


 強まった声音で促されると、青緑髪の少女は駆け足でその場を離れた。後に残った二人。陽咲乃は膝立ちで勇香を眺め、目を潤ませる。


「絶対、救ってやるから」


 そして、勇香の胸に力いっぱい両手を当てた。

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