第33話 生死


 焔の魔法放った後、落下の最中、勇香は知識の底からまさぐり出した単語を含めた、別の詠唱を唱える。


命じるコマンドセット──アイス・シスターン」


 瞬間──人工芝から四方を囲むように氷の壁が形成し始め、天へと上昇する。そしてあっという間に、一帯が一つの綿密な“氷の箱”と化した。


 次に、勇香は無心で完成した“箱”に両手を広げる。同時に、脳内で一面の海を思い浮かべ。構築せずに、ただ我武者羅に。

 早く……早く……と願い続ける。一秒でも発動が遅れるとなれば、そのまま真っ逆さまに地面へと激突し、決闘どころの騒ぎではなくなるだろう。

 一秒程度のタイムラグ後、両手から噴き出した膨大な水は一瞬で箱を満杯にし、氷の箱は“水槽”という役割を獲得した。そして勇香は、飛び込み台からプールに飛び込むように、その水槽に頭から入水。びしゃっと周囲に、勇香の体重に耐えかねた水飛沫が飛び散る。

 直後、水槽の壁は溶解し、水も消失。水浸しになった身体のまま、勇香は人工芝にペタリと座り込み、掌を地面に突く。そして、ぱぁっと輝いた瞳で思わず口遊む。


「あ、アニメみたい!」

 

 一連の出来事を、荒い息を吐きながらもそう形容してしまう。同時に、自分をほんのちょっとだけ賞賛した。さっきまで、何も実力はないと確信さえしていたのに、一か八かの賭けを制し、あのような芸当をやってのけたのだ。これで、陽咲乃にほんの少しだけ近づけただろうか。

 周囲を見渡すと、地面に落下したはずの火球が跡形もなく消え去っている。そしてそこには、膝立ちで息を呑む梨花の姿が。かなりの亀裂が刻まれ、今にでも崩れかかりそうな防御壁から、破片がバラバラと落下している。そんな梨花を、勇香は悠然と見つめた。梨花は、ガタガタと震える声音で勇香を指さし、


「どうなってんだ……お前……転校したばかりじゃねぇのか……」

「アリスさんから、戦術を習いました。今日」

「アリス先輩……?」

「安心してください、今回のことは口外していないので」


 抑揚のない声で言葉を綴る勇香。梨花はその事実に図らずも驚嘆し、そしてブワッと背筋が凍った。


  勇香は確かにこう言った。アリスから“戦術”を習ったのはだと。

  即ちたった一日もせずに、勇香はその戦術を身につけ、その日のうちに一連の芸当をやってのけたという事だ。いや梨花にとって、重要なことはもっと別にあった。


「卑怯だろそんなの!!アタシたちは、基本的な魔術師の立ち回りしか教えてもらってねぇんだぞ!!なのに、なんで前は……」

「……っ」

「やっぱお前だけ、優遇されてたってことか?」


 その質問に、勇香は応えることはなかった。代わりに、シュバッっと右手を伸ばす。


命じるコマンドセット──アイスウォール!!」

「っ!?」


 その瞬間、梨花の周りをクリスタルのような光の礫がくるりと周った。

 

「なっ!?」


 そして、瞬く間に顕現したのは、梨花を鳥籠のように囲んだ円形状の歪な氷壁。高さはパッと見ただけでも梨花の身長の二倍以上。真下から上空を仰ぎ見ても運動場の無機質な天井しか見えない。


「閉じ込められっ……!?」


 その上空から、人影が現れた──勇香だ。そして、眼下にいる梨花に向けて固く握った右手拳を振り上げる。


(私の力は弱い。パンチだって、大したダメージにはなれやしない)


「お前……何を……っ!?」


 そして再び、勢いよくその身を投げた。


(だけど、魔法とかけ合わせれば……ひ弱な私の腕でも……)


 自由落下しながら、勇香はぐっと歯を食いしばる。


 もう二度と、“惨め”にならないために。誇らしい自分で、陽咲乃と対等に対峙できるように。


 己を変えるための、変革の拳──!


命じるコマンドセット──ファイアブレス!!!!!」


 梨花は咄嗟に両腕をクロスさせ、顔を覆い隠す。だが勇香の拳は、梨花の腕と接触した途端、紅蓮の光輪が勇香の拳全体を包み──


「っ!?」


「はらぁ!!!」


 同時、勇香の放った矮小な拳の先端から、大噴火のような火炎流が梨花の身体を焼き尽くした。

 

「ぐっ!!!!!!」


 パリンと音を立て、氷壁は崩壊。その後スタっと着地した勇香は、息を荒げながら地面に四つん這いになる。

 

「はぁ……はぁ……」


 ぽたぽたと継続的に汗が滴ってくる。

 

「やった……」


 やった、やったのだ。汗に濡れた人工芝を視界に留めながら、勇香はニヤリと破顔した。

 

 初めてだ。生まれて初めてだ。未来を絶望視していたはずの試練イベントを、こうやって自分一人でケリをつけた。アリスの教えと陽咲乃の鼓舞がありながらも、たった一人で物事を収束されたのは……


 体の奥底から、じわじわと言葉にならない想いが溢れてくる。同時に、ぽたぽたとパープルの瞳から涙が零れてきた。

 

 変えられるかもしれない、これなら。“惨め”な自分を。

 

 抗えるかもしれない、無慈悲な運命を。

 

「やった……やった……」


 思わず、口からも繰り返し同じ言葉が漏れてしまう。それほどに、こんな気持ちになったのは初めてだった。


(や、やったよ霧谷先生……私、勝っ……)



「悠長に技名なんて考えてんじゃねぇよ」



 背後から、そんな声が聞こえてきた。


「ぇ……?」


 四つん這いのまま、汗を滴らせながら、勇香は声のした方向に視線を移した。信じられないという感情を、目の震えで示しながら。


「つぅか……ネーミングセンス……中二かよ……」


 そこにいたのは、崩壊に近い防御壁を最後のあがきと言わんばかりに身に纏った、梨花。


「まだ……生きて……」


 その脅威は、まだ死んではいなかった。梨花は荒息を吐きながら、ボロボロの声で言った。


「勇者ってのは……生きるか死ぬかなんだぞ……」


 指で突けば今すぐにでも倒壊しそうな梨花の身体。それでも、鉄のように身体をピンと張りながら立っている。


「それとも何か……?お前の才能はチートレベルで……戦いの最中に……遊ぶ余裕が……あるって……言いてぇのか……?」


 死に際に練磨された瞳は、勇香を射貫くように見つめている。


「ふざけんな……アタシだって……使えるもんは使えんだよ!!」


 そしてシュパンと魔杖を空気に振動させ、標的を捉える。

 

 身体が石のように固まってしまった。その圧倒的な事実に絶望を覚え、震撼した。


 目の前の存在が、打ち砕いたはずの敵が、まだちっぽけな灯を残していた。後一発でも魔法を撃てば、防御壁は砕け散り、勝負には確実に勝てる。それなのに、何故か身体が動かない。手を伸ばす気力すらない。

 

 油断というものは恐ろしい。事実を知れた時、人は簡単に目の前の出来事に言葉を失う。

 次に勇香が梨花を直視した時には、魔杖の先端に電流が集まっていた。それらは避雷針のように魔杖に吸収されると、梨花の全身にバチバチと電気が走る。それにより、梨花のレモンイエローの髪の毛先が逆立つ。


 それは先の魔法群を遥かに凌駕する、魔法。


「中級……!?」


 咄嗟に、勇香はそう口にした。


に教わったんだ。学園の奴らにじゃねぇ」


 中級魔法の中には、例外というものが存在する。


 英語のような言語を呪語とした、この世界における魔法の法則ルール

 二文字の羅列。ひとつ目に属性や行為の言葉。二つ目は状態の言葉。しかしながらその法則を完璧に破り、もしくは羅列を入れ替える。そんな魔法も、例外としてこの世界には存在する。

 魔法の秩序に逆らった、法則と言う呪縛を解き放ったその魔法たちは、当然リスクは背負われるものの、通常の魔法に比べて驚異的な威力を誇る。


命じるコマンドセット──バースト・ライトニング」


 梨花の発したその魔法は先の火炎流よろしく、電磁波がわずか一秒足らずで空気を裂き、勇香の身体全体を容易く巻き込んだ。

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