第32-1話 反旗(1)


 煙立った運動場の一角。大岩の麓で、梨花は勇香を見下げた。蹲る勇香の防御壁は黒く焦げつき、そこから立ち昇っている。気絶しているようだ。魔杖の先でちょんちょんと突いても、ピクリともしない。


「案外呆気ないな」


 転校して間もない勇香が、自身に襲いかかる魔法攻撃に対し正気のままでいられるはずがない。すなわち、こうなることは予想の内だった。けれど、決着が一瞬でついてしまったことに呆然としつつ、梨花は後頭部を掻く。

 

「くそっ、やっぱこいつに才能なんかないじゃねぇかよ。不正だ不正。番記者の野郎パチこきやがったな」


 と、後方の観客席から運動場に響くほどの甲高い声が鳴った。


「梨花ー終わったのー?」


 その答えを知るために、梨花は倒れ伏す勇香の姿を覗く。


「マジか……」


 梨花は超至近距離で魔法を放ったはずだった。が、防御壁は梨花の放った魔法の命中点が少し砕け散ったのみ。耐久値に換言すれば一割にも満たない。


「つーかこれでまだひび割れ程度かよ。脆いんじゃないのか?でもまぁ、あと適当に数発撃ち込んだら壊れるっしょ」

「ねぇどったのー?」

「あぁ、今終わらせるわ」


 そう言って、梨花は渋々と勇香に魔杖を向けた。


 *


 視界いっぱいに閃光が迸り、激しい光が燦爛した。それが勇香の記憶に残った、最後の光景である。

 

 気が付くと、勇香は何もない真っ白な空間にいた。

 

 本当に何もない。自身の感覚すら曖昧だ。手足を動かそうとしても、声を発しようとしても、何もかも無意味で、何もかもが不発に終わる。感覚という感覚が機能しない。皮肉にも、視覚のみが唯一機能しているようだ。

 視界の奥には人影が見えている。その人影が何者なのか、うまく情報を読み取れない。年齢すらも、果ては性別すらも。目を凝らせば、人型をした黒い塊のようにも伺える。


 そして、この場所が何処なのかも。


 呼びかけようとした。しかし声が発せない。どう足掻いても、幾度となく喉笛を鳴らそうが、言葉が声に乗らない。

 

 その人影は、ずっと遠い存在のように思えてきた。此処にはいない、誰かのように。離れないでと言わんばかりに、勇香は手を伸ばそうとした。けど、掌の感覚はもちろんない。勇香は嘆いた。やるせなさに俯いた。もちろん、声は出ない。

 

 その様は、まるで自分の“惨め”な人生そのもののようだった。

 何もできず、ただ時が過ぎるのを待っていた人生。いつか誰かが救ってくれると、一人孤独に願っていただけ。そのせいで、自分からは何一つ行動を起こそうとはしなかった。自覚していたからだ。例え行動しようとも、無意味に終わるだけだと。弱すぎるせいで、何もできないせいで。


 やっと、記憶を思い出してきた。

 

『私たちの仕事はね、教え子たちに知識を与える。それだけじゃないわ。教え子を守るのも仕事なの』


 ようやく救いを差し伸べてくれた人すらも、目の前から去ってしまった。いや、勇香が犯してしまった行いので、消えざるを得なかった。そして。


『才能以前に、勇者向いてねぇよ』


 敗北は必然だった。戦いが始まるまで強気でいれたのも、見栄を張っていただけだった。その結果が、こんな結末を招いたのだ。

 これからどうなるのだろう。一生何もないこの空間で、永遠に自分の弱さを嘆いているのだろうか。

 もうそれでいい気がした。己の才能すら発揮できない自分に、勇者を務められる資格はない。


 この何もない空間で、私一人だけで、一生──




『アタシもいっぱいいっぱい“努力”して、勇香の“才能”を打ち負かしてやる!』


 ふと眼前に目をやる。そこには、朝の陽光を浴びながら勇香と会話を交わす、灰色の髪の少女がいた。


『決めた!今度の生徒会選挙に立候補して、アタシは勇香の席を奪う!』


 偽りのない少女の言葉。勇香は思わず、あの時と同じように目を見開いた。


『アタシと勇香は友達でもあり好敵手ライバルでもある』


 少女は勇香のことを、好敵手と称した。


『今はまだ仲良くしてるけど、時が来たら、私は容赦しないから』


 少女は勇香と、対等に戦うと宣言した。


『そしてアタシは絶対、勇香の背後バックに潜む権力なんかに屈したりしない』


 勇香の後ろ盾が、どんな存在であろうと。

 

『だから勇香もそれまでに力つけて、自分を変えなさい』


 何もないはずの勇香と、共に競うと、共に戦うと約束してくれた人。


『胸張って、アタシと戦えるように、ね』


 “憧れ”と尊敬し、鼓舞してくれた。大切な友達。


 やがて少女の姿は跡形もなく消え去った。

 後に残ったのは、いつの間にか全身の感覚を取り戻した勇香一人だけ。不思議と、目の前の人影が、傍にいるような気がした。


 胸を張れ。すなわち自分を誇れという事。少女は、自分に自信を持てずにいた勇香へ、そう奮起した。自分は変われると、断言さえしてくれた。


 ──来る戦いの時に、少女と互角に渡り合えるように。

 

 それなのに……


 何故、前哨戦でしかない戦いを諦める必要があるのだろう。勇香は感覚を取り戻した手を、ぎゅっと強く握った。

 

 自分は弱い。呆れるほどに。それは、痛いほどよく分かっている。


 でも、それでも……

 

 こんな私でも、どうしようもない私でも、陽咲乃と戦いたい。陽咲乃と肩を並べる存在になりたい。並べられるように──私は、強くなりたい。


 やがてその空間は眩い光に覆われ、辺りには何も見えなくなった。次に見えた景色は、


「今終わらせるわ」


 倒れ込んだ勇香に、魔杖を向けた梨花。その時、不運にも気付いてしまった。


「なっ!?」


 勇香の口が、わずかに上下していることに──


「……たまるか」


「こいつ……まだ生きてんのか!?」


「決めつけられて……たまるか」


 人工芝に両手を付き、勇香はガタガタの身体をむくりと起こす。そして動揺で尻込みしてしまった梨花に、体重を預け覆いかぶさった。


「──っ!?」


「向いてないかどうかは、私が決めることだ!!!」

「まずっ、近っ!?」


命じるコマンドセット──サンダーボール!!!」


 刹那の時も待たず、勇香は梨花に右手を翳す。直後、掌の中心から渦巻のように落雷威力の電流を凝縮した球体が生成され、勇香はそれを野球ボールのように振り上げ、梨花にギュンと投げつけた。

 至近距離で残滓を残し、一瞬で梨花の身体に行き届いた球は防御壁に直撃。周囲へと飛散すると、激しい光を放ちながら全身を放電する。


「ぐわぁ!!」


 防御壁があるおかげか、身体に直接の損傷はみられなかったものの、梨花はその余波に思わず声を張り上げた。勇香はぐわっと立ち上がり、倒れ込む梨花から距離を取る。


(大丈夫、これでは知れた)


 “死”という恐怖を克服できたとまでは言えない。けれど、その体験をしたことで限りなくその感情は制御できたと言ってもよい。


(ついでに、ことにも慣れた)


 思考の余地もなく、勇香は前方の梨花に向け右手を広げた。

 何が起こっているのか分からない。思考の整理がつかず、梨花は数舜の混迷を余儀なくされた。その後にバッと立ち上がり、素っ頓狂な声を上げた。


「雷属性……!?お前詐欺ったな!!ちっ、相殺しちまうじゃねえかよ!?」


(相殺……?)


 ちっと舌打ちすると、梨花はスッと魔杖を構えた。

 “杖”、手に取るその武器から、梨花の職業は「魔術師」だと分かる。となれば、その戦い方を知っている勇香には、十分勝機はあるだろう。そして、属性は“雷”。“無属性”の可能性も考慮に入れるべきだが、一先ずはそう断定する。

 とはいえ、ゲームのように属性相性があるわけではない。相手が放つ「雷」は、“攻撃手段”とだけ考えておけば不足ない。

 

命じるコマンドセット──サンダーブラスト!!!」


 号令を轟かせ、激しい稲光とともに一筋の稲妻が放たれる。それは軌道をぶれることなく、低空飛行のまま一直線に勇香へと迫る。勇香はすぐさま近くの岩に身を潜め、魔法の猛襲から身を護った。 


「また逃げる気かよ!!」

「今度は、逃げない……!」


 攻撃後、勇香は岩影から全身を現し、


命じるコマンドセット──サンダーボール!!」


 無造作に掲げた右手に燐光の輪が迸り、球体の電流が発射される。それは梨花の一歩手前で炸裂し、激しい雷光が梨花の視界を遮った。


「くっ」

 

 その間に、勇香は全速力で駆けた。円形を描くように遠回りしながら、じわじわと梨花に接近する。


(コイツ……ちょこまかと!!)


 梨花も負けじと、光が晴れたと同時に走る勇香へと狙いを定め、勇香の動きを冷静に見極める。そして梨花と勇香の影が一つに交わった、その時──


命じるコマンドセット──サンダーブラスト!!!」

 

 魔杖の先端を銃口とし、稲妻と言う名の弾丸を撃つ。勇香の動きを完璧に予測し放たれた稲妻は、勇香と衝突せし位置へと突き進む。

 稲妻が眼前に差し掛かった寸前、勇香は咄嗟に身を屈める。稲妻は勇香の頭上を一瞬で通り抜け、観客席に直撃した。


「お前、見かけのわりに動けるんだな」

「並程度ですが、妹に鍛えられたので」

「つっても、魔術師に体力なんて必要ないけどな」

「そうやって一点だけに固まってては、ソロでは格好の的ですよ」


 会話を交えつつも、梨花は次の作戦へと移行する。すばしっこい勇香は魔法をまともに唱えるだけではひらりと避けられてしまう。


(魔力には限りがあるんだ、一発でも無駄にはできねぇ……)


 要は正確性が大事なのだ。無駄に多く魔法を連発するより、質の高い一発を命中させ防御を削ぐ。逡巡の末、梨花は自身の雷の魔法に、ある装飾を付け加えた。

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