第31-2話 決闘(2)

 放課後。つまりその時。勇香は彼女たちより一足先に、運動場へ足を運んでいた。

 勇香以外に人はおらず、湿った地下の冷気だけが漂う運動場内。勇香はぽつりと、ラジオ体操やストレッチをして身体を伸ばす。そして深く息を吸い込み、溜め込んだ息を吐き出す。

 毎日のように、此処で教師と二人で魔法の特訓をしていた勇香は、少なくとも彼女たちよりもこの場所に場慣れしていることだろう。たとえ十日足らずだといえど。それだけでも、今回の“戦い”の地理的優位は、勇香にあると無理にでも達観できる。

 

 戦い……


 勇香の額から、断続的に汗が滴り落ちてくる。を意識しそうになり、勇香は首元をゴキゴキと音が鳴るくらい大仰に振るった。そして、両拳をぎゅっと握り締める。


 大丈夫、意識するな。


 自分に喝を入れ終えると、着ている服のポケットから渋茶色のヘアバンドを取り出す。それを口に咥え、腰辺りまで伸びた長髪を両手で後頭部に纏め上る。最後に片側の手を離し、ポケットの中からヘアバンドを取り出して一つに結いだ。

 服装は群青色を基調とし、袖とファスナー部にピンクのストライプが入ったスポーツジャージ。そしてスポーツ用のシンプルな群青色のスポーツパンツ。初春で暖かいため、同封されていた下ジャージまでは着用していない。

 どちらも学園内のスポーツ用品店で購入した(貰った)物だ。一見運動しに来たのかとツッコミたくになるが、これは素早く動けるよう格好にも気を付けた証。制服を傷つけたくないというのが一番の理由だが。 

 そうこうしているうちに、入り口の辺りから二つの人影が現れた。


「おいやっぱコイツ素直に来てるじゃねぇか。アタシの勝ちだろ明日の昼飯代サンキュ!」

「クソッ。生徒会に泣きつくに一票賭けてたのに」


 今回の決闘を強引に企てた二人の少女は、呑気に勇香がこの場に来るか来ないかを巡って賭け事をしていたらしい。そのうち、レモンイエローの髪の少女は、勇香の格好を一目見るなり口から盛大に噴き出した。


「ぶふっ、お前、まさか体育の授業感覚でここに来てんのか?アタシらすげぇ舐められてんじゃん」


 昨日までの激昂していた少女とは違い、今日はどこか飄々としている。勇香は表情一つ変えず、その少女──藤堂梨花に反論した。


「だって、制服が破れたりでもしたら困るじゃないですか」

「こいつ魔術師なのに魔法も知らねぇらしいぜ」


 勇香が真面目に返答してしまったばかりに、梨花は顔に嘲笑を浮かべて隣の黒髪の少女──金丸絵梨奈に声をかける。一方の絵梨奈は、引き攣った笑みでへぇっと返していた。

 この世界には魔法がある。わざわざ動きやすい服装に着替えるという手間をせずとも、制服の裾が破ければ魔法で縫えばいいということだ。

 

 現に、梨花と絵梨奈もスポーツウェアに着替えることなどせず、制服のまま今回の戦いに臨んでいる。今思えば、勇香の着用するワンピースの制服も見かけの割には動きやすかったりもした。勇者養成学園の制服は、着用したまま戦闘ができるよう工夫がなされているのだろう。


 この世界は魔獣蔓延る“戦場”である。魔王軍がいつ何時、勇者の卵を育てる学園に侵攻してもおかしくはないのだ。だが今更着替えてしまった以上、後悔しても仕方がない。相手の挑発に乗る義理はない。


「あの、もう一度聞きますが、本当にた……っ!?」


 梨花の挑発をあっけらかんと流す勇香。だが、梨花の放った発言の全容に遅れて気づき、そして戦慄した。


「なんで、私の職業を……」

「知り合いにちょっとした情報屋がいるんだよ。アタシらはって呼んでるんだけどな」

「番……記者」

「そいつにさ、一応お前のことについていろいろと聞いといたってワケ」

「なっ……」


「アタシらが何の策も練らないで戦いに挑むとでも思った?」


 その一言で、梨花たちの今回の戦いへの意志が直感で感じ取れた。才能が云々の前に、彼女たちは本気で勇香を生徒会から落とそうとしている。少なくとも、転校してたった数日ぽっきの勇香を侮り、ぶっつけ本番で勝負に挑もうとする輩ではないようだ。


「お前が此処で毎日毎日、霧谷と魔法の特訓してんのも分かってる」

「……っ!」

「ま、その霧谷はもういねーけど」


 おもむろに観戦席へと視点を変え、名残惜しそうに呟く梨花。直ぐに視点を勇香に戻すと、ナイフのような眼光を勇香に刺す。


「お前、霧谷に何したんだ?」


 梨花の静かな問いかけにも、勇香は悠然と言葉を返す。


「そ、それも番記者とやらに聞けばよかったじゃないですか」


「なる。お前の口からは話したくねぇってことだな」

「違いま……!!」


 だが、術中に嵌められ慌てて否定する勇香。


「ま、いいや。今日はそれを問い詰めに来たんじゃねぇから」

「というか、その番記者と名乗る方に私の才能についても聞いたんですよね?」

「もちろん」

「だったらおとなしく認めてくれませんか?」

「いいや。認めてない。“学園統括委員会が欲しがる程”って、そんな曖昧で誇張されたもん信じるわけないだろ」

「……っ!!」


 梨花たちは勇香の才能の詳細までを知っているわけではないようだ。では、番記者がどこでその情報を聞いたのか気になるが、梨花の言う通りそれを問い詰める場ではないだろう。どうやら、自らの手で才能を証明するしかないみたいだ。


「もう一度聞きますが、勇者たちの戒めで“勇者同士の決闘は禁止”と定められてますよね?それでも決闘する気なんですか?」


「くくっ、お前真面目かよ。勇者道かなんか知らねぇけど、そんな遥か昔の規則を守るヤツ、現代でいると思ってんの?」

「はっ……?」

「学園では職業ごとの頂点を決める大会まで開かれてんだぜ?それなのに勇者同士は決闘厳禁って、教える側にも無理あるわ」


 それを聞いて、勇香は説得は無駄だと悟った。そして、しんと顔を俯かせ、


「分かりました。では戦うしかないんですね」

「そゆこと」


 勇香は頷くと、人工芝が引かれているサッカーコートサイズの運動場の中央に移動する。梨花も勇香に続けて歩き出そうとした時、その耳に怪訝そうな顔をした絵梨奈が口を近づけきた。


「な、なぁマジでやるつもりなのか……?」

「いまさら何言ってんだよ。お相手ちゃんだってやる気満々じゃねぇか」

「そ、そうだけどさ」

「心配すんなよ。すぐ終わるって話だろ」


 絵梨奈の心配も他所に、梨花はブレザーの裾に手を突っ込んだまま移動し、やがて勇香の対面に立った。逆に絵梨奈は運動場の入り口で待機したまま。


「あの方は戦わないんですか?」

「何言ってんだ。仕掛けたのはアタシだ。勝負は正々堂々とタイマンだろ」


 勇香はどうだか、と言わんばかりの形相で梨花を見つめていると、梨花は大声で絵梨奈に叫んだ。


「なんかあれば頼むなー!」

「お、おう」


 言い終えると、再び勇香に視線を戻す梨花。その猜疑心を燻ぶらせたような視線を受け取った梨花は、


「なんだよその目。アタシは卑怯な真似なんてしねぇぞ。今のは外にバレそうになったとき対処してくれって頼んだだけだよ」

「そんな風には聞こえませんでした」

「お前みたいに汚い手は使わねぇよ」

「私も不正なんてしてません」

「へいへい。それに、あいつにはもう一つやってもらうことがあるしな」

「やってもらうこと?」


 と、梨花は制服のポケットからビー玉サイズの黄緑色の球体を取り出し、それを無造作に勇香に投げつけた。一瞬だけぽけんとしてしまう勇香だが、なんとか両手を腹の手前に翳してそれを受け取る。


「これは?」

「身に着けると身体の表面に防護壁的なヤツが張られる。ダメージを受けるごとにその表面にひびが入って一定のダメージを超えると破れるらしいぞ。大会で使われるもんだ。名前は知らねぇ」

「つまり、防護壁が先に破れた方が負け、ということですか?」

「そういうこと。これはその中でも予選用に使われるヤツでめちゃくちゃ脆い。上級魔法の一つでも打てば一撃だぞ」


 それを聞いて、勇香はこの先の戦いに安堵した。身体に直接ダメージが入るわけではないようだ。そうだ、梨花だってまだ一年生。“戦い”には多かれ少なかれ抵抗感を持っているはずだ。何故初めから気付かなかったのか。


「こんなもの、どこから……」

「学園の用具倉庫からくすねてきた」

「はぁ!?」

「安心しろよ。こんなん山ほどあったからちょっとパクったところで問題になることないって」


 そう言って勇香の肩をバンバン叩く梨花。


「絵梨奈、準備できたぞー!」


 と、梨花は入り口付近にいる絵梨奈に向かい、大声で名を呼ぶ。絵梨奈はコクリと頷くと、入り口付近にある何かの操作盤を弄り始めた。


「一体何をするつもりで?」

「アタシらがなんでこの場所ここを選んだと思う?」

「知りません。昨日のあなたはひどく興奮していたようなので、口からぱっと飛び出しただけじゃないんですか?」

「それも否定はしねぇが、少なくとも今のアタシは本気だぜ?」

「……っ、何が言いたいんですか?」

「仕掛けがあんだよ」

「っ!?」


 瞬間、勇香と梨花の周囲──それどころか人工芝が張られたコートの所々に、どこからともなく“岩”が出現した。絵梨奈は何かを作動させたらしい。

 どこかの川の上流付近で見つかるような角ばった岩の数々。それらは、不規則に配置されており、勇香の下半身程のものから、天井に届きそうなくらいの大きさまで大小様々だ。


「これは……!?」

「此処はもともと魔法戦の試合にも使われてんだ。ボタン一つでこんな感じの障害物を出現させることができる。このフィールドじゃ地形操作もできないぜ?」

「……っ」


 梨花も勢いだけで決闘を嗾けたわけではないようだ。少なくとも、戦いに臨むまでの意気込みが勇香の想像よりも遥か上だった。流石、腐っても勇者となる者。下手したら今の自分よりも……


「ちなみに、この運動場には他者からの干渉を防ぐ結界を張っておいた。簡単に言うと、運動場の外からは誰もいない空間って見られてる」

「そんなのどうやって……」

「それは秘密だ。つまり、何が言いたいか分かるか?」


 ふいに梨花はぬっと勇香に顔を近づけ、冷めた声で言った。


「助けはこないってこと」


 梨花の言葉が、勇香をぞっとさせた。戦いの外の主導権は、向う側に握られている。まともにやり合うことでしか、勇香にはこの状況を抜ける打開策はない。それは、此処に来た時点で確定だった。


「私だって、ただ何も考えないでこの場に来たわけじゃありませんよ」

「へぇー」

「才能を証明しに来たんですから」

 

 きりっと澄んだ瞳で、勇香は身長差のある梨花と視線を合わせる。

 

「ま、頑張れー」


 乾いた鼓舞をかけると、梨花は球体を再び制服のポケットに突っ込んだ。すると、そこから同心円状に梨花の身体が緑色のフィルターが覆われた。これが防御壁のようだ。勇香も真似して、球体をスポーツパンツのポケットに入れる。と、視界が一瞬だけ緑がかりるが、直ぐに色鮮やかな元の景色に戻った。


「これも、私だけ何か細工はしてないですよね」

「細工したってことは、アタシがお前の才能を認めることになんだろ。そんくらいお前の脳みそでも分かることじゃねぇのか?」


 梨花に煽られ、勇香は目を凝らす。その目のまま絵梨奈の行方を辿ると、運動場の左側の観客席の角で大人しく座っていた。いよいよ、戦いの時だ。


「始めましょうか」

「あぁ、よろしくな」


 落ち着け、考えるな。戦いのことだけに集中しろ。勇香はピリッと身体を張らせる。勇香と梨花は互いに対面し、お互い硬直状態のまま動く気配が感じられない。

 ひしひしと素性も知れないネガティブな感情が沸き上がってくる。それを押し込めるためにも、勇香は挑発気味に眼前の梨花を促した。


「来ないんですか?」 

「んじゃ、遠慮なく」


 梨花はズルズルと後ろ足のまま後退していく。その間も勇香は少女を逃がすまいと、視界に捉え続ける。


 その時だった──

 

命じるコマンドセット──サンダーショット」


 ヒュッと勇香の顔すぐ横を、一筋の雷光が奔った。


「ありゃ、外しちゃった」


 梨花は冷笑を口に染み込ませ、そう言い捨てる。



 抑えきれなかった。押し込むことができなかった。それよか、ぐんぐんと心の底から沸き上がった。

 

 ──“死”という恐怖が。


 途端、勇香の顔が一気に青ざめる。ブルブルと焦点の会わない瞳で、勇香は遠くの梨花を凝視した。梨花の持つ焦げ茶色の杖は、明らかに此方に向かれている。

 

「ひっ……」


 梨花に背中を見せて、勇香は走りだした。考えることなく、ただただ走った。戦場から逃げるように。“死”から逃れたい一心で。その間にも、勇香目がけ何発もの稲妻という銃弾が飛んでくる。


 鳴り響く雷鳴すらも、勇香を震わせる一因でしかなかった。咄嗟に近くの岩に身を隠した。身を隠す岩に、稲妻が着弾する鈍い音がする。


「隠れてないで出てこいよ!!」


 梨花は叫び散らすようにそう言った。その声にすら、勇香は圧倒的な恐怖心に耳を塞いでしまう。冷たい岩の表面に背中を預け、震えあがった身体を全身で包み込むように座りすすり泣く。


 怖い怖い怖い怖い怖い──


 ただひたすらに恐怖する。雷という自然現象に。魔法という攻撃手段に。梨花という戦場のかたきに。

 やはり無理だったんだ。“戦い”を押し付けられただけの自分が、平和に生きていた自分が突然戦場に放り込まれても、無残に荒野で野垂れ死ぬことしかできなかったんだ。


 しばらくすると、パッタリと攻撃が止んだ。勇香は涙目で、物陰から梨花がいるはずの場所を覗く。


 だがそこに梨花の姿はなかった。


命じるコマンドセット──サンダーボール」


 背後から、そう声が聞こえた。ばっと振り返ると、そこには蔑んだ目つきでこちらに杖を向ける、梨花がいた。


「お前さ」


 勇香には、もう何も言葉を発すことができなかった。


「才能以前に、勇者向いてねぇよ」

「ぇっ……」


 無慈悲にもその言葉が──勇香の意識の内に聞こえた、最後の言葉だった。

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