第31-1話 決闘(1)

 藤堂梨花の生い立ちを話そう。

 都内の進学校で教師を務める父、そして官僚の母との間に生まれた梨花は幼い頃から厳格な家庭環境で育った。


 ゲームや携帯は勿論禁止。門限は午後四時迄。しかし、それはまだ生温いほうで。


 テストで九十点以上を取れなければ、毎回一時間近くの説教を受けた。例え取れたとて、次も頑張れと一言だけ。賞賛されたことは一度もなかった。小学校での話だ。

 

 放課後は一目散に帰宅し、勉強を強制された。友人と遊ぶことも禁止、少し寄り道する程度でさえ禁じられていた。そもそも、友人と一緒に登下校することを親は認めていなかった。

 けど一度だけ、当時親友と呼べた友人と帰りを共にしたことがあった。その時の気分は、さしずめ家にいるよりも愉悦感を味わえたと記憶している。


 結果、どうなったのか。


 帰宅後。家に帰った梨花の腕を父は強く握り、自らの書斎へ連れ込んだ。そして平手打ちを喰らい、陽が沈むまで説教を受け続けた。


 後で分かったことだが、父は登下校中の梨花を家政婦に監視されていたらしい。梨花の家庭は裕福であったため、都内某所の豪邸に住まい、日替わりで家政婦が家事の代行に来ていた。父は家政婦に命じ、梨花の登下校中の動向を監視させていたのだ。


 それから、どうなったか。父は友人の両親に電話できつく釘を刺した。今後一切、娘と関わるなと。

 

 梨花は友人と呼べる者がたった一人しかいなかった。当然だろう。娯楽を全て制限され、放課後でさえ勉学を余儀なくされたのだから。結局、その一人でさえ関わりを断絶され、その翌日から、梨花は一人ぼっちになった。

 

 中学に上がってからも、父のスパルタ教育は続いた。

 母でさえも、父が行っていることについて、一切口を挟むことはなかった。その行為が常に正しいと確信していたからだ。だから全ての教育を父に委ね、自らは全く干渉しなかった。

 

 梨花は都内屈指の名門私立中学を受験し、見事合格した。それも全ては、父のシナリオ通りに。


 そんなある日、まだ純粋っ気のあった梨花は父に尋ねた。


 ──何故、私一人にこんな思いをさせるの?


 父は言った。


 ──そんなことを質問する暇があったら勉強しろ。


 続けてこう述べた。


 ──父さんを安心させろ。


 中学校に入ると、社会の仕組みを自ずと理解してくる年頃だ。そんな中で、だんだんと梨花は父の思惑を悟るようになった。

 

 父の目的は、娘が有名企業や政府機関に就職したことを周りに誇るため。

 

 父は彼の友人との電話で、いつも娘自慢をしていた。それも名門中学に入学したやら、将来は~高校に入れさせる、なんてものばかり。

 

 自分の保身のために、娘に強制を強いている。梨花の中に、そんな考えが芽生えてきた。

 そんな時、梨花は同じ私塾に通っていた中学の先輩から、ある誘いを受けた。短時間で稼げるいい仕事がある、と。


 もちろん、梨花の通っていた中学校はバイトを禁止している。それ以前に、父からバイトをする暇があったら勉強しろと釘を押されていた。

 けど、先輩はこう言った。大丈夫、梨花のルックスなら絶対稼げる。梨花には“才能”がある。

 

 嬉しかった。才能が何かは知らないが、賞賛されたことが。梨花はその言葉に引かれ、興味本位で先輩に付いて街へと繰り出した。その日初めて、梨花は門限を破った。家政婦もなんとかして撒いた。


 先輩に連れられてやって来たのは、繁華街の一角にあるホテルだった。 その一室に入ると、中には派手な格好をした二十代位の知らない男がいた。これから何をするつもりだと問いかけると、先輩は何を言わずに部屋を出て行った。


 男は淫らな目つきでこちらを凝視している。何故かその瞬間、一種の恐怖が生まれ、梨花はすぐさま部屋から出ようと駆けだした。

 しかし、部屋の扉が開かない。ぞっと背後を振り向くと、そこには生まれたばかりの姿の男がいた。 


 そこから何をされたのかは覚えていない。けど、人間としての尊厳を潰されたのだけは分かる。


 最後に記憶が残っているのは、梨花は警察署で保護されていた。どうやら男は逮捕されたようだった。

 先輩も警察署に連れられ、聞き取りを受けている。当然、父も警察署に駆けつけた。父は号泣しながら警官に謝罪し、こう懇願し続けていた。

 

 ──そこであった全ての事実を抹消してくれ、と。


 だが今回の一件は、ニュースや新聞の報道で明るみになった。梨花の名前が公表されることはなかったが。けどその出来事が、梨花の名前に刺青のように残った。


 家に帰ると、父からこの上ない説教を喰らった。何をしてくれたんだ。一家の恥さらしめと。母の職も危うくなると、母からも叱咤された。

 父の口から濁流のように流れる暴言の数々。それらは全部、己の保身のためだけのよう。

 

 梨花はそこで、何もかもが吹っ切れた。

 

 次の日から、梨花は変わった。

 朝一番から、父に反抗的な態度を取るようになった。勉学を放棄し、代わりに父が禁止した全てを行った。


  それだけでは飽き足らず、髪を染め、制服を着崩し、煙草を吸い、飲酒をし、

 夜な夜な夜遊びに更け、責める父には暴力を振るった。


 遂には学校で問題行動を起こし、ものの数日で退学した。それは、中学三年生の終わりの間もないころだ。裏日本に渡ったのは、その冬のことだった。

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