第30-3話 仮面(3)


「世界を救う英雄になれるってことだよ」


 満月のように開かれたオッドアイで、アリスはひっそりと告げた。     


「そんな才能、学園の生徒だって現役の勇者だって持ってないし、下手すれば未来永劫現れないかもしれない」

「……っ」

「だから委員会は焦ってる。そして躍起になってるんだよ。勇香ちゃんを文字通りの英雄にするために」


 英雄。それは世界中の人類を救い、世界中の人類から崇められる存在。それは“誇れる自分”になりたいという、勇香にとっての最終到達点。


「そんなこんなで委員会はアリスちゃんに言ったんだよ!勇香ちゃんを一早く輪の中に入れろーって。それでアリスちゃんを先生役に寄こしたわけだけど、アリスちゃんは優しいから選択権をあげる!」

「選択権……?」

「委員会側に入ってになるか。それともみんなと同じ普通の授業を受けて、みんなと同じの勇者になるか。後者は所謂才能の無駄遣いだね」


 アリスの口ぶりは、その答えは決まっていると語っているようだ。

 

 もう、分からなくなってしまった。教師もいなくなり、この先の未来は真っ暗。あるのは才能と、そんな自分を欲してくれる向う側。


 強くなりたい。そして誇れる自分になりたい。あちら側に入れば、辿り着くことができるのだろうか。


「そちらに入れば……強くなれるんですか……?」

「そんなの楽勝だよ」


 もう誰かを犠牲にしたくない。自分のせいで、誰かが自分の前からいなくなるのは嫌だ。あちら側に行けば、そんな思いをせずに済むのだろうか


「誰かに迷惑をかけることもないんですか?」

「迷惑?むしろ勇香ちゃんの才能を知らない不届き者が“委員会”という組織の力によって絡んでこなくなるからいい気がするんだけどなー」


 あちら側が、勇香にどれだけのことをしてきたか。


 無慈悲で、傲慢で、卑怯で、無情、冷徹で、悪辣で、

 自分のことを、才能としか思ってなくて、平気で人に罰を課し、


 学園に入って、勇香が苦しむことになる全ての元凶を作った学園統括委員会向う側


 向う側に入ってしまえば、もう誰かを巻き込まなくていい。苦しい日々を送らなくてもいい。


 何より、惨めな運命を回避できるかもしれない。 


 もうどうでもよくなった、大罪人になってしまったのだから。どん底に落ちてしまったのだから。

 だったらどん底はどん底なりに、地を這うように、光の届かない奈落の底で。心を捨てて、傀儡となって、


 命ぜられるままに、何もかも……


「……っ」


『アタシもいっぱいいっぱい“努力”して、勇香の“才能”を打ち負かしてやる!』


「……っ!」


 ふいに脳内を過った、灰髪のある少女の言葉。



「どったの?勇香ちゃん」


 声を発せずに俯いてしまった勇香。アリスはきょとんと尋ねる。

 そこに出てきたのは、


「ふふっ」


 嗤いだった。


「ふふふっ」


 これまでの全ての自分を、嘲るような嗤い。


「ふふふふふっ」


「何その不敵な笑い!?」


 まるで悪魔のような嗤い声に、アリスが思わず足を退かせた。

 そして次に出てきたのは、


「いえ、霧谷先生は私の言うところを何にも聞いてくれなかったので、いなくなってくれて清々したなって」


 ケロリと汚れのない笑みで吐かれたその言葉。勇香の不穏な所作に、アリスはすっと顔を近づけて勇香の顔色を伺う。 


「なんか人格変わってない?本当に勇香ちゃん?」

「何言ってるんですか?私は私ですよ、ちょっと考え方が変わっただけで」

「本当に?まさか勇香ちゃんの皮を被った魔王軍か?」

「痛っ痛っ、違いますよ!!」


 疑いを持ったアリスが、勇香の両頬をぐいっと抓る。


「ふむふむ、もちもちほっぺをつねっても何もないと」

「や、やめてください!」


 慌てて勇香は牽制し、アリスを離す。


「それで?」

「私、今まで学園統括委員会向う側に踊らされるままに、学園の生徒から酷い虐めを受け、ずっと嫌な思いをしていました」

「むっ?」


 笑みを浮かべてそう告白する勇香に、アリスの目が曇る。


「でもアリスさんの話を聞いて気付きました。なんで私には才能があるのに、そんな思いをしなきゃいけないんだって」


「だから、その、いいですよ。私、学園統括委員会専属の勇者になります」

「ほほう」


 ふと勇香は、運動場の無機質な天井を見つめた。


学園統括委員会向う側の意のままに、“魔王を倒す勇者”となるために」


 はっきりと、勇香はそう言い切る。決意を秘めた瞳に、光は灯されていなかった。


「それは、委員会の操り人形になるってことでいいのかな?」


 アリスは冷淡と問いかける。


「はい♪」


 勇香はそれに軽快な返事で言い返し、


「だってだって、私の才能を信じてくれるのはあちら側だけなんですよ?周りは誰も信じてくれないんです。それよか生徒会に入った私を不正野郎って罵ってくるんです」

「うんうん」


「でもよく考えてくださいよ!それってただ才能のない凡人さんたちが、私に嫉妬してるだけですよね?」


 勇香の本懐から、平然とそんな言葉が放たれた。


「私が生徒会に入ったのを糾弾する理由も同じです」


 ふと、勇香は手を合わせて俯く。


「だからぁ、もうそういう方々の妄言は耳に入れないことにしました。これからはあちら側の言うことだけ聞くことにします!」

「それは、勇香ちゃんの本心でおけ?」

「はい!本心です!」


 ばっとアリスの正面を向き、言葉を返す。


「本当に?」

「な、なんですか。本当ですよ」

「本当の本当に?」

「だから、本当って……」

「本当の本当の本当に?」

「もう!何回も確認しないでくださいよ!!」


「ぷくくくくっ、無理があるよ無理が。超絶小心者アーンド爆絶の勇香ちゃんがの言う事を素直に聞き入れる?……そんなことが起こり得るのはハイパー天文学的確率だってのはお・分・か・り?」


「え……?」


 そう言って、アリスは突然腹を抱えて笑い転げた。


「え、えぇ!?」


 勇香は驚愕に顔を歪める。


「ちゃんと話は聞こうね?アリスちゃんは勇香ちゃんになんて言ったのかな?選択権をあげる、それだけ。入れてあげるなんて一言も言ってないよー?」

「ててて提案したのはアリスさんですよね!?」


「うんそうだよ?委員会がアリスちゃんに命じたのも本当の話。だけどね、よく考えてみてよ?勇香ちゃんの心はまだ未熟なんだ、委員会に逆らう可能性だって無きにしも非ずでしょ?そしてアリスちゃんは、委員会を親のように大切に思ってるわけ」

「は、はぁ……」

「つ、ま、り?」

「つまり……?」

「委員会を陥れる可能性がある輩を、この手で招き入れることなんてできないよ」


「そんなことないです!従順に従いますから!」

「だから!アリスちゃんの授業で成長してからまだ出直してきなさい!」


 一心不乱になってアリスに問い詰める勇香。


「な、なんでですか……」

「アリスちゃんには全部お見通し~勇香ちゃんの言葉の裏に潜む思惑が?」

「え……?」


 ジト目でそう口ずさむアリス。勇香は呆然とアリスを見つめる。


「よーこせんせーにあんな言葉使ったりしたのも、何か理由があるんでしょ?」


「……っ」


「そうじゃないとアリスちゃん、勇香ちゃんを見る眼変わっちゃうかも」


「……」


 冷徹な眼差しのアリスに、勇香は絶句してしまう。


「まぁいいや。問い詰めてる時間も惜しいし、とりあえず授業を始めよぅ!今日は何を教えようか?」

「っ!そ、それなら……!」


 気を取り直し、アリスに迫った勇香。


「むむっ?なにかあるのかい?」


「い、いずれ魔王を倒す勇者になるというのに、未だに戦闘経験がないってのは変じゃないですか!?」

「それはそうだね。将来的にもそろそろ始めた方がよさそうかな」

「で、ですから……!」


 剣幕とした顔つきで、勇香はアリスに頭を下げた。


「私に、戦い方を教えてください」        

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