第30-2話 仮面(2)

「よーこせんせーなら、昨日付けで辞職したよ」


 会話の流れで、アリスはあっさりとそう言った。


「えっ……?」


 その言葉を汲み取るのに、勇香は数舜時間を要した。時間が経ってもその言葉を理解することはできなかった。それよか口からコンクリートを流し込まれたように、身体が固まってしまった。


「ちょっとーどうしたのー?なに石化してんのー?」


 相変わらず飄々としたアリスは横から勇香の顔を覗く。

 何故だろう、だんだんと身体が震えてくる。勇香は横目でアリスを凝視した。


 そんなわけない……そんなわけがない……

 その瞬間、勇香の頭の中に昨日の教師の言葉が高波のように押し寄せてきた。


 生徒を守るのが仕事だと、生徒を救うのが仕事だと、教師は言った。口を割らない勇香に、教師は抱擁しながら一生懸命に諭した。

 そんな教師が、職務を賭けて勇香を救おうとしていた教師が、自分から勇香の元を去るような真似なんてしない。


「辞職って……」


 アリスは続けざまに、真実を陽気に語った。


「だってー委員会に逆らうようなことをしたんだから、されるのも当然でしょ~」

「逆らう……?」

「うんうん。よーこせんせー、不等な扱いから勇香ちゃんを解放しろーって無謀にも委員会の会議中に殴りこんできてさぁ」

「……っ」


 アリスのいう委員会とは、言わずもがな学園統括委員会のことだろう。


「よーこせんせーは正義感強いから、いつかはやらかすってアリスちゃん思ってはいたけど」

「……」



「権力に逆らっちゃ、簡単に首撥ねられちゃうよね」



 と、アリスはにんまりとした笑みで改まり、勇香に告げる。


「というわけで、これからはアリスちゃん直々に教えることになりましたー!」


 瞬間──雷に撃たれたような感覚が勇香の全身を襲った。身体が揺れが激しくなり、心臓がバクバクと鼓動する。そして、

 

「私の……せいだ……」

「ぬ?」


 勇香は膝から崩れ落ちた。瞳からとめどなく涙が溢れ出てくる。

 に、落胆してしまった。


「私が全部教えたせいで……」


 昨日、勇香は学園でこの身に起こったこと全てを隠すことなく教師に話した。

 考えなくとも、それが原因だ。そして、


 ──教師は職務のままに、向う側に乗り込んだ。


 勇香を呪縛から解放するために。

 無論。教師の正義は、向う側によって無残にもギロチンに掛けられ、捨てられた。

 

 分かっていたはずなのに。学園統括委員会という組織の「やり方」を、しっかりと熟知していたはずなのに。


「私が教えたから」


 全てのせいだ。私が、教師の人生を狂わせてしまった。

 

「私が頼ったから」


 誰かを頼るなんて、最初から無理だったのだ。その誰かが犠牲になってしまう。あちら側に首を斬られてしまう。

 

 私のせいで。


「私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ」


「ちょっとーどったのー?」


 屈みこんで頭を抱え、勇香はひたすらに同じ言葉を発する。

 あっけらかんと横から覗き見るアリス。その言葉も勇香には聞こえない。


「私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ」


「なになに?怖いんですけど」

 

 犯してしまった罪。それによって犠牲になった大切な人。


「私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ」


「ありゃりゃ、バグっちゃった」


 アリスは観念したように首を振り、勇香の額に人差し指を突き立てる。


「私のせ……」

 

 次の瞬間、意識が途切れ、勇香は人工芝にドサッと倒れた。


 *


「う、うぅ……」

「やっほーおはうらー」


 目を覚ますと、視界いっぱい広がっていたのは無機質な灰の天井。そこは、運動場の歓声席。

 タオルケット一枚が掛けられており、勇香は歓声席で横になっている。起き上がり声のした方を向くと、後方の席にアリスが足をクロスさせながら座って手をかざしていた。


「あ、あの……」

「ほら、しんこきゅーしてー」


 勇香の背後に移動しその背中を優しく摩るアリス。勇香は言われた通り静かに息を吸って吐く。それを数回繰り返す。


「落ち着いた?」

「はい、すいません」

「もー驚いたよー。ちょっと辞めたってのを伝えただけなのにあんな壊れちゃうなんて」

「……っ」

「おかげで鎮静化魔法使う羽目になったよ。アリスちゃん医療魔術師じゃないのに~。よっぽどよーこせんせーに思い入れがあったのかな?それとも単にハートが脆いだけかな?」


 空気どころか、思いやりの欠片もないアリスの問いに、勇香は。


「もう、分からないです」

「何が?」


「もう、私は何をすればいいか……」


をつけるだけしか、最早選択肢はないみたいだ。今となっては、それさえも誰かを犠牲にする火種を生みかねないと思案してしまう。でも、それ以外に方法なんて、ないはずだ。

 と、アリスは舌を唸らせながら、悩み悶える勇香に向けて、


「むむむ……よく分からないけど、何をすればいいのか分からないってのなら、アリスちゃんがとっておきのを紹介しちゃうけど?」

「え?」

「よかったよかった!ちょーど話すつもりだったし、ナイスタイミングにぶち当たってくれてアリスちゃん感激!」


 突然、アリスは勇香に提案した。勇香は虚ろな瞳でアリスを見上げる。それに頼れば救われるかもしれないと、半分の期待も込めて。


「場って……」

「紹介って言うか、これほぼなんだけど?」


 アリスの言葉の意味が分からず、勇香は声を失ってしまう。

 

「勇香ちゃん、学園統括委員会専属の勇者になってみない?」

「はっ……?」


 澄んだ瞳で、満面の笑みで、そう言葉を投げかけるアリス。その声音は教師のように慈悲深いが、言葉に込められた感情は……

 

「つまり、学園統括委員会の直接指導の下、個人で勇者の活動を行うってこと」


 教師との授業で、勇者の活動についてはこう教わった。勇者は、裏日本中の各地で勇者隊という組織に所属し、その地域の人々を守護する者、あるい組織に所属せず、フリーで裏日本の大地を彷徨いながら、魔獣討伐を行っている者の二種に分けられるのだという。それを委員会の専属とはどういうことなのか。

 それを問おうにも、アリスは能天気に話を進めてしまう。


「どういう……ことで……」

「だってよーこせんせーみたいなー、勇香ちゃんの強さをぜんっぜん知らない人の授業を受けるよりも~、勇香ちゃんの才能を分かってたうえで本気で「魔王を倒す勇者」に育て上げようと思ってる委員会に魔法を教わった方が良さげだと思わない?」

「そ、それは……」

「ま、アリスちゃんがせんせー役になった時点でご心配なく!勇香ちゃんを生徒会一、いやいや裏日本最強、誰の助けも必要としない孤高の勇者にまで育て上げてみせるよ!」

「はぁ……」


 弾丸列車のようなアリスの説明に、勇香はうんざりとしながらも話を聞き入る。


「でも~、アリスちゃんがただただ教えてるだけじゃもったいないでしょ~?だ~か~ら~勇香ちゃんに学園統括委員会専属の勇者となってもらおう!ってのが昨日の定例会議で決まったの」

「なんでそんなことに……」

「言ったでしょ~?委員会は誰よりも勇香ちゃんの凄さを理解してるってことを。故にその才能を有効的且つ最大限に引き出すためのサポートができるのは委員会しかいないんだよ!」


 キラキラとした瞳で、アリスは勇香の手を握る。

 

「まぁその分、委員会の意見には絶対従ってね!ってことにはなるけど……同級生よりも多くの魔法知識を蓄えられるし、だって、アリスちゃんが一年生の内に現役の勇者同等に迄育ててみせるよ!」

「……っ!」

「夜な夜な委員長が練りに練って作成した教育サポートプログラムで、勇香ちゃんの才能をいち早く開花できるよう教育してみせる!」


 どこかの塾のセールストークのような仕草で委員会のメリットを淡々と話すアリスに、勇香はただ傍観していることしかできない。


「そして、勇者活動を始めた後も安心!委員会が特別に選定した活動依頼を優先的に受けられるよ!そして見事勇香ちゃんが裏日本中の勇者全員を凌駕する強さに到達した時には!学園の勇者たちを総動員させて勇香ちゃんが魔王へ繋がる道を切り開く!」


 大仰にガッツポーズを挙げたアリスは、改まって微笑を浮かべ、


「どうかな?」

「なんで……私のためにそんなことまでするんですか……?」

「だって勇香ちゃんは唯一無二の才能の持ち主なんだよ?他のな生徒たちと同程度の授業を受けるのは己の才能を持て余すだけだよね?」

「平……凡……?」

「そうそう。“魔王を倒せる程”。この言葉の意味は分かるかい?」


 ぬっと顔を近づけてくるアリスに、勇香は思わず顔を退いてしまう。

 だが、その答えが出てくる前に、


「世界を救う英雄になれるってことだよ」


 満月のように開かれたオッドアイで、アリスはひっそりと告げた。     

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