第30-1話 仮面(1)

 帰宅してから、勇香はずっとにだけ思考を寄せていた。

 陽咲乃と下校している間も、ゲーセンでクレーンゲームを楽しんでいる間も。陽咲乃と別れてから家に着くまでの間は、特に思索した。家に帰って、手を洗って、うがいをして、制服を脱いで、いつものTシャツとショートパンツに着替え、ソファに寝転んでゲーム機を手にとって、好きなことを始めても、ひたすらそのことを考えていた。意識せざるを得なかった。けど、何かの結論を編み出すことはできなかった。怖いのだ。


 レモンイエローの髪の少女──藤堂梨花と戦うことが。

 

 勇香は無言で格闘ゲームに励む。皮肉にもこの画面の中での“戦い”なら、誰かと対戦することも勝利することもできる。自分のプレイスキルなら、相手に無双だってできる。

 けれどこれは才能じゃない。努力の結果だ。何年もゲームをやってきて、今のプレイスキルを身につけたにすぎない。


 大して現実はどうだ?才能、それだけだ。努力なんて雀の涙もしていない。いくら己の才能が凄まじいと聞かされたからって、肝心の使い方は知る由もない。


 極めつけは“戦い”という行為に及んだことがないこと。平和な世を生きてきた勇香にとって、“戦い”という場に遭遇したことは一度もない。見たことあるものはせいぜい紙や画面、歴史の中。次元すらも違う。下手したら未来永劫ないんじゃないかとさえ思っていた。しかし裏日本に渡った時点で、その未来は歪んだ。

 

 将来的に“戦う”事を約束されてしまった。勇者として、命を天秤にかけることを強制されてしまった。

 そうだ。今回の決闘は、それが少し早まっただけだ。才能あるが故の宿命と自覚すれば、そう悲観的になることはない。


 勇香には仮面がある。「魔王を倒す勇者」。そう仮面を付ければいいだけの話だ。これまでもそれで幾度となく難所を乗り越えてきた。今回も、仮面を付ければ……


 ふとゲームの画面を見ると対戦相手のNPCにK.O.されていた。考え事に更けている間に、スティックから指を離していたらしい。久しぶりに対戦に負けた。

 勇香はゲーム機を手放し、寝ころんだまま木目の天井を見上げる。


「……」

 

 何気なく舌を噛んだ。


 痛い。


「無理だよ」


 途端に目頭が熱くなり、勇香はパープルの瞳を腕で覆い隠す。

 

「戦うなんて、私には」


 痛覚に感情を大きく乱される。そんな自分に“戦い”なんてできるのだろうか。


 答えは否だ。

 戦争の最前線に放り込まれれば、一発の弾丸にその命を引き千切られる。例えどこかの山奥で熊に遭遇しても、真っ向から対決すれば死は確実だ。いや、遭遇した時点で自らの不運を呪うが最後。


 自分は弱い。馬鹿らしいほどに。あるのは知りもしない才能だけ。外見は平凡な少女にすぎない。鬱鬱たる気持ちを燻ぶらせ、口に出す言葉に嗚咽が混じる。


「弱いのに。何もできないのに」


 決闘についても女性教師に全てを話した。話すなと釘を差されても、ありのままを伝えた。けど戦いが白紙になるとは思えなかった。


 彼女たちは執念深い。例え決闘が教師によって幾度となく妨害をされたとしても、いずれ教師の視覚外で勝負を仕掛けてくるだろう。それだけ彼女たちは、意地でも勇香を生徒会から降ろしたがっているのだ。勇香に突き刺さる彼女たちの冷徹な視線が、その証左。何故彼女たちがそうもと思いたくもなるが、裏を返せば、それほどまでに生徒会はみんなの憧れだという事だ。それはこの身に受けてきた仕打ちの数々で深く染みついている。


 あぁ、これが画面の中ならどんなに良かったことか。モンスターに命じて、またはキャラクターを操作する。それだけだったらどれだけよかったか。

 いっそのこと、提案してみようか。


「っはは、そんなの了解してくれるわけないよね」


 悲観に目を潤ませたまま、勇香は浅い眠りに落ちた。


 *


 ──翌朝。


 勇香はいつも通り、陽咲乃と共に学校へ向かった。

 決闘については登校中の会話に差し込むことはなかった。話しても良かった。けど多忙な陽咲乃に迷惑をかけたくないと、非常手段と決めた。

 陽咲乃に悟られぬよう、勇香は精一杯の笑みを取り繕い会話を交わす。何度か危ない場面はあったが乗り越えた。

 

 決闘に関しては、昨日中に一つの結論が出た。魔法については教師に毎日教え込まれているので支障はない。


 勇香の穴は魔法を駆使した“戦い方”。


 今日一日で最前線の勇者並みの実力を持つことは不可能と言っていい。けれど無防備で戦場へ赴くよりは、“戦術”という皮の防具を装備した方が幾らかはマシである。

 


 問題は誰に教わるかだ。

 

 初日の教師の授業で、魔術師メイジの戦闘方法はある程度頭に入っている。

 だがそれは無知な者への概要論に過ぎない。怒り心頭した猛獣相手には通用しない。

 昨日の一件で、教師は今朝二人の少女を呼び出し、面談をすると話していた。そのうえで、授業といえど勇香に教鞭を執ってくれるはずはないだろう。

 となると、戦闘知識が豊富で教えを請えばすんなりと了承してもらえる者がいい。その者の選定は、今朝の時点で選び済ませてある。


 ──アリスだ。


 アリスは知っての通り。才能のためだと懇願すれば言葉一つで了承してくれるだろう。ここ最近アリスの姿を見かけることはなかったが、学園中を探し回ればどうせどこかで生徒を煽っていることだ。 

 なんとかしてアリスを見つけ出し、放課後又は決闘の瞬間までに戦闘方法を身に着ける。それが勇香に課せられたミッションだ。

 使えるものは使う。それが向う側だとしても。手段を選んでいる暇はないのだ。


「ちょっとーねえ勇香?」


 はっと横を向くと、陽咲乃が話しかけていた。

 気がつけばエントランスにいた。どこかの神殿のような純白の柱の数々が、朝日に照らされ煌めいている。


「はっ、ごめん。考え事してた」

「考え事?」

「い、一時間目の授業がちょっと心配で」

「あー陽弧先生とのマンツーマン?」

「う、うん。戦闘訓練。私戦ったことないから」

「へーもうそんなことやってんだ。普通の魔術師だったらまだ初級魔法を頭に入れてる最中なのに、勇香ったら優遇されてる~」

「あ、あはは」


 一握りの皮肉も混じった陽咲乃の言葉を、勇香は微笑で軽く受け流す。

 

「でもそうだよね。勇香だって表日本むこうでは普通の女子高生だったんだもんね。アタシも初めて盗賊の戦闘演習受けた時は怖かったもん」

「だよね」

「でも慣れてきて、今はちょっと楽しさがあるかな」

「ど、どうやって慣れたの?」

「うーん、特に何かをしたわけじゃないけど……だんだんと“死”を意識しなくなってきたからかな」


 “死”。勇香が昨夜、一番怖れていたことだ。

 誰だって死は恐怖の対象だ。それは勇香にだって、陽咲乃にだって。

 そうだ。“死”という概念を意識の内に置かなければいいのだ。ゲームだって操作しているキャラクターが傷を受けても、“死”を意識することはまずない。現実をゲームの世界に置き換えれば、案外大丈夫かもしれない。


「ありがとう」

「えっ?何が?」

「ううん、何でもない」

「それよりさ、今日の放課後、ヤングストリートに新しくできたアイスクリームショップ行かない?」

「ご、ごめん。今日はちょっと用事があって」

「そっかー。あっ、てかアタシも代表委員の集まりがあったわ」

「そ、そうなんだ。じゃあ今度行こっか」

「りょ!どうせなら聖奈も誘ってみようよ。銀先輩も!」


 未来の約束をはきはきと計画する陽咲乃。無事に乗り越えて、そんな未来を実現できればどんなに幸せな事か。何ともない。ただアイスクリームショップに行くだけの出来事を。陽咲乃と、聖奈と、麻里亜と、互いに笑顔でアイスクリームを嗜む光景を。試練の果てにそんな何気ないひと時を体感出来たら。


「じゃあ、私。ちょっと早めに行くから」

「えっ?」

「今日は直接行こうと思って」


 そう言って、勇香はパンパンになった背中のリュックサックを大仰に叩く。


「そーなんだ。じゃ、また後でね」


 中央階段を登る手前で、勇香は立ち止まる。階段脇の小路地のような暗がりの廊下。この廊下は直接地下の運動場迄続いているのだ。嫌がらせをする生徒を振り切るため、先週に勇香が発見した裏道。


「じゃあね」

「バイバーイ」


 勇香は作り笑顔で手を振って見送る。こちらを振り向きながら階段を登る陽咲乃。

やがて階段を折り返す。勇香の姿が見えなくなったところで、陽咲乃は柔らかい表情を崩した。


「さて」


 二階に差し掛かった陽咲乃の耳に、壁際で会話をする生徒のある会話が突き刺さる。


「ねぇ聞いた?」

「なに?」


「──っ!?」


 陽咲乃は一目散に、その生徒たちに駆け寄った。


 道中は人気がなく、すんなりと地下階の運動場にやってきた。授業まではあと十分ほどある。中には誰もいない。

 珍しい。いつもなら教師は三十分前から運動場に来て、スポーツウェア姿でストレッチをしているはずだ。だがかえって好都合。


 放課後の戦場の舞台は今この場所。今のうちにこの空間に慣れ親しんで、少しでもアドバンテージを取れるようにしよう。

 無言で目を瞑りながら、勇香は魔法を唱える準備をする。とりあえず、適当に照準を定め両腕を伸ばす。その時だった。


「やっほーアリスちゃんが来たよー!」


 背後から絶叫にも及ぶ金切り声が耳を貫いた。咄嗟の出来事に驚き、勇香は後ろを見つめる。そこにいたのはアリスだった。

 

「あ、アリスさん?」

「なぁにその顔ー。もっと目をキラキラさせてアリスちゃんの美貌を拝んでいいんだよー?ちょー久しぶりの再会なんだしー?」

「さ、再会って……せいぜい三日ぶりですよね」

「ささささては顔を合わせぬ間にアリスちゃんの存在を忘れてしまったのかい!?」

「い、いや……忘れるわけ……」

「どんとふぉーげっとみー!!もっとアリスちゃんを見て!!!アリスちゃんを記憶に焼き付けて!!!!!」


 運動場に響き渡る程の甲高い高音を喉奥から出しながら、勇香の両頬をぐにっと掴み顔を近づけるアリス。

 

「わわわ忘れるわけないですよ!!!」


 勇香は狼狽しつつもアリスの真っ白な手を引き剥がした。

    

「うぅーよかったよー!もし忘れられてたら勇香ちゃんハウス壁一面にアリスちゃん渾身の自撮り画像(A4サイズ)をアロンアルファで張り付けるところだったよー」

「やめてください」


 何故教師との授業の場にアリスがいるのか。また見学と称して教師との授業を妨害しに来たのだろうか。それならばさらに好都合だろう。アリスを探すという手間が省けたのだ。此処は教師が来る前にミッションを終わらせよう。


「あの、アリスさん」

「ん?なにー?」

「霧谷先生がまだ来ていないので、折り入って相談が……」

「はにゃ?よーこせんせー?」


 勇香の切り出しに、アリスはオッドアイの瞳を丸くさせた。しかしそれは相談に関してではなく。


「な、何ですか?」

「むむむ?もしかして勇香ちゃん、聞いてない系?」

「き、聞いてないって……」


 


「よーこせんせーなら──」





「昨日付けで、したよ」

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