第29話 教師


「決闘だよ。あたしと決闘しろよ!!!」


 少女の突飛な提案は、勇香を一時の困惑状態とさせた。興奮で思考の整理が追いついていない。少女の発言は、そうとさえ感じてしまう程に奇怪染みている。けれど少女は、落ち着くどころか憤懣を顔に孕んで語気を強める。


「お前には才能があるんだろ?ならその才能とやらを、あたしに見せつけてみろよ!!!」


 そう言って、少女は自らの胸をバンと叩く。


「決闘……って戦うってこと……?」

「さっきからそう言ってんだろ!耳の穴イカレてんのか!?」


 勇香には、少女の言葉の意図を理解できずにいた。分かりたくもなかった。知識だけの、大した経験も積んだことのない勇香にとっては尚更。


「ちょっ、ちょっと待って下さい!!勇者同士が戦い合うのは校則で禁止されてますよね!?」


 勇香は記憶から漁り出した学園の校則で、少女の説得を試みる。

 

「そんなの知らねぇよ……」

「ひっ……」


 だが、少女の突き刺すような低音に、無残にも搔き消されてしまう。


「魔王を倒す程なんだろテメェの才能様はよ!場数踏んできたアタシよりも強ェってことなんだろ!?」

「そんなこと……言って……」


「だったらそれを証明してみろよ!!」


 少女は本気だった。

 最早その勢いを、勇香は止めることさえ叶わない。憤怒が最高潮まで達した少女から吐かれた突飛な要求を、拒絶することなんてできなかった。

 背後にいる黒髪の少女ですら、レモンイエローの髪の少女に目を丸くしている。

 けど、それだけだ。口に出して介入しようとはしない。できない。少女がこうなってしまっては、もうどうにも。


「そんでもしアタシが勝ったら、お前は生徒会を辞めろ」


 唾を吐き捨てるかのように、少女は言い捨てる。

 

「こ、こうなっちまったのは、全部アンタのせいだからな」


 黒髪の少女から、そんな声が垂れる。


「明日夕方、お前が霧谷とマンツーマンで講義受けてる運動場に来い」 

「……」

「誰にもいうんじゃねえぞ」


 睨みつけるような視線を手向けに、二人はその場を去った。



「あはは……」


 無意識にも笑いがこみあげてきた。


「私、またやっちゃった」


 感情のままに、少女に反撃した。それが仇となった。


 決闘。すなわち、少女とという事。

 肉弾戦なのか。魔法戦なのか。いや、そんなことどうでもいい。

 

 勝てるはずがない。人生で一度も「戦い」という経験を通ったことのない勇香が。

 けれど、そういう運命に仕立ててしまった。自分の無意味な反撃のせいで、火に油を注いでしまった。


 ──結局、運命を惨めにしていたのは、だった。


 膝立ちでだらんと両手を下げ、ぽたぽたと涙を零す。この先の未来に、歪んでしまった現実に、ただただ悲観する。そして震えあがった掌を、濁った眼で見下げる。

 

 仮面を被ろう。

 結論はいつでも一緒だった。この零落した現実と向き合うには、自分を偽るしか手立てはない。ありのままの勇香では、もうどうしようも……


「……っ」


 バタバタと、少女が去ったはずの廊下の角から足音が聞こえてきた。その音はだんだんと大きくなってくる。こちらに向かって来ている。


「ちょっとなにがあったの!?」


 ふいに後方から甲高い声がした。涙が付着した眼のまま振り向く。

 そこにいたのは、息を荒げながら勇香を見つめいる女性教師だった。


「せ、先生」

「あなたが講義に来ないもんだから、学園中を探し回ってたら……」


 咄嗟に勇香は手で涙を拭う。

 勇香の姿を一目見ると、教師は息を呑んだ。そして、膝立ちの勇香に、互いの瞳を合わせるように目線を下げた。


「ねぇ、何があったの?」


 凛とした教師の双眸が、勇香の胸中を混濁とさせる。

 話すべきか紛らわすべきか。その答えはとうの昔に決まっていた。


「何も、ないです」

「その姿で何もないって言われても、説得力の欠片もないわよ」


 苦し紛れに吐いた嘘も、教師は首を横に振る。


「何も、ないです」

「ねぇ、お願いだから話して?」

「何もないです」


 教師の瞳からは、なんとしてでも聞き出そうとする確固とした意思が感ぜられた。それはいつかの聖奈を思わせる。あの時は機転を効かせて逃げ出した。けど、今はそうはいかない。逃げ道を、教師の細い体が塞いでいる。


「なんで話そうとしないの?」

「本当に、何もないですから」

「嘘仰い。さっきまで地下の廊下中に二人の叫び声がうるさい程響き渡っていたわ」

「……っ」


 核心を突かれた。確かに、廊下中に響き渡るほどの声音で喧嘩紛いの口論を繰り広げていたのだ。誰かに聞かれてもそう不思議ではないだろう。

 迂闊だった。感情のままに言葉を発し、周りの注意を微塵も払っていなかった。


「チャイム、もう鳴ってますよね。遅れてすいませんでした。行きましょう」


 勇香はなんとかして話を逸らすために、立ち上がって場を去ろうとする。

 そのか細い腕を、教師はガシッと握った。


「それより先に話すべきことがあるでしょう?」

「授業が、私の育成プランがあるんですよね?上に怒られちゃいますよ!」


 さっきの余波なのかも分からない。強気な口調で、勇香は教師に迫る。しかし、


「授業は後。まずあなたの話を聞くことが優先」


 冷淡な声音でそう唆す。


「ねぇお願い。話して?」

 

 教師は、下を向く勇香の肩を掴んだ。



 

 心配を掛けたくない。これも理由の一つだろう。

 

 だけどそれ以上に、知られるという恐怖心が勇香の心を閉ざしている。

 それを知られたらどうなってしまうのか。相手からどのような表情をされ、何と言葉を返されるのか。

 人生で一度も、勇香は本音を話すなどという経験はなかった。陰口を言われても、嫌がらせを受けても、暴力を受けても、全てを己の身体の中に溜め込んだ。

 けれどそのような記憶は、大抵無意識に記憶の奥底から漏れ出してしまうものだ。そう言う時は決まって、ゲームや漫画のような娯楽で気を紛らわせた。

 

 いつしか、それが習慣化してしまった。今回だって。世話になっている教師に己の弱さを露呈させたくない。自分のために、余計な行動をしてほしくはない。なにより、それを知られることによって勘当されたくない。

 そんな単純な理由が、勇香が口に出すことを拒んだ。


「聖ヶ崎さん」


「もぅ、いいですか?」

「え?」

「私が先生に話すことなんて、本当に何もないので」

 

 勇香は自分から教師を突き放した。そうすれば、これ以上詮索しないでくれると思ったからだ。

 魔法を教わる。教師にされることは、それだけで十分だ。それ以上もそれ以下もいらない。余計なお世話なんてしなくていい。


 勇香は自暴自棄になった。この先の未来はどうせ暗闇なのだ。高き崖に閉ざされているのだ。

 この際嫌われても構わない。惨めなままでも構わない。自分のしてしまったことだ。すべて自分が悪いのだ。だからそのまま、心まで永久に閉ざしてしまえば──



 教師の眼は、勇香の華奢な双肩に向けられていた。その肩の竦みを、教師はずっと感じ取っていた。


「……!?」


 次の瞬間。教師は無言で勇香の身体を抱きしめた。

 教師の身体の熱が、地下の冷気で冷たくなった勇香の肢体を暖める。勇香を抱擁したまま、教師は小さく言葉を紡いだ。


教師私たちの仕事はね、教え子たちに知識を与える。それだけじゃないわ。教え子をのも仕事なの」

「……」

「被害者だろうが加害者だろうが関係ない。何かの圧力があってもね。生徒のために救いの手を差し伸べるのが、私たちの役目よ」

「……」


 何も言い返せなかった。顔は見ずとも、教師の重圧のある一言一言に、身体が委縮してしまった。


「全ては光り輝くあなたたちの未来を、発展途上の悪戯心で腐らせるわけにはいかないから」

「……っ」


 教師は勇香と離れ、肩を掴んだまま視線を合わせる。

 そして、優しい声音のまま、


「お願い、話して」

「……っ」

「あなたには救われる権利があるわ。義務があるわ」

「……」

「そして私にはあなたを救う義務があるの。それと同時に知る義務もある」

「……」

 

「もしあなたが今まで誰も頼れずに、また助けを求めようにも周りの人たちが誰も見向きもしていなかったとしたら、それは私の責任でもあるわ。ごめんなさい」

「な、なんで先生の……」


 ようやく口を開けてくれたわねと、教師は一言添えて。


「だって私も、聖ヶ崎さんに見れば同じでしょ?」

「ち、違う……先生のせいなんかじゃ……!!」

「だからこそ、私はあなたが今まで誰にも言えなかったこと全てを聞きたい。私が一番最初の、あなたの味方になってあげたいから」

「私は……弱いから。話したら、みんなに呆れられちゃうかもしれないから……」


 ぽろりと、そう漏らしてしまった。その悲痛な声音に、教師は首を横に振る。


「ううん。そんなこと心配する必要はないわ。私はあなたの話を聞いても絶対に呆れたりしない。嫌いになったりもしない」

「なん、で……?」

「だって私も同じだもの。私だけじゃない、人間はみんな弱い生き物なの」

「……っ!」

「私も悲しむこともあるし、自分を嫌になってしまうこともある。でもね、そんな弱さを乗り越えられるからこそ、私たちは強くなれるわ。むしろ溜め込んでいるままでは、あなたは弱いままよ?」

「……っ」

「だからね、全部話してすっきりしちゃいましょう?そして一緒に乗り越えましょう。そうしたら、あなたは強くなれる。成長できるわ」


 教師はニコリと微笑んだ。

 

 なんで、なんで、そこまでするのだろう。魔法を教えてくれるだけで構わないのに。余計なお世話なんて、必要ないのに。 

 勇香は、大量の涙と共に。


「……されたの」


 衝動的に言葉が出た。


「嫌なことを……されたの……」

「……っ」


 その瞼からは、とめどなく涙が流れ落ちている。


「助けて……お願い……」


 バサッと、勇香は自ら教師の胸へ飛び込んだ。そして涙ながらに助けて、助けて、と繰り返す。その声は、これまでのを含んでいるように。


「私を……助けて……」


 教師は溢れ出る涙と勇香のしわがれた顔に呆然と口を開ける。だがふっと口元を緩ませて、


「そう、それだけ聞けて良かった」


 そう言って、差し出された華奢な勇香の身体から離れる。


「遅れてしまったけど授業にしましょうか。さっ、教室に向かいましょう」

「はい」


 微笑みかけながら、教師は促す。その瞳は、強く燃え上がっていた。


 *


 結局。教師との授業は、勇香への聞き取りだけで終わった。

 

 ──初めてだった。


 生まれて初めて、ありのままを伝えた。


 陰口を、恫喝を、嫌がらせを、

 虐めを、辱めを、屈辱を、

 数え出したらきりがない。

 今日までに起こった全ての出来事を、


 隠し事せずに教師に伝えた。

 話し終えた頃には、教師はニコリと笑みを零していた。


「元気ないじゃん。どうしたの?」


 放課後。ロッカーで荷物を漁る勇香の隣で、同じくロッカーに荷物を入れている陽咲乃が尋ねてきた。


「い、いや、何も」

「むむぅ~!」


 頬を膨らませながら殊更に顔を近づけさせる陽咲乃。

 そんな姿に勇香は一筋の汗を垂らして苦笑い。

 と物語っている顔に勇香は観念して、


「ちょっと、いざこざがあって」

「そう」


 息を吐いて顔を離し、ロッカーの扉を閉める陽咲乃。


「まぁ、大体首謀者は分かるけどね」

「首謀者……?」


 ぽつりと呟いた陽咲乃に、勇香は首を傾げた。


「そうね。向うだけ素性割れてないのも腹立たしいから。この際教えてあげる」


 ガチャリと扉を施錠すると、


「金髪の目つき悪い方が藤堂とうどう梨花りか。黒髪くせっ毛が金丸かねまる絵梨奈えりな

「藤堂……金丸……」

「ここであの二人の陰口を言うわけじゃないけど、どっちも典型的な不良ってことは言っておく。清純派ギャルのアタシとは違ってね♪」

「陽咲乃ってギャルだったの……?」

「勇香も十分同類じゃない?」

「こ、これは仕方なく……!!」

 

 咄嗟に金色の頭を覆い隠す勇香に、陽咲乃は微笑する。

 だが直ぐに真顔に返り、


「ていうか、金髪ってだけでギャルと決めつけるのは偏見と言うか……」


「それで、アイツらから何をほざかれた?」

「えっ」


「なんか良からぬことを言われたってのは見え見えなんだけど」

「あ、はは……」


 再度問いかける陽咲乃に勇香は、


「ちょっと、揶揄われただけ」

「ならよかったけど」


 そう口ずさむ陽咲乃の瞳は、冴え冴えした眼差しで勇香を見つめていた。


「もし取引紛いな事されたら、直ぐにアタシを呼んでね」

「う、うん」


「よーっし。じゃあ帰ろっか。帰り何処か寄る?」

「げ、ゲーセンとか行きたいな」

「いいね!プリ撮ろプリ!!」

「ぷ、プリ!?」


 勇香は動揺しながらも、揶揄う陽咲乃に付き添った。












「なんで、アイツなんかと仲良く……」

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