第25話 これが現実

 勇香にとってその出来事は、衝撃的の他なかった。

 それはまるで、決して途切れることなかった雲間に、一筋の斜陽が差したように。

 自らに“惨め”を押し付けた運命に、一人の少女が抗う術を与えてくれたのだ。

 それも、明らかにクラスの中心に君臨していそうな少女が、だ。

 その少女──陽咲乃は勇香の横を共に歩きながら、ぐっと手を伸ばしている。


「あああぁぁぁーすっきりしたぁ!!!」

「な、成川さん……?」


 晴れやかな表情で手足を動かす陽咲乃に、勇香は戸惑いを隠せずに呼びかける。


「言いたいこと言えたー!アリス先輩の煽りテクを参考にしたの!!」


 嬉々として喉奥から声を上擦らせ、勇香に話す陽咲乃。

 しかし、勇香は苦笑交じりに顔を暗くする。

 この状況を、感情を、どう処理すれば良いのか分からないのだ。

 なにせ諦めていたのだから。運命を見捨て、自分はもう“惨め”なままが“現実”だと、投げ槍になっていたのだから。

 今でさえ、これが夢ではないかと猜疑心に駆られてしまう。

 今更、誰かが自分を救ってくれようが信じられない。これが現実だとは信じれない。はずだった。


「あの、私……」

「今ので、彼女らの心に響いたかどうかは分からないけどさ」


 すると、陽咲乃は赤みがかった頬に指を添え、


「ごめんね、アタシにできるの、これくらいだから」

「あの、なんで……?」


 信じられない。信じられない。勇香は陽咲乃に問いかけた。

 そのパープルの瞳には既に一滴の雫が備わっている。

 

 陽咲乃はその言葉を待っていたかのように、激越した感情を勇香の両肩に委ね、そのまま勇香をズルズルと押していく。その衝撃で、雫が飛び散った。


「な、成川さ……」

「ずっとずーっと見てたの!キミのことを!!そんでさ、カッとなっちゃって。代表委員としてもアタシのプライドとしても、誰かを虐めるクソッたれは絶対絶対ぜっっったい許せないから!!!」


 そしてその勢いのままに、壁に勇香の華奢な身体を押し付けると、陽咲乃にんまりと笑みを零した。


「そんでさ、ヒーローっぽく懲らしめてやりたくて、アタシそう言うの超憧れてるから!後をつけて機会をずーっと伺ってたんだ!」

「……!」

「その間も教科書を水の中に沈められちゃったときは、この上ない怒りを覚えたし……魔王軍のスパイって言う噂を信じ込んだ上級生が聖ヶ崎さんに剣を向けた時は、流石にビビっちゃったけど」

「もしかして、聖奈さんを呼んだのって……」

「でもごめん、今まで何もしてあげられなくて。聖ヶ崎さんが傷ついているのを、ただ遠くから見ているだけで。本当に、ごめん」

「ぐす……ひぐ……す、すいません……」


 勇香はこみあげてきた感情のままに、大粒の涙を漏らし咽ぶ。


「辛かったよね。でももう平気」


 そんな勇香を、陽咲乃は優しく抱擁する。


「これからキミを虐める輩も出てくるかもしれないけど、その時はアタシが虐め返してやるから」

「成川さんは、私が生徒会に入ったことを恨んでいないんですか?」


 涙ぐんで、勇香は掠れた声で陽咲乃に尋ねる。


「そりゃ恨んでるよ。アタシだって生徒会目指してんだから。見ず知らずの女の子に先を越されて悔しくないわけないよね?」


 抱きかかえられながら、陽咲乃は皮肉交じりに言葉を綴る。


「ごめんなさい」

「あはは、それすっごい煽り」

「……ごめんなさい」


 俯いてしまう勇香に、陽咲乃はぷっと笑いを吹き出し、そして澄んだ黄金色の瞳で正面を見つめた。


「でもね。どんだけ悔しがったって、キミが生徒会に入った事実は変わらない。恨みつらみでキミを罵倒したって、痛めつけたって、キミが傷つくだけで他は何も変わらないでしょ?」

「……」

「だからキミを罵倒したところで、アタシにもキミにも何のメリットもない。だったら寧ろキミと親交を深めて、生徒会選挙でアタシを推薦してくれたらなーって思っただけ!」

「……っ」


 陽咲乃はばっと勇香から離れ、満面の笑顔を垂らす。


「ふふっ!嘘!!野心を口に出すわけないでしょ!」


 勇香はそれを茫然と眺めていた。


「少なくとも、アタシはキミが不正を働いたなんて思ってない。魔王軍だって……そんな馬鹿げた話、アタシは信じない」


 陽咲乃はおもむろに、勇香の背後の窓から外の景色を見やる。

 雲一つない青空だ。太陽が燦燦と輝きを放っている。


「アリス先輩がキミを選んだのには、何か理由があったんだと思うよ」

「……っ!」

「アタシは彼女らに、陰口を言う事がどれだけ無意味な事か教えてあげただけ」


 そう言い終えた陽咲乃は、制服のポケットからスマホを取り出す


「あ、そうだ。一年のグルチャ入れてあげるね」

「え……?」


 きょとんとした勇香を尻目に、陽咲乃は軽快にスマホを操作する。

 その合間に、勇香は改めて陽咲乃の容姿に目を向けた。

 短く切り揃えられた灰色の艶めいた髪。

 中性的で、それでいてきりっとした端正な顔立ち

 凛とした煌めきを解き放つ黄金色の明眸。

 乱れ一つなく着こなしたブレザーは、スッと引き締まった体型にとてもよく似合っている。その中に、申し訳程度のお洒落な狐?の耳飾り。

 美しい。ボーイッシュでいて、女性的な色めきを残す彼女の容貌。

 勇香は思わず、頬を綻ばせてしまう。


「なぁにアタシの顔見てニヤニヤしてんの?」

「あ、すっ、すいません。お美しいなと思って」

「ぷっ、ぷぷぷ……気付くの遅いっても~。ていうか今なの?アタシの美貌に気付くタイミング」

「あ、あはは……」

「とぅいったーとインスタはやってる?」

「つ、Twitterはやってますけど、見るだけだし鍵垢だし、特に何もツイートとかはしてないです」

「そうなの、じゃあLINEだけ交換しよっか」

「は、はい……」


 そう言って、陽咲乃はSNSのQRコード画面を差し出す。

 勇香はそれに応じ、自身のスマホでQRコードを読み取った。


「ど、どしたの?」


 スマホを掴む、勇香の手が震えている。

 見ると、額にも枯れたはずの涙が流れていた。

 しかしそれは、破顔した故の──嬉し涙だった。


「私、幸せです……成川さんと出会えて」

「感極まれりってやつ?どうする?このままアタシが生徒会の推薦を要求してきたら?」

「そ、その時はその時で……」

「くくっ。キミ、騙されやすい性格みたいだからこれから気を付けなよ?」


 友達登録を終えると、陽咲乃はにこりと勇香を見つめた。


「えっと、成川さ……」

「陽咲乃でいいよ」

「陽咲乃さん」

「違う違うもっと砕けて」

「陽咲乃ちゃ……」

「もーアタシちゃんとかさん付けされるの嫌いなのー」

「でででもいきなり呼び捨てなんて失礼と言うか!?」

「ほら、もう友達なんだから、失礼なんて、ないでしょう?勇香」


 そう言って、陽咲乃は手を差し伸べる。

 信じられない。今まで妹以外の誰にも、名を呼び捨てで呼ぶことはなかったのに。


「大丈夫。アタシはもう、勇香の友達」


 信じられない。信じられない。

 信じられない。




 信じられない



 だけどこれが、“現実”だ。


 陽咲乃と手を繋ぐ。この瞬間こそが、紛れもない事実だ。

 勇香はそっと、陽咲乃の手を受け取った。


「はい。陽咲乃」


 その瞬間、勇香は微笑んだ。


「うん、よろしくね」

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