第23話 憐憫 ー転校6日目ー 

 勇香が転校してから六日目。


 昨夜は、勇香がこの世界に来てから一番の慟哭を流した。

 その理由は単純な噂からだった。 


「魔王軍のスパイ」


 それを信じ込んだ名も知らぬの生徒に剣を突き立てられ、あまつさえ“死”寸前にまで至ってしまった。


 臨死体験なんて、勇香も生まれて初めてだ。


 勇者として頭角を現した頃には、そんなの日常茶飯事だろうが。

 少なくとも、今の勇香にはそれに耐えきれるほどの精神力メンタルは持っていなかった。

 しかも、魔獣などではなくだ。

 その事実は、流石にくるものがある。


 結局、その日は悲愴に暮れ、食べ物も喉を通らずに、

 ゲームに身も心も委ねたまま、ゆっくりと眠りの底に沈んでしまった。


 次の日。ベットで寝込んだまま、未だに荒んだ感情で決意した。


 ──学校を休もう


 今までどんな理不尽にも耐えて、耐えて、耐えてきた。

 例えどんな噂が流れても、どんな嫌がらせをされても、屈することなく学校へ行き、学園統括委員会の意向ままに授業を受けた。

 けれど、もう限界だった。


 自分が学校に来ていないことで、生徒会のみんなは心配するかもしれない。

 なによりマンツーマンで授業をしてくれる教師に申し訳ない。


 そんな罪悪感を伏してまで、虚脱感が勝った。


 時刻は午前七時。

 勇香は布団に包まり、朝の陽光に照らされながら瞳を瞑る。

 いつもなら、この時間は嫌々ながら布団から這い出て、洗面台で洗顔と歯磨きをしているはずなのに。

 そう考えつつ、勇香はゆっくりと夢の底へ落ちる。


 それは、午前九時を回った時だった。

 カンカンと耳をつんざくような鐘の音が響き渡り、勇香は衝動的に目を覚ました。

 ベットからむくりと上半身を上げると、瞼を擦って状況を確認する。

 その音は、来訪者を告げる鐘の知らせだ。


 こんな時間帯に誰が……


 勇香はよろよろと階段を降り、玄関に向かった。

 数回鐘を鳴らすだけで扉は開くというのに、訪ね人は未だに煩いほどの鐘の音を鳴らしている。

 その音を止めたいがために、寝起きで脳がまだ覚醒していなかった勇香は特に誰かを確認することなく扉を開けてしまった。


「やほーアリスちゃんが来たよー!!!」


「アリス、さん……」


 その人物は、白髪の左右非対称の瞳をした少女、アリスだった。

 アリスは相変わらず、能天気な口振りで勇香に話しかける。

 実に久しぶりだ、四日ぶりってところか。

 そんな思考も遮るほど、続けてアリスは甲高い声で勇香を咎める。


「ちょっとちょっとー!勇香ちゃんが来てないとの、よーこせんせーの知らせで来てみれば、なんでまだパジャマなの!!」

「あ、いえ、これは」

「だめでしょ!学校行かなきゃ!今すぐ支度するよ!!」


 そう言って手を握られ、二階へ連れ込もうとしたアリス。

 そんなアリスは知るはずがないだろう。


 勇香が同級生から被っている屈辱を。


 理不尽にも下された無慈悲な宣告を。


 もう嫌だ。地獄はこりごりだ。

 誰かに言葉の刃を刺されるのも、武力で痛めつけれるのも、もう十分だ。

 勇香は抵抗するように足を竦め、己の意志を解き放つ。


「行きたくないです」

「なんてった?」

「行きたくない、です」


 アリスはきょとんとした顔で、勇香の言葉を復唱する。


「行きたくない?」

「はい」


 勇香はコクリと頷く。

 アリスは放心してしまったようだ。


「すいません。でも、行きたくないんです」


 理由までは、話せなかった。

 すると、アリスは──


「ダメだよ~!を持て余しちゃ!学校には行きなさい!!勇香ちゃんはいずれ魔王を倒す英雄になるんだから!!!」

「えっ」


 そう言って、無理やり手を引っ張られた。

 戒めるようで、それでいて冀望きぼうに破顔しながら。

 気持ち悪い程に、その笑みは狂気じみている。

 

 そうだ。逃避なんてできなかったのだ。最初から。

 アリス、そして学園統括委員会の目から逃れるなどできるわけがなかった。

 勇香の抵抗なんて、から見ればただの茶番だった。 

 そのまま勇香は、抗うことなく学校に行った。


 *


「えーと、今日から中級魔法の実習を始めていくわけだけど」

「はい」

「ねぇ、大丈夫?」

「何が、ですか?」


 教師は勇香の顔色を案じ、愁眉を顔にのせて勇香を見つめる。

 当然の反応だ。瞼には濃い隈ができており、げっそりとやせ細った顔は表情に乏しく、ただ虚ろな目で教師を視界に収めているようだった。


「酷く、疲労困憊のように見えるけど」

「大丈夫ですよ。続けてください」


 勇香は平然とした口調で催促するが、教師にはとても授業を行える容態には見えなかった。


「……やっぱり駄目よ」

「……っ」

「なんで今日、学校を休もうとしたのかわからなかったけど、そう言う事だったのね」


 教師は一度考えこんでから、きっぱりと告げる。


「教師として、あなたを育てる立場として見過ごせないわ。学校に来てもらったばっかりで悪いんだけど、今日は家に帰って、ゆっくり寝なさい」

「……」

「大丈夫、アリスには先生からきつく言っておくから」


 教師は頼もし気な微笑で勇香に言い放つ。

 しかし、教師の頼もしさも、あちら側には微塵も通じない。


「……続けてください」


「え?」


「続けてください」


 教師の慈悲ある提案も、勇香は一蹴する。


 仮面を被ることにした。逃げられないのなら、自分を演じることにした。

 いずれ魔王を倒す勇者となるため、ひたすらに魔法習得に励む自分、と。

 それは、教師にとっても徳なことだ。

 なにより身に降りかかる“痛み”も少しは減らせるかもしれない。


「……無理だけはしないでね」

「はい」

「じゃあ今日からは、詠唱不要な中級魔法を教えるわね」



 授業後。次の教室に向かうため、勇香は無心で廊下を歩いていた。

 道中、すれ違う生徒たちからそこかしこから陰口の刃が──


 しかし、勇香はあっけらかんと受け流す。

 “慣れ”もあるだろうが、“演じている”からが大きい。

 周りの有象無象は、魔王を倒す程の才能を持つ自分への羨望に過ぎないのだと。

 吐かれた暴言の数々は、才能ある故の弊害なのだと。


 ──運命だから、仕方ないのだと。


 と、前方から見慣れた二人の少女が此方に歩いてくる。

 薄灰色の髪を右側頭部に纏めたボーイッシュな少女と、ストロベリーブロンドの髪の少女。麻里亜と聖奈だ。

 

 流石の勇香も、その二人にだけは演じ続けることは叶わなかった。

 咄嗟に身を隠そうとするも、うまく隠れるスペースはなく。

 不覚だった。心配をかけさせないため、そして惨めな自分を露呈させないために、敢えて生徒会役員からは距離を置いていたのに。

 昨日の一件があってから、完全にそれを忘れていた。

 案の定二人は勇香を視界に留めるなり、物憂げな表情で近寄ってくる。

 

「「勇香ちゃん!!」」

「……っ」


「大丈夫!?無理してない!?」


 聖奈は、必死の形相で勇香の腕を押さえつける。

 その時だけ、ばったりと陰口が止んだ。


「聞いたっすよ。勇香ちゃんに対する変な噂が広まってるって」


 麻里亜も両手を後頭部の後ろに組みながら言い漏らす。 

 

「最近生徒会室にも顔出さないから、心配になって……」

「仮にも同じ生徒会役員なんですから、何かあったんなら相談してくださいよ」


 麻里亜の言葉も、勇香に首を横に振る。


「何も……ないですよ……」

「何もないワケないでしょ、そんなやつれた顔で」


 麻里亜は的確に指摘するが、勇香は聖奈の手を振り切ると先を急ぐ。


「すいません、今急いでるんで」

「だめ」


 しかし、勇香の腕を聖奈はぎゅっと強く握り締めた。


「離してください」

「ううん、離さない」


 勇香は手を振り払おうとするも、聖奈は固く握り続けたまま。

 聖奈は誓っていた。もう、絶対に逃がさないと。

 だが──


「……離して」

「……っ」


 下を向いたままぼそっと何かを吐いた勇香に、聖奈は呆けた顔で見つめる。

 その時、聖奈は気付けなかったのだ。

 勇香の湿きった感情は──聖奈の対応では逆効果だと。


「……離せよ」

「何……?」

「離してよバカ!!!」

「えっ……」


 気が動転して、聖奈は反射的に力を緩めてしまった。

 それを好機に勇香はばっと聖奈の手を離し、廊下を駆けて去って行く。


「やっぱり、勇香ちゃんは私たちの事」


 不幸にも、今の一件で聖奈は確定付けた。

 勇香は生徒会を頼っていない。

 そのショックは、生徒会を頼りの場だと勇香に謳った聖奈には大きかった。

 

「どうですかねー」

「麻里亜ちゃん?」


 麻里亜は両手を後頭部に組みながら、消えていく勇香の影を俯瞰して眺めている。


「今のはどう見ても、勇香ちゃんの方に問題があるように見えましたけど」

「それって」

「精神的にもきてるみたいですからね。いつ決壊してもおかしくないくらいに」

「え?」

「いや、もう一度決壊してたんだっけ」


 当然の如く口にする麻里亜に、聖奈は首を傾げる。


「だって、言質取れてるんですもん」

「言質?」


 *


 勇香はひたすらに廊下を行く。

 周りから、何度陰口が飛び交ってきてもだ。

 “演じる”ことで、感情が揺らぐことはなくなった……はず。

 

(……っ!?)


 突如、足の踵に重心の負荷を感じ、前屈みに転倒する。

 むくりと起き上がって膝をつくと、背後からクスクスという嗤い声が聞こえた。

 

「ごめん、踏んじった」


 振り向くと、女子生徒二人がこちらを見て嘲笑を浮かべていた。


「ちょっとー前見て歩かないとダメでしょー」

「だってコイツ存在感薄いんだもん」

「何それ。ウケるんだけど。ほら早く逃げよ、魔王軍に襲われる」

「こっわ。はよはよ」


 そう言って、二人は何事もなかったかのように立ち去った。

 勇香は制服に付いた埃をはたきおとすと、再び平然を装い去って行く。

 気にしたら負けだ。

 もし嫌がらせに屈せば、彼女たちの行為はさらにエスカレートする。


 演じ続ければいい。


 この胸のズキズキは、きっと偶然によるものだ。

 勇香は嗤い声が響き渡る廊下を、スタスタと抜けていった。


 *


 夕暮れと共に帰宅すると、その足で向かったのは三階の寝室。

 寝室の扉を開けると、リュックサックを投げ捨てて真っ先にベットに潜り混む。

 そして「才能ある自分」という舞台から降りると、一人だけの布団の中で泣き寝入る。

 ひたすらに慟哭し、今日一日の“痛み”を嘆く。

 思えば一週間ずっと、こんなことを繰り返してきた。


「うぅ……もうやだ……もぅやだよぉ……」


 布団に仰向けで蹲り、シーツを力のない両手で掴む。

 溢れ出る涙をそれで拭い、荒い呼吸で泣き叫ぶ。


「私が何をしたの!!!何もしてない!!!!!何もしてないもん!!!!!!」


 日中、口々に根も葉もない噂を零す彼女たちに、勇香が大声で叫びたかった本音。

 皮肉にも誰もいないこの場所でなら、好きに叫び散らせる。


「痛い……痛いよ……」


 肘から痺れるような痛みが走る。

 学校にいた時から、ずっとだった。


 見ると、浅い擦過傷ができていた。恐らく転倒した時にできたのだろう。

 その痛みが、勇香の悲愴感を更に増幅させていく。


「うぅ……うぁ……あぁ……」


 今日はとびきりに泣いた。泣きまくった。

 涙が枯れる頃には、外はすっかり暗闇に包まれていた。

 腫れぼったい瞼で、布団にくるまったまま、勇香は枕元に手を伸ばす。

 そこに置いていたスマホを手に取り、布団の中で起動する。

 そして、無心でスマホゲームをプレイする。


「えへへ……楽しぃ……楽しぃよ……」


 掠れた声で、にやりと笑う。

 

「楽しいな……楽しいな……ぁ」


 そして、今日は食事も摂らず、そのまま寝入ってしまった。

 でも、もういいのだ。こんな惨めな人生ははなから諦めてる。

 もういっそこのまま、何も食べず、静かに、永遠の夢に落ちてしまえば。

 今となっては、それすら望んでしまっていた。


 ──そして、一週間が過ぎた。

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