第22-2話 奇襲 ー転校5日目ー (2)
「さて、今日も授業を始めるわよ」
「はい」
「どうしたの、元気ないわね」
女性教師は視点を下して小声で呟く勇香に尋ねた。
「何か嫌なことでもあった……?」
「あ、いや……」
嫌な事なんて、言いたいことはたくさんある。
しかも、さっき思いもよらない宣告をされたばかり。
少女の宣告の意味を汲み取ると、一週間以内にこの学園を自主的に去らなければ、何かしらの暴力を振るうという事だ。
しかしながら、学園を立ち去るなんて勇香にはできるわけないだろう。
まだこの世界に来てまもない勇香が、この広い裏日本の大地を彷徨っても飢え死にする未来しか見えない。
もしくは、魔獣にその身を喰われてしまうか。
かといって学園に残っても、少女たちから日夜暴力を受けるだけ。
その痛みは、ずっと昔から嫌ほどこの身に染みついている。
右腕に奔る引き裂かれたような傷跡も、その一つ……
「っ!!!」
嫌な過去を思い出し、勇香は咄嗟に首を振るった。
でも、こんな自分にどうすればいい。
二つの選択肢のどちらかを選ぶしかないのか。
嫌だ、暴力を受けるのは嫌だ。
無理、一人で学園を去って裏日本を彷徨い歩くなんて無理。
どっちにすれば、どっちなら──
「ねぇ、どうしたの?」
教師は胡乱な目で、考え込んでしまった勇香を見つめてくる。
その時、勇香ははっと教師の瞳を見やった。
──もう、言ってしまおうか。
今まで自分が受けた傷を全て、洗いざらい教師に話してしまおうか。
幸い証拠なら揃っている。リュックサックの中に入っている湿った教科書も十分な証拠になる。
もしそれを話せば、教師は疑いもせずに信じてくれるだろう。
そして、この嫌がらせにも終止符が打たれるかもしれない。
「あの……」
「どうしたの?」
勇香は、意を決して口を開いた。
「あの……」
「……?」
教師はぼんやりと勇香の話に耳を傾ける。
「あの……」
「聖ヶ崎さん……?」
「あ、あの……あの……」
「な、何かあったの?」
「あの……あの……あの……」
言えない。そのことを口に出せない。
「あ、えっと、その」
無理だ。話すなんて無理だ。
「えっと、聖ヶ崎さん」
「すいません。なんでもないです。続きをお願いします」
「そ、そう」
教師に不審がられてしまった。
とうとう、その事実を口に出せなかった。
心配させたくなかった。自分に優しく接してくれる人に。
なにより、怖かったのだ。惨めな自分を知られてしまうのが。
結局、自分は変わらないままだ。
教師はそのまま、授業を続けた。
*
それは全ての授業が終わり、帰路に就こうと地下の廊下を歩いている時に起こった。
早く帰って、ゲームをしよう。鬱憤を紛らわすためにも。
その一心で、勇香は周りの状況を視界に入れず進むべき道だけを見て歩いていた。
──その時だった。
その一撃は、勇香の背後から放たれた。
突如ブンと風が裂く音が響き、驚いた勇香は咄嗟に前屈みに転倒する。
振り向くと、勇香よりも、いや妃樺よりも小柄な少女がはぁはぁと息を巻いていた。
知らない少女だ。
しかしそれよりも、その少女の手に握られていたのは、
「──!!!」
──剣だった。
勇香は震撼し、一気に顔を青ざめた。
銀色の長剣のフォルムが、薄暗い廊下にきらりとした光を放っている。
遠目から見ても分かるほど、剣の鉾先は此方に向かれていた。
少女は剣を構え、何かを小声で呟きながら倒れ伏す勇香の元にじわじわと近づいてくる。
勇香は焦燥気に辺りを見回すが、近くには誰もいない。
つまり、助けは来ない。
勇香は近寄ってくる少女に大声を出して牽制する。
「ちょ、ちょっと待って!!!私は何も……!!」
「うるさい、黙れ魔王軍」
「ま、魔王軍……?」
勇香は思わずその言葉を繰り返してしまった。
「魔王軍って……どういう……」
「私の友達から聞いたの。あなたが魔王軍のスパイだって」
「魔王軍の……スパイ!?」
勇香は驚愕して、少女を見やる。
「ち、違う!!そんなの出鱈目!!!私は……!!!!」
「倒さないと……私が、この学園を、救うんだ……」
勇香の必死の説得も少女は聞く耳を持たず、ただ呟きを放って近づいてくる。
(に、逃げなきゃ!!!)
早く安全な場所に逃げないと。誰かに助けを呼ばないと。
勇香はすぐさま立ち上がり、廊下を駆け出す。
けれど、運命は簡単に勇香を見放した。
不幸にもその時に通っていた廊下は、勇香にとって初めての道だった。
そして、地下に埋めく廊下は蜘蛛の巣のように幾重にも重なっている。
故に、道を分かっていないと簡単に迷ってしまう。
案の定勇香は本来帰るべき道を外し、明かりの消えた教室へ続く道に入り込んでしまった。
その間にも、少女は勇香を追いかけてくる。
扉をあけようとするが、施錠されていた。行き止まりだ。
「お願い、やめて……!!」
勇香は涙ながらに懇願する。
「私は……なるんだ……強い勇者に……」
だが、少女の耳には届いていない。
「お願い……お願いだから」
「なるんだ、だから倒さなきゃ」
「お、願い……お願い……」
「倒さなきゃ、倒さなきゃ」
勇香は悲愴に暮れ、扉に項垂れてしまう。
少女は勇香が動かなくなったことを好機とし、少女は剣を後方に構える。
「倒さなきゃ」
そして勢いのままに、剣閃を振るった。
「ひぃ……!!!」
勇香は衝動的に身体を扉に寄せてしまう。
だが、少女の不慣れな一閃は、勇香の頬を掠め取るだけに留まった。
抉られた皮膚から、血が滴ってくる。
勇香は頬に走った痛みを手で押さえ、ぐっと少女を見やった。
「もう一回」
少女は今度、剣を振り上げる。
今度こそ、もう終わりみたいだ。
少女は獲物を取り逃がさぬよう、ひしひしと間合いを詰める。
勇香は、既に逃げる気力すら抜けてしまった。
──これが、私の運命だ。
勇香は暗がりの中、静かに、瞳を閉じた。
……
……
……
一体、どれくらい時間が経ったのだろうか。
勇香が目を覚ますと、視界には荒い銅色の天井が見て取れた。
後頭部に柔らかな感覚がある。触ってみるとそれは枕のようだった。
どうやら勇香は、何処かに寝そべっているようだ。
あれから、何があったんだろう。たしか、見知らぬ少女に襲われて、
途端、ズキズキと頭痛がする。
勇香はそれを紛らわすために、硬い地面に横向きになった。
その視界に、正座しているストロベリーブロンドの髪の少女の姿が入ってきた。
「あの……」
声をかけるなり、少女はちらりと此方を向く。
その顔は、この上なく剣呑としていた。
「聖奈、さん」
「気づいたんだね」
聖奈は淡々と勇香に語りかけた。
「知らせを受けて駆けつけたら、勇香ちゃんが気絶してた」
「……っ」
「お願い、何があったか私に話して」
聖奈は真剣な表情で勇香に語りかけた。
勇香は口ごもる。
「その顔の傷は何なの?」
なおも聖奈は、張り詰めた空気で質問を加える。
勇香は咄嗟に頬に刻まれた傷を押さえた。
だが、あろうことか傷口は塞がれている。聖奈が魔法か何かで治癒してくれたのか。
「あの、ありがとうございます」
「感謝なんていいから、お願い、話して」
「……えっ」
「誰にその傷をつけられたの?なにをされたの?」
「……」
「それを知るまで、私はこの場を離れない」
まるで、いつもの聖奈ではないように思えた。
聖奈からは、確固とした意志が感じられる。
勇香は観念した。
「剣を……向けられました」
「誰に!?なんで!?」
だが、言葉の先が詰まってしまう。
なんでなど、言えるわけがない。
「……っ」
──全ては、惨めな自分のせいだ。
そう言い詰めて、言い詰めて。
自分の中に溜め込んでいく。
大丈夫なふりをする。
全く変わっていない。昔の自分と。
「すいません」
「あ、ちょっと!!」
むくりと起き上がり、聖奈の制止を振り切って勇香は立ち去る。
聖奈が廊下の角を覗くと、勇香の姿は見えなかった。
「勇香ちゃん」
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