第22-1話 掩蔽 ー転校5日目ー (1)
勇香が転校してから五日。
早朝の生徒会室には珍しく、ほとんどのメンバーが出揃っていた。
生徒会室の空気は、どこかどんよりとしている。
生徒会長の椿川愛華はピリピリと眉を寄せ、腕を組みながら生徒会長席の前で行き来を繰り返していた。
燻ぶった感情のまま、瓦解しない葛藤にけりをつけようと脳内を巡らせているからだ。
そこで何かが吹っ切れたかのように、ふと愛華は応接ソファでゲームに熱中する交流担当の麻里亜に話しかけた。
「ねぇ、麻里亜」
「なんですか?会長」
麻里亜はゲームを中断し、ソファの後方で立ち尽くす愛華に顔を向けた。
傍らには、同じゲーム機を手に取る書記の聖奈も憂えた面持ちで二人を見つめている。
「勇香の様子は、どうかしら」
「……」
麻里亜は愛華の問いを躊躇い、背を向けて押し黙ってしまう。
しかし、背後から継続した愛華の視線を感じ取り、嘆息を吐いて背を向けたまま告げる。
「知らんっす」
「知らないって、どういうことなの?」
「ボクたちも順次校内を巡回してるんですけど、勇香ちゃんの姿が全然見当たらなくて……授業には、出てるみたいなんですけど」
「そう」
麻里亜の声に紛れたやり場のない悲痛が、愛華の胸を突く。
「心配、だわ。勇香、みんなから酷い目に遭ってないといいけど」
「遭ってる、みたいですよ」
「遭ってるって、麻里亜ちゃんどういうこと?」
思わず沈黙してしまった愛華に代わって、聖奈が目を丸くして尋ねた。
「どうやら、勇香ちゃんの評判を著しく下げるような悪意ある噂が生徒中に流れてる、らしいです。聞くところによれば、上級生にも広まってしまっているとか」
「それは本当なの!?」
「ボクも情報を得るのに結構手間取ったっす。なにしろ、ボクたち生徒会役員を前にすると途端に噂の流れが断ち切れるんすもん」
「そうなの……」
「だから、噂の拡散に加担してなさそうな二年三年に二日かけて聞き込みしたんです。そしたら、そんな答えが返ってきました」
麻里亜から次々と吐露された衝撃の事実に、愛華は胸が締め付けられる感覚を催し胸を押さえつける。
「それで、噂の内容と言うのは……?」
「勇香ちゃんが何らかの不正を使って生徒会に入った。そこから派生していろんな噂が出回っているらしいです。全部は、ボクも把握しきれませんでした」
「そう、ありがとう。流石の仕事だわ」
「褒められてもうれしくないっすよ。調べるだけで、勇香ちゃんには何もしてやれないんですから」
何もできない。それが、麻里亜にとってどれだけ辛い事かは、同じ思いを持った愛華にも分かっていた。なんとか、勇香を救い出す方法はないものか。
「とりあえず勇香を見つけて、生徒会室まで足を運んでもらうことが先決ね。それで、みんなで何かできないか考えましょう」
「それができたら、聞き込みなんて苦労はしてないっすけどね」
皮肉交じりにゲーム機を手放し、応接テーブルに足をかける麻里亜。
「もうボクのスキルを使うしかないんですかねぇ」
「それはダメよ。いくら彼女達にでも、学校で使うのは禁じたはずでしょ」
「そっすけど」
「あの、私たちで勇香ちゃんを生徒会から脱退させてあげることはできないんですか?」
「私だって会長権限でそれくらいの事はしてあげたいけど……それができないのが実情なの。だって勇香を生徒会に抜擢したのは、他でもない学園統括委員会なのだから」
「……っ!!」
はっと、聖奈はその事実を思い出す。
勇香を生徒会に強制所属させたのは、まごう事なき学園統括委員会だ。
そして、それが意味するものは──
「勇香の生徒会所属に対する抗議文や反対の署名の数々は随時生徒会室に届いているらしいけど、全て学園統括委員会によってハネられてるみたいなの」
「そんな……」
「それほどまでしてなんで、学園統括委員会は勇香ちゃんを生徒会に居させたいんですかね。他人の魔力を覗けないボクにはさっぱりっす」
そう言って、麻里亜は横目で愛華に視線を移した。
その視線に組み込まれた疑問を読み取った愛華は、答えを待ち望む麻里亜に語りかける。
「はっきりとは私も分からない……けど、勇香の魔力はなんというか、途方もないの。下手したら、私や聖奈をも超えるほどの力量を有しているかも。彼女たちがなんとしてもその才能を開花させたいのは理解できるわ」
「そっすか」
愛華の説明に頷きながらも、麻里亜は肝を冷やしてしまう。
下手すれば愛華や聖奈すら超越する。それすなわち、学園でも、いや現存する全勇者の中でもトップクラスの魔力保持者になるということ。
「でも、才能ばかりに固執して、勇香の尊厳を完全に無視している委員会のやり方は、間違っている」
「やっぱり、私たちの手でなんとしても勇香ちゃんを探し出します」
「そうね、私も空いてる時間に学園中を回って勇香を探すわ」
聖奈の決心に、愛華も同調する。
だが、麻里亜は──
「だから、それができたら苦労しないっすよ」
「苦労してでも探すのよ。それが私たちが勇香ちゃんに唯一してあげられることにつながるんだから」
「そうっすよ……そんなことわかってます……でも現に見つかってないのは事実じゃないですか!」
「ま、麻里亜……?」
二人の決意に気を害した麻里亜は、
その時、ずっとデスクで一人書類整理をしていた水色の髪の少女──副会長の黒野妃樺が、ぽつりと愛華を呼んだ。
「会長」
「妃樺?」
放心状態のまま、愛華は妃樺を振り返った。
「あの女を探すのは……時間の無駄かと思われます」
無情にも放たれた妃樺の言葉。
愛華は開いた口が塞がらずに、無言で妃樺を眺める。
だが、妃樺は言い終えるとすぐに仕事に戻ってしまった。
煮えたぎった気持ちのまま妃樺の言葉を耳に挟んだ麻里亜は遂に憤慨し、感情の荒波をぶつける。
「あんたねえ、この期に及んでそんなこと……!!」
しかし──
「麻里亜ちゃん」
「聖奈さん……?」
麻里亜の声を遮り、聖奈が真顔で妃樺を振り向いた。
「妃樺ちゃん」
妃樺は応えずに、振り返って鋭い視線を聖奈に向けるだけ。
「それってさ、勇香ちゃんが意図的に私たちと距離を置いてるってこと……?」
妃樺は頷くこともなく目を瞑ってしまう。
「だから、探すのは無駄だってこと……?」
だがその所作を、聖奈は“正解”と感じ取った。
「そんなの、認めたくないですよ。それってボクたちがそれくらいの存在ってことじゃないですか」
麻里亜はやるせなさにぐっと歯を噛み締める。
愛華にでさえ、無言で手を握り締めてしまう。
そして、静かにこう綴った。
「それくらいの存在なのよ。少なくともまだ、勇香にとって私たちは」
*
午前八時過ぎ。勇香はいつも通り学校に登校した。
しかし、その瞼はわずかに腫れている。
朝から慟哭をあげてしまった。
行きたくないと、嘆いてしまった。
けれど、時間は否応なく過ぎていく。
結局、罪悪感に伏してここまでやってきた。
廊下に着くと、いつも通りの陰口が聞こえてくる。
最早似たような内容を毎度のこと連呼しているだけで、無意識に耳にすら入れなくなった。
唯一変わった点は、日を追うごとに新たな噂が追加されていることだ。
『己の力と権力を使い、やがて裏日本の人々に独裁的な支配を行おうとしている』
相変わらず、事実無根も甚だしい。
そんなこと、するわけがない。百歩譲ってそのような奸計を企てていたとしても、それを口外することはまずないだろう。
だが、生徒たちはそれを信じている。信じる“ふり”をしている。それが現実だ。
昨日のこともあり、ロッカーは素通りして重い荷物を背負ったまま女性教師の待つ運動場に向かった。
だがその途中。何者かに腕を引っ張られ、勇香は人気のない廊下の一角に引きずり込まれてしまう。
その人物は、全ての嫌がらせの元凶を造った、二人の少女だった。
「きゃ!」
その一人、レモンイエローの髪の少女は、勇香を無理矢理に壁へと押し付ける。
そして自らも片腕を勇香の肩上の壁に浸け、殺気立った顔で勇香に肉薄した。
「お前、いつになったら学校辞めるんだ?」
本来の生徒会を辞めさせるという彼女たちの目的は、いつの間にか学校を止めさせることに
けれども、その要件は生徒会を辞めるよりも困難なことだと、彼女たちは分かっていないのだろうか。勿論、そんなこと面と向かって言えるはずはなく。
「やめ、られない……」
「そんなん聞いてねえんだよ。お前がいつ辞めるかって聞いてんだ」
「え……?」
「この学校から人知れずいなくなりゃいいだろ。誰もお前のことなんて探さねぇって」
少女の言っていることを、勇香は理解できなかった。
息を呑む勇香に、黒髪の少女が追い打ちをかける。
「あんたさぁ、自分の立場分かってる?」
「もうこの学園にお前の居場所なんてないんだよ」
続けざまにレモンイエローの髪の少女からも、無情な事実が投げかけられた。
「私は……」
しかし、何も反論できなかった。
それをいいことに、少女はさらに声量を強めて勇香に迫る。
「あぁ!?なんか言えよ!?」
少女の行っていることは、もはや恫喝だ。
勇香は少女の威圧に耐えられず、涙を漏らしそうになってしまう。
だが、制服の裾を握り締め堪える。
その動作を見ていた少女は、勇香に無慈悲な宣告を告げた。
「今はまだ言葉だけで事を済ませてる。だが、お前がこの先一週間学園に居座り続ければ、アタシらは強硬手段に出るぞ」
そう言って、少女は勇香の前に握り拳を振りかざす。
「──っ!」
「それまでに荷物片づけて消えろ」
すると少女はふっと嗤い、勇香から離れる。
そして去り際に、勇香に一言を放った。
「まあいいや、その前にアタシらが広めた新しい噂でくたばるだろうからな。反応を楽しみにしてるわ」
「噂……?」
勇香は呆然と、そう呟いた。
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