第21話 凄惨 ー転校3日目ー
※第22話~第25話はひたすらに胸糞描写が続きます※
※苦手な読者様は第26話までのスキップを推奨します※
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勇香が転校してから三日が過ぎた。
この三日間。勇香には時の流れが途方もなく膨大に感じられた。
まるで一日が一週間もあるように。
しかもそんな時間がこれからも続いていく。終わりのない現実。
勇香はいつも通り学校へ向かう。
エントランスから二階へ上がり、脳裏にきっかりとこびり付いた廊下にたどり着く。
そこでは例の如く、そこにいる生徒たちから陰口の刃が突き刺さる。
昨日の一件で、勇香を誹謗する文言は毒々しさを増していた。
「不正委員のご登場~」
「うっへ、昨日のことあったのにまだ学校来るんだ」
「ここにアイツの居場所なんてないのにね」
最後の言葉が、勇香の胸を深く抉った。
その通りだ。噂が上級生にまで広まっている以上、その言葉は確定事項である。
もう、自分が学校に来ることは無意味なのかもしれない。
「アイツ昨日相談相手を罵倒して泣かせたらしいよ」
「マジかよ。せっかく不正野郎に相談してきた優しい子なのに可哀そすぎでしょ。会長もよくそうなるまで黙ってたね」
「親の権力~には逆らえないってか?」
よくもそう、どう考えても虚言と判断できる噂を信じられるものだ。
否、勇香を“学校に来させない”ようにするための陰口の一環なのだろう。
彼女たちは勇香を自分らの縄張りから追い出すために、噂を信じる“ふり”をしているに過ぎないのだ。
そうだ。この程度の噂で屈してはいけない。耐えるんだ。
勇香は胸に手を当て、自身を鼓舞した。
皮肉にも勇香の心情を察したのか、それを見て気分を損ねた生徒たちから、更に陰口の応酬があちらこちらから飛び交ってくる。
勇香はその声を耳元から遮断するように、あくまでも真顔でその空間を通り抜けた。
やがて、ロッカーについた。
荷物を入れるためロッカーを開錠し扉を開けると、パラパラとノートの切れ端のような紙が数枚落ちてきた。
くすくすと後ろから一笑に付す声が聞こえてくる。
その声で、紙にどんな内容の言葉が記されているか、勇香には予想できた。
『死ね』
『消えろ』
『卑怯者は早く学校辞めろ』
『不正まみれの屑』
屈してはいけない。こんな嫌がらせで屈してはいけない。
勇香はぐっと歯を噛み締めた。
その時、ぽとっと勇香の背中に何かが当たった。
振り向いて眼下を覗くと、くしゃくしゃに丸められた紙が落ちていた。
あぁ、いつも通りの罵詈雑言が書かれた紙切れか。
だが中身を拝見しなければ別の嫌がらせに繋がるので、大人しく紙を開くしかない。
それも分かっているうえで、彼女たちはこのような紙を投げつけられるのだろう。
なんと狡猾で悪趣味なんだ。
『アンタの教科書、魔法で燃やした♪』
(……っ!!!)
勇香は直ぐに、ロッカー内に保管されているはずの教科書を隅々まで確認する。
幸い、欠けているものは何一つない。単なる嘘だった。
いやそもそもだ。嫌がらせを見越して毎回施錠しているロッカーの中から教科書を引き抜かれるなんて魔法でなければあり得ない。
紙切れはロッカーの隙間から滑り込ませているのだろう。
屈辱の極みだ。よもやこんな簡単な嫌がらせで心を乱されてしまうなんて。
彼女らに屈してしまった気分だ。もう嫌になってしまった。
勇香は数本の教科書を取り出し、一目散に逃げるように立ち去った。
ロッカーの鍵を、閉めることなく。
*
「さて、じゃあ今日も魔法実習を始めるわよ」
今日も今日とて、自分と女性教師以外誰もいない運動場で、女性教師は朗らかに教鞭を振るう。
「よろしくお願いします」
勇香がぺこりと号令代わりの挨拶を交わすと、教師はにこりと微笑む。
生徒たちに授業を退屈に感じさせないよう、“取り繕った活気さ”は教師なりの配慮だろう。
ややひねくれ気味に、勇香はそう思考してしまう。
億劫なのだ。教師の笑顔が。自分がこんな目に遭っているというのに、
勇香が嫌がらせを受けている事実に触れてこないのは、そもそも教師がその事実を知らないからであろう。
よくある虐めなんて、教員の視覚外で巻き起こるのが常道。今までの経験から、それは自明の理だ。
故に生徒会役員もその事実を知らない。自分に親身に接してくれ、道を踏み外した者を戒める立場にある生徒会が、教員の性質と合致するからだ。
「どうしたの?そんなに怖い顔しちゃって?」
「いえ、なんでもないです」
初級魔法のお浚いを淡々と話していた教師が、勇香の表情を一目見てきょとんと首を傾げる。
しかし勇香が首を横に振るうと、教師は再び笑顔に戻り説明を続けた。
「そ、そう……今日なんだけど、障害物を魔獣に見立てた疑似戦闘演習を行っていくわ」
「え?もうですか?」
思わずそう質問してしまった。
「そうよね。これも
教師は息をするように内部事情を漏らしてしまう。
だが予想の範囲内だ。
全ては勇香の才能を「魔王を倒す勇者」として育て上げるため。
現在の裏日本の情勢がどの程度の物なのかは知り得ないが、一刻も早く才能を開花させようと躍起になっているのは明白だろう。
そのせいで、あのような屈辱を受けてしまっているというのに。
「えっと、じゃあさっそく始めるわね。初級魔法はさっき色々話したけど、アリスの裏技とやらである程度分かっていると思うから。その要領でいいと思うわ」
恐らくアリスがあの裏技を勇香に教えたのも、才能を開花させるために過ぎないのだ。
やはりアリスもあちら側らしい。
「はい」
*
女性教師とのマンツーマン授業を終えると、次限からは複数の生徒との通常授業に入る。
それは、裏日本の歴史を探訪するものや裏日本の動植物の生態など様々。
アリスは必要ないと明言していたが、教科書をぱらっと捲ると勇香には興味深そうな項目ばかりだった。
本日はそのうちの一つ「裏日本植物史」の授業だ。
勇香は歴史関連の科目が苦手だが、この授業は理系要素が強めに孕んでいるので勇香にも受けやすい。
しかし、そう思っていたのは授業を登録している時だけだ。
他の生徒と共に受ける。小人数とはいえ、これほど勇香にとって苦痛なものはない。
運動場外の薄暗い廊下を勇香は抜ける。
道中、誰かが後をつけてくる気配を感じ、歩調を早めて午前の斜陽が差した一階に上がった。
そこから人通りは増し、喧騒も一層強くなる。
その中には、勇香への陰口ももちろん含まれ、
勇香はその言葉の数々を脳内から完全にシャットアウトするように、一切表情を乱すことなく廊下を進み、授業が行われる教室へと向かう。
しかしその途中、突として尿意を催す。
焦燥感に駆られ辺りを見回すと、近くにトイレがあった。
勇香はそこで、選択を躊躇った。
──こんな人通りの激しい場所のトイレになんて入ってしまえば、何をされるか分からない。
勇香は今でも克明に覚えている。中学生の頃に受けた、惨い屈辱を。
だがぐっと堪えようとするも、身体は自由が利かず。
仕方なく、パッと出ようと決意してトイレに駆け込んだ。
それが起こったのは、個室トイレから出ようとした時だった。
何気なく外に出ようと扉を押すが、扉が固く開かないのだ。
何遍力を加えても開かず、それどころか反対側から押し返される感触が伝わってくる。まるで外から何かの重圧が加わったよう。
(え?え?)
勇香はパニックに陥ってバンバンと扉を叩く。
と、扉の外からクスクスと小さな嘲笑が聞こえてきた。
誰かが、外側から扉に重しをかけている。
それも一人だけの声ではなかった。数人でだ。
勇香はわなわなと震える。
密室に閉じ込められるという逼迫した感情で、身体がだんだんと冷たくなってくるように感じる。
そして扉を叩きながら、大声で外にいる人物に呼びかけた。
多少の涙を瞳に付けながら、
「お願い!出して!!次の授業に遅れちゃうの!!!」
だが反応は帰ってこなかった。
それどころか、小声で話し声が響いてくる。
「アイツ焦ってやんの」
「このまま閉じ込めちゃおうよ」
勇香は扉を叩き、必死に出してと懇願する。
だがそれは糠に釘でしかなかった。
やがて激しい足音が聞こえてきた。人が集まって来たのか、
「え?何やってんの?」
「アイツ閉じ込めてる」
「アイツって例の?」
「そうそう、不正野郎」
「おもろ、アタシも混ぜてよ」
くくくっと数人の嘲笑う声が、勇香の焦燥を極限状態にまで助長させる。
「出して!!!ねぇ出して!!!」
「にゃにいってんのかわかんにゃいにゃー」
「生徒会やめるなら出してやるけど?」
「つかまたあの署名取り下げられたんでしょ?上マジヤバない?」
「やばいやばい。学園の上層部腐ってるってマジ」
その時、タイムリミットを告げるチャイムが鳴った。
「あ、いけね」
「遅刻遅刻ー」
そう言って、駆け足で去って行く足音がした。
扉を押すと、信じられないくらい軽い。
勇香は涙を拭ってトイレから出ると、無言で人のいなくなった廊下を歩く。
やがて教室に着いて中に入ると、出席を取っていた教師が入ってきた勇香を鋭い目つきで叱咤した。
「聖ヶ崎さん、遅刻ですよ」
「すいません」
勇香が謝罪すると、周囲から小声の嗤いが起きた。
席はあらかじめ決められている。
勇香は最後列の末席。教室の後方をよろよろと進み、着席する。
そして教科書を収納しようと机の下の物入れに目をやると、既に何かが入っているのが見えた。
「ひぃ……」
ぐにゃぐにゃと、身の毛がよだつほど悍ましい濃紺の物体だった。
スライムのように表面は柔らかそうだが、物入れに蜘蛛の巣のようにへばりついている様を見るとたちまち気分が悪くなる。
「ちっ、アイツあんまり驚かないじゃんかよ」
「早く触れ触れ」
近くの生徒からそんなことが小声で囁かれる。
その言葉で、絶対に触れてはいけないことは確信した。
忘れようと、勇香はその物体を視界から排除し授業に耳を傾けた。
授業中もそこかしこから小声で陰口が飛び交ってくる。授業中なのにだ。
離れたい。しかし動けない。
この拘束された空間で、勇香のストレスはさらに肥大化していった。
*
授業が終わった。
陰口は、何とか堪えた。
幸いにもこの日の授業はこれで終わりだ。
早くこの地獄から逃げたい。
そんな胸の高鳴りで、勇香はロッカーから荷物を取ろうとする。
「──っ!!!」
ロッカーの中の教科書類は、ごっそりと消えていた。
(ウソっ!!ウソっ!!!)
そうだ、と思い出す。あの時は、逃げたいの一心で不覚にも鍵をかけ忘れてしまった。
勇香は震撼し、すぐさま周辺を探す。
しかし、どこにも教科書はない。
(ない!!!ない!!!)
と、後方から嗤い声が聞こえてきた。
勇香は唖然とした顔で、その少女たちに尋ねる。
「どこに、隠したんですか……?」
すると、少女はにやりと廊下の先を指差し──
「ト・イ・レ」
勇香は直ぐに駆け出し、近くのトイレに直行する。
そして、化粧台の下でそれを見つけた。
ぽたぽたと水浸しになった教科書が、束になって床に積み重なっている。
隣には、水の溜まったバケツがあった。
もう、何も考えられなかった。考えたくもなかった。
勇香は無言でその教科書を拾い上げ、リュックサックに詰める。
教科書から垂れた水滴が、勇香の小さな手を冷やす。
嗚咽が漏れてきた。
あれ、なんで泣いてるんだろう?
これぐらいのこと、慣れていたはずなのに。
なんで、なんでなの……
──なんでこんなこと、されなきゃいけないの?
勇香は涙をにじませながら、リュックサックを背負い学校を飛び出した。
*
家に帰っても、憂鬱な気持ちは晴れなかった。
今はドライヤーの熱を当てて、ずぶ濡れになった教科書を乾かしている。
そして傍らでスマホを持ち、無心で動画を垂れ流している。
それは、よく見ているゲーム実況動画。
いつも何気なく、勇香を笑わせてくれるその動画。
これを見れば、少しはこの気持ちを吹き払えると思っていた。
けれど、瞳から継続的に涙がぽたぽたと落ちてくる。
あぁ、そうか、分かった。
──もう私は、落ちぶれているんだ。
そう考えると、何故か心底笑えてくる。
こんな惨めな自分。客観的に見れば嗤いの的だ。
そしていつしか自分も、客観的に自分を見つめていた。
「ふふふっ」
ドライヤーを持つ手が震えてくる。
勇香は涙ぐんだまま笑みを漏らす。
「あっ、やっと笑えた」
楽しいって感じれたようだ。
やっぱり、サブカルチャーは現実逃避に最適だ。
最早勇香には、正常な思考回路すらままならなかった。
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