第19話 魔法

 ──翌日

 勇香が生徒会に入ったという事実は、昨日のうちに一瞬で一年生の間に広まってしまったらしい。


 正直、学校へ行くことが億劫だった。

 このまま休んでしまおうとさえ考えた。

 だけどそれは、勇香の中の矮小なプライドが許さなかった。

 屈辱に負けるのは嫌だったからだ。


「うわ、来たよ」

「あんなことあったのによく登校できるよねー」

「ねぇねぇ、いつ不登校になるか日数数えてみない?」

「いいねそれ」

「早く学校辞めてくんないかな」


 昨日全てを知り、そして無くしてしまった廊下。

 そこには学友だったはずの生徒たちがサバンナに群れを形成するゾウのように点々と、内壁に寄っかかって談笑している。

 生徒たちは一匹狼の勇香の姿を視界に入れると、敵意を込めた視線で見つめ群れを守るため縄張りテリトリーから追い出すように互いに耳打ちする。

 その声は相変わらず勇香の耳にも聞き届いた。

 形を成さない耳打ちは非常に滑稽だ。一種の笑いまで沸き起こるほどに。

 でもそれを表面に出すことはしなかった。


 暫く廊下を歩くと、そこにあるのは内側の壁にずらりと並んだ銀色のロッカー。

 ロッカーは一つ一つが名前分けされ、各々が荷物を保管するロッカーが決まっている。

 勇香もそこにリュックサックの荷物を入れようとして、鍵を開ける。

 すると、ひらりと白い紙切れが木の葉のように舞い落ちた。

 何だろうと拾ってみる。表面は白紙だったが、裏面には何か文字が浮き出ていた。 

 くるりと裏返してみる。


『消えろ』


 なんとなく表面から浮き出た文字で分かってはいた。

 けれど、涙腺の緩みは忌避できなかった。


(こんな初歩的な嫌がらせで屈しちゃダメ!)


 揺らぎ揺らいだ感情の波を、ふぅふぅと息を吸うことで沈着させる。

 不運にも、いや故意なのか。その時、勇香の耳にその会話が突き刺さってきた。


「ねぇ聞いた?」

「何?」

「あの転入生、さっそく相談してきた相手を突き放したらしいよ。大した悩みじゃなかったとかで」

「なにそれウケるんだけど」

「そんなの生徒会失格じゃない?」

「不正働くようなやつに相談するからそうなるんでしょ」


 途端、勇香はバランスを失い膝から崩れ落ちる。

 両腕で自分のロッカーの端を掴み支えにし、膝立ちで俯いた。


 出まかせもいいところだ。

 自分は無実だと、潔白だという証明もできる。


 だけど、無理だった。


 瞳には、涙が零れ落ちていた。

 

「おーこんな所にいた」


 唐突に乾いた声が聞こえ、涙を拭いだ勇香は後ろを振り返る。

 そこにいたのはレモンイエローの髪の少女と、黒髪の少女。

 昨日の切羽詰まった表情とは違い、今日はどこか飄々としている。

 ただ、彼女たちの瞳が物語っているものは変わらない。 

 勇香は引き攣った表情のまま少女たちに口を突く。


「なんですか?」

「なに怖ぇ顔してんだよ」


 ロッカーを支えにし、立ち上がった勇香の肩を少女が掴む。


「あたしたち友達だろ?」


 当然とでも言うかのように少女から放たれた。

 少女の思考がうまく読み取れない。

 勇香は少女の手を肩から拭き払い、小声で投げかけた。


「あなたたちが、広めたんですか?」

「第一段階。まだかすり傷程度だろ?」


 一瞬で少女の顔は剣幕とし、勇香に耳打ちする。


「そのうち、更に程度ランクは上がってく」


 即ち、少女の嫌がらせは段階的にエスカレートしていくということ。

「相談相手を突き放した」という根も葉もない噂が広まってしまっている以上、少女が一度噂を漏らせば瞬く間に拡散されてしまうだろう。 

 最悪、上級生にも。


「いつまでお前の心が持つかな」


 蔑んだ目つきで、少女は嗤う。


「さ、いこーぜまだ授業まで時間あんだろ?」


 ニカッと取り繕った笑みを浮かべ、少女は勇香の両肩に腕を滑り込ませる。

 そんな少女の小粋な所作に、勇香はビクッと、身を震わせた。


 勇香は教科書を抱えてロッカーをきっちりと施錠すると、少女に体を操られているかのように半回転し、廊下をぎこちない足取りで歩く。

 これから何処に連れていかれるのだろう。何をされるのだろう。

 恐怖心で頭が真っ白になった。

 その間も周りの生徒たちから勇香を罵倒する文言が投げ込まれてくる。


 地獄だ。そう形容しても差し支えないくらい、勇香は顔面蒼白で周囲を見回しながら、少女に連れられ歩いていた。


 この地獄は何時終わるのだろう。

 ひょっとしたら、永遠に続いてしまうのだろうか。

 嫌だ、そんなのもう嫌だ……


 その時、反対から見慣れた白髪の少女がステップのような足取りでやってきた。

 勇香は暗い大地に光が差し込んだように瞭然と目を輝かせる。

 その肩の揺らぎをレモンイエローの髪の少女は察知しており、 

 案の定、白髪の少女──アリスは勇香を視界に留めると陽気に手を振って呼びかけてきた。

 

「やっほー勇香ちゃん」


「あ、アリスさ……」


 勇香はそれに応えるように、助けを求めるように、アリスに手を伸ばし──


 

「アリス先輩ちっす」


 勇香の声より先に、少女が勇香の肩に腕をぐっと押し込めアリスに返事した。

 アリスはぱちくりと目を瞬かせつつ、少女たちに尋ねた。


「君たちは勇香ちゃんのお友達?」

「そっす!」

「マブダチっす!!」


 少女に続けて、後方の黒髪の少女までが溌剌に声を上げる。


 何も言えなかった。少女たちに遮られてしまった。

 違う、少女の邪魔がなくとも最初から無理だったのだ。

 この期に及んで助けなど、救いなど来ないのだから。

 身を覆い隠してしまうほどの泥を被さってしまった、自分には。

 心を開ける味方など、もう誰一人も──


「へぇー演技下手だねー」


 不意に吐かれたアリスの言葉に、少女たちの眼が曇る。

 その隙にアリスは勇香の腕を引っ張り、少女の枷から引き剥がした。


「さぁ行こう!よーこせんせーの授業が始まるよ!!」


 連れて行かれるまま背後を振り向くと、少女たちは勇香を見つめるまま固まっていた。


 *


 アリスに手を繋がれたまま、勇香は小さな屋内運動場にやってきた。

 両脇を観戦席に囲まれ、その中央には人工芝が張り巡らされている。

 本当に運動場の形をしていた。

 珍しく、そこにいた女性教師は焦げ茶色のジャージを身に纏っている。

 

「さて、じゃあいよいよ魔法実習を始めていくわけだけど……」


 と、教師は勇香の背後ににんまりと佇むアリスを一瞥し、


「なんでアリスがいるの?」

「見学見学!丁度暇してたから!」


(暇で誰かの授業覗きに来る?普通……)


 勇香は呆れたままのジト目で、いやアリスらしいと嘆息を漏らし、教師の反応を伺う。


「そうなの、まあ人手も欲しかったし、まあいいわ!」


 教師はアリスの適当もいいところの言い訳に納得しニコリと笑む。

 忘れてた。教師はこんな人だった。


「初回は初級魔法の基礎から教えていくわよ。一年生の間は初級魔法のマスターを目指して頑張りましょう」

「ちょっとちょっと、よーこせんせー」

「な、何?」

「学園統括委員会の命令を忘れたの?」


 流し目で言葉を垂れたアリス。

 その瞬間、勇香の全身に雷が落ちたかのように身の毛がよだつ。

 

 教師はアリスの言葉にはっと頷き、 


「そうだったわね……聖ヶ崎さんには短期間で上級魔法まで叩き込めって」

「うんうん」

「で、でも……それは聖ヶ崎さんに負担が多すぎない?教える身の私はまだしも、聖ヶ崎さんには……」

「しょうがないなー。なら何故に勇香ちゃんが上級魔法を習得せねばいかんのか、よーこせんせーに……」


「あぁぁ!!!私出来ますから!教えてください!!!」


 危うく「魔王を倒せるほどの才能」を漏らそうとしたアリスの言葉を遮り、勇香は大声で教師に告げる。


「そ、そうなの……?でもとりあえず今日は初級魔法について教えるわよ。だけどその前に」

「?」


「属性について理解しよー!」


「ちょっとアリス!?」


 アリスに先を越されてしまい、呆気にとられた教師は思わずアリスの名を叫ぶ。


「属性ですか?」

「そそ、ゲーム好きの勇香ちゃんなら知ってるよね。魔法には属性魔法と無属性魔法の二種類があって、そのうちの属性魔法は自分に決められた属性の魔法しか使えない」


 咳払いをした教師がアリスの説明に補足を加える。


「アリスに基本的な説明はされてしまったけれど。属性とはこの世界を形作る五つの性質のこと。パワーと言った方が分かりやすいわね。属性は炎、水、風、雷、土の五つの元素エレメントを基本元素として、そこから樹系図のように派生した様々な元素が存在しているの。勇者にはね、その数ある属性の一つが魔力の内に備わっていて、その属性に応じた魔法を使用することができるわ。まずは聖ヶ崎さんが何の属性を持つのか調べてみましょう」


 教師の長ったらしい説明で属性については理解できた。

 漫画とは違い、この世界の魔法には縛りや制限が存在するようだ。

 勇香は期待外れと幻滅してしまう。

 だとすれば、もう自分の属性とやらは……


「調べる?もう結果は出てますよね?」

「え?もう知ってるの?」


 何気ない勇香の言葉に、教師は瞠目どうもくして勇香を見やる。


「一応、形式的に確認しないといけないからね!ここはよーこせんせーの指示に従って!!」

「は、はい」


「ま、まあいいわ。方法は簡単。五つの属性のどれかの魔法を唱えて、発動出来たら聖ヶ崎さんはその属性の魔法を使えるということ、発動できなかったら使えない」


 簡単に言えば、消去法ということだ。

 教師の説明に頷いて、勇香は魔法を放つ準備をする。


「わ、分かりました。ええと、魔法を」


 しかしどう魔法を放てばいいのか。勇香はカラオケでの一件を思い返す。

 そうだ、脳内で思考を整理すれば。

 勇香はゆっくり深呼吸し、両手をばっと広げる。目指すは、人のいない一角。

 瞬間、両手の周囲に青みがかった光が燦爛さんらんする。

 あの時と同じだ、そのまま魔法を放てば──


「ちょっとまったー!勇香ちゃん今何も考えずに魔法を発動しようとしてるでしょ?」


 行く手をアリスに遮られ、勇香は巡りめく思考を中断し伸ばしていた手を下げてしまう。

 光は思考の中断と共に、ポっと消滅してしまった。


「えっ、いやちゃんと頭の中で考えて」

「考えるって言うのは魔法の事だけを考えるわけじゃないのよ。ちゃんとどの程度だとかどこの座標に放つかだとかを詳しく構築しなくちゃいけないの」

「す、すいません」


 アリスの言う通り、勇香はあの時の魔法を再現を、としか思考を寄せていなかった。

 教師の柔和な説明を受け、勇香は渋々と頭を下げる。


「いいわ、じゃあここで初級魔法についても教えるわね」

「はい」

「アリスが言った通り、魔法は頭の中でどのように発動させるのかをしっかり構築することが肝。そうしないと大惨事を起こしてしまうこともあるから」


「例えば勇香ちゃんがカラオケで放ったあの魔法みたいに!」

「えっ?何それ?」


 またもや口を挟んだアリスだったが、今度は初耳の事実に教師は注意より先に問いかけてしまった。


「あれは、脳内で一面の海を思い浮かべて」

「あの時は、対象が建物で大きかったからあのままで済んだけど、もし家でポットに水を入れる程度で使えば家じゅうが水浸しになっちゃう。もっと言えば、無限に近い魔力を持つ人が勇香ちゃんと同じことをすればリアル表日本沈没になってたよ」

「ひぃ」

「まあそんな人はほぼいないけどね」


 アリスが押し黙ったことで、ようやく授業の主導権を返却された教師は淡々と語りだす。


「でもね、魔法を放つときにいちいち構築しているようじゃ、生死を分けた戦闘では全くもって役に立たないでしょ?だから、戦闘ではすでに魔法を使うのよ」

「構築された?」

「それが、初級、中級、上級の三つに分かれた魔法のことよ」


 つまりはあらかじめ、攻撃範囲、射程、威力などが精密に組み込まれた魔法のこと。


「今から聖ヶ崎さんには、その手始めとして初級魔法を教えるわね」

「はい」


 と、教師は勇香の背後で相変わらず真意の掴めない笑みを浮かべるアリスにギロッとした目で確認する。


「何か補足でも……?」

「ないですないです、どうぞどうぞ」


 アリスが素直に手を差し出したので、教師はふぅっと嘆息を漏らし勇香に向き直った。


「初級魔法って言うのは三つの魔法の中では一番安易な魔法たちの集まりで、詠唱もいらず魔力消費も少ない。ただ魔法の名前を唱えるだけ。だから聖ヶ崎さんみたいな初心者が主に使う魔法ね」

「はい」

「けれど、それだけで安易に考えてはだめよ。初級魔法には色々な種類があって、魔術師はそれをすべて覚えることが必要条件なの」


「でも色々ありすぎて覚えられない!そんなあなたに、アリスちゃんが裏技を教えちゃう!」


 教師の説明を再三遮り、勇香の目の前に滑り込んだアリス。

 教師は疲労しかけた声でやっぱりと呟く。


「アリス……頼むから説明させて?」

「だってー初級魔法を一から覚えてるようじゃ丸一年かかっちゃうよー」

「それが普通なのよ?」


 教師の反応にも応じず、アリスは飄々と勇香に教鞭を執り始めた。

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