第16話 屈辱
この話から鬱展開や胸糞な描写が出てきます。ご注意ください。
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「……ちゃん」
声が聞こえた。
「ぇちゃん……ちゃん……!!」
その声は、どこか懐かしくて、愛しくて、
胸が張り裂けそうで──
「お姉ちゃん……お姉ちゃん!!」
目を開けると、河川敷で横になっていた。
「……うっ」
「あっ、お姉ちゃんやっと起きたー!」
一人の少女が、横たわる私を上から見下ろしていた。
少女は私が目を覚ますなり、ターコイズの瞳を煌めかせる。
お揃いの長い黒髪。左瞼の泣きほくろ。きりりとしたまん丸の瞳。
間違いない……
「ゆ、勇菜……?」
無意識に、そう漏らしてしまった。
勇菜は私が突然名を呼んだことに驚嘆し、胡乱な目遣いで私を見つめている。
「私……」
辺りの情景を見渡す。
そこは、いつも見慣れた河川敷。
人の
何をしてたんだっけ。よく思い出せない。
むくりと体を起こした私の肩を、勇菜が不満げな顔で揺すってくる。
「もう、疲れたからって休みすぎだよー」
何気ない勇菜の声音で、胸がジンジンと痛んでしまう。
なんでだろう。よく分からない。
もどかしさに胸を押さえる私に、勇菜は怪訝な形相で私を凝視している。
「お姉ちゃんどうしたの?顔色悪いよ」
「勇菜、勇菜なの?」
咄嗟に尋ねてしまった。
なんでだろう。尋ねずにはいられなかった。
でも徐々に胸の奥から淡い何かが溢れ出してくることだけは分かる。
「そうだよ?勇菜の名前忘れちゃったのー?変なのー」
そして気付いた時には、勇菜を抱きしめていた。
「お、お姉ちゃん……?」
かすかに勇菜の声が聞こえたが、うまく聞き取れなかった。
もう一度会えたことが嬉しくて、
会えた?さっきまでボール遊びをしていたのに──
そうだ、私は夢を見ていたんだ。勇菜がいなくなって、私がどこか遠くの世界に飛ばされて、
でも何故か、気持ちが抑えられない。
「よかった……よかった……」
「ねえどうしたの?バスケの続きしようよ!」
無意識に、口からありもしない言葉が放出される。
「もう……どこにも行かないで……」
「……っ!」
勇菜は絶句してしまった。
いきなり不審な動作をする私に呆れてしまったのだろうか。
「お姉ちゃん……■■■■■■■■■■」
「え……?」
それっきり、記憶はなかった。
*
目が覚めると、眼前には木目も天井が広がっていた。
窓から、朝の日差しが差し込んでくる。
これが、現実だ。
「夢……?」
起き上がった途端、頭部に軽微な痛みが走る。
「なんで……今更勇菜の夢を……」
昨日までの
何故なら、自分には「友達」がいる。
もうホームシックになっている必要なんてない。寂しさに暮れる必要もない。
寂しさを分かち合える人がいる。
だから、憂いを紛らわす夢なんて、見なくていいんだよ。
勇香は片手で頭を押さえつけながら、ベットを出た。
シャコシャコと歯を磨き、洗顔をする。
キッチンの食糧庫から適当なカップ麺を取り出し、ポットで湯を沸かす。
沸騰すると白い水蒸気がポットの注ぎ口からぐんぐんと空へ昇る。
カップ麺に湯を注ぎ、五分待機し、それを啜る。
どこか一連の動作も、昨日より身軽だった。
きっと、学校へ行けば「友達」が増えて、もっと気分が弾むのかも、
高校デビューとまではいかないけど、みんなと気兼ねなく話せるようになりたいな。
昨日までの一日が、どこか遠くのように感じる。わくわくする。
ごちそうさまと、手を合わせる。キッチンでトレーを洗う。
再び洗面台に向かい、歯を磨き、ボサボサの髪を梳かす
これでいいかな?いや、もうちょっと。
髪を梳かすだけだけど、いつもより、身だしなみには念を入れた。
だんだんと胸の鼓動が高鳴ってくる。ドキドキする。
よし、これでいい。
バタバタと忙しない所作で三階に舞い上がり、デスクに置いてあるリュックサックを手に取る。
今は空っぽでも、学校に行けば教科書でぎっしりになるらしい。
うへぇと嘆息を漏らしつつ、背中に背負って階段をそのまま一階まで降りる。
玄関を出て扉を施錠する。これでばっちりだ。
さあ行こう。そう決心した時、あることに気付いた。
玄関脇には紅い郵便受けがある。
その中に、飛び出た白い封筒が入っていた。
(勇者養成学園からの招待状かな)
浮かんできた冗談にクスクスと微笑しつつ、封筒を取り出す。
──聖ヶ崎勇香様
案の定、勇香宛てだ。
いや、もうここでは勇香以外など誤送以外ありえないのだが、
封を切って中を確かめる。
同封されていたのは手紙一枚。
そこには「生徒会報」と記されていた。
(生徒会の会報、みたいなやつかな……)
とりあえず、今は学校へ向かうことが優先。
手紙を制服のポケットにぐしゃっとしまい、勇香は歩き出した。
*
それは中央階段を登り、廊下に差し掛かった時だった。
廊下にいる生徒たちの視線が、やけに勇香へと向けられている。
でも勇香が気づくことはなかった。緊張していたからだ。
(だ、大丈夫かな。話せるかな……)
ちゃんとスマホは充電してきた。身だしなみもばっちりだ。
学校へ入る前に、近くの公衆トイレの化粧台で何度も見た目を確認した。
変な目で見られてないかな?派手な格好だと思われてないかな?
勇香ははらはらと俯く。前を歩いている誰かと衝突してしまうほど、床を見下ろして歩く。
みんなの視線が分からない。怖い。
自分を信じなきゃ。
大丈夫、今日一日乗り越えて。友達を作ろう。
「ねぇ」
誰かが、勇香に話しかけてきた。
勇香ははっと顔を上げる。
──来た!!
その少女は、藤色の髪の少女だ。
自己紹介はされたけど、名前が思い出せない。
でも、昨日一目散に講堂を出ようとした勇香に、一番最初に話しかけてくれた少女だいう事は分かる。
とりあえず、挨拶しなきゃ。
ぎこちないと思われないように。挙動不審だと罵られないように。
少女の表情が分からない。うまく読み取れない。
勇香は、少女にしっかりと目線を合わせ、口を開く。
「あ、あの……おはようございま……」
「挨拶なんて、いいから」
「え?」
精一杯の挨拶を切り捨てられてしまった。
少女の表情は、未だに伺えない。
続けざまに、少女はか細く、それでいて震えた声で勇香に問いかける。
「お願い、どういうことかだけ教えて」
「ど、どういうこと?」
質問の意図が分からない。それよか、少女の
もはや思考の整理が追い付かず、放心状態で少女を眺める勇香。
しかしそれが、少女の感情の荒ぶりを扇動したとは、思ってもいなかった。
「なんで、転校してきたばかりのあんたが生徒会に入ったの!?」
ついに少女は、勇香のだんまりに
「せ、生徒会……?」
「とぼけないでよ!!今朝あんたにも届いたでしょ!?あんたの生徒会の所属を告げる手紙が!!!」
憤怒のままに言葉を吐き散らす少女。
手紙。そう、勇香にも配られていた。
学校へ向かう事優先で、手紙の中身までは熟読していなかった。
勇香は急いで制服のポケットにしまったはずの手紙を取り出す。
そして、くしゃくしゃの手紙を無理矢理広げ、その文章を黙読した。
一学年聖ヶ崎勇香を、生徒会「庶務」に命ずる。
学園統括委員会
「な、なんで!?私が生徒会に入る案はなくなったはずじゃ!?」
「あんた、どういうコネを使ったわけ!?」
「コネなんて、私何も!?」
「嘘つかないでよ!!なんで、あんたなんかが、生徒会に……」
怒りが尽きたのか、少女はやるせなさに語尾が潰れる。
ようやく、彼女が勇香に対して、何をしているのかが分かった。
──少女は怒りのままに、勇香を糾弾し牙を向けている。
認めたくもなかった。受け止めたくもなかった。
しかし、これが“現実”だ。紛れもない、真実。
少女の周りで、二人の鍔迫り合いに耳を傾けていた他の生徒たちが、口々に投げかけ合う。耳打ちするつもりで、しかし、勇香の耳にも聞こえるような声音で。
「嘘でしょあいつしらばっくれてるよ」」
「私たちの努力をコケにして、不正働くとかほっんと最低」
「どんだけ生徒会に入りたかったの?性格わっる」
勇香が犯したという根も葉もない虚構の事実が次々に垂れこめてくる。
その時点で、もう周りには勇香を擁護してくれる人は誰もいないと察した。
「なんで、何も答えないの?」
「だから私何も!?」
「シラを切るのはやめてよ!!!」
少女は突如として声を荒げる。
その荒げように、勇香はビクッと体を震わせてしまう。
「私たちがどれだけ生徒会を目指してきたか。その努力が、あんたには分からないでしょうね」
「だから、私には何のことやら……!!」
「じゃあ!この場で生徒会を辞めるって宣言して!!」
少女は片腕を広げ、勇香に宣告する。
その手は、無慈悲にもこの場全員の生徒たちの総意を孕んでいるようで、
「あんたが早々に生徒会を辞めてくれれば、済む話でしょ」
言えない……言えるわけない。
「何も知らないのに……言えるわけない……」
「そうなの、よくわかった」
少女は腕を降ろし、目を伏せて、踵を返した。
「そんな人だとは、思ってなかった」
振り向きざまに、まるで勇香を同種とは認識していないかのように、虚ろで暗い視線を送った。
そして少女の声音は、酷く冷めきっていて、
「友達になれるかなって、思ってたのに」
少女の言葉の刃が、勇香の胸に深く突き刺さる。
「もうあんたには関わらないから」
吐き捨てるように、少女は立ち去った。
「柊和、可哀想」
「一番あいつと仲良くしたがってたのにね」
「悪辣すぎる」
「この卑怯者」
「あたしたちもあいつと関わるのやめようぜ」
少女がいなくなった後も、周りから意味を成さない耳打ちが、勇香の耳に飛び交ってくる。
勇香は悟った。そしてこの場から、逃げた。
勇香は走った。この屈辱から逃げるために。
そうして廊下をひた走り、生徒も誰もいない連絡棟のトイレに駆け込んだ。
個室トイレの扉をバタっと閉め、便座に両手をつく。
はあはあと荒れる呼吸を何とか落ち着かせようと試すも、うまくいかなかった。
それどころか、脳が弾けてしまいそうな虚脱感が、勇香に襲ってくる。
次第に、両手がぶるぶる震えてきた。瞳から、大粒の涙が溢れてくる。
「やっぱり私は何も変われなかった……惨めなままだった」
両手と連動するように、震えた声音を漏らす。
「うぅ、いや……」
誰もいないことをいいことに、狭いトイレの中で慟哭する。
「いゃ……もう、いゃ……」
また、戻るのか。
もう二度と、体験したくなかった屈辱に。
「嫌だ嫌だ嫌だ……」
どこにもぶつけようがない感情を、投げつけるように吐き出す。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌……!!!」
感情のままに、同じ文句を叫び続ける。
「やだぁ……やだぁ……」
けれど、それをしたって、何も変わらない。
──現実は、変えられない。
だんだんと、言葉が掠れてくる。
それは無意味だと、悟ったのだ。
便座から手を離し、制服の袖で涙を拭きとる。
勇香の瞼は紅く腫れぼったくなっていた。
そして、余った平常心で思考を巡らせる。
今の自分に、何ができるのか。
──生徒会を辞める。ただ、それだけ。
哀しみ紛れにぎゅっと拳を握り、勇香は扉を開く。
誰かが立ち去るような気配がしたが、もう思考に入れている暇はない。
その足で、勇香はエレベーターに乗った。
*
到着した純白の廊下で、無心で足を動かす。
これで通算三回目の木の扉の前に立つと、勇香ふぅと深呼吸をする。
中には誰がいるか分からない。もし誰もいなかったら。
いや誰かがいたとして、さっきの生徒たちみたいに、役員全員に袋叩きにされるかもしれない。
でも、こうするしかないのだ。今の自分には、
決意を片手に、勇香はコンコンと扉をノックする。
中から、入ってと小さな声が聞こえてきた。
この声は、会長の声だろう。
勇香はばたっと扉を開け、生徒会室に足を踏み入れた。
以外にも、中には全員集合していた。
「勇香……ちゃん……」
両手で段ボールを抱えていたストロベリーブロンドの少女が、勇香を一目見て呆然と垂れる。
他の役員も、やつれた勇香の姿を唖然と見つめていた。
ただ一人、水色の髪の少女だけが、勇香を俯瞰して眺めている。
「あの、会長さん……」
すると、勇香が言いかける前に、金髪の少女──愛華が寄ってきた。
また、表情が分からない。もしや、怒っているのだろうか。
ひとつまみの不安が、勇香の脳内をよぎる。
しかし、次第と愛華の長身が、ブルブルと震えてくる。
嗚咽が漏れてくる。
そして、愛華は震える手一杯に、勇香を抱擁した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私、何もできなかった」
やるせなさを込めた震え声で、愛華はそう言い続ける。
「あなたの学園生活を、護れなかった……」
「あ、あの……」
何が言いたいのか、分からなかった。
愛華の表情すら伺えない。
しかし、しわがれていることだけは勇香にも分かった。
「ごめんなさい……」
やがて、愛華は声にもならぬ詫びを突いて、勇香を掴んでいた手を離した。
その顔は、憔悴しきっていた。
「あの、すいません。私、何が何だか……」
「生徒会は、運命を捻じ曲げられた学園の生徒たちにとって、唯一誇れる称号なの」
「え?」
「だから、入学し、その存在を知ったその日から、学園の生徒たちはしきりに生徒会を目指すようになる」
掠れた声のままに、淡々と説明する愛華。
「みんなの憧れの存在。ヒーローとか、プリンセスみたいな」
なんとなく、わだかまりが取り除けた。
なぜしきりに、突如生徒会に入った勇香を戒めるのか、が。
『私たちがどれだけ生徒会を目指してきたか。その努力が、あんたには分からないでしょうね』
「だから、転校したてのあなたが生徒会に入れば、あなたにどんな非難が届くのか、どれだけ荷が重すぎるのか、私には分かってた」
愛華の声が再び震えてくる。
勇香はそれを、ただ聞いているしかなかった。
「でも、止められなかった……」
愛華の手が震える。その手を見て、勇香は罪悪感に苛まれてしまう。
こんな気持ちにさせてしまったなんて、なんて自分は愚かなんだろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
声をかけないと。自分は大丈夫だと、伝えるために。
勇香はそっと手を伸ばそうとした、その瞬間だった──
「おや、揃っていますね」
背後から、低い声が響いてくる。
「「……っ!!」
二人は咄嗟にその光景を見やる。
「委員長……」
「場を開けなさい。今から、聖ヶ崎勇香の生徒会就任にあたって、私から忠告をします」
言われるがまま、二人は女の脇に身を潜めた。
そうして開けた空間に、女は声高に演説する。
「さて、生徒会の子らの中には勘づいている者もいるでしょう。彼女の肉体に眠る、底知れぬ魔力の波動を」
びくっと、隣の愛華が肩を竦めた。
「彼女に眠る魔力は凄まじい。やがて魔王を倒す才を持っている。それほどの力なのです」
才能。何もなかったはずの自分に芽生えた、たった一つの魔法の才。
「学園統括委員会として命じます。役員総出で、彼女を現役最高峰の勇者にまで育てあげなさい」
でも、こんな才能の使われ方、望んじゃいない。
「後は頼みましたよ、アリス」
「はーい」
速やかに話を終え、扉の奥に消えていく女。
そうすると、今度は代わりに白髪の少女──アリスが顔を出した。
「あれ、勇香ちゃんこんなところにいたー」
アリスは立ちすくんだ勇香を見るなり、トテトテと近寄って来る。
愛華はギロリとアリスを見つめ、口調強めにアリスを諫める。
「アリスッ!!!」
しかし、そんな言葉に目もくれず、アリスは愛華の言葉を聞き仏頂面になった勇香に声をかけた。
「ちょっと、そんな怖い顔しないでよー」
「あの……」
質問したいことは山ほどある。しかし、その前にアリスに手を引っ張られてしまう。
「もう授業始まるよ!教室移動しなきゃ」
「……っ!」
振り向きざまに愛華を見ると、歯を噛み締めて、拳をぐっとを握っていた。
「ほら張り切って!勇香ちゃんは、今日から誇り高き生徒会なんだからー!」
その言葉の重みが、勇香の肩にドスンと降り注いだ。
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