第15話 友達


「これ、決めました」


 かれこれ一時間ほどの時を要し、生徒会長の愛華の助言で受講科目の選択を済ませた勇香。

 その後生徒会室を後にし、職員室で女性教師に用紙を手渡す。


「あら、ありがとう。今日はもう結構よ」

「はい」

(案外早かったな)


 女性教師に別れの挨拶を告げると、踵を返して純白の廊下を歩く。

 

(今度お礼言わないと)


 廊下の先のエレベーターに乗って下階へ降り、連絡棟の豪勢な廊下を進んで学院棟に入る。

 ここからさらに学院棟の廊下を歩き、中央階段を降りればエントランスに辿り着く。勇香は一日目にして、学園内の構造(主に帰り方)を熟知してしまっていた。 


 廊下にはまばらに人がいる程度だった。

 そこかしこから何かを説明する声が響き渡る。今は授業中なのだろう。

 廊下で屯している生徒たちは、この時間帯は授業を入れていないのか。それともただのサボりなのか。 

 どちらにせよ、これから帰宅する自分には関係のないことだ。


(うっ……)

 

 今朝、学友に笑顔で「また会おうね」と告げられていたことを突として思い出し、足を竦めてしまう勇香。

 彼女たちが授業を終えるまで待っていた方がいいか……いや、別段とは指定されていない。明日でも不足ないだろう。

 先に帰宅したことを咎められてしまうだろうか。だが、あの満開の笑みを見る限り彼女たちがそのような心の狭い人間ではないと、思う。

 若干程罪悪感に呑まれてしまうが、今日ぐらいは目を瞑ろうと心に決めた。


(今日は帰ってゆっくりアニメを……)


 そうフラグを立てていた、その時、

 

「あっ、勇香ちゃーん!」

「……っ!!!」


 咄嗟に立ち止まり声の主を振り向くと、そこにいたのは薄灰色の髪を右側頭部に纏めた小柄な少女だった。少女は勇香を視界に入れた途端に破顔し、ブンブンと手を振りながら此方にやってくる。


「あっええと」


 何とか少女の名前を思い出そうと記憶を探りまくるも、残念ながら記憶の底に封じられてしまったようで、

 少女は中々名を言い出さない勇香に不貞腐れた様子で、自らの名を告げた。


しろがね麻里亜まりあですよ麻里亜」

「銀さん!奇遇ですね」


 名前を忘却の彼方へと落とし込んでしまった代償に、勇香は取り繕った笑顔で麻里亜に応じる。


「勇香ちゃんも帰るんですか?」

「はっ、はい。一応」

「ボクもっす」

「えっ?授業は」

「今日講義あんまり入れてないんで。ボク一週間に三日以上休みないと嫌なんですよ」

「そ、そうなんですね……」

(サボったのかと思った)


 しかし、麻里亜の休暇願望も勇香には共感できる。

 授業科目を決めた際、何か要望は?と問いかけた愛華に勇香はなるべく休みたいと応えた。

 学校をなんだと思ってるんだ?と喝を入れられそうだが、これまで嫌な学校をサボりたいと願いつつ罪悪感で実践できずにいた勇香にとって、授業をサボるという経験は一度でいいからしてみたかったのだ。

 しかも、この世界(いやこの学園だけかもしれないが)には表日本と同じ曜日感覚があり、時間もある。聞くところによれば夏休みや冬休みも存在するらしい。

 ならば平日+土曜日のどれか三日に集中的に授業を入れて、それ以外の平日をからっきしにしてしまえば、合法的且つ罪悪感なしに悠々と下校可能だ。それよか、他の生徒たちに優越感すら味わえる。勇香は少々歪んでいた。


 とりあえず、麻里亜に別れを告げて去ろうとした瞬間、麻里亜がおもむろに提案してきた。


「よければ一緒に帰りませんか?」

「え?生徒会は……」


 目を丸めて問いかけるが、麻里亜は少し唸ってから悪びれもせず言い吐く。


「うーん生徒会室でゲームやりにいってもいいっすけどー。この時間帯だと、大体午前中に終わらせないといけない大事な書類を会長に押し付けられるんですよねー」

「は、ははっ……」


 麻里亜にとって生徒会室は、ゲームするための空間のようだ。


「で、どうですか?」

「えっと、今日は……」

(一人で帰りたいけど……断りづらい……)


なんとか言い訳を考えようと思索するも、頭が真っ白になって言い訳が浮かんでこない。それよか藍色の瞳を煌めかせてこちらをまじまじと見つめる麻里亜に、案の定顕現した罪悪感により、思考が遮られてしまう。


「ちょっとーそんな嫌そうな顔しないで!親睦を深めるためにも!ささっいきましょー」

「あっ……えっ……」


 どうやらまた自分の感情が表に出ていたようだ。

 だが、麻里亜は勇香の表情も気にせずにぐいっと手を引っ張る。


「……!」


 結局断れもせずに、麻里亜と共に廊下を歩き始めた。


 しばらく麻里亜と共に廊下を進んでいた勇香だが、思うように会話できずに口ごもっていた。

 はっきり言って気まずい。孤独を好む性格も相まって、誰かと帰るという行為自体が初めてだ。

 何とか話題を思い浮かべようとするが、出てこない。いや、最初から諦めていた。

 自分の趣味が同年代の女子高生とズレていることは自覚している。

 アニメやゲームはまだ常識範囲内だが、そもそもそれ以外に趣味と呼べるものが少なすぎるのだ。

 かといってその話題を出そうにも、どういうわけか気が引ける。

 少女の身なりを見る限り、趣味はアウトドアやスポーツ系だろう。

 とてもじゃないが、その話題を振ってもついていくのは無理だ。

 全く、なぜ自分を選んだのか。他に下校する相手はいなかったのか。

 勇香は恒例行事の如く脳内で愚痴に耽る。

 

「転校初日どうでしたか?」


 と、運よく麻里亜から話を振ってきた。


「え、えぇとなんとか、過ごせました……」

「なんとか……友達はできました?」

「まだ友達になったかは分かりませんけど……いろんな人と話せました。自己紹介が終わった後、白百合さんに生徒会室にも連れて行ってもらいましたし」

「そうですか、生徒会室は役員がいればいつでも入室おっけーですからねー。相談とかする気なくても気軽に遊びに来てください」


 まるでこの後、私の教室に遊びに来てよ!というテンションで告げる麻里亜。


「そ、そんな!!畏れ多いです……」

「またまたー生徒会室は学長室とは違ってラフですからね。そだ、今度一緒にゲームでもやりましょうよ。勇香ちゃんはゲーム機とか持ってるんですか?」


 麻里亜のいうゲームとは、昨日生徒会室に足を踏み入れた際、麻里亜が応接ソファに寝っ転がりながらだらだらとプレイしていたモンスター捕獲&育成ゲームのことか。


 ──わ、話題が!!!


 気が引けるなどどうでもいい。向うから提示すればこちらは応答するだけだ。


「い、一応。昨日生徒会室に行った時に銀さんたちがやってたゲームもやってますよ!」

「や、やってるんですか!?」

「はい!」

「そっかーじゃあ今度対戦しましょうよ、言っとくけどボク強いっすよー?」

「私でよければ喜んで」

(銀さん一撃厨なんだよなぁ……)


 まあいい。今まで仕方なく一人プレイしかやってこなかったが、遂に対戦ができるのだ。

 勇香は期待に胸を膨らませ、軽快な足取りで廊下の中央を闊歩する。


「いつにしましょうか」

「じゃ、じゃあ明日でも……」


 だが、いきなり誘っても用事があるかもしれない。

 ここは慎重に麻里亜の予定を聞くことから──


「邪魔」


 どんと、誰かにぶつかった。

 正面を向いてみれば、少女が低い声で勇香に口を突く。


「ひぃ!!すいません!!!!!」


 焦燥して、勇香はぺこぺこと首を下げる。

 前髪を左右に分けた、レモンイエローの髪の少女だ。

 褐色肌で、ブレザータイプの制服を肌の露出多めに着崩し、ピアスやネイルを身に着けた奇抜な格好をしていた。

 少女の背後には、同じような身なりをした黒髪の少女が睨むような視線で勇香を見つめている。

 だが、勇香が詫びると少女は無言で去って行く。

 一難去ったと一息つく勇香だが、隣にいた麻里亜が去り際の少女を諫めた。


「ちょっとー前はちゃんと見て歩くんですよー!」


「すんません」


 乾いた返事をする少女。


「わ、私も見てなかったのでお相子ですよ」


 勇香は少女の側に立ってふんすと鼻息を垂らす麻里亜を説得するが、その勢いで後ろを振り向いた途端。


「ひぃ!!!」


 少女から鋭い視線を向けられ、勇香は委縮してしまう。


「全く、グレまくりじゃないですか」

「ちょっと不良の方だったですね……」

「怖いっすねー不良。今どき流行らないのに」

(表日本では現在進行形でめっちゃ流行ってるけど……)


 兎にも角にも絡まれなくて僥倖ぎょうこうだった。麻里亜が傍にいたからだろう。

 麻里亜と一緒に帰っていたことに、そっと安堵の息を漏らす勇香。

 嫌なことは忘れよう。勇香は早々に記憶の奥底へとしまい、麻里亜と再びゲームの話に華を咲かせながら中央階段を降りた。


 エントランスに降りたところで、麻里亜が唐突に切り出した。


「そだ!暇だし勇香ちゃん家いっていいですか?」


 ずっとお互いにゲーム話を深堀していたからなのか。

 麻里亜に興味を持たれてしまったようだ。


「えっ!?今からですか?」

「なにか用事でも?」


(アニメ見ながらゴロゴロしたかったなんて言えない……)

「何にもないです。行きましょうか……」

「よーし!そうと決まればれっつごー!!!」


 麻里亜の盛大な掛け声に、勇香は苦笑いを浮かべた。


 エントランスを抜けると、勇香と麻里亜は商業区の大通りを練り歩く。

 談笑に浸りながら途中露店に寄ったりもした。

 

 最初は嫌気を差していた勇香だが、誰かと帰りを共にするということは勇香にとって新鮮なものだった。

 麻里亜が自分のことをどう思っているのかは分からないが、この瞬間が「友達」との憩いなのだ

 何故「友達」を欲していた自分が、誰かと帰ることを拒絶し、一人で帰りたいと望んでいたのだろう。

 一人で帰宅していては、間違いなく孤独のままだった。

 勇香は、麻里亜に嫌そうな顔を向けていたことを内心で恥じる。

 しかし、今は楽しまなければ!


 流行りのスイーツを食べたり、共にはしゃぎ合ったり、勇香にとって初めての女子高生の下校風景を体感しつつ、麻里亜に導かれたスーパー(のような店)で一週間分の食材を買い(貰い)、その足で帰路につく。

 

「ここが勇香ちゃんの家なんですね」

「はい、今開けますね」


 勇香はリュックサックから鍵を取り出し、玄関扉を開錠する。

 扉を大仰に開け、麻里亜を招き入れる。


(初めて、誰かを自分の家に呼んだ……)


 なんだか、頬が熱くなってくる。

 こんな感情、初めてだ。


「お邪魔しまーす」

「ど、どうぞ。リビングは二階です」


 麻里亜の後に続いた勇香は、共に階段を登る。


「広いですねー」

「銀さんの家もこんな感じなんですか?」

「うーんちょっと内装違いますけど。そうだ!今度ボクの家にも来てくださいよ」

「え!?いいんですか!?」

「はいはい!大歓迎っすよ!!」


 これはもう、麻里亜は自分のことを「友達」と認識しているんじゃないか。

 なんだか、涙腺がウルッとしてきた。


「ど、どうしたんですか!?」


 勇香の感情も知らず、立ち尽くしたまま己の瞼を片腕で隠した勇香に、慌てた麻里亜がおろおろと勇香を凝視する。


「す、すいません。目にゴミが……」


 勇香はごしごしと瞼を擦り、靴を脱いだ麻里亜をリビングに促した。


「今、お茶入れますね」

「はーい」


 涙腺の緩みを紛らわすために、ソファに座った麻里亜に一声かけると、キッチンで茶葉を探す。

 しかしどこを探しても見つからない。あらかじめ買っておけばよかったと悔恨の念に囚われつつも、仕方がないと昨日半分まで残しておいたお茶を茶碗に注ぐ。

 ちなみにコップで飲んでいたので飲み口に唾液はついていない。


「あっ、Switch!見ていいっすか?」


 リビングの方から麻里亜の声が聞こえた。


「あっ、はい」


 昨日までは、リビングは寂寥せきりょうに包まれていたのに、今日はなんだか騒々しい。

 勇香はやんわりと頬を緩ませ、茶碗を乗せたお盆を麻里亜の元に運んだ。


「どうぞ!」

「サンクス!!あれ?」

「どうしました?」

「これ、ボクのと少し違いますよ」


 そう言って麻里亜はゲーム機のタッチパネルをちょこちょこと指さす。


「最新作ですよ。昔出てたソフトのリメイク版です。銀さんがやってたソフトも一応持ってますけど」

「出てたんすか!?知らなかったー」


 ソファで勇香のゲーム機を思う存分いじくり回し、おぉーだとか、すげーと驚嘆の声を上げる麻里亜。

 その光景をソファの後ろから笑顔で見守る勇香。

 すると、ゲーム機をいじりながら、麻里亜が勇香に話しかけてきた。


「そういえば、生徒会のことは聞きましたか?」

「あっ、はい。生徒会室で」

「ほんと、うちの会長がすみません」


 一度ゲーム機を手放し、麻里亜は勇香にぺこりと頭を下げる。


「いいえ、会長さんの期待に応えられない私が悪いだけですから」

「勇香ちゃんは謙虚なんですね」


 再びゲーム機に視線を移しながら、麻里亜は感心して口を突いた。


「そういう人が、一番生徒会に向いてると思うんですけどねー」

「え?」


 麻里亜の言葉に勇香は一瞬だけ唖然としてしまう。

 褒めてくれてるんだと思う。こんな自分を、

 だけど── 


「会長さんは生徒会長にとてもふさわしい人です。会長さんがいるから、生徒の皆さんは寂しさを吹き払えるのだと思います。だから、会長さんがずっと会長さんでいられるためにも、私みたいな資格のない者は入れちゃいけないんです」 

「それは謙虚じゃなくて、卑屈っていうんですよ」


 続けざまに放たれた、麻里亜の言葉。

 的を得ている。分かっている。分かっているけど、

 勇香は、小さく呟いた。

 

「それが私ですから」



「ちょっとどういうことなの!?」

「どうって、言ったことそのままだって~」


 外界に面した二箇所がガラス張りに阻まれた生徒会室の中は、剣呑とした空気に満ちていた。

 その美貌を無下に晒すかのように顔を歪め、肉薄する金髪の少女──椿川愛華。 

 その様子を怪訝な表情で成り行きに唾棄を呑む聖奈。

 対して、愛華の糾弾に平然と言葉を返したのはアリスだ。

 しかし、アリスの不明瞭すぎる応えに、愛華はさらに声音を荒げて牙を剥く。


「そうじゃないわ。勇香が生徒会の新しいメンバーなんて……あなたは何を考えてるの!?」

「ん?アリスちゃんは至って正常だよ?」

「正常って……大体、勇香を生徒会に招くのは彼女にとって荷が重すぎると、既に生徒会内で結論が出ているの。悪いけど、その案はもう少し考え直して……」

「そんなこと言われてもー学園統括委員会で決まったことだしー」


 ケロリとしたアリスから吐かれた耳を疑う単語。

 勇香を生徒会に選出したのは、他でもない学園統括委員会だということ。


 愛華は言い返すこともできず、ただ息が詰まってしまう。

 押し黙った愛華に変わり、生徒会長のデスクで作業に没頭していた聖奈が席を立たった。


「学園統括委員会?アリス先輩がお決めになったんじゃないんですか?」

「のーのー。委員長が決めたんだよ?だからアリスちゃんより何~倍も権限があるよ。もし異議があるんだったら学園統括委員会まで直談判に行かないとだねー。ま、かいちょーなら結果は分かってると思うけど」


「っ……!!アリスはその決定が、勇香の送るべき学園生活をどれだけ苦しめるか分かっているの?あなたが勇香のことを一番知っているはずでしょ!?」

「別にアリスちゃんは才能をある子を裏日本に連れてくるのが仕事なワケだから~勇香ちゃんの素性をよく知ってるのは当然だし~」


 アリスとの間に齟齬そごがきたし、これ以上の説得は無駄だと悟った愛華は、強硬手段に出る。


「……っ話にならないわ。なら私が直接……」

「会長!!」


 しかし、生徒会室を出ようとした愛華をその一声が阻む。


「聖奈?」

「ダメですよ!!学園統括委員会に異議申し立てなんてハードルが高すぎます!!!最悪失権も!」

「それでも、勇香が私は……」


 席を降ろされるのもやむなし。愛華は意を決して、生徒会室の扉を開けた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る