第14-1話 拠り所(1)

「聖ヶ崎勇香です。趣味は読書とかゲームをすることです。よろしくお願いいたします」


 言葉を詰まらせず淡々と短文を述べた勇香は、話の終止に静かに一礼する。

 

 眼前の生徒たちは、静謐せいひつとしたままだ。


 言いたいことは伝わったのか。

 疑念を持たれることはなかったか。

 一滴の汗が、勇香の額を伝った。

 数秒後、勇香は恐々と顔を上げる。


 その瞬間、生徒中から拍手が沸き起こった。


 ミッション──クリアである。


(できた……できた……!!)


 *


 勇香の自己紹介が無事終わりを告げ、女性教師が一通りの連絡を済ませた後、式は早めに終幕を迎えた。

 恐らく、勇香が生徒たちと交流できるよう女性教師がわざと空き時間を設けたのだろう。

 その証拠に、舞台袖から抜き足で講堂を去ろうとする勇香を、数人の生徒たちが囲んでいる。

 

「聖ヶ崎さーん」

「は、はい!そうでしゅ……っ!」

 

 見知らぬ藤色の髪の女子生徒に話しかけられ、気が動転して語尾を噛んでしまった勇香は、恥ずかしさに口を押さえつける。

 しかし、少女は勇香の不審な挙動に動じることなく、満面の笑みで自らの名を名乗った。


「聖ヶ崎さんって珍しい名前だねー。あたしは市山しやま柊和ひより。よろー!」

「私は遠矢とおや結芽ゆいがだよ。よろしく」


 藤色の髪の少女の隣に佇むおっとりとしたエメラルドグリーンの髪の少女も、勇香に名を告げる。

 それを皮切りに、続々と勇香の周りに名を名乗らんとする生徒たちが群がってきた。


(うっ)


 一瞬だけ、もう憶測に埋まっていたはずの記憶を思い出し、底知れぬ不快感を催してしまう。

 もう一昨日の出来事だ。勇香の転校を嘆き、その様相に哀愁を漂わせる、挙動不審な生徒たちの姿。


『今日で、転校しちゃうんだよね』

『なあ聖ヶ崎、今まで話さないで悪かった。転校するんだろ?』

『聖ヶ崎さん、何かこの学校で嫌なことでもあったの?』

『ごめんね、私たち気付いてあげられなかった』

『勇香ちゃん?』


 きっとその時の記憶よって、数人に周囲を囲まれることが、一種のトラウマになってしまったのだろう。

 

 だが、今周りを囲んでいる生徒たちは至って正常だ。

 別段、アリスの記憶改竄をされたわけではない。

 もっと言えば、同じをした仲間である。

 不快に感じる必要はない。それよか、友人になれるよう善処しなければ。

 勇香は一人一人の自己紹介にぎこちない挨拶で応じる。


「よよよよろしくお願いします!!」


 だが、次から次へと行われる生徒たちの自己紹介に、勇香の動揺が臨界点に達して泡を吹く寸前にまで陥ってしまう。

 が、終始一貫した言葉で応じることで何とか身を持ち堪える。

 そして、転校生の宿命ともいえる、勇香にとっての次の難関は──


「聖ヶ崎さんはどこ出身なの?」


 生徒から次々に降り注ぐ、質問攻めである。


「え?東京です」

「へぇー都会っ子かぁーあたしは京都だよ」

「私は千葉」

「私は宮城ー」


(みんないろんなところから来てるんだ)


 そう考えるのも束の間、別の生徒から次の難問がもたらされる。


「俳優誰が好き?」

「俳優!?」


 なんとも女子高校生らしい質問だが、今の勇香の頭は真っ白である。

 何とかしてテレビでよく目にする俳優の像を思い返すも、名前が思い出せない。

 そうこうしているうちに、藤色の髪の少女から声が上がった。


「あたしは菅田〇暉だよ!!」

「ちょっと柊和には聞いてないってばー」


「私は山田君!」

「山田君はアイドルでしょー」

「もー好きなんだもん!いいじゃない別に!」


「あ、あはは……」


 勇香の回答も待たずに頬を赤く染めた青緑髪の少女がそう言い漏らすと、藤髪の少女からツッコミ代わりの手刀が下った。

 恍惚とした表情を見る限り、彼女は男性アイドルのファンなのだろうか。

 とりあえず、青緑髪の少女が口を挟んだことで、どうにかして乗り切ったようだ。

 さて次は、と身構える。

 すると、藤髪の少女がぐっと勇香に顔を近づけてきて、


「ひっ……!」

「ねぇねぇ、今日はメイクしてきたの?」

「メイク?いや、してないです……」


 そもそも、勇香は自分の肌に化粧をするという試しがない。

 立派な女性になるためと一応母からコスメセットなる物を一式取り揃えて貰ったのだが、一度も触れることすらなく化粧ポーチは埃まみれ。結局それも表日本に置いてきてしまった。

 対して眼前の少女は、アイメイクやチークなど、軽めの化粧は施されている。

 メイクもまともにできない自分の絶望的な女子力のなさに悶絶していると、


「えっ?すっぴん!?」

「……?はい」


 何気なく回答すると、少女は脳天に雷が落ちたように仰天し、それが伝播して周りの女子生徒からも驚嘆の声が立つ。

 しばらく女子生徒たちの反応の意味が理解できず、時が止まったかのように呆然としてしまう勇香。

 すっと我に帰り「顔 反応 驚き」それらのキーワードを自らの脳内ブラウザで検索をかけると、一つの答えに集約した。


(ぶぶぶ不細工ってこと!?!?!?)


 何故か這出る思考一つ一つがネガティブな方向に寄ってしまう勇香。

 そうして再び絶望する彼女を他所に、女子生徒から次の質問が飛んでくる。


「えー羨ましいー彼氏とかは?」

「いないでふ」

「告られたこともないの?」

「ないでしゅ」


「えっー嘘!?いがーい!!!」


 その声と共に生徒たちからどっと笑いが起こる。

 息をするように不細工と罵られた(自己解釈)上に、生徒たちの勢いに呑まれ思考停止してしまった勇香は、その笑いにビクビクと痙攣してしまう。


(陽の空気が……)


「そういえば」

「は、はひ」

「聖ヶ崎さんは生徒会とか目指してんの?」

「え?」


 せ、生徒会?藤髪の少女から唐突にそんな質問をされ、困惑してしまう勇香。


「い、いえ別に」


「聖ヶ崎さんまだ詳しく知らないでしょ」

「そっかーごめん変なこと聞いちゃったね」

「い、いいえ」


 と、生徒たちの後方からハスキーな声が聞こえてきた。


「ちょっと、聖ヶ崎さんが困ってるでしょ。早く次の授業行くよー」


 その後、生徒の群れを抜けてこちらにやって来たのは、灰色の短い髪の少女。

 その少女の声に連れられて他の生徒たちは続々と退散していく。


「じゃあまた後でねー」

「ばいばーい」


 先陣を切っていた少女二人も、灰髪の少女の呼びかけにはーいと踵を返す。


「は、はい」

「あっ、そうだ」

「……?」


 立ち去る足を止め、藤色の髪の少女が此方に振り返る。


「今度、一年のグループチャット入れてあげるね!今スマホロッカーに置いてきちゃったから」

「……!!」


(ぐ、グループチャット!)


 嬉しい。こんなの初めてだ。

 だが、決壊寸前の疲れで愉悦感も表面にでることはなく、


「じゃ、またー」


 そう言って、少女は講堂を後にした。


(た、助かった……)


 その途端、謎の疲労感がどっと押し寄せくる。

 勇香はその疲労感に額を押さえると、よろよろと蹌踉そうろうな足取りで近くの座席に向かい、ちょこんと腰を下ろした。

 

 背凭れに深くもたれかかり疲弊する勇香の元に現れた一人の少女の影。

 気配に気づいて重たい瞼をこじ開けると、ストロベリーブロンドの髪の少女がこちらに缶の飲料を差し出す姿が見て取れた。


「お疲れさま」


 ニコリと笑みを浮かべて缶を渡す少女に、勇香は胸襟きょうきんが温まるのを感じながら受け取る。


「あ、ありがとうございます」


 缶を手に取った瞬間、じんわりと暖かさが掌を伝う。

 パッケージを確認すると「おしるこ」と書いてあった。

 ふたを開けてそれを嚥下すると、口いっぱいにほのかな甘みが広がる。

 肩に溜まった疲れが取れていく。だんだんと気持ちが晴れて来た。

 改まって少女にお礼を口ずさむと、少女は勇香の隣席に座ってカフェラテ缶をぷしゅっと開ける。そして一口啜ると、勇香に瞳を寄せた。


「大人気だね勇香ちゃん」

「まあ転校してきたなら普通じゃないでしょうか。えっと」

白百合しらゆり聖奈せいなだよ」


 微笑を浮かべつつそう述べた聖奈に、勇香は名を忘れていた恥ずかしさで心中で詫びる。


「そ、そうでした、えっと副会長さんはどこに……」

「妃樺ちゃんは勇香ちゃんの自己紹介が終わった後すぐに出て行っちゃった。講義があるからだと思うけど。妃樺ちゃんは会長以外の人とはあんまり関わらない性格だから、しょうがないと思う」

「白百合さんは授業には行かないんですか?」

「うん、一時限目はフリーだから。このあと生徒会室に行くつもりだよ」

「フリーとかあるんですね」


 すると、聖奈はどうかな、と勇香に提案する。


「よければ一緒に行く?勇香ちゃんのこともっと知りたいな」

「えっ……すいません、でもこの後予定が……」


 確か、アリスはこの後に教師とマンツーマンで受講する教科を決めるという予定が控えていると話していた。

 流石に断らねばならず深々と頭を下げる勇香の元に、今度は長身の女性が姿を見せる。


「あら、行ってくればいいじゃない」

「え?」


 咄嗟に振り向くと、そこにいたのは先ほどの女性教師だった。

 艶やかな黒の長髪を肩まで伸ばし、乳白色のスーツを纏った端正な顔立ちの教師。

 教師はブラックコーヒー缶を手に、微笑みながら勇香に声を掛けた。


「生徒会はあなたの心の拠り所なんだから、少しでも馴染み深くしておくといいわよ」

「そうですね。いつでも私たちを頼ってくれると嬉しいな」


 教師の言葉にそう付け加える聖奈。

 当然、既にノーと断れる雰囲気ではなく、


「この紙渡しておくから。生徒会と一緒に決めちゃいなさい」

「は、はい」


 勇香には女性教師から紙切れ一枚と科目リストが同封されたファイルを貰い、立ち上がる聖奈に続けて席を立った。


「じゃあ、行こっか」

「よ、よろしくお願いします」


 別段断る理由もないのだが……丁度いい、もし生徒会長がいれば、あのことを伝えよう。勇香は決意を拳に込め、生徒会室に向かう。

 その姿を講堂の陰で覗いていた二人の生徒の影があった。


「ちっ」


 一人は壁にもたれかかり腕を組みながら、聖奈に付き添う勇香に向けて、バツが悪そうに舌を鳴らした。

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