入学編

第12話 転校前夜

 一応今回から「入学編」が始まります。実質本編スタートです。

 今回はその導入というかプロローグ的な話になります。

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 夕食を済ませ、勇香はキッチンで空になったプラスチックのトレーを洗っていた。

 蛇口から絶え間なく奔る水流が、トレーを洗う勇香の小さな掌に打ち付け、そこから一種の痛苦さえ迸る冷気が浸透してくる。

 表日本にいた頃は、食べ終えた食器は台所に持って行くだけの単純なお仕事だった。

 しかし、一人暮らしでは全て自分一人でこなさねばならない。

 若干億劫に感じるも、臥薪嘗胆がしんしょうたんと己に言い聞かす。


 すると、胃の中でぐぅと鈍い音が響いた。

 やはり寿司だけでは昼から空白になった腹は満たされなかったようだ。

 

 仕方なくポットで水を沸かそうと考えるも、コンロの付け方が分からない。


(なんでここだけ古典チックなんだろう……)


 愚痴を垂れつつ、昔見た城が動くアニメ映画のワンシーンを唐突に思い出す。

 薪をくべればいいのか、だがキッチン中を探してもその薪は見当たらない。

 

(あの暖炉のところにあるのかな)


 そう察し足を動かしようも、暖炉の近辺にお目当ての物は見つからなかった。

 アリスに連絡を取ろうにも、連絡先を交換していないことに驚愕する。

 そもそもスマホ持ってるの?

 

(うぅ~こんな時に魔法が使えたら~)


 一抹の叶わぬ願いを吐きながらキッチンに戻り、沈鬱な気持ちのまま衝動的に薪ストーブを開く、と──


「えっ?」


 既に薪はくべられていたようだ。


(初回購入特典……ってやつ?)


 動揺して何とも分かりずらい例えをしてしまう勇香だが、これで炎の動力源は揃った。

 後は火を灯すだけだが……


(マッチなんか持ってきてないよ……)


 今度はライター、的なものがないものかとキッチンの周囲をキョロキョロと見まわすが、


(Nothing……)

 

 魔法か?炎など魔法でつけろというのか?

 

(うぅ~こんな時に魔法が使えたら~)


 勇香は二度目の叶わぬ願いを吐き出す。

 と、薪ストーブに何かボタンらしきものが付いているような。


(ま、まさか……)


 恐る恐る、指先でちょこんと押してみる……

 すると、ガラス越しに薪ストーブ内がオレンジ色の光を放ち、炎がゴウゴウと燃え上がった。

 

(は、はは……みんなそういうからくりかぁ……)


 慣れよう。慣れるしかない。そう心に留めた勇香だった。


 その後ポットでお湯を沸かしてカップ麺に注ぎ、

 五分経過後、勇香は豚骨醤油味のカップ麺をじゅるると嗜んだ。


 *


(これで、腹八分目くらいは満たされた……)


 ふぅと肥えた腹を摩る勇香。

 さて、表日本にいた頃の勇香は、夕食を終えてから就寝までは自由時間だ。

 自室に籠り、ひたすらにゲームや読書(漫画)に身を浸る。

 この世界でももちろん可能だ。むしろ、夜更かしを母に咎められることもない。


(よしっ!)


 勇香はキッチンでカップ麺の容器を洗浄し近くの屑入れに放り込むと、そのままの勢いでリビングのソファにばふっと飛び込む。

 実家のソファは常に誰かが腰かけていたので、横になることはまず不可能だった。 

 その点、この誰もいない状況では独占できるのがありがたい。


 ふかふかだ。勇香はしばらく、羊の羽毛のように柔らかい感触に顔をうずめて陶酔する。

 数秒後、すっと顔を上げ、ソファからだらんとぶら下がっている片手でいつの間にか床に落ちていたゲーム機を拾い上げた。

 そして、最近誕生日プレゼントで両親から買ってもらったモンスター捕獲&育成ゲームに勤しむ。

 テレビがあれば、画面を接続して大画面でプレイできるのに。

 いつかこのドでかいリビングに有機ELを置いてやろうと、勇香は胸に刻んだ。


 そのゲームは人気シリーズの最新作。度重なるおねだりの末に獲得した逸品である。

 普段ならバイトで得た給料で買え!っと一蹴されて終了だったが、今回は誕生日と受験合格記念で偶然にも容赦されたのだ。


 もしかしたらそれが、自分が裏日本に渡ることを暗示していたのかもしれないが。


(な、なに私ネガティブなことを……)


 一日に数時間程度の娯楽のはずが、剣呑していては楽しむものも楽しめないだろう。


 勇香は余計な心情など心外に放棄し、ゲームに身も心も委ねた。

 

 *

 

 ゲーム内の作業も一段落し何気なく時刻を確認すると、二十一時を回っていた。


(お風呂入ろ)


 勇香はゲームデータをセーブすると、ゲーム機をソファに置きっぱなしにしてばっと立ち上がる。

 そうして、二階のまだ足を運んでいなかった部屋に向かい、扉を開けた。

 その部屋に入ると、目の前の短い廊下に二つの扉があった。

 片方の扉をスッと開けると、中には見慣れた純白のトイレが。


(普通のトイレ)


 中世のトイレはこんな最新機種だったのかとネットで調べてみるが、あまりにもできた代物ではなかったのでこの見慣れた形状で安堵する。

 扉を閉め、もう片方の小部屋へと向かう。

 部屋の前は脱衣所になっているようだ。向かって前方の正面には洗面台が。

 さらに、脱衣スペースを挟んだ扉の後方には棚が設置されており、脱いだ衣服を放る籠もあった。

 服を脱ぐのは後にして、一先ず扉を開けてみる。


 開いた途端、心地よい森の匂いが鼻腔をくすぐる。

 部屋の内部は焦げ茶色の木壁と大きな窓が二つある、なんとも素朴な空間だ。

 そして、窓際にはどこかの貴族が愛用してそうな独立した大きめのバスタブが一つ。

 バスタブに併設されている銀色のシャワーヘッドは壁から突き出た仕様だ。

 とりあえず蛇口を捻り、浴槽に少し熱いくらいのお湯を溜める。

 このお湯も魔法で温められているのだろうか。


 数分後、己の華奢な身体で浸かっても溢れない程度の量になったのを確認し、一目散に服を脱ぎタオル一枚を持ってバスルームに入る。

 表日本では、自室に籠ってゲームをしているうちに両親に先を越されてしまうので一番風呂など夢のまた夢だったが、皮肉にもここでは夢が叶ってしまっている。

 そんな優越感に気分を弾ませ、勇香は桶で軽く身体を洗い流してから、ゆっくりと左足から浴槽に浸かった。


(き、気持ちぃ~)


 天井にぶら下がった小さな電球が淡いオレンジ色の光を灯し、浴室全体を幻想的な雰囲気にさせる。

 暗いが窓の外の景色も、ぽつぽつと町の明かりが煌めいて美しい。


 思えば家からも浴室の小さい窓から近くを流れる川を一望出来たな。

 まだ親とお風呂を共にしていた頃は、それを川と知らなくてよく親に質問攻めしてたっけ、


 唐突にあふれ出た思い出に身を沁みながら、華奢な肢体を肩まで湯船に沈める。

 この日、勇香は溜まりに溜まった疲れを洗い流すため、一時間以上も浴槽で瞑想し続けた。


 *


 風呂上り。顔を真っ赤にした勇香は、ピンク色のTシャツとショートパンツに着替えた。

 頭がくらくらする。のぼせてしまったのか。

 ドライヤーで金糸の髪を乾かし、シャコシャコと歯を磨く。

 その後キッチンに向かって蛇口からコップに水を灌ぎ、それをごくごくと飲み干した。

 歯を磨いた後に水を飲むと、やはり歯磨き粉のミントの残り香が口いっぱいに漂う。


 やんわり落ち着くと、リビングに戻りスマホを手に取る。

 ソファでゲームをしようかと考えるも、アリスに夜更かしはするなと言われた矢先あまり長時間ゲームをしているわけにはいかない。


 勇香は一度ゲームをし始めると、時間感覚が狂ってしまうのだ。

 その証拠に朝までゲームをし続け、瞼の下に大きな隈ができた自分を見た母に、学校前だというのに一時間ちょっと説教された覚えがある。


 ──そんなこと、あったなぁ 


(もう、寝よ)


 勇香は二階の照明を消し、三階へ続く階段を登る。

 木の階段は、勢いよく踏むとドタドタと快活な音が鳴った。

 三階は八畳ほどのベットルームだ。

 扉を開けると、周囲には漫画がぎっしりと詰まった本棚が。

 さらに窓際にはダブルサイズのベットとデスク、そして椅子がある。

 そのデスクの上には山に積まれた紙束と共にビニールに包まれた紅色の制服。


(そうだった、資料見ろって言われてたんだ)


 勇香はデスク上のブックスタンドに立てられている本を一冊手に取り、同時に衣服をのかし、紙束を腕で抱える。

 そしてスリッパを脱ぎ捨て、ベットに重力を委ねどすんと身を投げ出す。

 そこには御馴染みの長細い抱き枕が。とあるゲーム作品のオフィシャルショップで、駄々を捏ねてまで入手したイタチ型モンスターの抱き枕。

 ベットに横になってそれを全身で抱きながら、勇香は手始めに紙束に目を通す。


(うへぇ……)


 その紙束一枚一枚には空欄や何かを書かねばならない記入欄がそこかしこにあるようだ。どうやら、これがアリスが午前中に口にしていた「してもらわなきゃいけない事務作業」の正体らしい。

 仕方なくベットから立ち上がり、デスクの椅子に座った勇香は、備え付けられた羽ペンを片手に黙々と書いたり読んだりを繰り返す。

 大体三十分経った頃、全てを成し遂げた勇香はすっと背を伸ばすと、茶色い本だけを抱えて再びベットに飛び込んだ。

 その本は職業図録だ。

 一通りページをパラパラとめくり、目当てのページに小指を挟む。


(やっぱり私は、これがいい)


 特に大きな理由はない。ただ単に好奇心に誘われるままに。

 アリスや愛華から向いていると念を押されたのもきっかけだ。

 単純に己の内に秘めた力を褒められたことが嬉しかっただけだが、


 そういえば、愛華から生徒会への誘いも受けていたのだと、今更になって記憶を掘り返す。

 むむむっと唸るも、やはり行き着いた結論はただ一つ。


(私に生徒会なんて、務まりっこない)


 誘ってくれたのは素直に嬉しいが、勇気を出して断ろう。

 今日の聖奈や麻里亜の発言から察するに、この学園の生徒会は自分にとって重責すぎる、と思う。

 不器用な自分に多忙な生徒会の仕事が務まるとも思えないし、なにより他の生徒から余計な反感を買いたくない。

 もし自分が生徒会の一員となれば、必ず罵詈雑言の的となるだろう。

 それによって愛華にも迷惑が被る恐れがある。よく政治家の間で耳にする任命責任というやつだ。

 もう非難されるのは嫌だ。とはいえ、良い気分にはなれない。

 だったら最初から辞退してしまえば済む話だ。

 勇香は拳の力を緩め、そっと本をベットの上に手放す。

 そして、反対側に握っていたスマホを顔の正面に持ってくる。

 寝る前に少しだけネットサーフィンを、そう手を動かそうとした勇香の脳内を、ある言葉がぎった。


(あれってどういうことだったんだろう)


 勇香はぼんやりとSNSを開く。

 そのトレンドページ。上位トレンドの一つに、気になる文字の羅列があった。


『行方不明』


 それを見た途端、タップせずにはいられなかった。

 ワンタップ後、速報として目立つように画面に這い出てきたのは、ネットニュースの見出しだった。


『また少女が行方不明、今年に入って初』


 その少女が誰なのか、まだ断定できずにいた。

 勇香はおもむろに、リンク先のニュースページを開く。


『今朝、東京都月野森市で女子高校生が登校直後に失踪……』


(これ、私のニュースだ……)


 少しずつスクロールしては、その文章を黙読する。

 速報だけにまだ数カ所の誤字も見受けられるそのニュース記事は、勇香が失踪した後の様子や泣き崩れる両親の声が克明に記述されていた。


『女子高校生の自室からは私物と思われるもの全てが無くなっており……』


 なんでだろう。スクロールをする指が、だんだんと震えてくる。

 ただ文章を読むという簡単な作業なのに、こんなにも胸が締め付けられる。


『警視庁は誘拐事件を視野に入れて捜査を始めたが、未だ消息は掴めておらず……』


 鼓動がドクドクと脈打つ。

 次第に、目頭がジンジンと熱を帯びてきた。

 なんで、こんなになるんだろう。自分で決めた選んだ運命なのに、


(お父さん……お母さん……っ)


 アリスが言い放った言葉。


『表日本の事とか、あんまり知らない方がいいよ』


 ようやく、その意味が分かった。でも、遅すぎたのだ。


 だって気づいた頃には、家族と過ごした思い出の数々が、封を解いたかのように溢れてきたのだから。


 ──幼い頃、家族四人で行った海水浴。カナヅチだった自分を、一緒に泳ごうと手を繋いでくれた妹。



 ──妹とボール遊びをしていた時、いつも振り回されていた自分を、笑いながら写真に収めていた父。



 ──授業参観、来るなと念を押したはずだったのに、授業中後ろを振り向いてみれば、中央のど真ん中で手を振っていた母。


 高校受験で第一志望の高校に合格したと告げると、両親は泣いて喜んでくれた。


 誕生日プレゼントで、両親が最新のゲームソフトを買ってくれた。


 そのゲームソフトをゲーム慣れしていない父に普段の仕返しだからと、少し語勢を強めながら教鞭きょうべんを執りつつ、結局一緒になって遊んだ。


 本当は妹とも遊びたいと時折顔を俯かせてしまう自分を見兼ね、母が家事を小休止してまで二人のゲームプレイ姿を観戦していた。

 


──ははっ、お前はまだ子供だな!

──もう、また遅くまでゲームして!



──お姉ちゃん、またボールで遊ぼう!


 同じテレビ番組を見て笑い合ったり。誰かの誕生日をみんなで祝ったり。

 時には食事中にスマホをいじって、夜更かしをして、母に怒られて、

 ただ、家族と平穏な日常を過ごしていたかった。なのに。なのに……



──もう、そこには戻れないの?



「うぅ、うぐ」


 途端、勇香のアメジストの瞳から、一筋の雫が零れ落ちた。

 それは滝のように次々と頬を伝い、勇香はしわくちゃの顔を覆い隠すように、抱き枕を掴んだまま顔をうずめる。


 いやだ、そんなのいやだ。


 もう戻れなくなるなんて、帰れなくなるなんて、

 このまま勇者として、人々を襲う魔獣と日夜戦って、


 戦って、戦って、戦って、


 その身が朽ちるまで魔獣と戦い続けて、戦い疲れて、

 

 その果てにあるものが、のみだったら、



 ──帰りたい



 帰りたい帰りたい


 帰りたい帰りたい帰りたい


 嫌だ。そんなの嫌だ……


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!!!!!



 *



 想いが頂点に達すと、人は自然と我に還るものだ。

 勇香は抱き枕を手放し、仰向けでじっと天井からぶら下がった電球の中にある、蝋燭の炎を見つめる。


 その淡い光は、荒んだ心を撫でるかのように、優しく勇香の額を照らす。


(なに、後悔してんだろう……自分で、決めたことなのに)


 勇香はベットに投げ出されたスマホを手に取りニュース記事を閉じると、再びトレンドページに戻る。

 と、行方不明の文字と共に、もう一つだけ、気になる単語があった。


『原因不明』


 なんとなく、その先に何があるのかは推測できた。

 勇香は恐る恐るその文字を上から押してみる。


『東京都月野森市のカラオケ店で火災。居合わせた高校生ら三十人以上が一時閉じ込め』


 案の定、出てきたのはさっきと同じネットニュースアカウントの記事だ。


(やっぱり、あのカラオケのだ)


 だが、そのページを開くことはなかった。

 もし開けば、また自分を後悔してしまうから。


 今日はおとなしく、寝入ることにした。













『月野森市カラオケ火災。不審な消化。目撃者によると、……』

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