第11話 現実

「ううううう嘘ですよね!?いいい一棟まるごと貸し切りなんて!?!?!?」

「勇香ちゃん驚きすぎー」


 もし先刻のアリスの発言を聞いて腰を抜かさない者など、それはもうどこかの大金持ちの御子息が御令嬢くらいである。

 アリスに告げられたにわかに信じがたい内容。それは目の前の勇香の実家ぐらい、はたまたそれ以上の広さはある一軒家が勇香専用の居住空間だということ。

 使用期限が三年間だけという制限を踏まえても、到底釣り合わない。

 だが、このような超好待遇があるからこそ、勇者という存在はこの世界でどれだけ貴重なものかが理解できるだろう。


「ななななんで私がこの家を独り占めなんか……!?」


「開校した時に沢山の生徒を受け入れるために建てまくってねー。この世界は魔法っつー便利なのがあって建設にかかるコストがとにかく安いのよ。それで勇者養成学園はこんな東京ドーム何個分って表現できるような規模になったんだけどね。んで本当は二人で一棟の寮みたいにするつもりらしかったんだけど、才能のある女の子があまりにも少なすぎて住宅を持て余しちゃったんだよねー。供給過多ってやつ?」


「無理です無理です!!わわ私がこここんな所に住めるなんておこおこ烏滸がましいです!!!!!」

「もぅーふくちょー君みたいなこと言わないでよ。さ、中入ろー」


 平然と言ってのけ、扉の鍵をカチャリと開けるアリスだが、勇香の焦燥具合はとっくに過去最頂点に達しており、とても後に続いて家に足を踏み入れることはできそうになかった。


「おーい何そこで棒立ちしてんの?中入ろうよー寒いじゃん」

「わ、私野宿でいいのでその家はアリスさんが使ってください」

「勇香ちゃんどんだけ自分に自信ないの?早く入ろうよ。ていうかその言い方だとアリスちゃんが浮浪者みたいになってるしー!」


 トテトテと戻ってきたアリスに腕を引っ張られ、勇香は渋々とアーチ状の玄関をくぐる。

 小声でお邪魔しますと漏らしやっとのことで中に入ると、玄関を超えてすぐ先には上の階へ続く階段があり、その横には広い石煉瓦の空間が広がっていた

 どうやら一階は表日本でいうガレージのようなスペースらしい。


「一階は工房だよ。魔術の実験とかに利用するための部屋のこと。階段を上がった二階からが居住空間だね」


 そう言い捨てて土足のまま石造りの階段を登っていくアリスに、えっ、と呆気にとられるが──よく床を注視すると、日本古来の靴を脱ぐ段差のような場所はなかったため、仕方なく靴を履いたまま階段を上がった。


 だが、階段の先の壁には、靴を収納する棚が埋め込まれていた。流石に日本人仕様にはしてくれているらしい。

 アリスに釣られて勇香も脱いだスニーカーを棚に入れ、代わりに備え付けのスリッパをスポっと履く。

 そうして左側の扉を開けて二階に踏み入る。二階はリビングのようだ。


 部屋は縦長の長方形でかなり広め。

 木目調の床に、部屋の右側部分に設置されているのは木製のダイニングテーブルとチェア。その奥には小さな部屋が二つがある。片側はキッチンのようだ。


 左側部分には豪勢なソファの目の前に暖炉が一つ。残念ながらテレビはない。

 壁は四角く粗い石材が積まれているシンプルな造りであり、規則的に小さな窓が設置されている。天井には質素なシャンデリアが二つ。

 また、二階の入り口の直ぐ横には無垢木の階段があり、更に上の階まで繋がっているようだ。

 まだ必要最低限の家具が置かれただけのモデルルームのような内装だが、ソファの上にはリムジンに詰め込んでいた荷物が無造作に乗せられている。

 どうやら学校見学をしている間に誰かが此処まで運んでおいてくれたらしい。

 と、アリスが入り口の脇のボタンをかちっと押す。するとシャンデリアの電球?の中の炎がぼっと灯った。

 この世界は魔法が使えるため、電気ではなく魔法で炎が灯る仕組みなのだろう。


「とりあえず、荷物の整理しよっか」

「そうですね、みんな部屋の隅の見えないところに……」

「いやだからここ曲がりなりにも勇香ちゃんの家だって!!いい加減自覚しよ!?」


 はいっと細々と言葉を返すと、ソファに置かれた段ボールをアリスと共に一つずつ床に移動させ、封されていたガムテープをベリッと剥がす。


「ねえ、この箱の中身ゲーム機と漫画しか入ってないんだけど?」

「そうですよ。本棚ってあるんですか?」

「三階にあると思うけど……でもこれ本当に持ってくるべきものだったの?この世界魔法があるんだよ?創作に逃げなくてもさ!」

「アリスさんは分かってないですね。創作じゃないと楽しめないこともあるんですよ。ちなみに私漫画とゲームがないと一週間以内に死にます」

「勇香ちゃんはセミか何か?」


 と言っても、少女漫画や恋愛小説、ゲーム等々の娯楽物を持ち込んだ生徒は勇香に限ったことではないので、深く追求することはやぶさかだと切り捨てたアリス。

 合計七つの段ボール(そのうち三つは漫画やゲーム関係の物しか入っていない)を全て開封すると、アリスは衣服が収納された段ボールのひとつをスっと持ち上げ、木の階段をズシズシと登っていく。


(あんな重いものよくいっぺんに持てるよね)


 呆然と口漏らしつつ、勇香は日用品が入った段ボールから古めかしい写真立てを取り出す。

 当然、この品は裏日本こちらに持参した数多くの荷物の中で、一番大切な物と断言しても過言ではない。

 なぜなら、愛する少女との唯一の手掛かりにして、繋がりなのだから。

 できるだけ目立つところに置きたいが……熟考の末、とりあえずダイニングテーブルに置いておこうかと足をきびきびと動かす。

 すると、階段からいかにも軽そうな段ボールを持ったアリスが軽快に降りてきて、おもむろに勇香が手にしている写真立てを見つめた。


「あっ、その子が勇香ちゃんの妹さん?」

「そうです。勇菜って言います」

「へーそうなんだ。むむむ?それにしては身長が大して変わらないような気が……」


 何やらアリスのスイッチが再び起動しそうだったので、勇香はさらっと話題を逸らす。


「というかアリスさん速すぎませんか?あの量の漫画よく一瞬で本棚に収納できましたね」

「ふふん!魔法の力で秒だよ」

「あの一応聞きますが、ちゃんと巻数ごとに並べましたか?」

「細かいなー別にいいじゃん漫画ごとに並んでいれば」

「いいわけないですよ!!やり直し!!!」

 

 えーっと愚痴を垂れながらも、あっけらかんとした顔で再び三階へと消えてゆくアリス。

 それを見届けつつ、勇香は写真立てをダイニングテーブルのド真ん中にコトンと置いた。


(さて、じゃあ私も残りの荷物を三階に)


 そう小さな決意をし、勇香は大量に漫画が所狭しと並べられた段ボールの前に正座するが、とてもこの量を勇香の非力な力で持って行くことは己の力量では叶わない。

 仕方なく段ボールから取り出して数冊ずつ運ぼうと決し、漫画を手に……


(侵撃の巨神……ここに入れてたんだ)


 衝動的に心に呟くと、さっとページを開く。


(ふふっ、このシーンアニメで見た時鳥肌立ったな……)


 何気なく開いたページを無心で眺めた途端、勇香は恍惚な表情に様変わりしてしまう。


(リヴァン兵長、やっぱりかっこいい……)


「ちょっとー!!アリスちゃんが魔法を駆使して勇香ちゃんに言われた通りてーねーに漫画を並べてた間に何してんの!!!」

「はっすいません!!!」


 どこからかアリスのけたたましい声に我に帰ると、ぷんぷんとリスのように頬を膨らませたアリスが仁王立ちしていた。

 勇香はばっと漫画から手放し、直立になりながらアリスに詫びる。

 その後、勇香は何冊か手に取って二階と三階を行き来し本棚に収納を繰り返す。

 途中、再び軽い気持ちで開いた漫画のページに意識を移され、目撃したアリスに成敗されることもあったが、なんとかして最後の一冊を本の隙間に填め込んだ。


 三階の本棚は、漫画喫茶を思わせるかのようにぎっしりと漫画が収まっていた。


 三十分かけて、荷物を全て運び終えた二人。

 アリスはふぅと息を吐いてソファに座ると、隣では勇香がはぁはぁと息を荒げながらへたり込んだ。


「はぁーひとしきり運び終わったね」

「はぁ……はぁ……はい……」

「疲れすぎじゃない?水でも飲めば?」

「大丈夫です。それより、お腹空いた……」

「おぉ、よく考えればそんな時間だね、じゃあご飯でも食べに行く?」

「もう……動きたくない……です……うーばー……いーつを……」

「ないよないない。アリスちゃんが買ってきてあげるから勇香ちゃんは待ってて」


 疲れ果てた勇香を見兼ねてアリスはそう情けをかけると、勇香ははいと掠れた声を漏らした。


 *


「じゃあアリスちゃんはここで。明日は朝八時ごろに迎えに来るから、それまでに渡した制服に着替えておいてね。あっ、あと添付された資料には必ず目を通すこと。職業も決めておいてね」

「分かりました」


 時刻は午後六時過ぎ、いくつかの食料が入った手提げ袋を手に下げたアリスを、勇香は玄関先でスマホを片手に応じる。

 アリスはそっと、その握られたスマホを一目見て、


「もう満喫してるようだね~案外順応するの早かったりする?」

「あっはい、空腹感を紛らわせるためにソファで寝転んでスマホゲームしてたらいつの間にか慣れてました」

「そ、そっか……それは良かった。あ、一つだけ、スマホを使う勇香ちゃんにアリスちゃんから忠告しとくね」

「なんでしょう?」


「表日本の事とか、あんまり知らない方がいいよ」


「……?」


 言葉の意味をうまく汲み取れずしばらく沈黙してしまうが、アリスに「はいこれ今日の食糧ね~♪」と手提げ袋を渡された勇香は、疑問交じりにありがとうございますと言葉を返した。 


「じゃ、アリスちゃんはここで、夜更かしはしないで早く寝るんだぞ~」

「はい、今日一日ありがとうございました」


 そう言い残し去って行くアリスを、勇香は手を振って見送った。


(表日本……?どういうこと……)


 だが、そんな思索も胃袋の悲鳴に負け、勇香は玄関の扉をバタっと閉めた。


 勇香がドタドタと階段を登るも、石煉瓦の階段はたいして音は響かない。

 少しは物淋しさを感じるが、とりあえず空っぽになった胃を満たすためアリスが買ってきた……いや貰ってきた食料を頂こう。

 ビニール袋をダイニングテーブルの上に乗せると、中も確認せずに箸は箸は……とキッチンに足を運ぶ。


 キッチンは調理台や二つに分割されたシンクの全てが一つの石材で造られており、いかにも中世を彷彿とさせる。コンロですらガスではなく、薪を燃やした余熱で温めるという薪ストーブのような物のようだ。また大きな窓が二つあり、そこから外の景色が見渡せる。

 念のため箸やお気に入りの茶碗など、ひとしきりの食事用品を取り揃えてきたのだが、キッチンの後方にある食器棚を見るとそれらが全て常備されていたため、その必要はなかったようだ。

 また、食器棚の隣には小さな冷蔵庫が鎮座している。ここだけ場違い感半端ないが、コンセントのような類はなく、こちらも動力源は魔法のようだ。


 食器棚から箸を取り出すと、一目散にダイニングテーブルに戻り、ビニール袋の中身を取り出す。

 中には、まさかの寿司十貫とカップ麺、プリン、ペットボトルのお茶が入っていた。


(アリスさん、私を子供扱いしすぎでは……?)


 とはいうものの、この世界で寿司を食せるのは素直にうれしい限りだ。

 勇香は椅子に腰かけると、いただきますと小声で手を合わせてから添えられた醤油を醤油皿にまぶす。


 昨日までは家族団欒で食卓を囲んでいたというのに、

 何気に、一人で夕食にありつくのはこれが初めてだ。

 

(うん、おいしい)


 まごうことなき卵巻き。だが、材料の卵は裏日本で採れたものなのか。

 続けざまに、サーモン、いくら、アナゴを口に運ぶ。どれも変わらぬ味わいだ。

 大本命の中トロは最後に取っておくとして、勇香は一度お茶を口に含むと、傍に置いていたスマホを手に取る。

 普段なら食事中にスマホを弄るなど両親から怒りの鉄槌を喰らうのだが、この世界には勇香を戒める者など誰もいない。

 

(溜めてた動画の続き見よ)


 勇香はスマホを横向きでテーブルに置くと、動画配信アプリをタップした。


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