第7話 転校の真実
「君は、この学園で何かやりたいことがあるんだろう?」
「え?」
オフィーリアから放たれた言葉に、勇香は一瞬だけ全身が凍り付いた。
その言葉はまるで、自分がそのことを話していたと既に知っているかのように。
だが、オフィーリアは口を緩めて謙遜しながら言葉を加える。
「いや、すまない。君がここを訪れる前、アリス君から少し聞いてしまってな。話したくなければ構わないが」
「だ、大丈夫ですよ」
ネタを明かされ勇香はほっと一息つくと、全身が軽くなる。
やりたいこと。それは至極単純、しかし勇香にとって呪いのようなものだった。
勇者養成学園で、いや裏日本にやってきてまで、勇香の心にぽっかりと空いた穴を塞ぎたい。また、その人と笑顔で触れ合いたい。ただ、それだけ──
「私、一つ下の妹がいるんです」
「妹?」
「はい、ファンタジー物の作品が大好きで、陰気臭い私よりずっと、天真爛漫な子でした」
「でした……過去形か」
「三年前、ちょうど私が中学生に上がった頃、行方不明に、なりました」
その言葉に、オフィーリアは沈着だった瞳を丸くして思わず言葉を漏らす。
「なんだと?」
「警察の人にも、妹の行きそうな場所とか、いっぱい探してもらったのに……それでも、見つからなくて……」
「ほう。失踪した日の、妹の様子はどうだったんだ?」
話に耳をそばだてるオフィーリアが、そんな言葉を投げかけてくる。勇香はそれに動揺しつつも、話を続け、
「実は、その日の記憶が全く思い出せなくて、妹が何でいなくなったことすら、分からないんです。家出するような性格じゃなかったし、ましてや喧嘩なんて、一年に一度か二度するくらいだったので……余計に分からなくて……」
語りかける勇香の小さな手が、徐々に震えてくる。勇香はそれを抑えるように、Tシャツの裾に、自分の両手を重ねて握り締めた。そんな痛烈な感情を感じ取ったのか、オフィーリアの顔が徐々に険しくなる。
「それから三年経って、アリスさんが来て、もしかしたら、この世界にいるかもしれないって、勝手な憶測ですけど。私がここへ来た時みたいに、勇菜も勇者養成学園に連れてこられたのかもしれないって、思ってしまって」
「そうか、私なりの見解ですまないが、今の話を聞いた限り、君の妹が此方の世界に連れてこられている可能性は十分すぎるほどありえる。なぜなら、此方の世界に来た者たちは、向うの世界では消息不明扱いにされているのだからな」
「え!?」
オフィーリアの突飛な答えに、勇香は驚きでオフィーリアが肘を乗せるデスクを両手でバンと叩いてしまう。
「す、すみません……」
しかし、オフィーリアは動じることなく、淡々と言葉を放つ。
「君も不審に思っただろう。此方の世界に連れてこられる前、君の周囲の者たちの異様な反応を」
「それは……」
思わないはずがない。一種の気持ち悪さまで沸き上がった、あの時の両親やクラスメイトの表情や言葉の数々を。
そしてオフィーリアは、勇香を混沌に貶めたその出来事を──まるで自分が引き起こしたのだと語るように、静かに、そして重たく、言葉を吐き出した。
「あれは、君を円滑に勇者養成学園へ転校させるため、私の指示の下、アリスが一時的に君の周囲の者たちの記憶を改竄しているのだ。そして君がこの世界へやって来た後、その者たちの記憶は改竄される以前に戻り、君が勇者養成学園へ
「嘘でしょ……!?」
頭が真っ白になった。絶句して肩がガタガタと震える。
緩やかに刻んでいた心臓の鼓動が、再びドクドクと激しく脈打つ。その音は、オフィーリアの耳にも容易に届くほどに。
元凶。勇香の運命を捻じ曲げた、理不尽な選択肢を叩きつけた張本人が、今、目の前にいる。そのことで激しく狼狽してしまった勇香は、遂に吐き気さえも催し、その場にガクッと膝をついてしまう。そんな勇香の肩を、アリスがそっと支えた。
「勇香君……」
その事実を話して驚愕し、涙さえ流した生徒たちの姿をオフィーリアは何回見てきたのだろうか。何百回、いや何千回か。それを見る度に胸がズキズキと痛み、酷い痛苦が襲ってくる。
分かっている。自分も十分にその気持ちを理解している。だって、それによって、自分は何度も──絶望で尊い命を絶つ者を見てきたのだから。
「本当の話だ。私を責めてくれて構わない。私自身、この方法がどれだけ極悪非道で残酷なことかは重々承知している。だが先刻の通り、毎年魔獣との戦いで大勢の勇者がその命を落としている。従って、新たな勇者の人材は喉から手が出るほど欲しているのだ。一人でも多くの勇者を育てるために、現状、それ以外の方法を行使することはできなくてな。本当にすまないと、謝っても謝りきれない。だが謝らせてくれ、申し訳ない」
そう言ってオフィーリアは立ち上がり、深く腰を曲げる。
アリスの支えでようやく腰を上げた勇香は、自分に頭を下げるオフィーリアを眺めて、そして驚愕した。
自分を絶望の淵に追いやった張本人が頭を下げ、非を認め、自分に謝罪しているのだ。
自分がこの女のせいで、何度も心を震わされ、惑わされ、苦しめられたのかは計り知れない。ましてはこの女に、その気持ちを理解できるはずないだろう。いや理解してほしくもない。理解したところで、それを当然とやり続けていた女に、罪悪感など存在しないはずなのに、
なのに、どうして──そんなに頭を下げる。
「顔を上げてください。仮に改竄されていなくても、私は多分、ここに来ていたと思います」
「勇香君は、私を恨んでいないのか?私は、君の辿るべき運命をいたずらに操った元凶なのだぞ?」
「正直……今……あなたを殺したいほど憎いです。でも、無理ですよ……そんなに深く謝られたら、私、もう何が何だか……」
だんだんと涙ぐみながら、弱音を吐く勇香。そんな勇香に、オフィーリアはぽつりと言葉を漏らす。
「君は、優しいのだな」
「優しくなんか、ないです。私は昔っから、何も変わってません。自分の意見もはっきり伝えられないし、行動にも移せない。いつも愛想笑いを浮かべて、従ってるだけ。だから……私が弱いから……いつも酷い目に会うんです……私は自分が大嫌い、こんな惨めで何もできない……私が……」
「いいや、君は優しい。少なくとも、君の自由を身勝手に縛り付けたであろう私を、そうやって許容できる優しさを持ち合わせているのだから。やはり、アリスが連れて来た君の才能は間違いではなかったようだ。力ではなく、その心がな」
「……!!」
一息置いて、オフィーリアは話し出す。
「もし君の妹が君と同じくして
「あ、ありがとうございます……!!」
オフィーリアの言葉に、勇香は瞳を潤ませ、はきはきと言葉を返す。
「アリスさんは何か知らないんですか?」
「うーん。アリスちゃん、今まで何人も才能のある女の子を裏日本に連れてきてるわけだけど、聖ヶ崎なんて珍しい名字そういないから、知ってるとしたら絶対覚えてるんだよねえ」
「じゃあ、知らないんですね」
「うん、ごめんね」
申し訳なさそうに、アリスはそう口を漏らす。
「オフィーリアさんは!?」
「すまない……」
「そうですか」
自責の念で目を瞑ったオフィーリアの応えに、勇香は俯き気にそう口を漏らす。
だが、ひとまず、目標が定まった。
この世界に来て、勇者になって、生き別れた妹を探す。
それが、勇香の出した答え──そしてちっぽけな意志だ。
「えっと、泣いてしまってすみません。そして、ありがとうございました。アリスさん、いきましょうか」
「うん、そうだね」
そう言って、勇香はオフィーリアの元を去る。別れ際、アリスもそれに追随しようとしたとき、オフィーリアがおもむろにアリスに話しかける。
「強いな。あの少女は」
「ふふん!だってこのアリスちゃんが見つけた才能なんですよ?」
「そうだな……」
アリスはニコリとした顔を向けて、部屋を出ていく。
誰もいなくなった学長室、オフィーリアはふぅとため息をつき、翠色の瞳で黄金の扉を見つめる。
(才能、か……)
(思いたくないが、彼女はやはり……)
いや、そんなはずはない。オフィーリアは沸き上がる考えを投げ捨て、くるくるとデスクチェアを回転させ背後に広がる裏日本の景色に瞳を寄せる。
その時だった──
「失礼、入ります」
「……?入れ」
コンコンと扉がノックされ、高く潰れた声がオフィーリアの耳に届く。
扉が開き、中に、入ってきたのは、白髪を交えた初老の女だった。
「紗知無か、何の用だ」
「学長、お話が。転入生の事です」
「転入生?勇香君の事か?」
「えぇ、学長も、要件は分かっているとは思いますが」
その瞬間、オフィーリアはわずかに眉に皺を寄せた。
*
学園長オフィーリアへのあいさつが終わり、学園棟の廊下を並んで歩く勇香とアリス。英国調の廊下から窓を覗くと、太陽の光は西側に位置していた。勇香たちは朝早くに勇者養成学園へ到着したはずだが、どうやら校内を見学している間に、昼過ぎになってしまったようだ。まあ、オフィーリアからあの話をされたら時間が経ってしまうのも当然だ。そう考えてると、勇香の腹からぐぅっという鈍い音が鳴る。
(お、お腹空いた……)
「さーて!学校見学もいよいよ終盤!最後は、お待ちかね、勇香ちゃんがぱぁっと目を潤ませる場所に案内しちゃうよ!」
勇香の空腹も知れず、高らかにそう言い放つアリス。というか、彼女も今日一日中勇香の共に行動しているのに、よく腹が減らないものだ。そう呆れとも呼べる関心をしつつ、勇香は頭の片隅にあった単語を気の抜けた声で言い漏らす。
「はぁ……学園都市街ってやつですか?」
「おっ!よく覚えてたね」
「まあ。それより、お腹空きました」
「そうだね、じゃあついでに遅めの昼食に精を出そ……」
「あら、アリスじゃない」
と、廊下の前方から誰かがアリスを呼ぶ声が聞こえて来た。
アリスの友人かな、と勇香は震え気味にその声の主を見やると──
「え……?」
そこにいたのは、女神のような風貌の少女だった。
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