第6-2話 私立勇者養成学園(2)

「さ、ここが学長室だよー!」

「うわぁ」


 食堂を後にし、学院棟から連絡棟に戻ってきた勇香とアリスは再びエレベーターに乗り、勇者養成学園の最上階に当たるという階にやってきた。

 エレベーターを降りると、白塗りの廊下のすぐ前に視界いっぱいに入り込んだのは、赤と金の一際豪華な装飾が施された大扉。 

 どうやらこの扉の先に学園のトップである学園長が君臨しているらしい。まあ、扉の装飾を一目見ればすぐに分かってしまうだろうが。そう考えると、勇香の額から一滴の汗が零れ落ちてきた。

 勇者を育てる学園のトップに謁見するのだ。はたしてどのような人物なのだろうか、勇香には想像もつかない。


「そんなに緊張しなくてもいいよ、予定もまだ詰まってるし、挨拶したら直ぐに終わるから」

「は、はい……」


 と、アリスがその固い扉をコンコンとノックすると、中から澄みきった声音で「入れ」という声が聞こえた。

 その声と同時に、アリスが取っ手を引くこともなく扉はガコンと鈍い音を立てて開いていく。

 その時、扉の中から吹き込んできた風が、勇香の髪を激しく揺らす。アリスも白髪を手で押さえながら、その中に足を踏み込んだ。

 勇香も続けざまに失礼しますと声を漏らしながら恐る恐る中へと入る。


 そこにいたのは──


「勇者養成学園にようこそ。新入生君」


 高級感あふれる焦げ茶色のデスクに両肘をつけ、自身もデスクチェアに座り込んだ金髪の美女。


 絹のような金糸の髪はデスク越しにも見て取れるほど女の足元まで伸びており、理知的な瞳は宝石を思わせるほど美しく輝いた翡翠色。軍服のような露出を控えた黒装束を着ているにもかかわらず、曲線を描いたボディーラインをくっきりと見せるように着こなしたその容姿は、妖艶という言葉一つで事足りるだろう。

 その女の姿に、勇香の背筋がピリッと凍り付くのも時間の問題だった。


「私の名はオフィーリア・テミス。僭越ながら、勇者養成学園の学長を務めている」


 自身の身分を謙遜するような微笑みで明かしたオフィーリア。

 再び閉まった扉の前で本能的に全身をビシッと引き締めた勇香は、訝しげに隣のアリスを覗くと、驚くほど平然とした表情をしていた。

 何かしゃべらなきゃと勇香は息を呑みこみ、鉄のように固く塞がっていた口を無理やり開く。


「え、えと……聖ヶ崎勇香……です」

「あまり緊張されると、こちらも変に体が強張ってしまう。自然体でいてくれて構わない」

「は……はい……」


 苦笑を浮かべてそう促すオフィーリアだが、勇香のメンタルはとてもその要求を呑み込めるほど強くはなかった。

 遂に銅像のように固まってしまった勇香を見兼ね、アリスが自身の肘で勇香の細腕をツンツンと突き小声で話しかける。


「いつも通りでいいよいつも通りで、アリスちゃんと接してる時みたいに」

「む、無理ですよ……そんなの」

「ん~じゃあ担任の先生と話してる時みたいで、学長は威厳はあるけど、生徒思いでとっても優しい人だよ」

「は、はい」


 ニコリとした笑みを浮かべたアリスにそう諭され、勇香は息を吸い込んで深呼吸。その後、ゆっくりと肩の力を抜いた。

 それを見ていたオフィーリアは、勇香とアリスをデスクの前にまで誘導し、二人が並んだところで口を開いた。


「さて、勇香君には三年間、この学校で勇者になるための教育を積んでもらうことになる。だが、突として転校を突きつけられ、高校で青春を謳歌することも叶えず、半ば無理やりにこの学校へ連れてこられた君の心情は大いに理解している。まず謝罪しよう。すまなかった」

「いいえそんな!た、確かに最初は突然でしたけど、結局は自分の判断だったので……」

「そう言ってくれるとありがたい。こちらとしては人々を恐怖に貶める魔獣から一人でも多くの人々を救い出せるよう、勇者の才能はなるべくこぼさずに摘み取りたかったのだ。理解してと言うのも烏滸がましいが、もし不服があるのなら、いつでも構わん。私が聞き入れよう」

「……!!」


 完璧。このような聖人君主、生まれてこの方、遭遇したことなど一度もないだろう。少なくとも、勇香の眼には、


「ね、言ったでしょ。生徒思いの優しい方だって」


 隣にいるアリスからも、そう言葉が漏れてくる。


「やめてくれアリス、私は理不尽な運命を突き付けられた生徒たちが、少しでも学園でよりよい生活を享受できるよう務めているだけだ」

「それを生徒思いって言うんですよー」

「そうか、ならば賞賛として受け取っておこう」


 聖人を思わせるオフィーリアに軽いノリで話しかけるアリスは一体──

 

「だが、生徒たちは何故か私を雲の上の存在と見ているようでな。私も積極的に生徒たちと交流を図ろうとしているのだが、まともに接してくれるのはアリスだけというのが現実だ」

「ですよね……」


「だってー学長とアリスちゃんは長い長い付き合いじゃないですかー」

「長い長い付き合い……?」


 意味深なアリスの発言に、勇香は思わず問いかけると、


「ふふん、聞いて驚け勇香ちゃん!オフィーリア学長はなんと!四百年の歳月を生きる魔女なのだ!!!」

「え?えぇぇぇぇ!?」


 勇香の絶叫が学長室中に響き渡る。勇香のつんざくような声に、アリスとオフィーリアはそろって両手で耳を塞いでしまう。


「す、すいません……」

「いやいいんだ。これを聞いた者の反応は皆同様だからな」

「ということは、アリスさんも四百年も……」

「アリスちゃんは違うよ」

「えぇ……」


 アリスと勇香の会話を微笑しながら眺めていたオフィーリアだが、話が終わるなりコホンと咳払いして妖艶な口を開いた。


「まあ結論だ。何か困りごとがあれば、いつでもここを訪れてくれて構わない。が、もし君も私に相談しづらいというなら、その時は生徒会長を頼ってくれ。彼女は生徒たちからとても慕われている。相談するには十分すぎる相手だ」

「生徒会長ですか?」


「この学校には、学長と同じく才色兼備な生徒会長がいるんだよ」

「ど、どんな人なんですか?」

「それは会ってからのお楽しみ!勇香ちゃん!学園生活は楽しみになった?」


 アリスの問いかけに、勇香は胸を押さえて鼓動を確かめる。さっきまで緊張や嫌悪感でバクバクと心臓が脈打っていたのに、今はどこか和らいでいるように思える。オフィーリアと話したからだろうか。ともあれ、落ち着きを取り戻した勇香は、アリスに小さく応える。


「嫌だと思う気持ちは、少し薄れました」

「よっし!じゃあ学長へのあいさつが終わったところで、今日の学校見学の最後に勇香ちゃんの心臓が思わずあっと爆発四散しちゃうほどわくわくする場所に案内するね!」

「言い方があんまりわくわくしません」

「では学長、また会いましょー」


「あ、あぁ」


「失礼しました」


 ぶんぶんと手を振って学長室を出ていこうとするアリスに、オフィーリアも手を振り応じる。勇香もオフィーリアに一礼し、アリスの後を追おうとするが、


「待ってくれ」

「……?」

「勇香君、少しいいか」

「はい?」


 突然オフィーリアに呼び止められ、勇香はぽかんとその場に立ち尽くす。アリスも扉の前で足を止め、オフィーリアを見つめる。

 オフィーリアはその鋭き双眸で勇香を凝視し口を開く。勇香も向けられた彼女の視線に、びくっと肩が震えた。


「君はこの学園で、何かやりたいことがあるんだろう?」

「え?」


 オフィーリアから放たれた言葉に、勇香は一瞬だけ全身が凍り付く。

 その言葉はまるで、自分がそのことを話していたと──オフィーリアには既知の事実だというように。

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