隣家

尾八原ジュージ

隣家

 住み始めて五年になる我が家の隣家はずっと空き家のまま、長いこと誰も住んでいない。

 隣がいつまでも空き家というのは、あまり気分がいいものではない。人の住まない家はどんどん寂れて、朽ちていくものだ。

 いつの間にか、隣家の一階の窓ガラスが一枚割れている。家の持ち主は一体何をしているのだろうか、一向に修繕される気配がない。そうこうしているうちに、どうやらそこから近所の子供たちが出入りしているらしいと気づいた。テレワークが一区切りついたある平日の夕方、我が家の寝室の窓から、隣家の二階で子供たちが遊んでいるのを見てしまったのだ。言うまでもなく不法侵入で、やってはいけないことだ。

 先日とうとう、八歳になる私の息子が隣家に侵入しているところに出くわしてしまった。もちろん叱った。でも「みんなやってるもん」と言って反省の色が見られない。「みんなって誰と誰と誰よ」と問い詰めても埒が明かない。「みんながやっていても駄目なものは駄目」と叱責したが、反抗期なのか息子は知らん顔をしていた。

 念の為学校に連絡を入れ、空き家に侵入しないよう注意してもらうことにした。先生は「指導しておきます」と言ってくれたが、それ以降も子供たちは変わらず、隣家に入り込み続けていた。

 これ以上どうしたものだろうか。他人の家のことなので、私が無断で窓を修理するわけにはいかない。昔からこのあたりに住んでいる人に聞いても、持ち主のことはよくわからなかった。

 よそのお宅でもこの件には頭を悩ませていて、中には私に「お隣なんだから何とかして」などとねじ込んでくる人もいる。無理な注文だ。あそこは我が家の敷地でも何でもないし、第一私だって仕事だの家事だの、やることは毎日山積みになっている。隣家のことにばかりかかずらってはいられない。

 私が手をこまねいている間にも、子供たちは空き家に入り込む。息子と同じ学年の子もいれば、そうでない子もいる。時々はうちの息子も。叱っても叱ってもきりがない。子供のことだから警察に通報するのは気が引けてしまう。さりとて遊んでいるところに直接乗り込むのも厭だった。

 正直にいうと、私は隣家に入りたくない。あそこは昼間も何となくうす暗いし、時々微かだが妙な臭いが漂ってくる。生理で気持ちが沈んでいるときなどは、あの家に平気な顔をして潜り込んでいる自分の息子のことさえ、厭わしく思えてきてしまう。

 何かの役に立つかと思って、私は隣家に忍び込んでくる子供たちの名前を控えることにした。幸い人の顔と名前を覚えるのは得意だし、近所の子供ばかりだから大抵は誰かすぐにわかる。あれは保育園が一緒だったゆずちゃん、あれは町会長さんの孫のたかとくん……とやっていく。

 その中に、どうしても身元がわからない子が一人いる。低学年に見えるが、近所でも学校でも見たことがない。息子に聞こうにも、こと隣家のことになると口を閉ざしてしまう。たぶん、私が口を酸っぱくしてあれこれ注意したからだろう。

 それにしてもあの子はどこの子なんだろう。おかっぱの、男か女かよくわからない、一人だけ古臭い雰囲気の子は。私はもうその子のことが気になって仕方ない。一体どこの子なんだろうと考えているうちに、隣家の修理だの、子供の侵入だのということに関する興味がだんだん薄れていき、やがて隣家に子供たちが侵入していることが、ごく当たり前の日常のように思えてきてしまう。

 近頃、近隣で子供の行方不明事件が相次いでいるらしい。保育園が一緒だったゆずちゃんも、町会長さんの孫のたかとくんもいなくなった。あちこちの掲示板に貼られた子供を探すポスターを見ても、私は不思議と何とも思わなかった。これもまた日常の延長なのだという気がした。


 その日は門限の五時を過ぎても息子が帰ってこなかった。

 私はふと思い立って寝室に行き、窓から隣家を眺めた。案の定息子は隣家の窓辺に立っていた。私を見つけたのだろう、息子は窓ガラスを叩き始めた。口がぱくぱくと動く。「たすけて」と言っているように見える。

 息子の真横にはあの、ひとりだけ名前のわからない子が立っている。無表情のまま、横目で息子を見つめている。

 私はカーテンを閉めてベッドに横たわる。隣家になど行く気にならない。夫にも警察にも学校にも連絡したくない。何度行くなと叱られても懲りなかったのは息子の方なのだから、今更「助けて」なんて、よくもまぁそんな厚かましいことを言えたものだと思いこそすれ、可哀想だとは思えない。

 今日は夫の帰りが遅い。息子が帰ってこないなら、夕飯の支度をしなくていい。ちょうどいい。なにもかも億劫だ。

 私は横になったまま目を閉じる。いつの間にか泥のような眠りに沈んでいく。

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隣家 尾八原ジュージ @zi-yon

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