第3話


「それで会場準備のほうはどうなっている?」

「はい。ほぼ完了済みです。また前夜祭会場に関してはすでに準備が終わっています」

「そうか、そうか。それは良かった」


 少し老け顔の男はそう言って頷きながら視線を自分の机に置かれた書類群へと向けた。それらはここ最近男の元へ報告された情報の数々。三校祭に出場人間の情報であったり、アマノで確認された不審者情報であったり、今回の準備にかかった資金の明細などであった。

 男は機械的にそれらの書類に目を通していく。不審報告に関しては情報が少なく、抜けが少々あったが、特には問題はなさそうだなと判断。

 その他では何か間違っていたり、記載されている情報が少なかったりということはない。


「うむうむ……」


 そして書類に目を通しきると男は優しそうな笑みを浮かべながら満足そうに頷いた。

 男が頷く度にその頭に生やした黒濃いめの灰色の髪が軽く揺れる。

 その体は少々というよりちょっと太り気味であるが、この真夏に入ろうとしている時期にもかかわらず、汗は全くと言っていいほどかかずに涼しげな様子だ。

 彼の名前はアマモト・ソウカン。アマモト家の当主であり、なお且つアマノ学園の校長を務めている者である。


「準備も何とか予算内に留められたし、後は始まるのを待つだけということだな」


 男はそう言うと視線を正面に立つ若い男へと戻した。


「そうですね、父上」

「はぁ……ヒデツ……何度も言っておるが仕事中は校長と呼ばんか」

「すみません。ソウカン校長」

「謝罪は良い。もう少し気を付けろという話だからな。ここは我が家同然であるが、それでも我が家ではない。公私が混ざってしまえば間違いに繋がってしまう」

「はい」


 ヒデツと呼ばれた若い男――アマノ・ヒデツは父の言葉にそう返事を返した。

 その姿にソウカンは何度も繰り返すこのやり取りを思い出しつつ、「まぁ言っても治らんか」と考えながらも、それは口にしなかった。

 なぜならさっきソウカンが言った言葉。『公私が混ざれば間違いに繋がる』。その言葉には『だが公私を混ぜても絶対に間違いを犯さないならばそれで良し』という続きがあったからだ。


「それでヒデツ」

「何でしょう?」

「我が校の出場者の様子はどうだ? 体調を崩したりした者はいないだろうな」

「はい。今の所私のほうにそのような報告は来ていませんね」

「ふっふっふ。そうかそうか。ならば良し。これなら今年こそは優勝を我が校のモノにできるはずだ」


 ソウカンは不気味な様子で含み笑いしながらそう口にした。


「……ですが今年はあの忌々しいアマツカエの末も出場するとのことですよ」


 その姿を見てヒデツはそう苦言を呈した。


「あぁそう言えばそうだったな。確か次女に剣を教わってたとい末っ子か。確か名前は……ウイだったか」

「……」

「ふん、まぁアレが教えたんだ。つまりはそれなりの実力は持っているのだろう」


 鼻で笑いながらソウカンは言葉を飛ばした。そこにはウイを若干子馬鹿にしたような態度が見られた。

 それを見てヒデツは父に見られないようにため息を零した。


「何か細工をしておきましょう」

「細工?」

「はい。そうしてアマツカエの末を確実に敗北させるんですよ」

「……」

「そうすれば我が家の名前をあの忌々しいアマツカエは嫌でも認識しやすくなるでしょう!」

「……」

「それにあの化け物もこの街に来るんですよ。私たちの腹の中に! こんなまたとない機会を逃すなんて――」


 ヒデツが口早にどんどん話していく。その瞳にはすでにソウカンの姿など写っておらず、ただただ憎いアマツカエ家をどうすれば蹴落とせるかということしか写っていなかった。

 ソウカンはそれを乾いたような目で見つめていた。

 何も言わずに黙って見つめていた。


 そしてようやく父の様子が目に入ったヒデツは思ったような反応が貰えなくて慌て始めた。


「えっ、父上? どうしたんですか? そんな目で私を見て……」

「……」

「どうして何も言わないんですか⁉」

「……はぁ」


 ヒデツの言葉に帰ってきたのはため息――まるで呆れかえったような感情が込められたため息。


「な、なんです、父上」

「……何度も言っているがここでは父上ではなく、校長と呼べ」


 その言葉はさっきまでとは違い酷く冷酷なものであった。仮にも父親である者が、自身の息子にかける言葉の温度ではない。


「は、はい」


 ヒデツの顔は真っ青になっていた。

 体は勝手に震え出している。もしこのとき歯をしっかりと噛みしめていなかったら、この部屋にはガチガチと歯を鳴らす音が響いていたかもしれない。


 そしてソウカンはそんなヒデツを冷たく、乾いた目で眺めながら言葉を続けた。


「それと儂は何か細工を仕掛ける気はない。そもそもそんなことを大っぴらに言うものじゃない。誰かに聞かれていたらどうする?」


 表情は先ほどと変わらず優しそうな笑みを浮かべているにも関わらず、笑っているようには見えない。そこには優しさではなく、恐怖を感じさせた。

 だが本来『笑み』というものは敵対的な行為であるのだから、そう感じさせるのは当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。


「す、すみません」

「全く……いつになっても脇が甘い。いや根本の考え自体が甘いのか? この資料だって抜けが多い。不審なものは早急な情報の確保と排除だ。……ひとまずはこの街から出ていったらしいから良いものを……仮にこれがまだこの街を出ていなかったらどうする? 儂らはそいつらの調査に人員を割かないとならないのだぞ」


 ソウカンの言葉の源は今の地位まで上り詰めた経験であった。

 ここまで来るのに何度も人を蹴落とし、騙し、ときには違法なこともしていた。

 だがそれでもこの地位に座り、なお且つ今なおここに座る続ける。その上、アマノという街を作り出せたのは生まれながらの判断の速さと徹底排除という思考を持っていたからである。

 そしてそれらの経験から話すソウカンの言葉には重みがあった。


「申し訳ありません……」


 ヒデツはその重圧を感じながらただ謝罪の言葉を零すのみであった。


「そんなもん考えている暇があるならさっさと嫁の一人でも見つけておけ」

「……」

「返事は?」

「了解、しました……」


 ヒデツはまるで歯ぎしりするようにそう答えた。


「ひとまず下がれ。お前は現場のほうで最終確認でもしてろ」

「はい……では、失礼しま「あっ、ちょっと待て」」


 校長室から出ていこうとしていたヒデツをソウカンは呼び止めた。ヒデツは顔に若干の光を刺し込ませながら父のほうを振り向いた。しかしソウカンはそれに気づかない。気づいていない。


「何でしょう」

「ツキノは今どうしている?」

「ツキノ……ですか」

「ああ。ちょうど良い飴細工ができたから上げようと思っていてな」


 ソウカンはそう言いながら机のわきに置かれた金魚や鳥、犬などの形を成した飴細工を見た。


「……」


 ヒデツは何も言わずそれを睨みつけていた。

 一向に自分の質問に対する答えが返ってこないことに首を捻りながらソウカンはもう一度ヒデツに声をかけた。


「どうした、ヒデツ?」

「いえ、なんでもないです。……ツキノなら恐らく街のほうへ飛び出していると思います」

「そうか……うむ。……あぁ、引き留めて悪かったな。行っていいぞ」

「はい。失礼します……」


 そう言ってヒデツは静かに校長室から出ていった。


 バタンッ。


 扉が音を立てて閉まった。


「……」


 ソウカンは黙りながら閉じた扉を見つめていた。


「おい、誰か」


 ソウカンは突然自分以外は誰もいないはずの校長室でそんな言葉をだした。

 すると天井に穴が開き、そこからソウカンの隣へ一人の人間が飛び降りた。


 表には出せないような仕事、裏工作、情報収集。それらを一括して行っている人間。それはいわゆるところアマモト家における暗部であった。


「――」

「判断はお前に任せる」

「――つまり?」

「やっても構わん」

「――了解」


 人間はそう返事をすると音もなく飛び降りた穴の中へ飛び上がった。そしてすぐにその穴は閉じられた。


「何事も万全にだ」


 彼の名はアマモト・ソウカン。


 アマツカエ家を追放された者の家系――アマモト家。その当主を務める者。


 エテルノ学園を己が力で塗り替え、街すらも己の色に塗り替えた者。


 優しい笑みの下に冷酷な顔を隠している者。


 いつかはアマツカエ家に返り咲く。そんな夢を者。

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