間章

今日も元気なトウコさん


「はぁぁぁああ~~~~‼」


 セオス王国の騎士団所有の屯所。その一室からため息のような、歓声のような、兎に角幸せさに満ち満ちた声が聞こえてきた。

 その部屋はこの屯所の中でも二番目に広い場所であり、そこを使っているのは副長――つまりは騎士団のナンバーツーである。


「またやってるよ……」

「最近毎晩じゃないか?」

「だな。……確かこの前勝手にケセムのほうに戻ってからずっとじゃねぇか」


 近くにいた騎士たちは部屋の扉を見つめながらそう言った。


「見た目は良いのになぁ~」

「その代わり、ドが付くほどのシスコンと」

「はぁ……せめて奇行の一つや二つ止めてくれればなぁ」

「ハッハッハ。無理だ無理だ」


 そして笑い声を響かせながら部屋の前を通り抜けていった。


「はぁ~ウイィィィィ~はぁぁぁああ~~~~‼」


 再び声が響いた。

 今度の声はさっきよりも大きく、部屋の前だけではなく、屯所全体に響いた。


 すでに陽は沈み、屯所にいる者たちは見張りの番である者以外は就寝の準備をしていた。

 寝ようとしているのに変な声が響いてくる。はっきり言って迷惑極まりないものだ。


「お~い、お前らそろそろ寝るぞ」


 しかし誰もその声を気にする様子はなかった。


「もうこんな時間か」

「ふぁ~あぁぁ……ねむ……」

「副長の声がまた聞こえる前までに寝ろよ~」

「ハッハッハ。そりゃ無理でしょ」

「そうですよ~どうせもう聞こえてきますって」


 むしろ軽口を言っている者ばかりである。


 普通であれば奇妙な声が突然聞こえてくるとい現象など不気味に他ならないが、悲しいことにこの屯所――というかセオス王国騎士団内ではこのような現象はほぼ一般化されており、新しく入った騎士の人間にまず教えることの一つになっているぐらいであった。


「ふふふふぅ~~~~‼」


 声がまた響いた。

 今度のはさっきよりはボリュームは小さかったが、変に響いてむず痒く感じる声であった。


「おしっ。寝るぞ」

「「「了解~」」」


 そう言ってその部屋の明かりは消された。





 さて。騎士団内でおかしな一般常識を創ってしまった張本人。

 セオス王国騎士団副長であるアマツカエ・トウコ。

 彼女はと言うと――


「ウイィィィ~‼」


 一般常識になっていることには完全に無自覚であった。

 むしろバレてない。そんな風に考えている部分さえあった。


「あぁぁぁ……しあわせぇ~」


 そしていつものように、最近の日課となったウイの絵に囲まれて悶えるという大変不思議な行為、奇行を行っていた。


 副長の部屋。そこは騎士団ナンバーツーの人間の部屋に相応しいように、かなり高価なベッドや棚、机などが備えられていた。

 しかしそんな部屋の床。

 部屋の床一面。

 そこには備え付けられたベッドを囲むようにウイの描かれた絵が敷き詰めてあった。

 本来なら中々に良い部屋であるはずなのに、それのせいで若干気味の悪い部屋となっている。云うならそう、ストーカーの人間の部屋みたいな。そんな犯罪臭を感じさせてしまう空間であった。

 それらの絵はついこの間、トウコが勝手にケセムに戻った際に出会ったウイの友人であるレオナに描いてもらった『ウイの絵』であった。

 トウコはそれらを貰って、この屯所に戻ってきて以来、毎晩毎晩この奇行を繰り返していたのであった。


「ふへへへぇ~ウイから手紙も来たしぃ~」


 そう言いながらベッドで悶えていたトウコが取り出したのは一枚の紙であった。それはウイが自分の近況を知らせるために書いたものであり、自分が三校祭への出場メンバーを決めるための合宿に行くことになったということが記してあった。


「えっへへぇ~。流石私の妹よぉ~。えへへへぇ~」


 トウコはその手紙を何度も何度も読み返しながらベッドの上を転げまわる。


 ゴロゴロゴロゴロ。

 ゴロゴロゴロゴロ。


 ベッドから落ちてしまわないように器用に転がる。

 何度も起こる体重移動によってベッドはギシギシとうめき声を上げるが、そんなことはお構いなし。トウコは幸せそうな表情を浮かべながら転げ回った。


「ふへへへ。うへへへぇ~」


 その表情はとても人前では見せれないほどに崩れに崩れ、口の端から垂れた涎がシーツの上に何度も線を引いている。


「――」

「ふへへへ……」

「――――」

「うへへへぇ~」


 そんな光景を音もなく突如この部屋に現れた小柄な少女が見つめたていた。

 少女の名前はアマツカエ・サレ。

 トウコの情報収取のための影のような存在だ。


 一応アマツカエ姓ではあるが、養子としてアマツカエ家に入ったため、生粋のアマツカエ家というわけではない。そのため彼女の髪は黒味が一切ない、綺麗な金色である。また養子であり、アマツカエの血を持っていないということで、サレはアマツカエ家当主の継承権は最も低い。


「はぁ……」


 サレは己の主人の奇行に思わずため息を漏らしてしまう。毎度のことではあるが、もう少し自重して欲しいというのが本音であった。

 こんなではもしかしたら次期当主の座をアマツカエ家の老獪共、もしくは分家のアホ共に奪われてしまうかもと考えたことは何度もあった。……その度にまぁこの人ならなんやかんや大丈夫だろうとも思っていたが。


「うへ、うへ、うへへぇ……」


 トウコはサレに気づいていないのか、相変わらずウイからの手紙に夢中である。


 サレはずっとこのまま待っていては夜が開けてしまうと、意を決して声を上げた。


「トウコ様」

「ふへぇ? なぁに?」


 トウコは大変だらしない表情をしながらサレのほうを見た。


「ウイ様の様子の報告をしに来ました」

「あっ! 本当! さっそく聞かせて聞かせて!」


 するとトウコは涎を袖で拭くと、ベッドの上に正座した。無駄に早い動きにサレは呆れながらも報告を開始した。

 ウイの食事の様子。

 鍛錬風景。

 授業風景。

 などなど。サレの正確な報告にトウコは何度も頷き、涎を垂らし、悶えたりしながら聞き入っていた。


「――以上で報告は終了となります」

「えへへ。ありがとうね、サレ」

「いえ。仕事ですので」


 サレはそう言いながらも内心では「自分が集める情報ってこういうので良いのだろか?」と思っていた。


「ですがトウコ様……」

「ん? どうしたの?」

「いえ……少々気になったのですが、ウイ様の様子を知りたいなら普通に手紙で聞いたりすればいいのでは?」

「え~。それだと、最速ではないじゃないの。ウイのことは真っ先に知っていたいし、手紙は嬉しいけど、それはそれとしてよ」

「はぁ……そういうものですか」

「そういうものよ」


 若干の疑問を残しつつ、サレはひとまずそれで納得した。


「あぁ。それとコチラを」


 サレは思い出したように懐から小さな封筒を取り出した。それを見てトウコは喜びのあまり、目を見開いた。


「現像終わったの!」

「はい。全て完璧に終えております」

「ひゃっほ~!」


 喜びの声を上げたトウコはベッドから飛び降り、その勢いのままサレの目の前へ着地。封筒を受け取ると、振り返りもせずに後ろへ飛んで、きれいにベッドへと戻った。


「あ、へへへぇ~。ウイだぁ~。ウイだぁ~」


 封筒から取り出されたのは百枚近い量の写真であった。


「サレ~見てみて~。ウイのお口がパンパンだよぉ~」

「そうですね」

「かわいいでしょう~」

「ですね」


 トウコはサレに軽くあしらわれていたが、そんなことは気にする様子はなく、写真にどんどん目を通していく。

 それらの写真はウイたちにケセムを案内した際の姿をサレに盗撮させていたものであった。

 ちなみに盗撮はこの世界でも普通にアウトである。


「うへへ……あっ、ジャミールでのもあるぅ~」

「全部の個所で取りましたので」

「サレ。ナイスゥ~」

「ありがとうございます」


 サレは感情を表に出さないように――だが内心では褒められたことを大喜びしながらそう答えた。


「えっへへ~。えっへへ~」


 トウコは楽しそうに写真に目を通していく。

 そしてすべての写真に目を通し終わると、枕の下から分厚いアルバムを取り出した。

 それはケセムで買ったアルバムであった。そこにはまだ写真は一枚も収められていなかった。


「ふっ、ふっ、ふぅ~ん」


 トウコはそこへ一枚一枚丁寧に写真を納めていく。よほど楽しいのか鼻歌を歌っていた。


「それでは私はこれにて」


 作業を開始したトウコを見て、自分のやるべきことは全て終わったと判断したサレはそう言いながら頭を下ろした。


「ありがとね~」


 トウコはチラリと視線をサレにやりながら言った。


「いえ。では――」


 サレはそう言うと音もなく部屋から消えた。


 部屋から音が消えた。

 写真をアルバムに収める音は止まっている。


「……」


 トウコはさっきまでサレがいたところを無言で眺めていた。

 彼女の頭に浮かんでいたのはさっきのサレの言った事であった。そしてそれに対する返答にトウコは「ウイのことは真っ先に知っていたいし」と答えた。

 だがそれは全てではない。

 答えの全てではなかった。


「……」


 トウコの目線はアルバムへ落ち、続いて手紙に移り、最後に床に敷き詰められたウイの絵へと移っていく。


「……」


 さっきまでは幸せそうな表情で見ていたその顔は、感情が抜け落ちたようになっている。瞳はモノを映しているはずなのに、何も見えていないかのように終点が合っていない。それはまるでここではない何処かを見つめているようであった。


「…………えぇ……そうね……分かってる」


 トウコはポツポツと言葉を漏らす。

 この部屋にいるのはトウコ一人。

 それ以外の人は誰もいない。


「ちゃんとやるわ……」


 それにも関わらず誰かと会話するように言葉を漏らす。


「……それが約束だもの」


 トウコは目を瞑りながらそう言い切るとベッドにバタンと倒れこんだ。


「ふぅ……ウイィィィィぃ~~~~‼」


 さっきまでとは一転、再び幸せそうな様子でそう叫んだ。


 ゴロンゴロンとベッドを転げまわる。

 ギシギシとベッドが悲鳴を上げる。


 今晩もアマツカエ家次期当主兼セオス王国騎士団副長、アマツカエ・トウコは元気であった。

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