第19話
男はこれで終わりだと思っていた。
元々自分とこの少女とでは力の差がありすぎたのだ。そのため始めは手加減をしつつ抵抗できないようにしようとしていた。だが少女が思いのほか粘ったためすぐに終わらせることができなかった。
少女にどういう意図があったのかはわからないが、ボロボロになりながら挑発をしてきた。
男は別にそれに乗る必要はなかったが、さっさと終わらせたかったのでつい挑発に乗ってしまった。結果、予定以上に痛めつけすぎたせいで少女は動かなくなっていた。
「まさか死んではいないよな」
死んでいたら困る。
お嬢の頼みは精神を弄ること。そこに少女の死は含まれていない。むしろ生存させてなくてはいけない。どれだけ痛めつけられてようが、生きてもらってなくては困る。
少女は動かない。
本当に死んでしまったか。
男の脳裏に最悪な展開が思い浮かんだ。
「……」
しかし少女が微かに動き出したことで、ひとまずまだ息はあることが確認された。
少女の体は小刻みに震えている。うつくしい黒髪は血に染まり、木くずが付着している。着物は破け、一部肌が見えている。ポタっと血が流れ落ちている。
さすがにこのまま精神を弄るのは危険であった。まずは軽く治療、それから精神を弄ろう。男はそう予定をたて実行しようとした。
少女は立ち上がれていない。
逃げることはできない。
「はぁー……ふぅー……」
そのとき急に少女は起き上がった。膝をで体を支え起き上がった。
男はなぜか寒気がした。
少女の雰囲気が変わったように感じた。
男はわずかに自身が後ろに下がってしまっていることに気が付いた。
さっきまで自分が痛めつけていた少女を見て後ろに下がる。なんでそんな行動をした。魔法か……いや目の前の目標は魔法が使えるようになったばかりのはずだ。その証拠に戦闘中も瞬間的な身体強化ばかり使っていた。こんなに痛めつけられるまで他の魔法も使えるのを隠していた。あり得ない。そんなことをしても意味はない。
ならばこれ自分の反応なのか……。
自分がこの少女に何かを感じ、後ろに下がったのか。
男は自身の行動の理由がわからず、歩みを止めた。そして自分の中で自問自答していく。
それほどまでにこの行動は男にとって驚愕すべきことだった。
格下。弱者。そんな者を殺したことは何度かある。その中には一矢報いようとしてきた者たちもいた。だが男はそれを捻り潰してきた。何度も。何度も。何度もだ。
自分より弱い相手に何かを感じたことはなかった。
ましてはほんの少しでも後ろに下がる。そんな行動一度もしたことがなかった。
男がそうこう思考しているうちに少女は立ち上がった。
片手には変な模様のお面を持っていた。
「兄様ったら……絵のセンスないなぁー、もう」
少女はそのお面を自分の頭に着けた。
へのへのもへじのお面。それはこの場にとても不釣り合いであった。そのお面があるべきは祭りなどの賑やかな場であろう。今のここのような戦いの場では全くに合わない。
「まぁだけど……お面型ってのは良いセンスだなぁ」
ペッと血を吐き捨てながら少女はそう言った。
明らかに雰囲気が変わっていた。
男は思考を切り替え、少女を警戒して拳を構える。
「ちょっとだけ待っててくださいね。今準備しますから」
少女は男には目もくれず、壊れたベッドの方へと歩いていく。傷は治ったわけではなく、足を少々引きずりながらヨッセ、ヨッセと歩いていった。そしてベッドのパーツの中に埋もれるさっき少女が落とした刀を拾った。
「あぁ~、もう全身が痛いなぁ……」
少女はしかし楽しそうに、愉快そうにそう言った。
その雰囲気を男は知っている。自身がその身の全て、命さえも捧げてもいいと考える人物、お嬢――アマツカエ・ミナである。彼女の雰囲気とそっくりであったのだ。
少女は笑いながら刀を軽く振る。
そこに最初のような素早さはない。
怪我による身体能力の低下は確実に起きているし、どう考えても立っていられるような傷ではない。
「さてと……じゃあ賑やかしを……場を整えましょうかね」
そう言った瞬間少女の魔力が一気に高まった。
戦闘中に感じた魔力以上の魔力であった。
「我、天御座す神の地立つ許し願う」
言葉が響いた。続いて少女の高まった魔力が広がっていく。
「結界破りか。させんっ!」
男は少女の行った魔法を自身の結界を破るためのものと予想。すぐに結界に干渉、その強度をさらに硬くする。
「?」
男は結界を強固にして、結界壊しに備えるが、一向に何も来なかった。
失敗か?
そう思うのも無理はない。
少女の魔力は広がり、拡散し、どこかに消えていっているだけで、自身の張った結界には何も起きていなかったからだ。
だがそれは見当違い。
そもそもの間違い。
それは結界破りなんかではない。
ましては戦いに直接干渉する魔法でもない。
それは簡易的な儀式。
アマツカエ・オカタの残した『雨乞い』の簡易儀式だ。
上の方からポツポツと何かが落ちてくる音が聞こえてきた。
その音はやがて連続していき、激しいものとなっていく。
ザァー!
雨が激しく降り始めた。
雨の降る音が屋敷中に響き渡った。
「成功だね。
……本音としては雨の中でやりたいところだけど……まぁ、しょうがない。これで我慢しますか」
一人儀式の成功に喜ぶウイ。
男はウイが何に喜んでいるのかわからず、だが自身の拳を強化する。戦闘準備完了である。
「何を喜んでいるかは知らんが、まだ抵抗するつもりなら、もう一度痛い目を見てもらうぞ」
「何を喜んでるって、雨だよ雨。知らないの? 雨の中での戦いはメチャクチャかっこいいって」
「知らんし、どうでも良い。それよりもだ。抵抗するのか、しないのか。……俺としてもうはしないでくれると楽なんだがなぁ」
「ハハハ……抵抗はするよもちろん。そのために立ち上がったんだから」
「ふん。また姉の為というやつか?」
「いいや、違うね。私のため。私の、私自身の夢のため」
「なんだそれは」
「いいよ、あんたは気にしなくても。
ただ私の昂りのために刀の錆になればいいから」
「ほざけ。さっきまで俺に痛めつけられていた、女がっ!」
男はそう言いながら足を踏み出した。
一足。
立った一足でウイの真横に到達する。
だが最初の移動法とは違い風圧は起こさない。静かな移動。不意打ちのための歩法だ。
太い腕がウイの顔面へと迫る。
傷だらけのウイが食らえば、その時点で意識を失ってしまうだろう。
ウイはそれをしゃがんでそれを回避した。
移動が見えていたわけではない。気が付いたら消えていた。
だがウイは焦ることなく、その選択をした。
「あっぶな!」
そんな言葉をやはり楽しそうな様子で漏らしながら、ウイは男を蹴って、真横に飛ぶ。
「ちょこまかと」
「逃げないよ!」
そして距離を取らずに男へと接近した。
ウイは刀を下から斬り上げるようにして攻撃を仕掛けた。
「斬れるわけねぇだろうが!」
男は避けようともせず、自分の攻撃のために拳を振り上げた。そしてウイが攻撃範囲内に入ったその瞬間に振り下ろす。
だがそれは何も殴ることなく、地に下ろされた。
ウイは接近途中で急停止していた。
そして良い感じに下がっている男の顔目がけて突きを繰り出した。目標は眼球であった。
刀はウイの思惑通り男の左眼球を貫いた。ウイはそのまま眼球を引き抜いた。
「ウガァッ! このっ!」
男の低い悲鳴が上がった。
ウイは続けざまにもう一方の眼球を貫こうとしたが、男が突進してきたことで回避。そこから下がった。
「貴様……」
ウイは自分の体が軽く感じていた。
体の傷がなくなったわけではない。
体の痛みが消えたわけではない。
ただ気持ちの持ちようが変わっただけだ。
体は悲鳴を上げている。
もう動けないと叫んでいる。
だがそんなことはどうでも良い。
今はただ自分の昂りに従って刀を振るうだけ。それだけで体が軽くなった。
「まだまだ行くよ」
そう言ってウイは刀に刺さる眼球を地面に叩きつけた。
男の視覚は半分奪った。ならば次はどう攻めるか。
ウイは思考を回していく。
男の攻撃を回避しながら考えていく。
一方の男は何度も殴り入れながら焦り始めてきていた。
自分がこの少女に痛い一撃を貰った。
油断はあったかもしれない。だがそれでも一撃を貰い、左目を失ったのには変わらない。
お嬢の頼みを早々に達成できず、その上一撃を貰う。
失望されるかもしれない。
見捨てられるかもしれない。
お嬢に捨てられるかもしれない。
そう考えれば考えるほど、男の焦りは増していく。すでに男の拳に最初のような鋭さはなかった。まるで威力だけある子供の拳となっていた。
そしてそんな攻撃であれば受け流すのは容易であった。
ウイはだんだんと回避ではなく、刀で受け流すようになっていった。そうする理由としては消費する体力の節約だ。
すべての攻撃を回避するのでは、動き回りすぎて、疲労がたまる。
すでに限界を超えていたウイは体力をそうして節約しながら、刀を振るっていた。
思わず笑みが零れる。
心は燃え上がる。
ウイはこの状況に興奮していた。
雨の中ではない。
戦い方も不格好。
だがそれでも思う存分刀を振るうのが楽しかったのだ。
いつまでも続けていたいが、そうもいかない。なにせウイの体は限界突破。血をあまりにも流し過ぎているし、骨は何本も折れている。
もう一つの目を狙おうにも、さっきので警戒されていた。
どこだ。
どこから攻める。
ウイは思考を回し続けた。
そして男の腕に切り傷を入れたとき、完全なる勝機が見えた。
男は結界の維持、結界の強化。最初の戦闘での身体強化。そして今のめちゃくちゃな魔力運用での身体強化により、魔力が足りなくなっていた。
あの硬かった防御力は失われ始め、ウイの攻撃が入るようになっていた。
ウイは攻めへと転じることにした。
「はぁっ!」
連続で攻撃を入れていく。
男の拳は最小限の動きで回避していく。
「クソがっ!」
男の焦りが加速していく。自信の豊潤な魔力が枯れそうになり、ウイの攻撃が入るようになってきた。
まさか自分が格下に……。
少々丁寧気味であった口調は崩れ、男の素が現れ始める。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁ!」
もはやメチャクチャであった。
技術も何もない。
完全に子供の拳であった。
ウイはまるで舞うようにしてそれらを避けていく。そして男の体を斬っていく。
腕。足。太もも。わき腹。背中。
どんどん傷は増えていく。
両者血だらけ、傷だらけとなっていた。
だが余裕のない男とは違い、ウイは余裕の表情であった。
「さて、そろそろお終いだ!」
ウイは最後の攻撃を仕掛けた。
男は向かい来るウイに拳を突き出す。
ウイは思わずニヤッとした。
思い浮かぶは6年前のあのとき見た光景。
自身の姉が放ったあの技。
あの美しさに自分は憧れた。
あのカッコよさに自分は到達したいと思った。
まだ未熟。
トウコの技には届かないが、これが今のウイの実力である。
身体強化を自分の限界以上に行う。
切先を手首へ。そのまま右手首を斬る。
右手が腕と別れ、宙を舞う。そのまま重力に従って地面へ落下していく。
続いて刃は右足へ――太ももの辺りへ刃先を向ける。
刃は斜めに太ももを切り裂いた。皮膚や肉だけでなく、骨まで深く切り裂き、両断した。
男は右足を急に失ったことで、倒れ始めた。
男は驚愕の表情を浮かべていた。叫び声を上げる。
だがそれはウイの耳には届かない。
ウイの心は外部の音が聞こえないほど、極限までに研ぎ澄まされたていた。
倒れてくる体。
足を斬り、下で待機する刀。
ウイは刀をクルリと反転させ、斬り上げた。射線上に倒れてきていた体――首に逃げる術はない。
「クソがぁぁぁー!」
その叫びが男の最後の言葉となった。
ドサッと頭が落ちた音がしたのは右手が床に落ちたのと同時であった。
「はぁ、はぁはぁ……」
肩で息をしながらウイは刀を斬り抜いたまま、前から倒れた。
体の温度は冷たいが、心は温かかった。メラメラと燃え、昂っている。
「気持ちいぃ~……」
そう言いながらウイは天井を見上げた。
男が死んだことで、部屋全体を覆っていた光が消えていく。結界が解けたのだ。これで部屋の出入りや中からの声が聞こえるようになった。
ウイは刀で体を支えながら立ち上がろうとしたが、途中で力が抜け倒れた。
「あぁ……マジか。これで終わりか……?」
力は出ない。
力が入らない。
手足の感覚が消えていく。
まだ死にたくない。
まだ夢が叶っていない。
まだ夢の走りだしも良い所なんだ。
まだこれから。これからなんだ。
死にたくない。
死にたくない。
まだ死にたくないなぁ……。
……。
……。
ウイの意識は掠れていき、そして――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます