第18話
男はそこそこの天才だった。上には超天才。下には特化型の天才。その両方に挟まれながら生きていた。
周りは上と下を物差しにして男に期待を寄せた。
男もそれに応えようと努力した。
しかし輝かしい成果は出なかった。それでも男は努力を続けた。いつかは追い付ける、追い抜けると夢見て努力をした。
そんなある日、姉が笑いながらこう言った。
「貴方って、本当に良い玩具ね」
「壁を高くするほど頑張って頑張って……そして壁は乗り越えられず」
「それでも壊れないでまた頑張る」
「絶対に越えられないのにずっと頑張るなんて」
「――本当に良い玩具よ」
男はその言葉に怒った。今まで抑えられていた不満が爆発。初めて姉に拳を向けた。
だがその拳は姉には当たることはなかった。
男は怒りの限り、拳を振り回した。
だがそれらも当たることはなかった。
姉は笑いながら攻撃を避ける。
あざ笑いながら避ける。
楽しそうに、面白そうに、愉快そうに避けた。
男の今までの努力は、何一つ届かなかった。
何度も何度も拳を振り回す。蹴りを入れる。
だが当たらない。何も当たらなかった。
それを繰り返しているうちにプッツンとナニカが切れた。
今まで男を支えていたモノが壊れてしまった。
そして男は全てを諦めた。
あれには敵わない。
あれと敵対する立場にいたら心が持たない。
あんなのに遊ばれたくない。
男は諦めて、逃げ出した。以来、男はずっと人と関わるのを避けるようになった。当然だ。男の姉の人脈の広さは元々知っていた。しかもその広さがどのくらいかも把握できていない。
誰が姉の差し金か分かったものではなかった。
そんな風ににげて、逃げて、逃げていたとき、一番下の妹が男の元――男が居座っていた禁書庫に現れた。
出会ったのは偶然だった。逃げてからずっと下の妹2人とも会おうとはしていなかった。そのため出会った一番下の妹は男のことを始め、誰だろうという風に見ていた。
男も男で別に関わるつもりもなく、何もしなかった。
妹は毎日禁書庫に現れた。そしてその中の膨大な量の書物の中から何かを探している様子であった。
男は関わるつもりはなかった。関わるつもりはなかったが、それでも毎日何かを懸命に探しているのを見て少し気になった。
男は妹に声をかけた。「何を探してるのか?」と。
すると妹はこう答えた。「雨乞いの儀式について」と。
男はたまたまその書物の置いてある場所を知っていた。だから別に特に深い意味もなく、それを持ってきて妹に渡した。妹はそれを大喜びで受け取った。「ありがとう」と何回も言っていた。
妹はそれを開き読みだしたが、読むのに苦戦していた。
当たり前だろう。その書物はかなり古いもので自分でさえも読むのが大変で、途中でやめてしまったのだから。
男は何もするつもりはなかった。
妹は毎日禁書庫に現れ、それを読もうとしていた。何日も現れた。何日も、何日も現れた。だがそれに反して、ページは一向に進んでいなかった。まだ一ページ目で止まっていた。
妹は毎日現れた。
毎日来た。
今日も来た。
今日も。
今日も。
今日も来た。
一ページ目から未だに進んでいなかった。
男はまたしても妹が気になった。関わるつもりはなかった。だがそれでも気になった。なぜそんなに頑張るのか。なぜ途中で投げ出そうとしないのか。
男は再び妹に声をかけた。
「なんでそんなに頑張っているんだ」
妹はキョトンっとした様子で首を傾けた。質問の意図が伝わらなかったのだろう。男は自身の疑問を妹へ詳しく伝えた。
すると妹はなるほどとなって口を開いた。
「自分の夢のためです」
「『雨の中でカッコよく刀を振るう』」
「その夢のためです」
妹は楽しそうにそう答えた。
男は「大変じゃないのか」と尋ねた。
妹は「大変です」と答えた。だが続けてこう答えた。
「大変だけど、楽しいです」
「だってこれは私が抱いた夢なんだから」
「そこに向けて走り続ける」
「夢への壁はまだまだ高くてちょっとだけ辛いけど、それに向かって走るのはそれでも楽しいです」
男はその言葉を黙って聞いていた。
そして過去を、昔を想起させた。
あの頃はまだこんな風に我武者羅だった。壁は高かったし、周りの期待も重かったが、楽しかった。
あの瞬間までは。
妹はまだ本当に折れたということがないのだろう。
まだまだ軽い苦難なのだろう。
男はそう思った。少しだけ妹を羨ましく感じていた。
そして気が付いたときには妹のことを手伝いだしていた。
なぜ手伝っていたのか、男はわかっていなかった。
だけど手伝っていると久しぶりに楽しいと感じていた。
男が手伝いだしたことで作業はどんどん進んでいっており、間もなく全て読めそうとなっていた。
そんなある日、妹の口から姉の名を聞いた。
瞬間、男の中であの瞬間のことがフラッシュバックした。
越えられない壁。
それを笑い、玩具とする姉。
そのトラウマにより思わず妹に姉に警戒しろと言っていた。妹はどういうことだと反応していた。
今は何もしていないみたいだが、妹が姉の本性を知ってしまえば……そしてそれを姉が知れば十中八九何かしてくる。
男はすぐにそれを訂正、仲良くしろと言い換えた。
その日男の脳裏には姉のことが浮かんでいた。
久しぶりに聞いたその名前。
男は何となく姉の今を調べてみた。調べるのは簡単だった。ちょっと人前に出るだけだ。本音としては嫌だったが、胡麻を擦りに人が寄ってきて勝手に話してきたからだ。
そしてそこで聞いた気になったことをお金を使い、人に調べさせた。
そして姉が妹を殺害しようとしていることを知った。
男はそれを知らせようと考えたが、すぐに止めた。あの姉のことだ、バレたとしてもそんなの無意味だと何十にも罠が張り巡らされているに決まっていたからだ。
下手に知らせればさらに危険になる可能性があった。
男は迷った。
どうすればいいか。
そしてすぐに答えが出た。
妹に放たれる刺客は2人。1人は実行役。もう1人は露払い兼もしもの時の保険。
実行役の方は妹自身が撃退することもできるであろう。
だがもう一人の方はそうはいかない。圧倒的な実力差がある。
実行役を撃退しても、もう1人に殺されてしまう。
ならば自分がそれを止める。自分がもう1人の方を計画が進行不能になるまで足止めする。
その日が訪れた。
その日、男は珍しく身なりを整えていた。
いつもの暗い顔を消す。それはまるで死に化粧のようでもあった。
計画前に妹の部屋に荷物を置いていった。そして一瞬だけ妹の様子を見に行く。
男の目に映ったのは隠してはいるが、嬉しそうな雰囲気で刀を持つ妹だった。それを見たとき、男の中で覚悟が決まった。
妹に夢をしっかり歩ませる。
そして。
……。
……。
……。
「ぁ……うごっ!……」
廊下で倒れ伏す男。
体の骨はバキバキに折られている。内臓はいくつも破けたりしている。体の温度が少しずつ下がっていく。
まさに男の命は風前の灯火であった。
男の計画は成功した。
もう1人の襲撃者の足止めは成功した。――ただし男の命と引き換えにだが。
「あぁ……くそっ……いてぇーな」
もう助からない。
そんなことはもうわかっていた。そもそもこうしようとした時点でこうなることはわかり切っていた。
しかし男の中に後悔はなかった。
たった数か月。妹との交流はたったそれだけの間の時間であった。
なぜ手伝ったのか。
なぜこんなことをしたのか。
その答えはもう出ていた。
心の中には深い満足感があった。
「が、んば……れぇ……よ…………う、イ」
男は――アマツカエ・オカタはそうして死んでいった。
* * *
手に触れた変なお面。
それはへのへのもへじのような絵が描かれていた。サイズはちょうど自分の顔に合うぐらい。
だがそんなお面自分の部屋には無かったし、見たこともない。
そのお面に手が振れた瞬間。
頭に声が響いてきた。
『あ~あぁ~。テストテスト』
それは兄様の声だった。
私は思わず兄様と声を出そうとしたが、全身の痛みのせいか全く声が出なかった。
『これは一方通行だ。だから俺に話しかけても返事は返ってこない』
兄様の声が頭に響いていた。
そしてそのとき私は周りから音がしないことに気が付いた。後ろから迫っていたはずの男の足音が聞こえない。
私はもう背後にいるのかと警戒したが、何も起きない。
いやそれよりも私の体も動かなかった。
『多分驚いているよな。体が動かないって』
何が起きているのかがわからなかった。
だがそこでようやく声が出せないのは痛みのせいではないことに気が付いた。体に痛みなんてなかった。全くなかった。
傷なんか少しも負っていないかのようであった。
だが痛みはないのに体は動かない。声も出ない。
背後から男も来ない。
音もなく静寂。
まるで時が止まったかのようであった。
私はその原因を知るであろう兄の声に耳を傾けた。
『今ウイに起こっているのはいわゆる臨死体験みたいなやつだ。まぁ、みたいなやつだから死んでるってわけではない。幻覚だと思えばいい。実際のウイはピンピンして元気のはずだ』
いえ、多分死にかけています兄様。
『こんな形にしたのはちょっとした遊び心だ。面白いだろ。こいつは俺が昔作った魔法だぜ』
兄様の声は不思議と楽しそうだった。
いつもとは違った感じだった。
『さてウイ、早速本題だが。お前がこれを聞いているということは、俺は死んだんだろう。
まぁ予想していたことだから別に気にはなんないけど、俺が死んでウイはどう思った? 悲しかったか? それとも怒ったか? 何も感じなかったか?』
何も感じなかった。
その言葉が胸に深く突き刺さった。
すみません。ごめんなさい。なにも思えなくて。兄様が死んだのに悲しめなくてごめんなさい。
謝罪の言葉が心の中で溢れだした。
『もしそんな風に俺のことを思っていたなら別に気にすんな』
えっ?
『俺が死んだのは俺の勝手だ。ウイが悲しむ必要はない。もし何か思っているならまぁ予想通りというやつだな。
ウイは変なところでまじめだ。どうせ変に責任を背負って抱え込むタイプだ』
『こいつを残したのもだからだ。ウイが俺が死んだことでなんか変な風に思わないようにってことでこいつを残した』
『ウイは何も気にするな。そんなこと気にしたりして歩みを止めたりしていたらただでは済まさんぞ!』
『お前はただ自分の夢に向かってひたすら走ればいい。壁にぶつかっても、道に迷っても。何が何でも走り続けろ! 俺はお前の夢に向かって』
『脇目を逸らしたりすんな!』
『前だけ見て走れ!』
兄様の言葉が胸にスッと入ってくる。
もし涙が零せていたら、いくつもの涙が零れていたかもしれない。
兄様の言葉は自分を肯定する言葉だった。
周りに対して悲しまない、驚かない、怒らない、恐怖しない。そんなモノどうでも良い。自分の喜び、欲望、夢の方が大事とする自分を肯定する言葉だ。
何も思わなくてもいい。気にしなくてもいい。夢に向かって走れ。そう言っていた。
それでいいのか。
本当にそれでいいのか。
本当にそれでいいの?
『俺は途中で止まってしまった。脇を見てしまった。周りを見ちまった。どうでも良いことを思っちまった。だから逃げ出しちまった』
『だけどウイ。お前はそんな風にはなるな。夢に向かってただ走り続けろ!』
『どうせ人生ってやつは長い。周りを見たりするのは夢が叶ってからでも良い』
『だからなぁ……俺が死んだくらいで止まってんじゃないぞ』
答えが出たような気がした。
受け入れることができた。
『立ち上がったなら良し。元々立ち上がっていたならなお良し』
『そんなウイにプレゼントだ』
『俺は美的センスとかないから変なもんになっちまったが……』
『雨乞い。成功率100%の雨乞いができるお面型の魔道具だ』
『頑張れよウイ!』
魔法が解ける。
魔法が解けていく。
私は現実に戻ってくる。
迷いはない。
姉様のため。だがそれ以上に自分のため。
私の心の昂りはもう抑えられていない。
ここからがラウンド2というやつだ。
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