第17話

 ウイは刀を構えたまま動かなかった。

 勝つと言っても相手を倒すことだけが勝利ではない。今回の勝利条件は『自分を守りきる』ことである。そのための過程の一つが男を倒すというだけだ。可能性はかなり、ほとんどないが、このまま停滞状態を維持し、男の魔力切れで結界が解けるのを待つというのもある。

 それに加えて男は格上だ。そんな相手に自分の攻撃は下手したら隙を晒すだけである。


 ウイは男の動きを逃さないように見る。わずかでも逃せば危ないというのは直感的にわかっていた。


 男は拳を構えたまま動かない。

 ウイも刀を構えたまま動かない。


 互いに動かない。

 ウイはこの状況を不思議に思いつつもプラスに考えていた。

 だがそう都合よくは進まない。


 男が右足をゆっくりと上げた。

 ウイの刀を持つ手に力が入る。何が来る。どこから来る。どう来る。

 右足が地面に落された。


 バンっ!


 音が轟いた。

 何かが爆発したかのような轟音であった。

 それによる風圧がウイを襲った。

 そして瞬間的に加速した男が一足でウイの元へ接近した。男の拳がウイの腹へと吸い込まれていく。当たればひとたまりもない。そんなことは一目瞭然であった。


「はっ!」


 接近を捉えることができていたウイは刀を拳に合わせて打ちつけた。

 拳と刀がぶつかりあう。

 音が響く。


「ぐぅ……」

「……」


 ウイの口からうめき声が零れる。

 刀には重い拳が圧しかかる。まるで岩、巨石のような重さであった。

 それが刀を通じてそれが体に伝わっていく。ちょっとでも気を抜けば一気に押しつぶされてしまいそうだ。

 ウイはそれを押し返そうと両手、両足、全身に力を入れる。


 結果はギリギリ拮抗しただけであった。

 当たり前の話だ。


 魔力で強固になった拳に、必要以上に強化された肉体。

 一方、実戦はまだ二回目で、身体強化は使えるが、まだまだ未熟で、身体強化の長時間維持のできない肉体。

 どちらが不利かは言う必要もないだろう。


 加わる力が増していき、拮抗するのも厳しくなってくる。

 ウイの腰も少し下がり始めた。


 このまま無理に維持しようとしてもウイが有利になることはない。

 むしろこれを維持するということは、ただでさえ格上の相手にペースまでを持ってかれてしまうことになる。

 それに加えウイの身体強化はこれ以上続きそうになかった。


 そこでウイはあえて全身の力を抜いた。

 拳を止めていた力が消える。

 自由になった拳は抑え込まれていた力を開放させ、そのままウイを壁へ吹き飛ばした。

 だが壁に衝突することはなかった。

 ウイは引き飛ばされた瞬間、再び身体強化。全身を襲う衝撃を無理やり制御し、進行方向を直線から、上へ――天井側に飛ばされるようにしたのだ。その際無理な動きのせいで体中の骨が悲鳴を上げた。

 だがその甲斐あり、ウイは攻撃するチャンスを得た。

 ウイは今上にいた。部屋の天井が無駄に高かったおかげで、そこそこの高さに上がっている。そこから男を見下ろす。

 男はまだ拳を振り抜いたままであった。無防備とまでは言わないが、隙ができていた。

 わずかでも隙があるならそこへ剣を振る。

 それがアズマ流だ。

 ウイは天井を蹴り下へ突撃した。そして男の頭上へ刀を振り落とす。


「はあっ!」

「フンっ」


 男はそれを両腕で受けた。

 足腰を使って衝撃を地面へ受け流す。ダメージは一切ない。驚いた様子もなく、男にとっては想定内の攻撃であった。

 それはつまりこれは男のペースであるということだ。


 刀を受けていた腕を押し返す。

 男の一手一手がウイのとっては驚異的な一撃になり得た。

 そしてこれもまたそんな一撃だ。


 ウイはそれを食らう前にそこから離れた。男の瞳がギロリとウイのことを追う。

 男は下へ振り切った腕を今度は振り上げた。

 するとその射線上に突風が起きた。

 突風はものすごい勢いでウイヘと襲いかかる。まるで暴風域。まともに立ってはいられない。

 それをウイは体勢を低くすることで回避。そのまま刀を地面擦れ擦れに構えて男へ向かっていった。

 攻撃の目標は足だ。

 機動力を奪い少しでも自分に有利にする。


 刀を地面擦れ擦れから直角を描くように切り上げる。刃は男のアキレス腱へと斬りかかった。


「!」


 刃は予想に反した結果を生み出した。その結果に本来なら駆け抜けるはずが、足を止めてしまった。

 戦闘中での停止。

 明らかな隙だ。

 そしてその隙を逃す相手ではない。

 男は頭上から拳を振り落とした。


「!」


 間一髪、気づいたウイはその拳を避け、距離をとった。

 拳は地面に激突し、軽く埃を巻き上げた。その拳の威力に反して床に傷は一切ついていない。これは床が丈夫なのではなく、結界による防御である。

 もし結界がなければ床に穴が開き、逃げ道ができていただろう。


「硬すぎなんだけど……」


 ウイはそう呟いた。

 先ほどの攻撃。あれにはかなりの力も魔力も込めていた。どれだけ硬かろうが斬れるという自信があった。

 しかし、刀が肉を斬る感触は全くなく、あったのは刀が肌を撫でる感触であった。


「貴様が貧弱すぎるだけだ」


 男はつまらなそうにそう答えた。

 男の言葉は正しかった。


 力の差があることはわかっていたが、その差がここまでのものとは思ってもいなかった。

 ウイは自身の見込みの甘さに思わず顔をしかめた。だがすぐに考えを切り替えた。

 なんとしても『自分を守りきる』。

 ウイはそう考えながら刀を構え直した。


「はぁ……」


 それを見た男は深いため息をついた。

 まるで呆れているようであった。


「何?」

「いや、どうして貴様はそんな無駄な抵抗をするのだと思ってな」

「さっき言ったでしょ」

「姉の為だったか」


 そう言うと男はつまらなそうにフンと鼻を鳴らした。


「はっきり言ってつまらないな。最初は無抵抗で楽だと思ったら、急に姉の為と抵抗しだす。抵抗するなら多少の歯ごたえはあるのだろうと思えば全くない。技のどれもが堅っ苦しく面白みがない……。その程度なら抵抗しない方がこちらとしては面倒が省けるのだがな」

「へぇ、その程度っていう私をまだ倒せていないのに、そう言うんですか」


 内心かなりヤバい状況であった。

 表面上は何とか隠していたが、体のあちこちはさっきのぶつかり合いでもう限界であった。格上に無理やり付いていく、身の丈に合わない行動のせいで体の疲労が一気に溜まっていたのだ。

 息も上がっていた。だがそれも隠そうとして無理な呼吸になっていた。

 ウイの心臓の鼓動は激しく、収まる気配はない。

 それでも精神的に優位になろうと虚勢を張る。


「それにつまらないなら、あなたこそ殴るばっかりでつまらないですよ」

「安い挑発だな」


 ウイとしてはただ虚勢を張っていただけだが、どう聞いても挑発の言葉である。

 思考も鈍ってきていた。

 そしてその言葉のせいで、


「だが乗ってやろう、その挑発」


 男は本気になってしまった。

 男の纏う魔力が増大する。それはさっきの比ではない。

 それを見てウイの顔色が悪くなった。


「マジ……」


 今の段階ですでに限界が近いというのに、それ以上に力を持っている。完全に言葉を間違えたと後悔するが、今更もう遅かった。


「安心しろ。殺しはしない。目的は貴様の精神を弄ることなんだからな」


 次の瞬間、男の姿が消えた。

 ウイは一度も目を逸らしていなかった。目を閉じてもいなかった。

 つまりウイが追えないぐらいの速度であった。


 男の姿を探すがどこにもいない。

 だがどこにいるかはすぐに判明した。


「こっちだ」


 男の声と共に背中から衝撃が来る。

 掌底がウイの背中へ放たれたのだ。

 ボキっ。

 そんな音が聞こえた。


「がぁっ!」


 声を漏らしながらウイは飛んでいった。

 体がベッドへと衝突した。ベッドが壊れながらウイを受け止めた。

 布団やクッションは衝撃を吸収することなく、ウイの下敷きとなる。


 体を動かすことができなかった。

 呼吸が上手く出来ない。

 身体強化が上手くいかない。


 そこへさらに衝撃が訪れる。

 わき腹を蹴られた。

 ウイは低く飛んでいく。

 今度は声を漏らすこともできなかった。

 短い滞空をして今度は机に激突する。


 机が音を立てて崩れた。紙が舞う。小物が飛ぶ。引き出しの中の物が飛び出て散乱した。


 額からは血が流れる。

 口から血が零れる。

 骨は確実に何本も折られている。

 全身に力が入らなかった。

 刀が床に落ちた。

 痛みのせいで魔法も使えない。


「やはりこの程度だ。つまらない抵抗だったな」


 男はさっきまでウイがいた位置に立っていた。


「では目的を果たさせてもらうぞ」


 ウイは重い体を動かし逃げようとする。

 だがそれよりも男の歩みの方が早い。

男の足音が近づく。近づいてくる。終わりが近づいてくる。


 もう駄目か。

 そう脳裏に浮かんだ。

 自業自得なのだろうか。

 今更何かをしようとした自分への罰か。


 逃げようとする動きが止まる。

 そのとき、手が何かに触れた。


「なんだ……これ?」


 それは変なデザインをしたお面であった。

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