第15話

 男がウイの部屋へ近づいていたのと同時刻。



 そこではカタンっ、カタンっと高下駄の音が響き渡っていた。

 その場所は屋敷内にある地下へと続く階段であった。

 中には明かりなど一切なく、真っ暗闇。かなりジメジメとしており、その上まともに手入れがされていないため、階段には苔が好き放題生えている。苔は水分を含んでおり、滑りやすくなっていた。

 少し階段を踏み外しただけでもそのまま滑り落ちてしまうだろう。


 その上を一本下駄が踏みつける。

 長く、その上歯が一本だけのためとても不安定だ。とてもではないが、こんなところを歩くものではない。

 だがそんなことなどないように踏みつけていく。


「ふんふんふ~ん」


 上機嫌に。鼻歌を歌いながら。

 この場では場違いなほどの機嫌の良さで踏みつけ、下っていっていた。


「ふん、ふふ~ん。ふふふ、ふ~ん」


 彼女は機嫌よく階段を下りていく。

 彼女は滑ることなく下へ下へと下っていった。


 階段の先。

 地下の地下。

 そこにいた者は彼女の存在に気づき、眉をひそめた。

 嫌悪感。不快感。敵対心。

 そんなモノがその者にはあったのだろう。

 思わず殺気が出てしまった。普通の人間なら、震え、粗相をさせてしまうだろう。

 しかもその者は、そんなモノに魔法を織り交ぜていた。対象を攻撃。対象の精神と肉体への攻撃の魔法を。

 その者だからこそなせる技であった。

 そしてそんなモノを食らえば、ひとたまりもない技であった。


「ふふふ」


 だが彼女の笑みは変わらない。より一層上機嫌になって下っていく。

 技は彼女へ届いていた。だが特に意味はなかった。

 攻撃として認識されつつも、防御する必要もないそよ風と判断されていた。実際、彼女にとってはそよ風――いやそれ以下であった。


 彼女は底へ到達した。

 そこはそこまで広くない、むしろ狭いと言える空間であった。

 地面は岩。壁も岩。天井も岩。岩で覆われた空間だ。その中で一つだけ別種の素材――鉄でできた格子があり、こちら側とあちら側という感じで区切っている。

 ここはアマツカエ家の屋敷内にある地下牢だ。

 屋敷で問題を起こした者に沙汰を下すまで閉じ込めておく場だ。

 その目的故、ここ構造はとても不安定だった。

 もし壁や天井を少しでも崩せば、簡単に崩れ生き埋めとなってしまう。そのため一度入れられれば、破壊しての脱出はできない。

 だが目の前にいる人物であれば生き埋めになっても這い出てくるだろう。

 なんとなく彼女はそう思いながら魔法で明かりを灯した。


 暗闇だった空間に光が広がる。

 すると鉄格子の向こう側にあった影の姿が露になった。


「元気だったかしら?」


 服は少し汚れ、髪には油。すこし衰弱しているのか反応は鈍い。だがその目は彼女に対する殺気をビシビシと放っている。

 正座の状態で座り、彼女を見据える。


「トウコ」


 アマツカエ・トウコがそこに入れられていた。


 数日前のアマツカエ・オカタ及びアマツカエ・ウイの殺害指示の容疑で彼女はここに捕らえられていた。

 彼女――アマツカエ・ミナはその姿を確認すると嬉しそうに近寄っていった。


「……」

「ねぇどうなの? 元気だったのかしら?」

「……」

「ねぇ、ねぇ」

「……」

「ねぇってばぁ」

「……ウイと会えないのに元気なわけがあるか!」


 固く口を閉ざしていたトウコであったが、ミナのしつこい&うざい、その態度に耐え切れなかった。


「あらそうなの?」

「当たり前だ」

「ウイを殺させようとしたのに?」

「! それをしたのは姉上だろ!」

「そんなわけないじゃない。私はウイのこと好きよ」

「何を抜け抜けと……」

「嘘じゃないわよ。ウイのことは大好きだもの。

 ウイを殺そうとした偽シスコンのトウコと違ってね」


 トウコの中でナニカが切れた。


「本当に怖いわね。あんなに愛していたのに殺そうとするなんて」

「……れ」

「剣も教えてたみたいだけど……もしかして自分の手駒としてかしら?」

「……まれ」

「それならなおさら怖いわね。まさか実の妹は愛するものではなく、利用する道具として見てたなんて」

「……だまれ」

「邪魔と判断したらポイってね。あぁ……怖い怖い」

「黙れって言ってんのよ!」


 我慢の限界であった。

 思わず魔力を纏っていた。

 そのまま力ずくで鉄格子を壊し、ミナの脳天に拳を叩きつけようとしてしまった。

 だがその一歩手前で踏み止まった。あと一歩という所で冷静になった。

 トウコの体に纏われていた魔力が霧散していく。

 彼女の歯ぎしりがはっきりと聞こえる。


 ミナは顔を愛用の扇子で隠しながら「あら怖い怖い」と言っていた。

 だがその扇子の下に隠された表情は恐怖ではなく楽しいであった。


 ミナはあと一歩で自分が死ぬかもしれないという状況を楽しんでいたのだ。


 トウコは再び正座で座り込んだ。


「残念残念。

 まぁ、面白かったからここまでにしておいてあげるわよ」


 そう言って扇子が閉じられた。隠された表情が表に出る。

 そこにはやはりと言うべきか、ニヤニヤとした笑みが浮かべてった。


「トウコの言う通り私が指示したのよ」

「やっぱりね……」


 ミナという人間は人当たりがよく、人脈も広い人間だ。その才は多岐に渡っており、次期当主に一番近い人間と言われている。

 だが彼女にはある欠点――否欠陥があった。

 それはこの世にある物、全てが等しく玩具に見えるということ。


 どんな出来事であろうと。

 どんなに仲のいい相手であろうと。

 どんな血の繋がった人間であろうと。


 彼女にとっては全てが等しく玩具。

 自分の娯楽用品。

 自身の嗜好品。

 消耗品であった。


 ウイのことが好き。

 それは本当のことだろう。ただしそこには足りないものがある。

 どういった意味で好きなのかだ。

 それを付け加えて彼女に質問すればこう返ってくるだろう。


「それはもちろん大事な玩具の一つとして」


 それが彼女――アマツカエ・ミナである。

 その価値観が、アマツカエ・ミナの価値観である。



 彼女はその価値観の示すがままに自分の欲望を満たした。

 悲劇をつくり、利用し。人の人生で遊び。人の命で遊ぶ。

 どこまでも純粋に楽しんだ。


 そして質の悪いことに、彼女は自分の本性をこの世界の一般常識に当てはめた場合、異常であると理解していた。ならばそれを我慢し、押し込めればいいのだが、彼女はその本性を完璧に隠し、存分に満たした。

 誰も気づけない。

 誰も感じない。

 誰も疑わない。

 裏で彼女が何をやっていても。


 トウコとオカタが知っていたのはミナの気まぐれだった。

 もし彼らがこのことを知ったら……。

 そんな思いに従って暴露しただけであった。


 結果トウコは彼女を警戒、そして彼女から妹を守ることにし。オカタは彼女から逃げるように隠れるようになった。


「今回のはね……ちょっと飽きちゃったのよ。次期当主を巡るあれこれはねぇ、色々無様で面白かったんだけどね。やっぱりずっと似た系列は詰まらないってことかしらね。それで手っ取り早く当主になろうかな~て思ったの。そうしたらアマツカエ家当主の権力でもっと色々楽しめるでしょう」

「それでウイと兄上を」

「あぁ……それね、実は違うのよ」

「え?」

「本当はウイだけを殺して、トウコを絶望させて壊すっていう予定だったのよ。

 それなのにいざ決行させてみると刺客はウイが撃退。そのうえ保険はなぜかオカタに足止めされて間に合わなかった。ホント番狂わせよ……。まぁ面白かったけど」


 その事実にトウコは驚愕していた。

 兄上が一体どうして……。


「それで予定変更して、トウコを失脚……ウイで遊ぼうかなぁて思ってたのよ」

「なっ、ウイで!」


 自分がここにいる間にウイがミナに遊ばれる。それはトウコにとって何より避けるべきこと。何より阻止したいことであった。


「まだ何もしてないよな! 姉上! ウイにはまだ手を出して!」


 鉄行使を掴みながらトウコはそう叫んだ。

 その様子をミナは面白そうに笑う。


「えぇ、してないわよ」


 その言葉にトウコは思わず一安心する。が、それでもウイが危険なのには変わらない。


「それにあの子、最近つまらないのよ。前はあんなに毎日が楽しそうって感じだったのに、今は抜け殻……抜け殻になろうとしているのかしら。まぁとにかくつまらないのよ」


 ウイの様子がおかしいことにトウコは不安になる。

 もしかして兄上の死のショックからか。

 それか、自分としては大変うれしいが、自分が地下牢に入れられたからか。

 それとも全く別の理由か。


 今すぐここを飛び出し、ウイの元に行って慰めてあげたかった。どうしたのか。何か不安があるのか。何かされたのか。


「安心して。今私の手駒がウイのこと直しに行ってるから」


 その思考が断ち切られる。


「……今なんて」

「だから直しに行ってあげてるのよ。今のままじゃつまらないから、ちょっと精神の方を魔法でね。優しいでしょ、私」

「姉上!」


 ミナの考える治す。それは改造に他ならない。精神を弄って、弄って、弄り回す。そして原型はなく、ウイとは別の人間が生まれる。だがそこでは止まらないだろう。彼女はさらに弄る。弄って、弄って、弄り壊していき、その果てに捨てる。

 実質的なウイの死刑宣告であった。


「あぁ、やっぱり楽しいわね。私をこんなに楽しませるなんて……流石自慢の妹よ」


 ミナはクスクスと笑いながらそう言い放つ。

 そして突然懐から将棋盤を出したかと思うと、それを広げた。


「さぁ。それまでこれでもしながら待っていましょうよ」

「なんでそんなこと」

「もしかしたらウイに何もしないで済むかもしれないわよ」


 パチっ。


 悪魔はそう言って駒を進めた。


「……」


 忌々し気にトウコはミナのことを睨みつける。

一方の彼女はというと、さぁどうぞと言いたげな感じで笑っていた。そしてトウコは将棋盤へ顔を落とした。


 トウコが選べる選択肢は一つしかなかった。


 パチっ。

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