第14話
就任の儀から数日が経った。
オカタの死亡とトウコの拘束。これらはアマツカエ家だけでなくその分家にも大きな波紋を及ぼした。
屋敷外にいる者の反応は様々であった。
自身の支持する人間を鞍替えする者。
このどさくさに紛れて、自身の悪事を隠ぺいする者。
傍観する者。
本家を批判する者。
そしてそれは当主が不在だったことも拍車をかけていた。
だがそれでもある意味いつも通りであった。
いつも通りのことが少し過激に、激しく、強くなった。それだけだ。
逆に屋敷内にいる者の反応は同じであった。
いつも通りにする。
見張りも。世話係たちも。
皆いつも通りにする。それが彼らの選択した反応であった。
誰が指示したかなんてどうでもいい。
トウコ様が指示したのか、していないかなんてどうでも良い。
ほかに裏があるかなんてどうでも良い。
そんなことを探れば消されるかもしれない。杞憂かもしれない。
だがこの程度のことで危ない橋など渡りたくはない。
どうせいつものことだ。
当主争いが激しくなり過ぎたのだろう。
トウコ様がやったのだろう。
分家の誰かが手を引いたのだろう。
ただの狂人であったのだろう。
ならこの程度いつものことだ。
皆そう言いながら過ごした。いつも通り。いつも通り過ごした。
波風立てず。騒ぎを起こさず。いつも通り過ごして、当主が帰ってくるのを待った。
帰ってくればどうにかしてくれる。
そしてそれでこの一件は終わりだ。
だから何もしない。何もしないでいつも通り過ごしていた。
人の死など、このアマツカエ家の当主や権力争いではよくあることだ。
ゆえに外も中も、どちらにいる者も特に深くは気にせず、いつも通りであった。
* * *
目に映るのはいつも通りの見慣れた天井であった。
私は重い瞼を持ち上げながらベッドから出て、道着に着替える。そして着替え終わると、そのまま鍛錬場に向かった。
鍛錬場に向かう途中世話係たちと何度かすれ違った。彼らは重そうな物を両手に持っていたり、掃除道具を持っていたりする。
世話係たちの中には初めて見る顔もあった。もう減った分の世話係を雇ったのだろうか。
そんなことを思いながら歩いていく。
彼らは道を立ち止まって頭を下げる。
私は反射的に会釈をしながらそこを通り過ぎていった。
鍛錬場に着くと近くの水場に行った。
水を掬って顔にかける。冬の水はとても冷たく、顔が一気に冷めた。それと同時に眠気も覚め、意識が完全に覚醒する。
そして布で顔の水をふき取った。
足早に鍛錬場に入り準備を開始する。ここ数日は減ったが、ぐずぐずしているとまた胡麻擦りに飲み込まれてしまう。
床を拭き、壁を拭く。そして壁にかけられた天神様を祀る神棚に礼をして鍛錬を始めた。
一定のリズムで剣を振る。
ヒュンっ、ヒュンっと風を斬る音がする。
「ふっ。ふっ。ふっ。ふっ。」
呼吸は荒くならないように、一定を保つ。
何度も何度も振り続ける。
そうして何度も振っているうちに汗がにじみ出てくる。汗はポタポタと雫になって、床へ落ちる。
風を斬る音以外の音はない。
私は剣を振り続けた。
胡麻擦りたちがやってくる前に私は片づけを始めた。最初と同じように床と壁を拭き。使った剣を倉庫に戻す。そして再び神棚に礼をして鍛錬場を出た。水場で軽く体を拭いて、食堂へ向かった。
食堂に着くとすでに上姉様がいた。上姉様は本を読みつつ朝食を待っていた。
本に夢中でまだ私が来たことには気づいていなかった。
「上姉様、おはよう」
「あら、おはよう」
私が挨拶をすると上姉様は顔を上げた。そして私の方を見て、優しく微笑みながら返事を返した。
上姉様は私が自分の席に着くと話しかけてきた。内容は良く入ってこなかったけど、なんとなく「うん」や「ふ~ん」と返した。そうやって時間が過ぎていき、朝食が運ばれてきた。
本日のメニューはご飯、汁物、焼き魚、何種類かの漬物、野菜、それと果物であった。
黙々とそれらを口に入れていく。
いつも通り美味しい料理であった。
料理長が調理場の入り口からこちらを覗いていた。私たちがしっかり食べてるかや体調はどうだかなどを観察しているのだ。
彼の目の前で食事を味わわず、料理をかきこんだりするのはご法度だ。もしそんなことをしてしまえば、料理長の怒鳴り声と共に調理道具が飛んでくる。
私はしっかりと噛んで料理を味わって、飲みこむ。
口に入れる。しっかりと噛んで飲みこむ。口に入れる。しっかりと噛んで飲みこむ。
それを何度も繰り返していく。皿は見る見るうちに空になっていく。
私は朝食を食べ終わると席を立ち、食堂を出て再び鍛錬場に向かった。
「ウイ様。こんにちは」
向かう途中、胡麻擦りに遭遇した。彼らの数は数日前より減っている。何とか頑張れば抜けられそうだが、止めた。頑張って抜けるのは、それはそれで面倒だし、それにこの後やることは鍛錬しかない。
爺、婆、中年。彼らは好き勝手話しまくる。
私はそれを聞き流していく。
どうせ彼らの話は自分の自慢話か私の持ち上げ話。もしくは姉様や兄様を貶す話だ。
そんな話真面目に聞く必要はないし、意味もない。
適当に相づちを返すだけで勝手に盛り上がり、勝手に喜ぶ。私が真面目に聞いているかどうかなんてどうでも良いようである。
本当に簡単な奴らである。
まともに思考の一つもしていないのだろう。もし本当にそうだとしたらうらやましい限りである。
今日の拘束時間はジャスト二時間であった。
彼らが立ち去ると私は部屋へ戻っていく。
やっぱり鍛錬するのは止めた。
気分が悪い。
嫌な気分だ。
部屋に戻るとそのままベッドへ転がり込んだ。
「あぁークソっ……」
さっきの胡麻擦りのせいで数日前のことを思い出してしまった。
兄様が殺され、姉様が拘束されたあの日のことを。
姉様はあの後屋敷の地下牢へと閉じ込められた。
本当に姉様が指示したか、指示してないか。その沙汰を下せるのは当主のためそれを待っている状態だ。
姉様は何もしていない。なにも指示はしていない。
そのことは姉様のことを今まで見てきた私が一番良くわかっている。
なら今回のことは何か。誰かが仕組んだのか。そう問われると答えはイエスだろう。
今回のことを仕掛けたのは多分上姉様だ。
私から見た上姉様はいつも優しい人だ。誰にでも優しく、話を親身に聞いてくれたりする。そんな優しい人だ。
だけどそれ以上を私は知らない。
姉様は重度のシスコンで私のことがすごく大好き。色々やったりしてくるけど、私の嫌なことはやらない。剣と魔法の腕前は凄く高い。すごく強い。私がなりたいと思う理想の剣を持っている。それと私のお願いは可能な限り叶えようとしてくれる。すごくかっこよくて、きれいで、優しい人だ。
兄様はちょっと見た目が暗くて、服も汚いままする。食事だってちゃんと摂ろうとはしない。だらしない感じはあるが、すごい人でもある。上と下に押しつぶされてしまったけど、それでも何とか這い上がろうと頑張っていたことを私は知っている。それに私の調べものにも付き合ってくれたりする、面倒見のいいすごい人だ。
姉様や兄様のことはこんなに知っている。
だが上姉様のことは全然知らない。上姉様がどう思ったり、何がしたかったりなど。内面は全く知らない。
そこへ姉様の言葉、そして何より兄様の言った言葉が響く。
『姉上……まさかあなたが』
『ミナには……気を付けておけ……』
多分二人は、私の知らない上姉様を知っていたのだろう。だからああ言ったのだろう。
上姉様がやったのだろう。
疑問はすでに半ば確信となっていた。
……。
……。
だけど……。
だけどだからと言って私には何もできない。
上姉様が指示した。そんな証拠など持っていないからだ。
もし本当にそうだとしたら私では絶対に暴けない。上姉様は天才だ。何でもできる。私が見つけられるような証拠など残さないだろう。
いや……。こんなことは言い訳だ。
こんなことは何もしない理由にはならない。
そう疑っているのに普通に一緒に食事する理由にはならない。
問いただしたりしない理由にはならない。
私はただ変化して欲しかったのだ。
上姉様を疑い、共に食事し、共に過ごすことで。
何か怒りとか恐怖とか……何か感情が芽生えてほしかった。
だがそんなことはなく。
私の心の中は今もあの日のままだ……。
私の心の中は今もあの日のまま……戦ったときの昂りで満たされていた。
兄様が死んだと言われたときも。
兄様が死んだのを見たときも。
姉様が拘束されたときも。
姉様が連れていかれたときも。
上姉様が黒幕だと思ったときも。
ずっと。ずっと。ずっと。ずっと。ずっとずっと。ずっとずっとずっと。ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと…………私の心は昂ったままなのだ。
あの刀を振った感覚。
斬った感覚。
技が決まった快感。
勝った喜び。
生きているという実感。
そのすべてが今でも覚えている。ついさっきのことのように思い出せる。そのぐらいしっかりと覚えている。
そしてそれらは熱となって、あの日から――いやあのとき、あの瞬間からずっと私の中で燃えている。
鼓動は激しい。
血液の流れは速い。
頭は少し熱い。
私は今も忘れられず、昂っているのだ。
人が死んだのに。
親しかった。あんなに良くしてくれていたのに。そんな兄様が死んだにもかかわらず、私はそのとき悲しみなんてなかった。
そんなことよりと昂っていたのだ。
拘束されてしまったのに。
あんなに一緒だった。剣を教えてくれた。夢を見つけさせてくれた。そんな姉様が拘束されたにもかかわらず、私は驚きなんてなかった。
そんなことよりと昂っていたのだ。
黒幕かもしれないのに。
本心は、どう思っていたのかはわからない。それでも私から見たら、あんなにやさしい上姉様が兄様を殺させ、姉様を嵌め、私を殺そうとしたかもしれないのに、私は恐怖も怒りもなかった。
そんなことよりと昂っていたのだ。
それを自覚した瞬間、私は怖くなった。
兄が死んだんだぞ。姉が拘束されたんだぞ。上の姉がそれらを仕組んだのかもしれないんだぞ。
なのに私の心はそんなことはどうでも良いとしていたんだ。
狂人だ。
そんな風に自分のことを思ってしまった。
自然と夢のことを考えないようにした。思考の隅へと追いやった。
きっと一度に多くのことが起きすぎて頭が処理しきれてないんだと。だから考えないようにしよう。そうすれば落ち着いてくる。そして実感するはずだ。
そう思った。
思考の隅へ隅へと追いやっていつも通り過ごした。
実感するはずだ。
実感するはずだ。
実感するはずだと。
実感するはずなんだと……。
だが変わらなかった。
悲しみも。驚きも。恐怖も。怒りも。何も湧いてこなかった。
心に変化はなかった。むしろ抑え込んでた分、その昂りは大きくなった。
私は怖くなった。
私はこんな人間なのかと。
周りで起きたことなど二の次以下。むしろどうでも良い。そんなことよりも自分のこの思いが第一。自分の欲望こそが大優先。
そんな欠陥的な人間だったのか。
そんな最低な人間だったのか。
そんな恩知らずだったのか。
そう思うと夢を追いたくなくなっていた。
夢を叶えたくなくなっていた。
こんな人間になってしまうぐらいなら、夢なんて……。夢なんて持ちたくない。
「はぁ……ほんと嫌になる……」
そして私は夢を捨てることにした。
そうすればきっとこの昂りもいつかは治まるだろうから。
* * *
皆はいつも通り過ごしていた。その中で彼女だけがいつも通りに過ごしながら、いつも通りではなかった。
悩み、苦しみ、夢を捨てて抜け殻のようになったウイ。
そんな彼女の元に近づく影があった。
「……」
影は堂々と屋敷を歩いていく。
それは大柄な男であった。全身黒ずくめ。腰に大小2本の剣を差している。相当の重量を持っているのか、歩く度に床が少し音を立てている。
そして男の手にはめられた黒いグローブには乾いた赤い血がついていた。
男は近づく。ゆったりと。ゆったりと近づいてくる。
己が主に任された役目を果たすために。
悪意を持って近づいていく。
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