第9話 俺と支度
翌日、ついに訪れた日曜日。
どうせ荷物持ち係だろうと暗い気分で出かける準備をしていると、ベランダのドアがコンコンとノックされる。
それを聞いて「鍵なら空いてるぞ」と声をかけた俺は、靴を片手に入ってきた
「面倒臭いからってベランダから入ってくるの、いい加減やめてくれよな」
「別にいいじゃない。せっかく隣同士なんだから」
「隣って言っても2階だぞ。万が一落ちて怪我でもしたらどうすんだ」
「何よ、心配してくれちゃってる感じ? 迷惑そうな顔して、優しいところもあるのね」
「自分ん家を事故物件にしたくないだけだ」
小さかった頃はこんな危険なことは絶対にしない性格だったと言うのに、俺が危ないという度にニヤニヤと笑って繰り返す。
腐っても幼馴染だ。怪我をされていい気味なんて思わないし、打ちどころが悪くて死んだりすれば、そこらの付き合いのやつより悲しむ自信はある。
殴られたり見下されたりしても、母さんが信頼するくらいだからな。いい思い出が無いわけでもないし。
まあ、こいつの結婚式と早苗の結婚式が同日だったら、前者は無視して後者に出席することは間違いないけれど。
「で、入ってきたはいいが、こっちはまだ準備出来てないぞ」
「遅いわね。出発は10時と伝えたはずよ」
「まだ9時半だろ。なんだ、楽しみすぎて早く着きすぎちゃったってやつか?」
「んなわけないでしょう。
「監視って言うな、息が詰まる」
「見守りって言えば満足?」
「そもそも見てもらう必要があるほど子供じゃねぇよ。いい加減、その上から目線やめろって」
「……何よ、気にかけてあげてるっていうのに」
会えば何らかの言い合いが始まるので、予定がある時はギリギリがいい派の俺に対し、希はやけに早く集合したがる。
それが男女間の差なのかはよく分からないが、今日は改めて思うな。俺は
せめて足並みは揃えて欲しい。グイグイと引っ張られると、思春期の男子高校生の本能的なもので引っ張り返したくなってしまうから。
「ところで、そろそろ向こう向いてくれないか」
「どうしてよ」
「パジャマのズボンを脱ぐからだよ。履き替えなきゃ出かけられないだろ」
「別に今更凛の下着なんて気にしないわよ」
「俺が気にするんだって。お前だって見られたら喚くだろ」
「女の子の下着は大切な人に見せる神聖なものなのよ。凛の汚らしいのとは違うわ」
「毎日洗っとるわ」
「知ってるわよ。たまに私のも一緒に洗わせてもらう代わりに洗濯してたもの」
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
確かにわざわざ洗濯シーンを覗きに行ったことも無いし、ベランダに吊るされているのを見て、母さんはやけに若々しい下着を履くんだなと思ったこともそこそこある。
だが、まさか同じ洗濯機で幼馴染の分まで洗っているとは思わないだろう。おまけに自分の下着をそいつに洗われていたとは……。
いくら幼馴染とは言え、自分の下着やら何やらを触られていたのかと思うと、言葉には表せないモワモワとした感情が込み上げてきた。
「いやいや、勝手にやるなよ!」
「はぁ?! ここは感謝すべきところでしょうが。ていうか、母と息子二人暮しなら家事くらいやりなさいよ!」
「二人暮しって言うなら、どうしてお前の分まで一緒に洗ってんだよ」
「おばさんが3人分まとめて洗う方が水道代が安くなるからって言ってくれたのよ」
「だからって人様の家の洗濯機使うか?」
「だから遠慮して週2回くらいにしてたわよ!」
「十分多いだろ」
「家事すらしないあんたに言われたくないわ!」
この喧嘩を主婦の皆様が聞いたら、きっと100対0で俺にスリッパが飛んでくるだろう。
しかし、何年も気付かなかった俺のマヌケさは横に置いておくとして、知らないところで自分の身に着けるものを触られていたと想像してみてほしい。
おまけに相手は
毎日無事にパンツを履けていたことは、奇跡と言っていいほどの幸福だったのだ。
「今、ものすごく失礼なこと考えてるわよね?」
「ああ、考えてるさ。仕返しに俺がお前のを洗ってやろうかとかな」
「やれるもんならやってみなさいよ。洗濯機の中に蹴りこんで、チリソースと一緒に回してやるから」
「……やめておきます」
実際に閉じ込められる未来が想像出来てしまって、俺は自然と謝罪の体勢になっていた。
やはり、以前の飛び膝蹴りは相当自分にとってもトラウマらしい。反抗した際の報復の恐ろしさが体に染み付いているのだ。
「ふっ、賢明な判断ね」
そう言って胸を張る希は、やはりどこからどう見てもデーモンに違いないと思えたことは言うまでもない。
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