処刑人

青水

処刑人

 男は処刑人だ。

 彼の仕事は反体制派の中の重犯罪者を処刑することだ。


 処刑の方法はいたってシンプルで、巨大なギロチンで首をはねるというものだ。それは銃の引き金を引くように簡単だ。スイッチを押せば、刃が落ちる。巨大な鉈や斧で、直接、首をはねる必要はない。

 スイッチを押す、引き金を引く――大して殺意を持たなくても、苦労しなくとも、人を殺すことができる。そういう兵器は、罪悪感をほとんど抱かずに済む。


 手錠をかけられ、抵抗できない状態にされた大罪人たちが、毎日、男たちのもとへとやってくる。彼らを同僚とともにギロチン装置にセットして、スイッチを押す。すると、血で薄汚れた巨大な刃が、彼らを瞬時に始末してくれる。


 この仕事を始めた当初は、人を殺すことに抵抗があって、毎日のように悪夢にうなされた。辞めていった同僚もたくさんいる。しかし、高い給料のために我慢し、殺し続けると、やがて、人を殺すことにほとんど何も感じなくなった。自分がまるで機械になったかのような、巨大なシステムの一部になったかのような感覚。


 きっと、この仕事に慣れてしまったのだ。

 毎日毎日、同じことの繰り返し。自らが殺した人の顔など覚えていない。彼らがどのような断末魔の叫びをあげるのか、どのような命乞いをするのか、どのように泣き叫ぶのか――そんなことはどうでもよかった。


 今日も、いつもと同じように、同僚と二人で、列の先頭の大罪人をギロチンまで引っ張っていく。白い髭を生やした、屈強な男だった。彼は泣き叫んだりせずに、これから死ぬというのに、やけに落ち着いていた。


「俺は昔、あんたたちと同じ仕事をしていたんだ」


 しゃがれた声で髭の男は言った。


「俺たちと同じ? つまり、処刑人か?」

「ああ、そうだ。俺はかつて、体制派の処刑人だった」

「かつての体制派、今では反体制派か……」


 この国では少し前にクーデターが起こり、旧政権(旧体制派、現反体制派)が現政権(旧反体制派、現体制派)によって打倒された。

 男は現体制派の人間で、髭の男は旧体制派の人間だった。

 男は、旧体制派(現反体制派)の髭の男を処刑する処刑人。髭の男はかつて男と同じ立場であり、しかし今は殺される立場。


「処刑人が処刑されるなんて皮肉な話だな」


 男は嘲るように言った。同僚も頷いて、笑っている。


「ああ、本当に」


 髭の男は同意するように頷いた。それから、男のことを鋭く睨みつけて、


「だがな、明日は我が身だぞ」

「……どういう意味だ?」

「今の体制派が、いつ反体制派になるかわからないってことだよ」

「現政権が打倒されるとでもいうのか?」

「ありえない話じゃない。現政権の今の雰囲気は、既に旧政権の末期みたいだぜ」

「まさか、ありえない。打倒されるなんてありえない」

「俺もかつてはそう思ってたよ。だがな、世の中にあり得ないことなんてないんだよ」


 髭の男は乾いた笑みを浮かべた。


「それにな、歴史は繰り返すものなんだ。人類はきっと、種が滅びるまで、同じことを延々と繰り返す」

「俺たちは過ちを繰り返さない」

「そうだろうか? 現政権は既に、旧政権が犯した過ちと同じ過ちを犯している」


 彼の発言を一蹴することはできなかった。だが、彼の言う通りに、現政権が打倒されるとは思えない。否、そう思いたくなかった。


「お前らもそのうち、俺と同じように処刑されることになる。きっとなる」

「そんなことにはならない!」


 男は叫びながら、髭面を殴った。冷静さを失っていた。

 男は嫌な汗を垂れ流しながら、同僚とともに、髭の男をギロチンの下にセットした。いつものようにスイッチを押す。しかし、いつもとは違って、手がかすかに震えている。


 刃が下りた。


 髭の男は自らの首がはね飛ばされる瞬間まで、低い声でくつくつと笑っていた。その不気味な笑い声が、男の脳裏に焼き付いて離れない――。


 ◇


 やがて、髭の男の言っていたことが現実となった。


 現政権は発足当初こそ旧政権と違って、クリーンで正しい政治を行っていたが、今はもう醜く腐敗してしまった。権力は高潔な人をも腐らせるのだ。政権を支持していた人々は離れていった。


 男も離れるべきだったのかもしれない。しかし、処刑人として高い給料をもらっていたので、男は離れられなかった。今の生活を捨てることなどできなかった。

 同僚は次々に仕事を辞めていった。古参の男は処刑人として、地位も給料も上がっていった。新入りの部下に対して、高圧的な態度をとるようになった。


 そして、男は悪夢を見るようになった。夢の中では、彼がかつて殺した髭の男がくつくつと、不気味に笑っている。黄ばんだ大きな歯をむき出しにして、愉快そうに笑っているのだ。


「貴様、何を笑っている?」

「いやあ、愉快愉快。俺が言ったとおりになっただろう? 歴史は繰り返すものだ。人類は滅びるまで、何度でも同じことを繰り返す」


 男は拘束されてギロチンにセットされていた。数多の血で薄汚れた刃を落とすスイッチには、髭の男の大きな手が添えられている。


「さあ、次はお前の番だ。お前が首を刎ねられるのだ」

「やめろ……やめてくれえっ!」


 スイッチが押され、刃が男に迫った。首が刎ね飛ばされるのと同時に、夢の世界から帰還する。現実の世界では、全身が汗で濡れていた。ベッドもぐっしょりと湿っていて、尿を漏らしたかと錯覚させるほどだ。


 目が覚めると、まずは自らの首に手を当てる。頭部と胴体が繋がっていることを確認すると、ほっと胸を撫で下ろしてベッドから降りる。外はまだ暗い。夜は明けていない。


 シャワーを浴びて不快な汗を洗い流すと、熱いコーヒーを飲みながら考える。

 この悪夢は現実になるのだろうか、と――。


 その悪夢にはリアリティーがあって、やすりのようにごりごりと、男の精神を少しずつ削っていく。悪夢は毎日のように、男を蝕んでいった。安眠はもう随分と前から訪れていない。


 死という恐怖が、男の精神を摩耗させる。仕事をしながら、いつか自分も彼らのように首を刎ねられるのだろうか、と考えるようになった。現実でも、悪夢のように首が刎ね飛ばされるところを想像してしまう。豊かな想像力が、男を追い詰めていく。


 ある日、シャワーを浴びた後、洗面所の鏡を見ると、自分の顔が死神のようにこけていることに気づいた。いつからこんな恐ろしい形相になってしまったのだろう? 同僚が男に怯えている理由がよく分かった。


 そろそろ、潮時かもしれない。この仕事を辞して、もっと安穏な職に就くべきだ。

 そう思いつつも、なかなか決心がつかない。今の地位を、高給を捨てて、一から仕事を学ぶことが、今の自分にできるだろうか? そういったチャレンジをするには、自分はいささか年を取りすぎている。


 結局、男はずるずると処刑人の仕事を続けた。

 まずい、と危機感を覚えたときには、もう何もかもが手遅れだった。


 クーデターが起こり、政権が打倒された。かつてのクーデターとほとんど同じ構図だった。現政権は旧政権となり、好き勝手悪事を働いていた旧体制派の人々は処刑されることとなった。その中には、処刑人だった男も含まれている。


 かつて殺した髭の男と同じ立ち位置に自分がいる。同僚の処刑人たちも、同様に処刑されるようだ。自分が行ってきたことを忘れ、彼らは泣き叫んでいる。

 意外なことに、男はひどく冷静だった。あの髭の男もこんな気分だったのだろうな、と男は思った。


 澄みきった空を見ていると、処刑人の男たちによって、男はギロチン装置のもとへと連行された。思わず笑みが漏れる。


「おい、お前。何を笑っている?」

「なんだか、とてもおかしくてな」

「何がおかしいんだ?」


 処刑人が尋ねると、男は語りだした。


「俺は昔、処刑人をやっていたんだ。そのときにな、かつて処刑人だった男を処刑したことがある。処刑する直前、奴はこんなことを言っていた。『歴史は繰り返す。お前らもそのうち、俺と同じように処刑されることになる』ってな。そんなことにはならない、と俺は思ったよ。だが、結果はどうだ? 奴の言っていた通りになってしまった」


 くつくつと男は自嘲気味に笑った。

 処刑人たちも釣られて笑った。


「なるほど、それは確かに面白おかしいな」

「笑っているお前らも、そのうち俺と同じように処刑される側になるだろうよ」

「なんだとっ!?」


 処刑人の男たちは血相を変えて、男に殴りかかった。しかし、男だけはひたすら不気味に笑い続ける。


「俺たちはお前らとは違う。今度こそ、この国は平和になるんだ!」

「歴史は繰り返す。何度も何度も、何度だって繰り返すんだ……」


 ぶつぶつと不気味に呟く男に恐怖を感じ、処刑人はスイッチを押した。


 ギロチンの刃が落ち、男の首を刎ねた。


 ◇


 それから十数年後、クーデターが起こり、かつての処刑人たちは処刑された。彼らが処刑される際に思い出したのは、かつて処刑した男が言っていた『歴史は繰り返す』という言葉だった。


 さらに十数年後、クーデターが起こり、


 そのさらに十数年後にもクーデターが起こり、


 今もなお、この国は定期的にクーデターが起こり続けている――。








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処刑人 青水 @Aomizu

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