十五口目 友達⁉

 どうしよう、と俺は心をあせらせた。

 勢いで何とかなると思ったのだが、やはり童貞が慣れないことはするもんじゃあない。功を急いだ結果、初対面の女性に対して失礼なことを言ってしまった。


「ええと、あの……」


 掛ける言葉を迷っていると、


「……馬鹿ね。君がお姉さんの彼氏になるなんて一生をけたって無理よ~」


 顔を上げ、お姉さんはくすりと微笑んだ。

 さっきまでの陰気なもの哀しさは、その声には微塵みじんも残されていない。


「ってことは、前世を含めたら二周目だから、ワンチャン可能性があったりして!」


 お姉さんが笑ってくれたおかげでだいぶ楽になった俺は、冗談めかして笑ってみせた。前世の記憶を保持しているからこそ可能な、俺の渾身こんしんのジョークである。

 だが、返ってきた言葉は俺が想定していないものであった。


「あーそっか……。それじゃあそういうことになるのかな?」

「いや、え、ちょ、待ってください。そこは、『何言ってんのよ、ばーか』ってののしるところですって!」

「え? だって、って言ったのは私だし。それに、鶏が彼氏とか面白そうじゃない?」

「そんな理由でいいんですか⁉」

「んー……いいんじゃない? 恋愛には大切でしょ、フィーリングって」


 凄えぇ! 大人のお姉さん凄えぇ!


「それともミツバ君はただの冗談でああいう事を言っちゃう、悪い子だったりするのかな?」

「そ、そんなことは! いや、でも何て言いますか――」

「ひとまず保留ってことで、ね?」


 俺の顔をしっかりと見すえ、くちばしを指でふうじながら、彼女は言った。その仕草がみょうに大人びて見え、思わずドキッとする。


「……ほんと、可愛い子ね。ふふっ」


 呟いてから、お姉さんはくすっと笑い、天を仰ぎながら大きく伸びをした。

 そして、ふと何かを思い付いたように「あっ」と短く漏らすと、再びこちらに顔を向けた。


「ミツバ君」

「ひゃ、ひゃいっ!?」


 不意に名前を呼ばれて、俺は自分でもよくわからない声を上げた。

 が、お姉さんは気にすることなく話を続ける。


「この世界を旅するって言ってたけど、分からない事だらけなんじゃない?」

「え、ええ、まあ……」

「ならさ、私がいい所を紹介してあげよっか?」


 お姉さんはスーツの衣袋ポケットから一枚のリーフレットを取り出し、俺に手渡した。

 その表紙には手書きで、


『初心者でもバッチリわかる! ☆進め、オススメ、零化士のすすめ、気休め程度の骨休め☆ そんな私は一人娘の生娘きむすめちゃん♡』


 と書いてあった。


「それあげる。友達の証よ♡」

「……」


 自作感満載まんさいのリーフレットを受け取って、俺はどうしていいのか、どう反応したらいいのか分からなかった。そうして次の一手を探していると、


「本当は私が直接教えてあげたかったんだけど、人を待たせているのをすっかり忘れていてね。あ〜うっかりうっかり」

「ええ⁉ ちょ、急いで行かないと駄目じゃないですか!」

「大丈夫大丈夫。だって、んないい子達だし〜」


 慌てる俺とは対照的に、お姉さんはゆっくりと立ち上がった。

 当事者でない俺があれこれ考えても意味はないのだが、元来がんらいそういうたちなので仕方ない。


「ま、詳しい事はあそこで学びなさい」

「……あそこ?」


 お姉さんが指差す方向を見ると、木々におおわれた森を抜けた先に、青い屋根の大きな建物が見えた。新緑の壁にさえぎられてよく見えないものの、相当な大きさがあることは分かる。


「あそこに行くのはかまいませんけど、いったい何の――ってあれ?」


 建物の詳細をたずねようとしたところで、お姉さんがいなくなっていることに気づく。見ると、三十メートルくらい先を小走りにけていた。


「ちょ、あの、お姉さんっ⁉」

「ごめん、急いでるから! 学院に行けば色々と教えてもらえるだろうから大丈夫〜!」


 最後に「また後でね、ミツバく〜ん」と手を振りながら、お姉さんはたちまちどこかへ行ってしまった。


「いや、また後でって言われても……」


 一人残された俺はどうして良いか分からず、暫くその場に立ち尽くしていた。




   ◇◆◇




「お〜い!」


 黒いミディアムヘアーのお姉さん――エクレール・タンペットは、とある待ち合わせ場所で自分を待つ人影に大きく手を振った。


「……あ、エクレだ」

「またまた遅刻だにゃん」


 待っていたのは、灰色のロングヘアーを肩の前でまとめた少女と、外ハネが目立つクリーム色のショートヘアーの少女。メアとミルンは、足早に向かってくるエクレールを見て笑っていた。


「ま、いつものことじゃないか」


 紺色こんいろのポニーテルを揺らし、少し離れた場所にいたアマネが溜息交じりに呟きながら近付いてくる。


「ごめんね〜。お待たせお待たせ」


 三人の少女と合流したエクレールは、片手で軽く謝罪した。

 彼女が公園に着いたのは待ち合わせの時間を二十分程過ぎてからだったが、その表情にも口調にも、全く悪びれた様子がない。


「エクレちゃんは遅刻常習犯だにゃん」

「……反省しないのもデフォルトよね」

「どうせ忘れていたのでしょう」

「あ、あはは」


 十代の少女達に言われ放題であるが、エクレールはただ苦笑するほかなかった。

 自由奔放じゆうほんぽうな性格で酒癖が悪く、数十分の遅刻は当たり前。本人も多少は気にしているようだが、だからといって改善するつもりは更々さらさらないらしい。


 と、そこへ――


「……あの、エクレールさん!」


 ベンチに座っていた金髪少女がエクレールの元に駆け寄った。


「ん、どったの?」

「その……任務、失敗してしまいました」


 そう言って、シャルル・キャロ=ディルーナはこうべを垂れた。


 透き通った瑠璃色るりいろの瞳。妖精を思わせる端正な顔立ち。

 白い肌によく映える、プラチナブランドのミディアムヘアー。


 真面目で責任感の強い彼女は、現在、ある任務の件でいたく落ち込んでいる真っ最中だ。


「んー……そっか。ま、誰にだって失敗や間違いはあるんだし、次頑張ればいいんじゃない?」


 シャルルの頭を撫でるエクレール。そこには怒りのの字もなかった。


「えっ……あの、良いんですか?」


 責められると覚悟していただけに、シャルルはきょとんとした顔になる。


「おや? 今日はやけに上機嫌じゃないか」

「何か嬉しいことでもあったのかにゃん?」


 シャルルに続き、アマネとミルンも驚嘆の声を上げる。


「実は男だったりして~」


 メアは不適な笑みを浮かべ、いつものようにエクレールを揶揄からかったのだが――


「うーん……まあ、そうなる……かな?」


 エクレールは頭を掻きながら、歯切れ悪く言った。


 元人間の青少年だとはいえ、転生して鶏になったミツバを男としてカウントしてよいものか迷っただけなのだが、がさつな彼女が普段見せることのない反応は、年頃の少女達の誤解をまねくには十分だった。


「わお! あのエクレにも遂に春が到来か」

「え、いや、ちょっ、少し面白い子に会っただけよ⁉」

「にゃっ⁉ まま、まさかの年下だにゃん⁉」

「やるなあ……」


 色めき立った少女達と、茶化されて取り乱すエクレール。

 三度の飯より恋愛話コイバナが好きな思春期女子おとめにとって、今のエクレールはこれ以上ないくらいに超一級品の玩具だった。


 しかし、この空間でただひとり、シャルルだけは興味を示さない。


「……大丈夫なんですか、そいつ」


 シャルル自身は極めて冷静に話しているつもりであるが、その言葉の節々からは謎の人物に対する嫌悪感がにじみ出ていた。


「あ、シャルちゃんがいてるにゃん」

「そりゃあエクレのことが大好きだもの」

「……揶揄わないで下さい」

「なら、見ず知らずの男に取られても良いってことかい?」


 シャルルはがきっかけでエクレールに強い憧れを抱いている。

 この場にいる全員がその事実を知っており、度々ネタにするのだ。ちなみに本人は上手く隠しているつもりらしい。


「べ、別に……私なんかが口を出すようなことではありませんから」

「明らかに動揺してるにゃん」

「そ、そんなことは――」


 シャルルが異議を唱えようとした時、


「はいはい。君達、もう十分楽しんだでしょ」


 エクレールがパンパンと手を叩いた。


「ええ〜ここからが面白いのに〜」

「そうだにゃん!」

「まあ、気にならないと言えば嘘になるな」


 口々に不満を漏らす少女達。

 妄想が加速する彼女達の脳内では、既にエクレールのぎこちないキスシーンが再生されていた。


「……はぁ。言っておくけど、君らが期待してるようなことは一切ありません」


 頬を膨らませる少女達を前に、エクレールは呆れたように肩をすくめた。


「そうなのかい?」

「そうよ。悪かったわね」

「にゃーんだ」

「ちぇっ、つまんないの〜」


 少女達は頭の後ろで手を組んだりして、それぞれが残念な感情を表現した。


「まあ、これでひとまず安心だな」

「シャルちゃん良かったにゃん」

「どうして、それを、私に言うんですか?」


 飽くまで無関心を装うシャルル。

 そんな彼女を見て、仲間達は顔を見合わせてこっそりと笑みを浮かべた。


「ほら。やることが残ってるんでしょ」


 そう言って、ひとり歩き出すエクレール。

 空を仰いで微笑む彼女の右手を、一閃の緑電が走った。

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