十二口目 市場⁉

 一方その頃――爆心地から離れた森の上空を、物凄いスピードで通過する者がいた。

 何を隠そう、わたくし、三枝光芭である。


「うぎゃあああああああああああああああ⁉」


 少なくとも地上から五百メートルは離れており、そこを鶏が飛んでいるというだけでも可笑しな話なのだが、そうではない。本当に驚くべきなのは、この空中遊泳が自分の意思ではなく、一人の少女の並外れた豪腕によるものだということである。馬鹿力ってレベルじゃねえぞ。


「こんなんじゃあ命が幾つあっても足りねえええええぇぇぇ……ん?」


 少女に投げ飛ばされてから三十七秒が経過した頃、豊かな緑に覆われた土地を抜けた先に、海に面した大きな街が見えてきた。あの鶏の情報が正しければ、目的地である〈マギナル〉という街に違いない。


 それはまあいいのだけれど――


「え、あの、ちょっ、ま……いや、どうすんのこれえぇぇぇぇええ⁉」


 緩やかな放物線を描いていた俺の肉体は、スカイダイビングではなくバンジージャンプのように急降下してゆく。本来ならば街が見えて喜ぶべき場面であるはずが、今まさに生命の危機にさらされていた。


 石畳の路地や、鮮やかな色彩の家屋。眼下に広がるのは、まるで中世ヨーロッパのような美しい街並みである。


 つまり、このままいけば、緩衝材かんしょうざいたり得ない敷石しきいしへと叩き付けられることになるわけで――


「し、ししし、死んでたまるかあぁぁぁぁぁぁぁあああ!」


 砲撃のような風圧に殴られながら必死に翼を動かす。

 白い鍋つかみにも似たそれは極めて頼りないもののように感じるが、今はそんなことを言える状況ではなかった。天敵である猫の手も借りたいくらいだ。


 だが結局のところ、どんなに優れた飛行能力が備わっていたとしても、人間歴十八年、鶏歴四時間弱の俺には圧倒的に欠けている事があった。人間だった頃の記憶が残っている所為せいか、自分が空を飛んでいる姿がイメージできないのである。


 ……信じる気持ちって大切だね☆


「いやだあああああああああああああああああああああああああ――」


 ズドォォォォォオオォン!


 無情にも願いが聞き届けられることはなく、俺は街へと墜落したのであった。




   ◇◆◇




 ――時は進んで数分後。


 ペロッ、ペロペロッ……。


「ぅん……、ん?」


 脇腹の辺りをまさぐるザラザラとした生暖かい感触。そのこそばゆい刺激に促され、俺は目を覚ました。どうやら落下した衝撃で意識を失っていたようだ。


 起き上がってみると、一匹の黒猫が俺の身体を熱心に舐めていた。

 お礼代わりに頭を撫でてやろうと思ったら、黒猫は一目散に逃げていってしまった。ちょっとショック。


「てか……どこだ、ここ?」


 薄暗くて窮屈な一本道。

 俺が落下したのは何の変哲もない路地裏、それも乱雑に積まれたゴミ袋の上だった。ひとまず超低品質丸型簡易クッションから降りて、身体についた埃を払う。


 結果として最悪の事態は回避できたけれど、素直に喜ぶことはできなさそうだ。

 いや寧ろ、これでもかといわんばかりの災難が続いている為、厄病神のような存在が憑いているのではないかと本気で思えた。


 とはいえ、お祓いの知識も除霊の技術も持ち合わせていないので、いくら頭を悩ませたところでどうすることもできやしないのだが。


「……ま、何とかなるだろ」


 俺は気持ちを切り替えて、光が差し込む世界へと足を踏み入れた。

 瞬間、視界が白く塗り潰され、軽い目眩めまいに襲われる。


 そして――


「なっ……⁉」


 目を開けると、そこには意外な景色が広がっていた。


 石畳で舗装された大通り。左右に立ち並ぶ数多たくさんの露店。

 古風なデザインの街灯が規則的に設置されており、それらを繋ぐようにして洒落しゃれた柄のタペストリーが取り付けられている。


 バゲットアベニュー国際市場――〈グリューン王国〉における物流の中心地。


 そこそこ賑わっているものの、朝だからか一般客は少ない。どちらかというと業者の方が多いくらいで、露店に並べられた商品を買い付ける商人や、せっせと荷物を運ぶ男達の姿が目立つ。


 なんだ至って普通の市場ではないか……そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。


「す、凄えぇ……」


 豊富な種類の武器や防具に、色彩豊かな装飾品アクセサリ。多種多様な素材から見たことのない食品群まで、各店鋪には実に現実離れした商品が売られていた。

 そして、ガラガラと音を立てて俺の前を一台の荷車が通過する。


「おいおいマジかよ……」


 屈強な男達によって市場に運び込まれたのは、とてつもなく巨大な竜の頭部であった。刃のような鱗がその凶暴性を物語っている。

 俺は、自分の認識が甘かったことを認めざるを得なかった。


「こんなの、まるでゲームの世界じゃないか」


 そう口にしてしまいそうになるほど異質で異様な空間。

 主人公プレイヤーが家畜であることを除けば、RPG《ロールプレイングゲーム》に近い雰囲気だ。

 目の前の光景に吃驚きっきょうする反面、俺はある種の高揚感に包まれていた。


「よし! 情報収集もねて、この市場をざっと見学してみますか」


 全てが未知で構成されているのであれば、少し突ついただけで色々な情報が手に入るはず。

 というのは建前で、純粋に売っている物が気になって仕方がなかった。俺はときめきと手を繋ぐようにして街道を歩き出した。


 すると早速、成人男性の身のたけほどもある竜の爪を発見。どうやらここは、竜に関する素材を扱う〈素材屋マテリアルショップ〉のようだ。


 流石に竜のむくろが丸々一つ置いてあるようなことはなかったが、角・牙・翼などをはじめ、体液らしきモノが入った小瓶なども売られていた。


「ほんと凄いな……うわ、これとか絶対に高いだろ」


 欲を言えば実際に手に取って商品を確認してみたい。

 ただ、万が一のことがあれば、とてつもない金額を請求される可能性が十分にあるので、今回は泣く泣く諦めることとする。我慢我慢!


 己の欲求を抑え込むことに成功した俺は、次に〈装飾品屋アクセサリショップ〉に立ち寄った。武具に取り付けるアイテムをはじめ、希少な宝石を加工した装身具ジュエリーや、複雑な造形が施されたバッジなどが綺麗に陳列されている。


 RPGにおけるこれらのアイテムは、それぞれが固有の効果を宿していることが多く、装備した者に何らかの能力を付与する性質がある。具体的な価値や効果は判断しかねるが、ここにある商品の中にもかなりのレアアイテムがあるかもしれない。


「……はぁ。次、行きますか」


 装飾品屋を後にして再び歩くこと十三秒、を見つけた途端、さっきまでの陰鬱とした気持ちがみるみるうちに晴れてゆく。

 俺は目を輝かせながら、とある店屋に駆け寄った。


「か、かっけえ……!」


 RPGでは絶対に欠かすことのできない〈武器屋ウェポンショップ〉と〈防具屋アーマーショップ〉。武器屋では剣や銃などのジャンルごとに、防具屋では頭部や胴体などの部位ごとに分類されているようだ。


 店内にある商品はどれも美しいが、その中でも太刀は絶品だった。

 さやつかには繊細で豪華な装飾が施されており、ぎ上げられた刀身は冴えた光を放っている。匠の技だ。きっと刀鍛冶の魂が込められているのだろう。


「だけどこれも、どうせ俺には関係ないんだよな……」


 そう思うと、胸がきゅっと締めつけられた。逃げるようにその場を去る。


 過去の残像を切り捨てて前に進むと誓ったけれど、この世界に触れる度に懐かしい思い出が蘇ってくる。そりゃあそうだ、俺には前世の記憶があるのだから。


「……って、ダメだダメだ、全然ダメだよこんなんじゃ!」


 俺は頭を振って、浮かんでくる嫌な考えを追い払おうとした。

 そして、それをひたすら打ち消して、古いデータを上書きするように次の店へと向かった。


 と、次の瞬間。


「――っ⁉」


 ただならぬ気配を察し、俺は思わず息を呑んだ。

 ところが周囲を見回しても特に変わった様子はなく、しかも、すれ違う人は誰一人として気付いていないご様子。露店の店主に至っては笑顔で接客を続けている。


「な、何なんだよ……」


 深く潜るにつれて水圧が強くなってゆくように、歩みを進めると次第に空気が重くなった。

 そして、周囲を警戒しながら五十メートルほど進んだ俺は、とある場所の前でピタッと足を止めた。


「……骨董屋アンティークショップ?」

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