九口目 旅立ち⁉

 しかし、こうも真剣な顔で面と向かって言われてしまっては、俺としてはぐうの音も出ない。

 人生これからというところで殺された挙句、その転生先が勇者から家畜にジョブチェンジというのは……まあ、不幸以外の何物でもないだろう。


 恐らく〈円環の管理者ペルセポネ〉さんの最後のバグみたいな挙動が関係しているに違いない。貧乏くじを引いたみたいな事なのかな……。


「まあまあそうガッカリしないの、ストレスはお肌と心の大敵よん。それにね、鶏はボーイが思っているほど悪くないわよん?」

「……例えば?」

「んーそうねぇ。まずは時間が正確に分かるから時計いらずね」


 そう言って、腕時計を確認するような仕草をする鶏。

 あの時、悪夢から抜け出す為に試行錯誤していた俺が、経過した時間を秒単位で把握できたのはその所為か。


「他にも、この小さい身体は小回りだってくし、多少は飛ぶことだってできるわよん」


 鶏はバサバサと翼を動かしてみせた。

 そう言えば、子供の頃に観た動物番組でも同じようなことを言ってたっけ。人間に飼育された鶏は飛ぶことが苦手になっただけで、中には数十メートルを楽々飛べる品種もいるんだとか。


「ね、スゴイでしょう? バランス感覚も優れているんだからぁ」

「言いたいことは分かるけど……」


 俺自身、学校で飼育していた鶏達の機敏な動きに翻弄ほんろうされた苦い思い出がある為、鶏の身体能力が優れていることはおおむね納得できる。


 とはいえ、新たに得た能力以上に、失ったモノの存在があまりにも大きすぎる。それを捨てる程の価値が鶏にあるとは、正直思えなかった。


「……」


 そんな気持ちが露骨に顔に表れてしまっていたのであろう。

 鶏は俺の肩にそっと翼を置いて、


「ボーイの気持ちはよく分かるわぁ。でもね、鶏だからできること……いいえ、鶏になった貴方あなたにしかできない事が必ずあるはずよ。貴方が生きているのは過去じゃないんだから、今を強く生きなさいな」


 ……今を強く生きる、か。

 確かにこの鶏の言う通りかもしれない。人間としての命は終焉おわりを迎えても、俺はこうして生きている。


「一歩一歩は小さくても、止まらなければ前に進めるものなのよ。そうしたらきっとその先には、良い事が待っているものよん」

「そう……だよな、うん。まだまだ不安は多いけれど、とりあえず異世界こっちで頑張ってみるよ」


 両手をグッと握り締め、俺はその意気込みを示した。


「ふふっ、無理に頑張る必要はないわ。片手で抱えきれないものは両手で、一人で抱えきれないものは二人で抱えてゆけば良いんだから」

「ああ、その時はあんたを頼らせてもらうさ」

「待ってるわねん」


 俺と鶏は軽くタッチをわすと、互いに笑い合った。


「あ、そうだ。こうして違う世界に転生したし、折角だからこの世界を旅してみようかな」


 良くも悪くもこの世界について何も知らない。

 楽しい事、悲しい事、それら全てをこの身体でじかに感じてみたかった。それに何より暇だしな。


「良いじゃない。んー……それなら〈マギナル〉に向かってみるのはどうかしら」

「マギナル?」

「そこは所謂いわゆる港町でね、かなり活気に満ちた場所なのよん。人もわんさかいるし、もしかしたら面白い出会いがあるかもねっ」


 グッと親指を立てる鶏。


 確かに。大勢の人々が集まるということは、それだけ多くの情報が集まる場所ってことだ。

 新参者が最初に向かう目的地としては少々難易度が高いような気もするが、情報収集にはもってこいの街であろう。


「だけどなあ……。仮にここから〈マギナル〉までの道順を教えてもらっても、無事に辿たどり着けるかわからないぞ?」


 周囲に見えるのはバラエティーにんだ植物ばかりで、港どころか居住地の存在すら疑わしい。どこかに向かうにせよ、この小さな歩幅では膨大な時間をついやすことになるだろう。最悪捕食ほしょくされてお釈迦だ。


「そこは心配しなくても大丈夫よん。歩かずとも〈マギナル〉には行けるわ」


 と、鶏は遠目に見える一台のトラックを指差した。


「あのトラックはね、月に一度だけここを出発する定期便なの」

「ふむふむ」


 よく知っているな、そう思いながら相槌あいづちを打つ。

 トラックには大きなコンテナが接続されているため、相当量の荷物が積まれているのであろう。


「でね、その荷物はある街を経由して海を渡ることになるのよん」

「へえそうなのか……って、まま、まさか⁉」

「ふふっ。だから言ったでしょん、良い事もあるって」


 鶏は器用にウインクしてみせた。

 渡りに船とはまさにこのことだな。船ではなくトラックだけども。


「つまり俺は、あのトラックの荷台にバレないように忍び込んで、その後〈マギナル〉って街で降りれば良いってことだな?」

「ま、そういうことになるわね。一旦乗っちゃえば、あとは自動的に目的地まで運んでくれるはずよん」


 金網に近付きながら鶏。


「ここを通れば、この小屋からも出られるわ」


 立て掛けてあったひのきの板をどかすと、そこにあったのはマンホール大の抜け道だった。よくも今までバレずにいたものである。


「その穴、いったいどうしたんだ?」

「少し前にどこぞの悪ガキが空けていったのよ。ある意味ボーイにとっては運が良かったわね」

「な、なるほど……」


 卵でも盗むつもりでいたのだろうか。

 小屋の骨組みと同じ木材を使ってカモフラージュしているあたり、今後も利用する予定だったに違いない。ほんと今回はその悪ガキに感謝だな。


「……っと、そろそろ時間よん。トラックが出発するまで、あと十分もないわ」

「ちょ、マジか⁉」

「ごめんなさいね。記念すべき旅立ちが、とても慌ただしいものになってしまったわ……」


 鶏は、ばつが悪そうに目を伏せた。


「いやいや、そんなことは気にしないでくれ。感謝しこそすれ、恨む気持ちは微塵みじんもないよ。……ていうか、あんたは行かないのか?」

「ええ。私なりの生き方ってやつかしらねん」

「……そうか」


 この鶏には色々な意味で驚かされたが、同時に大切なことを教わった。

 それは今後の人生……いや、鶏生の歩み方そのものである。


 かなり変わったやつだけれど、最初に出会えたのがこの鶏で良かったと心からそう思う。

 だからこそ、ここでお別れというのが非常に残念だと素直に感じた。


「心配しなくてもまた会えるわよん」

「べ、べつに心配してねえっての。まあ、あんたが食べられずに生きていたら、その時は俺と会えるかもな」

「うふふ。それだけ軽口が叩けるなら問題ないわね……さあ行った行った!」


 鶏は俺の背中を押して出発をうながした。

 振り返ってを振ると、小屋の中の鶏も左胸の辺りに上げた翼を小さく振った。


『――ありがとうな』


 小さく呟いた感謝の言葉は、俺にしか聞こえない。


 かすかに芽生えた勇気と希望を胸に、天色に広がる空の下を駆けて三枝光芭は一人トラックへと向かうのであった。


「いってらっしゃい、ボーイ」


 それから――


「ようこそ〈プリセフィナ〉へ」

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