六口目 鶏⁉

 水面に映ったのは、一羽の間抜けな鶏であった。

 大福餅のように丸みを帯びた白い胴体。小籠包しょうろんぽうのように張り出た尻尾。


 翼や足は体型に合わせて縮小されており、デフォルメの失敗作といっても過言ではない。

 端的に言って、そこに以前かつての三枝光芭の面影は微塵も残っていなかった。


「ほ、本当にこれが、俺……なのか? てか、よく見なくともまともな鶏ですらないんだが……と、とりあえず深呼吸、深呼吸」


 ヒッヒッフー。ヒッヒッフー。


「って、それは出産の時のやつ! そうじゃなくて、えっと、えーっと……」


 一人ボケツッコミをこなした俺は水溜まりの周りを歩きながら、ああでもないこうでもない、と何をどうすればよいものかを模索した。


「そうか、もう一度寝てみればいいんだな。これが夢なら、次に目を覚ました時には全てが元通りですよ!」


 陽に当たって乾燥した藁の上に寝転んで、現実世界への帰還をこころみる。

 目をつむる直前、例の鶏が呆れたように肩をすくめるのが横目に見えたが、気にせず眠りについた。


 この時――自身の経験に基づいた安直且つ愚鈍な希望的観測、それを裏付けるだけの豊富な人生経験を積んでいないことを冷静に分析できていれば、その後の展開が少しは変わっていたのかもしれない。


 まあ、数時間後にあんな事件が起きるなんてことを知っていたのは、未来予知を習得した超能力者か、それこそ全知全能の神様くらいのものだろうけれど。




   ◇◆◇




「ハァ……ハァ……ハァ……」


 俺が睡眠による悪夢からの脱出を試みてから、二十七分四十六秒が経過した。

 呼吸は乱れ、全身の毛穴からは大量の汗がスプリンクラーのように噴き出している。


 このたかだか三十分弱の脱出劇をて俺が得たものといえば、いちじるしい心身の疲労と、脳天を貫く言い知れぬ恐怖、そして底の見えない圧倒的な絶望感であった。


「ま、まさかこんなことになるなんて……」


 結論から先に言いますと、わたくし、三枝光芭はマジで鶏になってしまったようです……多分。

 未だに夢のような現実を純然たる事実として受け入れられないものの、それでもまあ、九割九分九厘九毛九糸、事実と見て間違いないだろうと思っている。


 というのも、文字通り寝ても覚めても姿が変わらなかった俺は、頬の肉をつねってみたり、精神統一をしてみたり、ブリッジをしながら叫んでみたりと、思い付く限りのことを全て試したが見事なまでに失敗したのだ。


 結局、俺が期待したような実を結ぶにはいたらず、水鏡の中の三枝光芭は悲哀に満ちた表情でこちらを見つめ返すのみであった。


「なあに、さっきから自分の顔なんか見つめちゃって?」


 水面に映る白い大福餅の隣に、先程の鶏がひょいっと顔を出した。


「どうしたのよ?」

「……」


 二匹の体躯を見比べてみると各部位の形状は大きく異なっており、最早もはや同じ種族に属しているとは到底思えないものであった。


「うーん、流石にこれはなぁ……」

「ちょっとぉ、無視しないでよん」

「……そもそも、俺は本当に鶏なのか?」


 心に湧いた当然の疑問。


 そりゃあ確かに、水面に映る俺の身体は全体的に白く、立派とは言いがたいものの、真っ赤な鶏冠とさかや黄色いくちばし、さらには一対の翼までもが備わっており、俺がイメージする〈鶏〉という生物の条件はほとんど満たしていた。


 しかし当然ながら、このような珍妙な個体は今まで見たことも聞いたこともないワケでして、全く別の生き物であることも十分考えられる。

 

「んー……だけど、やっぱり鶏だよなぁ」


 ここまで特徴が一致する生物が他に思い当たるはずもなく、幾度いくど頭を悩ませたところで最終的には同じ結論に行き着く俺であった。


「……はぁ」


 まさか勇者になる予定が鶏(仮)になってしまうなんて。

 どう考えても〈円環の管理者ペルセポネ〉さんの最後の異変が関係しているのだが、今更あれこれ言ってもどうにもならないことは分かり切っている。


 取り乱すのはただの体力の無駄だ、やめておこう。

 暗澹あんたんたる気分が俺のやる気出ないスイッチを止めどなく刺激する。


「んもぉ、ほんとにどうしちゃったのよ。何か悩みでもあるの?」

「……べつに」

「あっ。もしかして、自分の見た目とか気にしちゃってるのかしらん?」

「……なっ」


 ズバリ指摘され、俺はギクッと肩を震わせた。


「そそそ、そんなワケないだろ! んなこと、これっぽっちも気にしてねえっての!」

「うふふっ、わかりやすい子ねぇ。それじゃあ『はいそうです』って言ってるようなものじゃなぁい。んもう、きゃわうぃーんだからっ♡」

「う、うっせえ!」


 顔を近付けてきた鶏の頬を両翼りょうてで押し返す。

 何なんだこいつは……。


 それに、俺のこの姿を見て何も思わないのだろうか。

 俺は少し躊躇ちゅうちょした後、意を決してたずねてみることに。


「あー……その、さ。鶏のアンタから見て、へ、変かな?」

「変って?」

「えっと、その……お、俺の容姿、とか……」

「なによもぉ。やっぱり気にしてたんじゃな〜い」

「い、いいからどうなんだよっ!」


 俺が恥ずかしさを誤魔化すべくかすように言うと、鶏は「もぉ、素直じゃないんだから」と笑みを零した。

 そして、それから少し考えるような素振りを見せて、


「ま、おかしいわね。だって、大福餅みたいだもの」


 と言った。


「……ぁあ」


 静かな口調だけに、その単純明快な言葉が一層胸に突き刺さった。

 答えはく前から何となく想像がついていたし、訊いたら落ち込むであろうことも分かっていたさ。


「やっぱりそうだよなぁ……」

「もぉ、外見なんて気にしなくていいじゃない。大切なのは中身なんだし、現在いまは多様性の時代でしょう。た・よ・う・せ・いっ♡」


 まさか家畜に多様性を語られる日が来ようとは……。

 鶏は人差し指を振るようにしてもっともらしく翼を動かすが、こいつなりに俺を元気づけようとしてのことであろう。


 しかし、この摩訶不思議な事象を受け入れるだけの余裕を持ち合わせていなかった俺は、寧ろ鶏と会話が成立しているという現実を一層突きつけられているように思えて、悲しくなった。


「どうして鶏なんかに励まされているんだろう……」

「んもぉ〜、イケズなんだからっ! ……ま、そういう子も嫌いじゃないけど?」


 鶏は器用にウインクすると、落ち込む俺の背中をバシバシと叩いた。


いでっ。ちょ、叩くな、叩くな!」


 俺は激しい動きで振り向き、その手を払い除けた。

 それでも鶏は「いやぁぁあん、もっと優しくしてぇっ♡」などとかしやがるので、俺は心の中に溜め込んだ鬱憤うっぷんを一気に噴き出してしまった。


「どうして俺はこんなところにいるんだよ! 顔も知らない誰かに殺されてさ、だけど来世で勇者になれるって言われてさ、なのに起きたら変なやつには絡まれるし、俺自身はもっとおかしな鶏になっていて……ああああああっ、くそっ、もう何が何だかわけわかんねえぇぇぇええよ!」


 半ば涙目になりながら、白い翼と化した両手で頭を掻きむしる。

 地団駄を踏み、更には小屋中を狂ったように駆け回った。


「……」


 鶏はしばらく立ちすくんだ状態で、精神が錯乱する俺の行動を黙ってただ眺めていた。その時どのような表情で、どのようなことを考えていたのかは、ひとり暴れ狂っていた俺が知るよしもない。


 数十秒後。

 体力が尽きてその場にへたり込んだ俺の前に、鶏は何故かにこにこしながらやってきた。


「うふふっ。少しは落ち着いたかしらん?」

「……っ、何がそんなにおかしいんだよ」


 俺は、キッと鶏を睨み付けた。


「んもぉ〜。そんなに怒っちゃいやぁん♡」


 頬を赤く染めて身をくねらせる鶏。

 ……マジで何なんだ、こいつは。

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