五口目 白い翼⁉

 白い翼。日差しを浴びてまばゆく輝く真っ白な羽根が、花弁はなびらのように風に舞っている。ふかふかとした羽毛におおわれたそれは触ったらとても気持ちよさそうだ。


「ま、まさか……ててて、天使⁉」


 死後の世界を強く意識していたせいか咄嗟とっさにそんなことを思った。


 しかしよく見ると、目の前に現れた生物は翼に限らず全身が純白の羽毛で覆われており、その身躯しんくには〈腕〉と呼べる部位が存在していない。

 加えて、所謂いわゆる〈天使の輪〉の代わりに真紅の冠を被り、鋭く尖った黄色いくちばしを怪しく光らせていた。


 無論、そもそも天使なんてものは空想上の存在であり、その姿形は千差万別、無数にある。

 だが目の前に現れた白翼の生物はその幾千幾万という天使像とは似ても似つかぬ、どれとも異なる姿をしていた。


 まさに正体不明、未知で形作られた異形の者だと言いたいところではあるのだが……それは飽くまで天使だった場合のお話。もしもそうでないとするならば、これらの特徴を全て有した生き物を俺は一つだけ知っていた。


「にわ……とり?」


 そう――皆さんご存知、朝から食卓に並ぶ美味しい卵を提供してくれる、あの鶏である。

 だがしかし、ここで注意してほしいのは普通の鶏とは決定的に違う点があるということ。


「あら、ようやく目が覚めたかしらん?」

「……」


 理解不能。目の前のこいつは鶏のくせに俺と全く同じ言語を扱っており、どうやら互いに意思疎通が可能であるらしい。その時点で既に俺の知っている鶏ではないのだが、奇妙おかしな点はそれだけに留まらない。


「んもぉ、中々起きないから心配しちゃったじゃなぁい♡」


 ……何だかオネエっぽい。

 そんな性別不詳の鶏は何かを確かめるように俺のことをまじまじと見つめている。


「んねぇ、ちょっと大丈夫? まだ寝惚けてるの?」

「ちょっ……近い近い近い、近いって!」


 鶏が俺の顔を覗き込んできたので、慌てて顔をそむけた。


 ……いやちょっと待て。どうして生まれてすぐに鶏に会うんだ?

 そもそもこれが現実である保証は無い。そうか、これは夢か。夢に違いない。

 実際は意識が戻っている訳ではなくて、母の胎内に宿ったばかりなのであろう。


「そうだよな、まさか夢じゃない……なんてこと、あるわけない……よな?」


 俺は、ゆっくりと眼球を左右に動かしてみる――。

 雨風にさらされた木製の骨組みと、掛け金のついた狭い扉。

 藁を優しく照らす太陽の光。ブリキの皿からこぼれ落ちた餌の匂い。


 それら全てが妙な現実味リアリティーを帯びており、考えたくもない結末が脳裏をぎる。

 ……いやいやいやいや、そそ、そ、そんな馬鹿な話があるわけない!


「……くそっ」


 俺は額ににじんだ汗をぬぐおうと、しっかりと動かせてしまう右腕を持ち上げた。


 バサッ、バサバサッ。


「……ん、何だ?」


 聞こえてきたのは、まるで鳥が羽ばたくような音だった。

 しかし、目の前の鶏は微動だにしておらず、俺達の他に誰かがいる様子もない。

 俺は不思議に思いつつも、まあいいかと再び汗を拭うことにした。


 バサッ、バサバサバサッ!


 近い。かなり近い。超至近距離で音がする。それに気のせいでなければ、俺が身体を動かすタイミングで聞こえてくるような……。


「……っ」


 俺は、ごくりと唾をみ込んで、恐る恐る自分の右腕へと目をやった。


「……なっ⁉」


 ファサッ……。


 白い翼。目の前にいる鶏とそっくりな純白の翼。ふかふかとした羽毛に覆われたそれは、触ったらとても気持ちよさそうである。


 そう、それはまるで――


 おおおおお、落ち着け! な、ないから、絶対にあり得ないから、そんなこと!

 心の動揺を抑えることもできないまま、もう一度右腕を確認する。

 しかし、


「う、嘘だろ……」


 そこにあったのは、本来あるはずがないもの。より正確に言えば「今後人類種ヒトを名乗る上で絶対にあってはならないもの」である。


「……」


 顔の前に突き出した翼を何度も握ったり開いたりした。

 ……うん、驚くほどしっくりくる。


「ぬわあぁぁぁああああああ、まっっっっっっったく意味が分からねえ! 一体全体何がどうなってんだよ、これはよおぉぉおお!」


 叫び、俺は震える膝をりっして立ち上がった。


「……あれ?」


 ふと気づく。

 こんなにも足は短かいものなのか?


 瞬間的に感じた強烈な違和感。

 立ち上がったにもかかわらず何故だか目線の高さがほとんど変わらないのである。勿論まるっきり変わっていないわけではないが、言っても僅か数センチ程度の変化であると思われた。


 身体のバランスが酷く悪くなったような気もするし、これじゃあまるで別の生き物にでもなったみたいじゃない……か?


「……は?」


 音を立てそうな勢いで体中から血の気が退いてゆく。

 慌てて周囲を見回すと、前日にでも雨が降ったのか、近くに小さな水溜まりが形成されていた。


「……くっ」


 俺は飛び込むように駆け寄ると、バクバクと脈打つ心臓を落ち着かせ、覚悟を決めて覗き込んだ。


「なな、な、ななななな、なんじゃこりゃぁぁぁぁああ⁉」

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