序章Ⅲ

「……」


 じぃーっ。

 そして、俺はそんな彼女を黙って見つめる。


「……?」


 僅かな下心を含んだ俺の視線を感じ取ったのか、少女はゆっくりとこちらに顔を向けた。

 店舗照明を浴びた綺麗な白緑色びゃくろくいろの瞳が、雪路ゆきじたたずむひとりの青年の姿を映す。うむ、やはり可愛い。


「あー……えーっと……」


 俺は少女から視線をらし、こほんと咳払いする。

 それから、ドキンドキンと脈打つ心臓を落ち着かせて、


「こんな所でどうしたんだ?」


 平静をよそおって話し掛けてみる。


「……これ」


 と、少女はポスターに描かれたとりの唐揚げを指差した。冷たく無機質な声で。


「えっと、それがどうかした?」

「ふらい……ど……ちきん……」

「残念だけど、それは鶏の唐揚げな」


 俺が誤りを指摘すると、少女は「……そう」とだけ言って再びポスターに視線を戻した。


「えーっと……」


 確かに彼女は日本人離れした顔立ちだし、ポスターに書いてある漢字や片仮名が読めなかったという可能性も考えられないこともないのだが、よもや唐揚げの存在自体を知らないなどということはあるまいな。


「既に知っていたら申し訳ないんだけど、それは鶏の唐揚げという食べ物でさ。俺の認識が正しければ、恐らく君が知っているであろうフライドチキンとは微妙に違うものなんだ」

「……から……あげ?」


 少しだけ興味を示したのか、少女の視線は再びポスターから俺へ。

 どうやら続きを説明しろということらしい。


「えー、コホン。ざっくりと説明すると、殆どのフライドチキンがころもだけに味付けされているのに対して、唐揚げは肉にまで味を染み込ませているんだ。つまり、油で揚げる前の下ごしらえに違いがあるってことになるな。それと、唐揚げはフライドチキンに比べて一個当たりの値段が安いからたくさん食べられるし、サイズ的にも一度の食事で色々な味付けのものを試すことができる。調理方法は多少似ているが、鶏の唐揚げはフライドチキンの上位互換と言えなくもないだろう」


 店の手伝いでつちかった知識を自慢げに且つ誇張こちょう交じりに披露して、次の彼女の反応を待つ。


 しかし――


「……」


 ザ・無反応。血の気のない少女の顔にはまったくといってよいほど感情がなく、いったい何を考えているのか予測すらつかない。彼女はただ黙ってポスターをじっと見つめ、尚もその場に留まっている。


「あー……」


 彼女の一連の行動からひとつの仮説を導き出した俺は、試しにる提案をしてみることに。


「なんなら食ベてみるか? その、唐揚げをさ」

「……」

「美味いぞ?」

「……」

「揚げたてだぞ?」

「……」

無料タダだぞ?」

「……ん」


 少女は小さく頷くと、ゆっくりと立ち上がって頭や肩に乗った雪を払い落とした。


「ははっ。よし、それじゃあ中に入ろうか。できるだけ急いで用意するからさ、少しだけ待っていてくれ」


 俺は少女を店のレジカウンターの前に誘導し、すみから持ってきたパイプ椅子をぽんぽんと叩く。そして、言われるままに着席する姿を見届けてから厨房へと向かった。


「よし、今日一美味い唐揚げを揚げるとしますか!」


 ゴム手袋を装着して軽く気合を入れた俺は、粉付けしてバットに寝かせておいた鶏肉を取り出す為にコールドテーブルの扉を開けた――


「……っ⁉」


 ところが、これがとんだ大誤算。

 冷気で満たされた空間には一枚のバットもありゃしない。急いで盛り場に目を移すが調理済みの食べ物を入れる器はものの見事に空っぽで、そこに唐揚げの姿はなく、残っているのは申し訳程度の衣の欠片かけらだけだった。


「や、やってしまった……」


 言うまでもなく、目前から唐揚げが消失した原因は独身男達への過度なサービスにあるわけで。厨房中をくまなく探してみるものの、使えそうなものといえばオリジナルのタレ等で下味をつけた鶏肉と使いかけの中斜里かたくりこ、あとは少量の調味料ぐらいだった。


 無論これらの食材だけでも唐揚げを作ることはできるのだが、粉付けした肉を数時間寝かすことで生まれるザクザク食感にこそウチ自慢の唐揚げの真髄がある。


 ただの成り行きで店番をしているとはいえ、今この場では俺も弁当屋のはしくれだ。こう見えて、提供する料理の最も美味しいカタチをお客様ユーザーの舌にお届けしたいという気持ちだって持ち合わせていたりなんかする。


「……だけど、マジでどうすっかなぁ」


 大変心苦しいがまた別の機会に御馳走するという代替案のもと納得してもらうほかないのだろうか。誠意をもって事情を話せばあの子だって……。自分自身にそう言い聞かせ、再び少女の様子をうかがってみる。


「……」


 少女は変わらず無表情のまま待機しているが、心なしか嬉しそうにも見えるのは果たして気のせいであろうか……。


 い、言えるわけねえぇぇぇぇぇぇぇええ!


 考えてもみてほしい。真冬の、しかも雪降る聖夜に弁当屋の前で膝を抱える少女の姿と心情を。こちらから誘っておいて「材料が足りないからまた今度ね!」などとは口が裂けても言えるはずがない。少なくとも俺には、無理だ。


「……くっ」


 俺の背筋を冷たい汗がつーっと伝った。

 しかしながら、いくらうれいても悲観的思考が加速するだけであり、事態は決して好転することはない。この絶望的な状況下で俺に与えられた選択肢はただひとつ、あの少女を傷つけることなく、更にスッカスカであろう胃袋を満足させるためにはしかない。


「サクッと済ませちゃいますか……唐揚げだけにってな」


 エプロンの紐を締め直す。


 俺はまな板の上に三枚の鶏モモ肉を載せると、調味液が入り込みやすくする為に肉全体をフォークでまんべんなく刺して鶏肉に小さな穴を開けた。次に、食べやすい大きさに切った鶏肉とトレハロースをボウルに入れて八の字を描くように二百回程度揉み込んでから、調合した醤油ベースの自家製ブレンドダレやおろし生姜を加えて三十回揉み込み、調味液ごとジップロックに移す。


 氷を入れた大きめのボールに水を張り、少しだけ口を開けた袋ごと水の中に投入。空気が完全に抜け、軽い真空状態になってから冷凍庫へ移動させる。本当ならば冷蔵庫で一晩寝かせたいところであるが……まあこの際仕方あるまい。


 ――そして、待つこと十五分。


 冷凍庫を開けて袋から取り出した鶏肉の汁気をペーパーで軽く拭き取ると、片栗粉を満遍まんべんなくまぶしてから、熱した油の中に皮目を下にして優しく寝かせてあげる。


 ジューッ、ジュワジュワ、パチパチパチ――。


 親の声より聞いた幸せの音色。

 これまた変な話だが、物心付いた時から店を手伝わされてきた所為せいか俺にとっては子守唄に似た安心感があった。最初は嫌々覚えた料理の技能スキルであるが、こうして誰かの為に使うことができるのであれば覚えておいてよかったのかなと思ったりもする。


「……おっと」


 黙想や思い出にふけっているうちに、うっすらと雪化粧をしたきつね色の丸い塊が油面に顔を出していた。

 すくい網を使って素早く油を切り、網付きのステンレスバットに転がす。そして、あらかじめ用意しておいた大きめの皿にを盛りつけると、俺は完成した料理をテーブルと化したレジカウンターへと運んだ。


「待たせてごめんな。ほら、できたぞ」

「………」


 少女は目の前に現れた未知の物体をじーっと見つめると、


「……写真と、違う」


 ばっさりと言い放った。

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