第210話戦況
邪竜復活のその瞬間。
この魔界で神のような存在とされていた始祖種達は己が実力をいかんなく発揮し、戦場の様相を変化させていた。
まず最初に動き始めたのは最も好戦的な種族であるとされている悪魔たち。
彼らはフェルから目につく敵は無差別にどんな方法であったとしても殲滅するようにという指示を受けており、その指示をもとに圧倒的なまでの実力でもって魔界の敵たちを蹴散らしていた。
質はエルピスたちの陣営が上、だが数は向こうのほうが勝っており悪魔たちの地力がなければ押されていたことは想像に難くないだろう。
始祖種を関係なく考えるのであれば戦闘自体は互角もいいところ、だが始祖種がこの場には全員存在している。
「──まさかこれ程とは、さすが音に聞く始祖種ですか」
額から血を流しながら敵をにらみつけているのはエラ、彼女はエルピスから妖精神の力を受け取っているものの、借りたばかりの力でできることなどあまりない。
だとすると始祖種と上位種にカウントされることもあるとはいえまだ幼い混霊種であるエラには一対一の戦闘というの少々厳しいところもある。
「我等を甘く見るなよ小娘。始祖種の誇りがどれほど積み上げられたものか、貴様に思い知らせてくれる」
「凝り固まった思考というのは嫌なものですね、私がカバーに入ります。エラさんは好きなように動いてください」
「ありがとうございます」
エラのそばに立つのは粘液種種のフィリル。
始祖種の中でも最年少である彼女の口から発せられる言葉は面白いくらいにエラの目の前の始祖種を苛立たせていた。
歴史を重んじると言う精神性そのものがそもそもは魔物には無かったもの、ともすれば始祖種の長を自称する彼も長い時の中で変化しているのだろう。
そのことを自覚させてくるフィリルとは前から犬猿の仲と言っても良いほどに相性が悪かったのだが、正式に敵対関係になったことで彼の怒りは止まるところを知らない。
地形を崩壊させる一撃を放ち魔界の大地を蹂躙する一方で、別の場所で始祖による戦闘が新たに始まろうとしていた。
「なんで私こんな荒っぽいやつ担当になる事多いのかしら」
「そりゃひでぇじゃねぇか人間の嬢ちゃん。俺結構いいところ見せてるだろう!? 今夜一杯どうだい?」
「やめといた方が良いと思うぜェ? アウローラ様はエルピス様の大切な人だからな」
「そういう事ならナシナシ! アレと敵対するのはぜってぇ無理!」
戦闘を始めたのはアウローラと吸血種の始祖であるバーン、そしてアーテの三人組。
相対するのはゴミの王と死者の王、相性としてはそれほど悪くはないだろう。
魔法による援護を行いながらも戦局を支配するアウローラに、始祖の力を遺憾なく発揮し近接戦で圧倒するバーン。
龍神の権能に当てられたことでもはや出会った頃の面影すらないほどの力を手に入れたアーテ達は、想定よりも遥かに敵側の勢力を押し始めていた。
そうして始まった二つの戦場を眺めながら、退屈そうに頬杖をついているのはレネスである。
「うーん、どんなものかと見にきたが思いの外圧勝しているな。
これなら私が来なくても問題なかったかも」
「あらレネスお疲れ様。そっちの方はどうだった?」
暇そうにしていたレネスに対して言葉をかけたのはアウローラだ。
先程までは後衛とはいえ付近を警戒しながら魔法を発射する必要があったが、レネスが近くにいる今となってはその警戒もする必要がない。
敵に向かってただ一方的に魔法を放ちながらその時間を有意義に使うためにアウローラはレネスに状況の確認を行なっていた。
「敵主力歩兵は壊滅した、チリ一つ残してないよ。アウローラはどうしてこっちに?
エルピスの援護に回る予定だっただろう?」
「それが遺跡に入ったら見事に待ち伏せされててね。
エルピスと話しててもし敵が待ち伏せてたらこっちに移動して指揮をとる様に言われたの。
何があるかわかんないからってさ」
「なるほどな、確かに戦力差は丁度良いくらいではあるが」
アウローラの能力の一つである回復魔法による回復不可、これは初見の敵に対してとてつもないほどのアドバンテージとなる。
まず基本的に魔物というのは自分の治癒能力に自信を持つものが多く、多少の攻撃は受けても問題ないと思っている。
確かに事実刃物による切り傷や魔法による外傷などはある程度ならば十分回復できるのだが、そこに対してアウローラの魔法は威力でも効果でも十二分な成果を発揮していた。
油断していた魔物達は治らない傷に繊維を喪失し、そうそうにある程度の戦力を削れたのは敵側からしてみれば大きな誤算になっただろう。
それに妖精神としての力を持っているエラがこちら側に来たというのもちょうど良い。
権能を使えず膂力だけの制限であったとしても、始祖種を大きく上回るだけの力がある。
それによって均衡は大きく自陣営側に傾いているわけだから、権能というのは何よりも規格外だ。
「まぁこっちはなんとかなりそうだからエルピスの援護に行ってあげて。向こうの方が決戦って感じだったし」
「そうは言うけど私がここから移動するわけには行かなそうなんだよ」
「どうして?」
「これ見てくれたら分かるかな」
レネスが懐から取り出したのは一枚の紙。
この世界で作られたものではないだろう、綺麗な白い紙は材質や形状からして日本の紙と同じだ。
そこに書かれていたのはレネス殿へという始まりの挨拶からたった一行で終わるだけの簡潔な命令文であった。
『レネス殿へ、役目が終わればアウローラの側から離れるな』
たった一行な上に差出人の名前もない。
そんな物をレネスが信用してこの場に残ると言う判断をしたことがアウローラからしてみれば一番驚きのことであった。
彼女が人を信用するハードルというのは、とてつもなく高いものであるということをアウローラは知っている。
「これは…?」
「エルピスのベットの上にこれが落ちていた。最初はエルピスが書いたのかと思ったが、彼の字では無いからな」
ベットの上に置いてあったというのであれば、いよいよ誰のものかも分かったものではない。
エルピスの字はかなりクセが強くあまりに綺麗な字体とは言えないが、文章に使われている文字はさながら国営の新聞並みに丁寧な字で書かれておりさすがにエルピスでないことは明白である。
「確かにそうね、それにエルピスだったらレネスに直接言った方が早いでしょうし……でもなんでわたしの側から?」
「それに関しては分からん。だが戦況が安定している今、どちらに私がいても特にこれと言って問題はないだろう。
ならこちらに居た方が良い気がする」
手紙の差出人の是非はこの際他所に置いておくとして、レネスがこの場にいるという判断を自分の意志で下したのであればアウローラにこれ以上口出しすることはない。
「なら申し訳ないけれどここに居てくれるかしら」
「まかせろ。アウローラの身は私が守らせてもらう」
「学園の時以来ね」
「あの時はわたしにも縛りがあったがな、だがいまやそれも無い。この場所は絶対安全だ」
「それじゃああの時みたいにこの戦況を私が支配してみせるわ、今度は一人も死なせない」
戦場においてあまりにも楽観的な考えと言われればそれまで。
だがアウローラは本気で誰も死なせないといまこの場で決意した。
いくつもの魔法を扱いながら戦況を見据えたアウローラは、ひとまず目の前の敵を倒すことに集中するのだった。
そうして戦闘が激化していく中でアウローラが連絡を取ろうと魔法を起動した相手は、おそらくこの戦場でいま最も敵から狙われているであろうエルピスである。
『エルピスまだ生きてる?』
生存しているだろうとは思って居るが、それでも声を聴かなければ安心できないのが戦場というものだ。
声をかけ、その声に対して相手が反応してようやく心は普段と同じくらいに戻ってくれる。
「誰かと思ったらアウローラか。大丈夫だよ、そっちはどう?」
『こっちはレネスが来てくれてるしエラが大活躍中。ただヘレディックさんが一番頑張ってるかな、始祖二匹を引き摺り回してる』
「英雄を召喚できる人だっけ、凄いねそれは」
始祖を相手にすることは普通かなりの困難である。
元からある力に加えて長い年月を生きてきたことによる狡猾な思考、それを二体も相手にすることは同じ始祖であったとしてもよほど力の差がなければ不可能なことだ。
それを行えるだけの力を持っていることに驚きが隠せないエルピスだが、アウローラ達の方面がどうやら問題なさそうであるという事を知り安堵の息を漏らす。
『そっちはどんな感じ?』
「いま目の前で邪竜が復活中。邪魔したいんだけどさ、次元の狭間を纏いながら出てきてるから中々鱗が剥がせそうに無いんだよね」
『思ってたよりヤバそうな状況じゃ無い!? 大丈夫!?』
だが客観的に見れば辛い状況にあるのはどちらかといえばエルピス達の方だ。
邪竜は既に復活の兆しを見せており、いまもなを次元の狭間から現れ出ようとしている真っ最中の事であった。
アウローラが心配するのも無理はないだろう。
エルピスと邪竜が戦うのは当初の予定通りであるとはいえ、人間の間では邪竜はけして手を出してはいけない存在であると語り継がれている。
そんな相手に対して勝負を挑むのだ、心配するなという方が無理な話である。
「大丈夫だよ、今は俺と父さんで遠距離から攻撃し続けて障壁を剥がしてる段階だから。
ただ一つだけ気掛かりになることがあってさ」
『なに?』
「魔界側の作戦が余りにも適当すぎるんだよね。
各地で裏切り者を作ってる割には魔界に入ってから重要箇所の裏切りも減ったし、ないとは思うけど背後に気をつけて。特に始祖には」
『始祖の中に混じってるってこと?』
アウローラも違和感はもちろん感じていた。
フィリルを警戒していたのもその一つであるし、裏切り者がいないと考える方が不自然だろう。
だがいま現状ではこれと言った証拠もなければ確信もなく、結局は何か事が起きてから動き出すしかないのが現状である。
「あり得なくは無い、それくらいだけどね。師匠がそっちに居たらなるべく側に居て、エラもなるべく近くに。
念のために障壁は二人とも貼ってあるけど破壊神の権能は貫通してくるはず、もし本当に信徒がいたらなるべく逃げに徹して欲しい」
『分かったわ……生きて会いましょうね』
「もちろん」
再会の約束を交わし、次に会える時を楽しみにしながらエルピスが通話を切ると邪竜がその体を大きくのけぞらせる。
みてみればすでに後ろ足まで出てきている様な段階、後もう少しもすれば尻尾までできり完全に龍としての姿をこちらに見せてくれる事だろう。
だがそんな姿を見る気はエルピスには毛頭ない、敵がノロノロと出てくるのであればその瞬間を叩くのが最も効果的なことは分かりきっている。
「エルピス! いけるか!?」
「大丈夫だよ父さん、母さんも離れておいて!」
神級魔法の同時使用、天地を埋め尽くさんばかりの魔法陣がその威力を物語る。
大陸一つを消しとばしてしまえるだけの魔法は周辺の魔素すら消し去ってしまうほどの魔力消費を持って、この世界のルールすら歪めかねないほどの威力を見せつける。
かつて両親が戦った戦場が荒れ果てていた様に、それよりもさらにひどく歪みもはや生物の住めない環境を作り出したエルピスとイロアスは大気圏にまで届く爆炎を巻き上げた。
「──やったか!?」
「父さんそれ言わない方が良いやつ!!」
「────!!!!」
エルピスが父に対して言葉を投げかけるとほぼ同時。
空間を震わせる叫び声で己の生を主張した邪竜が一度翼を上下させると、巻き上げられた爆炎が周囲に霧散していき邪竜の本体が姿を表す。
紫と黒で覆われた代表にトカゲの様な鱗に覆われた体躯、腕と足が生えており上体を起こしながら羽ばたく姿は大きくなった人の様にも見えるが翼や牙が竜であることを強く主張していた。
体調は30メートル程だろうか、竜にしては平均的なサイズであるがその威圧感はいままであった龍の中でも指折りだ。
基本は四足歩行の様にして体を横にしながら跳ぶことが多いこの世界の龍とはまた違った性質を持つ邪竜を前にして、エルピスは己の愛刀を抜きながら言葉をこぼす。
「父さん達が戦った時と同じ感じ?」
「完全体で復活はしたが障壁が剥がせただけまだマシか。
あの時よりも遥かに強いぞ、これ倒したら英雄になれるかもしれないぞ?」
「それだったらアウローラを呼んでくればよかったかもね。
俺の方が耐久力高いから予定通り俺が前に出るよ。父さんは援護をお願い」
「任せろ、援護なら得意だからな」
耐久力を気にせずとも、もとよりエルピスは龍神の権能の都合上龍種の攻撃を喰らうことはない。
だが万が一があってはいけないと神域をいつもより広範囲に展開し、邪神の障壁もしっかりと張り直したエルピスが邪竜に対峙すると竜はおもむろにその巨腕でエルピスの事を払い除けようとする。
圧倒的な肉体の強さによって裏打ちされた速度でもってエルピスの命を狙った邪竜の一撃は、危なげなくエルピスの刀によって弾かれた。
傍目から見ていればこれといって問題のなさそうな攻防であったが、攻撃を受けたエルピスはといえばなんともいえない困惑の顔を浮かべていた。
「──痛っ!?」
「大丈夫かエルピス!?」
「大丈夫死んでない! でもなんで? 龍神である俺が痛い? 龍神の権能は作用してる…なぜ?」
可能性として考えられるのは邪竜が生まれたばかりという判定である可能性。
だがこれならば龍神の権能で操れるはずだし、青年期の竜に分類されることはどうあってもないはずだ。
だとすればエルピスが知らないなんらかの力が働いている可能性がある、たたえば破壊神の権能が関わっているとか。
そんな事を考えているとエルピスの影から久々に何かが一瞬体を出したかと思うと、その灰色の体躯を中空に表したのは邪竜よりは小さいものの確かに成熟した龍であった。
『邪竜は竜ではない、もはや別の生き物に代わっている』
「エキドナ!? なんでここに」
『邪竜復活の気配がしたのでな、影から飛んできた。それよりも問題は攻撃がこちらに効くということだ、前には私が出よう』
「任せたよエキドナ!」
状況はいまいち理解できていないエルピスだったが、自分では時間が稼げないことが分かった途端に後ろに下がり魔法を展開し始める。
身体が大きいということはそれだけで致命傷になる傷の度合いが変わってくるのだ。
エキドナに攻撃を肩代わりしてもらうのは申し訳ないが、現状それが最も勝率の高い方法である事をエルピスは理解していた。
「神級魔法──危ないっ! さすがに隙のでかい魔法は無理か」
「あいつは知性はないが生きるのに最低限の知能はある。
攻撃を仕掛けられれば反射的に攻撃を返してくるから気をつけろ」
邪竜から飛ばされてきたのは真空の斬撃。
爪を横に振るうだけでそんなものが出るのだから、そうとうこの世界の理から外れた存在であることはもはや語るまでもないだろう。
数度の攻防を経て邪竜はついにエルピス達を敵と認識したのか、本格的な戦闘がついにこの場で始まった。
まず最初に飛び出したのは邪竜、最も攻撃力のあるエルピスを狙った邪竜だったがそれをさせんとエキドナがその体でぶつかり邪魔に入る。
龍神としての権能のほとんどはいまやエキドナのものである。
彼女が龍神の息吹を放つために大きく口を開けると脅威度の変更が邪竜の中であったのか、先程までは気に求めていなかったエキドナを今度は執拗に狙い始める。
「いまのところは大丈夫だけどジリ貧になりそうだね、エキドナが崩れたら正直結構厳しいかも」
「元からそう言う相手だ。先に言っておくが俺が死にかけても自分のことを優先しろよ、分かってるとは思うけどな」
「父さんが俺が死にかけててもそうしてくれるならいいよ」
「…………とりあえずあの羽をもぐ。右の翼に攻撃を集中させるぞ」
「分かったよ父さん」
素直に言う事を聞かないのは一体どちらに似たのか、そう言いかけておそらくは両方だろうなと思ったイロアスは言葉をつぐみ魔法を行使する。
魔法使いが使う魔法の多くは殺傷能力が高いのはもちろんのことだが、その中でも切断は水魔法か風魔法の応用技を使う必要性のある少々難易度の高い技だ。
だがそれをなんなく完成させた二人が大きく腕を振るうと水と風の刃が竜の翼を襲う。
城の壁すら容易に切り裂くだけの圧倒的な切断能力を持ったヤイバであったが、竜に血を流させることには成功したものの目的であった翼をもぐことはどうやっても無理そうである。
みるみるうちに治っていく邪竜の傷口を眺めながら仕方がないと判断したエルピスは、刀を引き抜きながら全速力で前へと駆け出していく。
「エキドナ! 魔法じゃ埒が開かない! 父さん援護をお願い!」
「おい馬鹿前に出るなっ!!」
「はぁぁぁぁっ!!!」
翼に刃を差し込み自重と共に無理やり振り下ろす。
片翼だけでも数十メートルほどの大きさを誇る邪竜の翼を切り落とすことに成功し、エルピスは距離をとりながら作戦の成功を喜んだ。
「切った! あと一枚!」
「よくやったエルピス! ただあんな危ない真似二度とするなよ」
「分かってるよ、でも落ちないね」
心配そうにエルピスに駆け寄るイロアスと、必要であればもう一度同じ事をするであろうエルピスの前で邪竜は未だに飛んでいた。
だが確かに先ほどと同じ様な手で詰め寄って刃を向ければ無事に下がれると言う保証もなく、エルピスは責める機会を伺いながら次の一手を考えていた。
刀による攻撃が有効であると言うことが判明した現状を考えると、なんとか二人に隙を作ってもらって自分の手で決めるのが最も確実性が高い。
そう考えたエルピスだったがそれより先にイロアスから提案がされる。
「ならアレをつかうしかないか」
「あれ? 必殺技でもあるの?」
「必殺技よりもいいもんだよ。俺が抑えておくから説明受けといてくれ」
英雄にしか使えない権能の様なものがあるのだろうか、そう考えていたエルピスだったが、イロアスが説明を受けろと言ったのとほぼ同タイミングで自分の周囲を漂う魔力に干渉された感覚を味わう。
それは他者からエルピスに対してコンタクトを取ろうとした証であり、見知った魔力の反応にエルピスは即座に対応する。
『エルピス、聞こえる?』
「セラ! いまどこにいる?」
セラとニルがいまどこで何をしているのかエルピスはある程度しか把握できていなかった。
両親を守る様にエラとセラにお願いした手前、どちらかは必ず守れる位置にいることは確実である。
だが思い出してみればいつのまにか母親であるクリムの姿もどこへやら、邪竜の復活に意識を取られすぎたのもあるがセラとニルは近くにはいない様である。
久々に聞けたセラの声に喜ぶエルピスに対し、セラはほんの少し嬉しそうな声色をしながらも一つの作戦を提案した。
「少し後ろの森の中よ。こっちまで邪竜を連れてこられる? そうすれば龍を堕とせる』
「なにか秘策でも?」
『そうよ。信じて』
邪竜を前にして長々と説明する時間がないことは百も承知。
エルピスとしても説明があればやりやすいところではあるが、セラが信じて欲しいと言うのであれば盲信して戦闘に挑むのが自分にできる最善の行動である事をエルピスは自覚していた。
通信をしていた僅かな間に幾百の駆け引きをしながら邪竜と戦う父に対して、エルピスは庇うように前に出ながら概要を説明する。
「父さん! 森まで龍を移動させるよ! エキドナはもうちょい頑張って!」
「分かった!」
『これ以上頑張ったら我死ぬぞ!?』
「死ぬ気で頑張んの!」
『無理難題ばかり言いおって!』
見てみればすでにエキドナの体には痛々しい傷跡がいくつもつけられている。
竜の巨体を考えれば致命傷ではないものの、それでも痛みや出血というのは長引けば長引くほどに不利を招く原因にもなる。
エキドナ自身も己に回復魔法をかけている様だが、邪竜の攻撃は対象を腐食させる性質を持っている様で間接的に邪神の権能を行使できるエキドナですら回復には時間を要する様だ。
魔神であるエルピスの回復魔法であればそれよりも早く回復できるだろうが、生憎いまはセラが近くにいないため回復魔法が使えない。
幸いなのは邪竜に明確な知能がないことだろう。
敵が警戒する様な威力の攻撃をし続けて注意を買いながら全速力で目的地へと向かえば、邪竜はその巨体を暴れさせながら真っ直ぐに追いかけてきてくれる。
移動するのも楽なことではない、何度も危険な攻防を重ねながらそれでも何かがあると信じてエルピス達は目的の森へと向かう。
あと一歩、あと少しが無限に思えるほど遠い、だがそれでも前へと進んだエルピス達はついに森の上空まで辿り着く。
『なんとかきたがこれでどうするのだ!』
「分からん! 信頼して来ただけだからね!」
「安心しろ俺が場所は知ってる。もう少し後ろだ、合図をしたら全員散開しろ」
だが詳しい事を知らないエルピスとは違い、イロアスはすでにこのあと何が起きるのか知っている。
となれば後はイロアスの合図を待つだけ、ここに来るまでのことを考えればその時間はすぐのことであった。
「──いまだ!」
イロアスの合図と同時に森の中から飛来したのは直径10メートル以上はある魔法の矢。
圧倒的な質量と魔法によって強化されたその矢は正確に龍の翼を抉り取ると、轟音を立てながら龍が地面に倒れ伏す。
一体いつの間に用意したと言うのだろうか、これ程の質量の物体を用意するとなればそれなりの時間がかかるはずだ。
エルピスはそう考えていたが、実際のところはエルピスが戦っている間に邪竜対抗装備として四人がかりで作っていたのだ。
思っていたよりも邪竜が強くなっており普通に撃っては避けられる可能性もあったので矢を隠せる森の中に移動させており時間がかかってしまったが、その分翼をもぎ取り肉体にも損傷を与えるという最高の戦果を上げることができた。
「──あの時ぶりね、強くなったのは貴方だけじゃないってこと分からせてあげるわ。
エルピス、私と一緒に前に出るわよ、イロアスとセラちゃんは援護をお願い」
「まさか母さんの横に立てる日が来るなんてね」
「私の呼吸に合わせて戦うのよ。できる?」
「任せてよ」
並び立つのは母の隣。
エルピスが最も憧れていた場所、それはいまこの場であった。
母の隣に並び立ち、父の援護を背中に受けて強敵を前にして武器を握る。
残念ながら母の様に体一つで戦えるほど器用ではなかったため武器を持つことにはなってしまったが、そのかわり母には使えない強力な魔法という攻撃の手段も持ち合わせている。
確実にいまの自分は戦力として認識されている、そのことがエルピスにとっては何よりも嬉しかった。
かつて魔界に置いていかれた頃の自分ではない、強くなった自分がいまこの場にいるのだということを実感してエルピスの身体は熱くなる。
そうして熱くなった身体をそのまま前へと移動させ、エルピスはクリムと共に邪竜へと向かって駆け出した。
両翼をもがれて地に落ちた竜となってなを、邪竜の威圧感は衰えることはなかった。
空の翁と呼ぶにふさわしい彼だが、その力を存分に振るえるのはなにも空に限った話ではない。
「────!!」
吠える邪竜が腕を振るうたびに致命傷の攻撃が辺りに振り荒れるが、エルピスとクリムはそれを躱し、いなし、時には二人係で受け止めながら着実に邪竜にダメージを蓄積させていた。
攻撃の手数もそうであるが、この二人いままで共に戦った経験はそれほどないはずなのに驚くほどに息が合っているのだ。
イロアスとの戦闘でも並外れた連携力を見せていたエルピスだが、それは遠距離攻撃が主体の魔法戦闘においてのこと。
近接戦闘という複雑な状況が入り混じりながらお互いの位置によって静止画垢割ってくる環境にありながら、クリムとエルピスは無言での意思疎通を完璧にこなしきっていた。
「速い──いえ、もっと速く」
「クリムもエルピスもお互いがお互いのしたい動きを分かってる。もっと速くなるぞ」
イロアスの言葉通りにエルピス達の速度はお互いの速度を重ね合わせる様にしてさらに早くなっていく。
前に倒れていた邪竜の体は徐々に攻撃を受けて後ろへと倒れ込んでいき、ゆっくりと急所に至る道が開始めていく。
あと少し、もうほんの少しでとどめの一撃を放てる位置に邪竜の命が転がり込んでくる。
「母さん決めるよっ!」
「バカっ!! エルピス危ないっ!」
だがそんな時にこそ出てくるのが戦闘経験の差である。
エルピスは常に前しか見ていなかった、付近を警戒するのではなく邪竜と母の位置だけに自分の索敵能力の全てを割いていた。
だからこその先程までの速度、だからこその圧倒的な連携力だったのだが、全力を投下して入れ込んだ余裕のない状態にはいつかどこかに綻びが現れる。
その綻びは四人目の破壊神の使徒、背後がガラ空きになったエルピスの元へと使徒は音も無く忍び寄っていた。
そんな使徒の前に仁王立ちで立ちはだかり、両の手を広げてエルピスの事を庇おうとするクリム。
どちらかの命が危ない、そう判断してイロアスが駆け出すにはほんの少しだけ遅かった。
歴戦のイロアスですら呆気に取られるタイミング、勝ちを確信した瞬間というのはどこまでも冷静さを欠いてしまうものである。
信徒の手のひらは間に入ったクリムをなんとか避けながらエルピスの方へと伸びてきいき、エルピスに対していままさにその力を振るおうと──
「──無粋ですね横から邪魔をするなんて。どこの誰でしょうか」
差し伸ばされた腕はセラによって握り潰さんばかりの威力で止められていた。
事実握り潰そうとしたセラだったが、彼女の本気で持ってしてもミシリと鈍い音を立てるだけで肉塊に変わらない。
それは先程までの権能を代行使用する事を許可されただけの即席の信徒では無く、本物の破壊神の信徒であることの証でもあった。
即座に自分がするべき事を思い出したエルピスとクリムは即座にその場から離れると、邪竜も自分の回復に専念し始め場は奇跡的にまた最初のような状況へと戻っていく。
最初と違うのは口にするまでも無く信徒の存在だ。
「これはご挨拶が遅れまして、破壊神の信徒だよ。よろしくね?」
随分とフレンドリーな挨拶に驚くほどにげひた目。
腰まで届く程の黒い長髪でありながら、体は痩せこけ酒焼けしているように聞こえる声は男のそれである。
視線は悟られることのない様にかそれとも生まれつき挙動不審なのか一点を捉え続けていることはまずない。
特徴的なのは身体中にある黒いあざ、それはまるで火傷の跡の様でありながら生まれつきのものだろうということがセラには見てとれた。
この世界で生まれてくる生物のそれと全く同じ性質を持つ肉体、でありながらその奇妙な外見は内面にそれだけ外側が引っ張られていることの証明に過ぎない。
考えられる能力は接触型の何か、それも先程まで気配を消していたのだとすると相当狡猾で卑怯な手を使うことも厭わない存在。
そうしていま自分がこの場にいる意味をセラは理解した。
おそらく待機させていた妹も同じ様に、なぜ創生神が自分達にこの場にいる様に指示したのかということを。
目の前の存在を消すべきだ、そう告げるのは天使としての自分か戦神としての自分か。
だがそんな事ももはやセラにとってはどうでもよかった。
愛する人間を傷付けようとする人間が目の前にいる、それは冷愛を司る彼女の前で行うにはあまりにも愚かで、万死に値する愚行であった。
絶対零度すらも下回る冷ややかな怒気は相手に対する死の宣告、こうして戦闘は一時完全なる仕切り直しとなったのだった。
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