第211話裏切り者

「私の目の前でエルピスを殺そうとした罪、償わせてあげるわ。お父様、すみませんがここはお任せします」

「ああ、助かったありがとうセラちゃん。気をつけて」


殺すというよりは引き離す事を目的として不可視の一撃を放ったセラにより、破壊神の信徒ははるか向こうへと飛んでいく。

それを追いかける前にイロアスとの会話を一瞬だけ挟んだセラは、そのまま飛んでいった男の跡を追う。

歩数にすれば数歩にも見たない程度ではあったが、エルピス達の戦闘場所が遥か彼方になるほど距離を稼いだセラは武器を手に取り男の前に立つ。


「もしかしてだけど俺相手に一対一で勝てるとでも? 笑わせないでよ」


けひひ、と特徴的な笑い声を出しながらそんな事を呟く男からは、確かな自信というものを感じられる。

権能がなくとも自力ですら負ける要素はあり得ない、そう言いたげな男の姿はまさに不遜そのものであった。

だがセラはそんな男の言葉を鼻で笑い飛ばす。


「笑わせようとしているのはそちらでしょう? あまりの殺意に自分が狙われていることすら気がついていないのかしら」

「一体何を──」

「殺す。誰を狙ったか、その罪を魂に刻みつけてやる」


男の首筋に向かいほんの少しの優しさもない一撃を放ったのは見た事もないほどに怒りを露わにしたニルである。

彼女からしてみればエルピスに与える痛みも死への恐怖も許せるものではない、天地開闢の時よりも更に熱い激情は草木を枯らし大地を殺し大気を震わせた。

この世で考えられる最も無謀な行いをしてしまった報いは、これ以上ないほどの絶望でのみ精算される。


「私に合わせようとしなくて良いわよニル、こっちも勝手に好きにやらせてもらうから」

「殺す、殺す殺す殺す……」

「話なんて聞いてないわね、エルピスから渡されている力は前までより少ないけれど権能の完全解放数はいまや四つ。

 私が普段ニルの力を抑える為に使っている力が二つ分あるのだけれど……別にいまは抑える必要は無いわね」


セラがニルの枷を外したのは怒りとは別にそれだけ目の前の敵を警戒している証でもあった。

だがもはやこれで敵に勝機は万に一つもあり得ない。

打ち消しあっていた二つ分の権能の力はニルとセラ両方を超常的な強化へと導き、懐かしい全能間に身体を浸らせながら最後の言葉をセラは相手に投げかける。


「お願いだからすぐに死なないでね」


愛する人に投げかけるような優しさで持って、冷酷なお願いをぶつけたセラはそのまま敵を殺すために駆け出していく。

こうして戦闘が始まる中で、戦況は更に別の場面へと転化していく。

場所は変わってアウローラ達始祖種側の戦闘地域。

開戦当時のことを考えればもはや見る影も無くなってしまったほどに荒れ果てた平地には、無事にアウローラやエラそれに始祖種などなどが生き残ってその両足で地面に立っていた。

だが戦闘は未だに終わっていない。

武器を手に取り油断なく構えていたレネスの知覚が、ふとエルピス達の戦闘を感知する。


「ふむ、なにやらエルピス達の方で一悶着あったようだね」

「何か感じた?」

「魔界は邪魔なものが多くて力を感じにくいがニルやセラ、エルピスの気配を強く感じる。おそらくは称号の効果によるものだろうが相当力を使っているようだ」

「向こうも楽な戦闘ってわけじゃないわけね。こっちもそうだけど」


そう言ったアウローラの目の前にいるのはもはや見る影も無くなった始祖種の頭領。

元はと言えばエラと粘液種の始祖フィリルによって倒されたはずの始祖種であったのだが、同じ様に倒された他の始祖種を取り込み巨大な肉の塊となることで新たな異形として彼はこの大地に未だに立っていた。

目の前のそれを生物と形容することすら生物に対しての宣戦布告であると捉えられてもおかしくないほどに、目の前の生き物がなぜ生きていられるのかということがレネスでさえ理解不可能だった。

普通ならば生きていられないはずのそれ、たまらずアウローラは近くにいるフェルに声を投げかける。


「フェル! アレ一体なんなの!」

「なんなのって聞かれても困りますよ。アレなんなんですか、始祖種合体させたからって普通強くなりませんからね!?」


自分が始祖種であるからこそ、そんな事をしても無駄であることくらい分かりきっていることだ。

フェルはアウローラに対して言葉を返しながらも、目の前の生物が生物としての体裁を守っているつもりでいることよりももう一つの方に疑問を抱いていた。


「そもそも強くなるならない以前に権能を二つ以上保有して形を保てる筈がないんですよ! 魂の許容量を無視する行いですからね!?」

「それに関しては生きたまま融合して無理やり解決しているようだな、魂はそこにあるままだ」

「なら魂混ぜ合わさるのを許容してるってわけですか? この戦闘終わったらどの道死にますね」


フェルの疑問に対して答えたのはレネス。

彼女も長い人生を生きてきた中で目の前のような生物にあったことがあるのだろうか。

やけに詳しいレネスの助言に感謝しながら、それでも目の前の敵を倒す必要性は変わらないということにフェルは辟易していた。

一個の肉体に複数の魂と複数の権能、どうやっても耐えきれず数週間と持たずに体は自壊を始めて目の前のソレは息絶えることだろう。

だがそれまで暴れ続けるそれを放っておけば、今回色々と気を遣って関係各所に手を回し犠牲者を極力減らしてきたことの意味が全てに迎えってしまうではないか。

それだけは何としても避けたい。

道連れの自爆に巻き込まれて全員仲良くあの世行きなど絶対にごめんだ。


「死なば諸共、道連れにしてやろうと言うことなのだろうな」

「まッたく勘弁して欲しいぜ」

「単純な問題としてデカいのが最悪だな。フィリル、悪いけど前に出て盾をやってくれないか?」


体の多さはすなわち攻撃範囲の広さに直結する。

技能を使えばバーンとて遠距離攻撃ができないわけではないが、単純な攻撃の間合いでは圧倒的に向こうの方が有利なのは陽を見るよりも明らかな事だ。

バーンがフィリルに声をかけたのはこの中で唯一体の大きさを自由に変化させることができるのが、粘液種であるフィリルだけだからである。


「フィリル?」


だがバーンの声掛けに対して普段ならば子気味の良い速さで声が返ってくるというのに、今日ばかりは少しの時間を待って返事が返ってくることはない。

いったい何があったのか、そう思いバーンがフィリルの方へと振り返ったその瞬間にバーンの体が。#はじけ飛ぶ__・__#

吸血鬼の弱点は基本的に心臓であるが、始祖種にまで上り詰めたバーンは全身を破壊しない限りある程度の時間で自己蘇生することが可能である。

だがこれは機密情報であり知っているのはバーンが最も信頼している吸血鬼が数人と、ほぼ同時期に始祖種に上がり苦楽を共にしてきたフィリルだけ。

つまり始祖種の中にいることが予想されていた裏切者というのはフィリルであり、状況は一気に最悪の方向へと切り替わる。


「──なっ!? 血迷いましたか!?」

「エラさんは俺の後ろに隠れてろッ! アウローラ様はレネスさん任せたぜッ!!」

「もちろん、いまのものちゃんと避けさせたよ」


アーテの言葉に対して余裕だと言いたげに言葉を返したレネスの手には、首根っこをつかまれて宙ぶらりんになっているアウローラの姿があった。

捕まった本人すら自分の状況を理解できていない速度でアウローラを捕まえたレネスがいうには、何やら攻撃をされたらしい。


「い、いまのって私もしかしてレネスがいなかったら」


そうして死を実感すると自然と体は震え始めるものである。

覚悟を持ってこの戦場にいるアウローラだが、覚悟があっても怯えてしまうのが人間の仕方のないところだ。

震えているアウローラを下ろしてレネスはゆっくりと深呼吸をさせる。


「死んでたよ、でも気にしないで良い。次があっても私が守る、だからゆっくりと深呼吸するんだ、焦ると死ぬよ」

「……大丈夫。冷静になった、とりあえずエラと合流しましょう」

「そうしたいけれど向こうはそうさせてくれそうにないね」


こうなってしまえば最も大切なことは死なない事と時間を稼ぐこと。

エルピス達の戦闘が終わるかそれ以外の場所の戦闘が終われば、こちら側に援軍がやってくることだろう。

それまで誰も死なないようにするべきだというアウローラの判断は正しいものだが、正しい判断がゆえに敵もそうしてくるだろうという事は当然ながら想定している。

レネスが指さす先から現れたのはおそらくは粘液種であろう生物達。

こちらを囲い込むようにしてゆっくりとうごめいており、その戦闘力は未知数だがどれほどの強さにしろ今まで察知もされずに隠れていたのだからそうとうのやり手である。


「ふむ、スライムがこんなにも隠れていたとはな。バーンは死んだか」

「死んで…ないわおっさん……ッ! さすがに不味い…血がいる」

「頭だけでよく生きているな。必要なのは人の血か?」

「このさい…おっさんのでもいいぜ?」

「……良いだろう。それで戦局が元に戻るので有れば安いものだ。後方支援を頼んだよ」


既に干からびてしまった腕を出して頭だけのバーンに血を吸わせると、瀕死の重傷であったバーンは元の姿へと急速に戻っていく。

ただそれでもいつも通りの戦闘能力を持てているかと聞かれれば疑問が残ってしまうところである。

焦燥感を隠そうともしないバーンだったが、それはフェリル相手に隠し事をしたところでばれてしまうだろうという考えあってのものである。


「彼の復活にはまだ時間がかかるか。この線より前に出ないようにね」

「エラは大丈夫? さっきの攻撃食らってない?」

「私なら大丈夫よアウローラ。妖精神の力を使いこなせればレネスの横に立てると思ったのだけれど、上手くいかないわね」

「自分で手に入れた力ではなく与えられた力だからね、慣れるまでにはそれ相応の時間が必要になるのさ。

彼女? 彼? が技を外したのもそれが理由だと思うよ」


所詮借りたものは借りたもの。

他人から得た力を自分のものに出来なければ、どれほど素晴らしい能力であろうとも最上位の者達には脅威足り得ない。

隙を見て合流を企むレネス達だがどうやらそう簡単には通してくれなさそうだ。

バーンが復活したことで多少は警戒に緩みも出てきたが、それでもまだまだ安全には程遠い。


「私が始祖種を相手しよう。バーンはフィリルを殺せ」

「おっさん一人で大丈夫なのか? あれ相手に一人は流石にキツいだろ」

「なに、別に一人というわけではない」


ヘレディックが指差した先に居るのはいまもなを時間稼ぎのために始祖の塊と粘液種を同時に相手するフェルの姿。

今回の戦闘では戦線維持のためにあちらこちらと移動していたことが多かったのであまり話題には上がらなかった彼だが、帝国にいる間に邪神の権能を己のものとして扱えるまでに昇華した彼はまさに神の如き圧倒的な力で場を支配していた。

始祖種の中にいてさえ異質なほどに移る戦力でありながらなんとなく影が薄く感じられるのは、フェルがエルピスの持つ隠蔽能力を使用して自分の存在を消しているからである。

でなければいまごろ敵に最も警戒されているのはフェルになっていただろう。

それでも時間風にしかならないが、敵に警戒されるまでの時間が稼げると言う事は戦場という時間が全てを支配する場ではそれだけで値千金の価値を持つ。

目にも留まらぬ戦闘行動を行いながら、それでも余裕があるのかフェルはほんの少しの苛立ちを見せながらバーンに声を投げかける。


「なんで僕のこと忘れるんだ吸血種! 悪魔の始祖たるこの僕がこの戦場には居るだろう!?」

「あー、それはマジでごめんなさい。ほら、さっきまで別の戦場に居たからてっきりさ」

「この戦争終わったら覚えてろよ」

「勘弁してください」


友には裏切られ、同じ始祖には頭が上がらない。

まったく散々な一日もあったものだが、バーンの心境はゆっくりと普段のペースにまで戻り始めていた。

友が裏切ったことに関してはもはや気にすることでもない、魔族よりは魔物、つまりは動物に近いバーンからしてみれば利益を得るために行動した結果友が敵になるのであれば仲間を守るために殺すだけである。

それより問題はフェルの方、こちらは本当に頭を抱える要因になりそうな気配を感じずにはいられない。

なんとも言えない顔をするバーンだったが、確かにそれならば任せられるだろうと冷静な判断を下すと自分はフィリルの方へと向かってしまった。


「まぁそう言うわけでこちらは二人。それに仙桜種殿、その子らが近くに居れば良いのだろう? 

そちらにこれを押し付ける。上手く捌いてくれ」

「無茶苦茶なことを言うね、だけど嫌いじゃない」


ほとんど意志を持っていない力の塊であるとは言え、始祖種の塊は相当な力を持つ。

これが外に漏れ出れば人の国など二日と持つ事はないだろう、魔界ですらその暴虐にも近い力はあまりにも過剰なものだ。

始祖種と神の力を持つ悪魔と仙桜種、それだけの面子を前にしても不気味に蠢く始祖の塊はそれだけ己の力に自信があるのかはたまた知性すら失ってしまった弊害か。

本日何度目かの大規模な戦闘が起ころうとする横で、旧友同士の戦闘も始まろうとしていた。


「さてと、フィリル! なんで俺達を裏切ったんだ? 魔界にある粘液種達がこれからまともに暮らしていけると思うのか?」

「強い方につく、それはおかしいことじゃないでしょう? 

それに裏切ったのは私だけ、粘液種のみんなは私に無理やり従わされているだけ。

だから全ての責を持つのは私なんだよバーン」


言い訳になどなるはずがない。

そんな言葉をフィリルがバーンに投げかけたのは、自分以外の粘液種の事は見逃してあげてほしいと言う彼女からの個人的な願いだ。

バーンはその願いに対して言葉を返す事はない。

責任が取れない時には黙して待つ、そんなバーンの姿に敵になった今でもフィリルは少し微笑みを浮かべてしまう。


「…それでいいんだな?」

「後悔が先に立つことなんてありはしないんだよ」


後悔が先に立つ事はない。

後悔しながらも目の前の友を裏切った自分が口にするとは何とも皮肉なものだ。

そう思いながらもフィリルは殺し合いを始めた。

お互いに譲れないものがあり、始祖としてのプライドを持つ以上は結局口で何を語ろうともこうなってしまうのは仕方のない事なのだ。

お互いを知り合ったもの同士の戦闘はまるで予定調和のように防御され、避けられ、いなされ、そうして決め手にかけていたが、もう片方の戦闘はそうもいかない。

考えうるこの場においての最高戦力三人を相手にして、始祖の塊は未だにその身体を万全の状態で保っていた。


「くっ! さすがに三人がかりでも硬いな」


強度自体はそれほど問題ではない。

近接攻撃が得意な三人が揃っている上に、レネスがいま持っている刀は限界を追求する事に喜びを感じる始祖種がこれ以上のものはないと言い切った程の業物。

切れないということは無いのだが、切れば切るほどに体積を増す相手にどれだけ切り付けても無駄というもの。

相手が疲弊するまで待ってもいいがそうなればバーンの方がいつまで持つか分からない。

先程アウローラ相手に放っていた破壊神の権能、あれが自由に動き始めればレネス達もさすがに命の危険性を考慮する必要が出てくる。

そうさせないにはなんとかして先に目の前のデカブツを倒す必要性があるのだ。


「一分間だけ本気を出してこいつを倒す。その反動で多分私は動けなくなるから二人を任せても構わないか?」

「……いいのか? 私が裏切り者でないと言う保証はない。既に始祖種にも裏切り者が出てしまった、他に裏切り者がいないとは言い切れん」

「まぁだからお互いに全力を出し切れてないわけですしね」


フェルの言葉はこの場にいる三人の間ですら信頼関係が揺らぎ始めていることを示唆している。

レネスとフェルの間で信頼関係があってもよさそうなものだが、二人はエルピスを挟んで喋ることがほとんどで対面で喋ることは少ないので信頼関係というのもそれほど築けてはいない。

だがこのままではジリ貧なのも事実である。

故にレネスは己の感性を信頼する。


「共に戦った者の性質がどのようなものか、これだけ長い間共に刃を交えていればそれくらいわかる」

「分かった。英雄達の栄誉に誓って、必ず守る」

「僕は…まぁ大丈夫ですよね、任せてください。エルピスさんの名前に誓って守りますよ」


注意を引きつけるために一歩前へと出た二人の後ろで、レネスはニルに頼んで自身の力を解放してもらった時のことを思い出す。

彼女の力によって無理やり解放してもらった力ではあったが、一度その感覚を体験したレネスはその天才的なセンスでニルの言っていた違う視点からの見方というものをなんとなくではあるが感じ取っていた。

ニルのサポートがないためおそらくは発動後反動で動けなくなるだろうが、それでもあの力を扱えるのであれば代償としては安いものである。


「さて…決め台詞も無いのは少し締まらないが仕方ないか」

「あら、考えてなかったの?」

「そう言うことを考えるのは苦手なんだ、あった方が締まって良いとは思うんだがな」


技の発動準備は整ったが雰囲気というものがなんともダメだ。

自分ではどうにもならないとレネスがアウローラに振ると、アウローラは嬉しそうな表情を見せて胸を叩く。


「なら私が代わりに…行きなさいレネス! 貴方の全力をこの世界に見せつけるのよ!!」

「──了解した」


了承の言葉と共にレネスの身体から噴き出したのは桜色の魔力。

それは花弁のようにふわふわとレネスの身体の周りを纏いながら浮かび上がっていた。

この世界でも唯一の可視化出来るほどの濃度の魔力を周囲に浮かび上がらせることのできる神以外の種、だが仙桜種の真価はそれだけにとどまらない。

ミシリと空間を軋ませてレネスが駆け出し刀に手をかけながら巨人の方へとかけていくと、巨人はその超常的な力を持つレネスを脅威と判断したのか今日一番の咆哮を上げる。

体が震え足がすくむほどの音圧の中で、だが仙桜種であるレネスはそれを気にすることなく巨人の股を通り抜けるとその背後を取り刀を軽く一振り空間を撫でるように振るった。


「──!!!」


頭部からまた先にまでかけてぱかりと巨人の体が真っ二つに切断される。

圧倒的な力と技術力によって切れぬものがないと思わせるレネスの剣戟は、仙桜種としての全力を解放したことでさらにその精度を増している。

二つに割れた体ながらも反撃を試みた巨人の腕がレネスに辿り着くまでに落とされると、ついにはその巨体を地面へと投げ出す巨人。

だがそれでも巨人は死ぬことがない。

それは様々な権能を手に入れたことによって複合的に手に入れられた不死性と言うこの世界でも得意な能力。

切られた腕も身体もみるみるうちに元に戻っていくではないか。


「──残念だけれどそれに対しての対抗策はもう持っている」


だが彼女達は──仙桜種はこの世界で全ての生物に対しての知識を持っている。

そして彼女達こそ何を隠そうこの世界でも特異な能力である不死性の第一人者なのだ。

かつて己の限界を試した仙桜種は不死を殺す手段として最も効果的な方法を編み出し、それは仙桜種の間で代々受け継がれてきている。


「凄いわね。それにそれ、回復魔法かしら? 不死性は殺傷に対しての耐性が高いけど過度の回復によって起こる自己不順で不死性を機能させないようにしながら殺すってこと?」

「解説ありがとうアウローラ。大体それであっているよ」


原理としてはアウローラが口にした通りたったそれだけのこと。

正常に働いているものを、本来あり得ない挙動を引き起こすことで無理やり正常ではなくさせてしまうのだ。

再び駆け出したレネスの刃はもはやなんの抵抗もなく始祖の身体を切り伏せる。

気がつけばそこにいた巨人の影はどこにも無くなっており残っているのは切り落とされたほんの小さな欠片だけだ。

だがそれもレネスの手によって放たれた魔法によって完全に消滅し、これにて太古から生きてきた始祖種はその半数を失うことになったのだ。

呆気なさすぎる幕引きではあるが、真なる力を使用した仙桜種の力は並の神すら上回る。

瞬間風速でしかないにしろいまこの場で最強なのはレネスだったというだけだ。


「まさか本当にあの力の塊を殺すだなんてね。さすがに仙桜種を甘く見積もっていたかな」

「これで俺とおっさんにフェルさんで三対一だ、まさか勝てるとは思ってないよなフィリル」

「逆だよ。殺してくれたおかげでやりやすくなった」


始祖同士の実力は大体互角、昔からそうは言われていたもののもはやフェルとヘレディックに関しては始祖二人以上の実力を持っていることは明白である。

だとすれば破壊神の権能を考慮に入れたとしてもフィリルの不利は火を見るよりも明らかなことだ。

だがフィリルは煙幕がわりにとそこら中に破壊神の権能をばら撒くと、既に死に絶えた始祖の塊の元に立つ。

もはや欠片となってしまったそれに対してフィリルは覆いかぶさるようにして広がっていく。


「まさか…始祖の力を取り込んで?」


粘液種の最も特徴的な事は繁殖と分解、この二点に尽きる。

エラとアウローラを守るために一旦距離を取った場所からでは始祖にまで上り詰めたフィリルの吸収速度には一歩及ばず、危険を感じた始祖三人がフィリルへと攻撃を仕掛けるがそれは最も容易く避けられる。


「さぁこれで準備は整った。始祖三人程度でいまの私に勝てるかな?」


先程までとは明らかに異なる殺気と、喉に何かが詰まっているのではないかと思えるほどの息苦しさを醸し出すフィリルを前にしてもバーンは覚悟を決める。

目の前の敵を殺すべきチャンスを見誤ってしまった、レネスが全力を出している間にバーンが責任を持ってフィリルを殺し切るべきだったのだ。


「チッ! マジィなこれは。おいアーテ! 二人連れて逃げろ、三人で時間を稼ぐ」

「なに言ッてンだよ! 俺も戦う! 吸血種の誰かに運ばせれば良いだろうが!」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! 残念だが吸血種の中にも裏切り者は必ずいる。お前にしか任せられねぇんだよ」

「悪いな、友達に誓った手前二人を傷つけさせることは出来ん。死出の道だろうが付き合ってもらうぞ二人とも」

「こんなところで死ぬ気は無いですが…まぁ役目は役目。それに二度目の失態などする気は元からないので」

「水臭いこと言うなよおっさん、俺らおんなじ始祖だろ」

「始祖か、そう呼ばれるのも悪くない気がしてきたな」


邪竜との脅威度を比較すればさすがにこちらの方がまだ楽だろうが、それでもそれと比較になる程度には今の状況は厳しいものがある。

おそらくはここで自分達は死ぬことになるだろう、覚悟を改めて決めた始祖達はフィリルの方へと向き直り己の武器を手に取った。

何千何万、下手をすればそれ以上の数戦場を駆け巡った歴戦の彼らではあるが、その命の灯火はいつだって危険な綱渡りの上にある。

今回もそれと同じ、誰かが生き残り次に繋げられればそれでいい。

だがそうして死地に向かう男達を見捨てられない人物もいた。


「──始祖だけではありませんよ」


一歩前に出たのはエラだった。

幼い頃から誰かに守られて生きてきた彼女からしてみれば、覚悟を決めてやってきた戦場でも守られる存在で居続けることに耐えられなかったのだろう。

自分だって横に立てる力がある、自分だって戦える。

本当ならばエルピスの横に立って居なければいけないが、彼の横に立つには未だに自分では届かない事をエラは分かっていた。

だからこそ目の前の壁を乗り越えて、彼の元へと向かうしか無い。


「ばっか! アンタが傷ついたら俺らがここに残る意味がないだろ! フェルさん時間稼ぐからこの子連れてって!」

「無理ですよ、彼女凄く頑固ですから。こうなったらレネスさんが復活するまで四人で時間稼ぎしますか」

「まったく、困ったものだ」

「私の事なら大丈夫です。向こうも多分そろそろ終わりますし、それに私だってみんなが傷つくのを黙って指咥えて見てるのなんて嫌なんですよ」


始祖達よりもさらに一歩前へと出たエラは、身体から漏れ出る光の粒子にその身を包ませて更に前へと歩いていく。

そんなエラに対して攻撃を仕掛けるのはフィリルではなく周辺にいた粘液種達、だが彼等の攻撃をまるで事前に知っていたかのように避けていくエラには強者特有の余裕が見えた。

先程までの彼女とは明確に何かが違う。

その何かの違いとは単に権能に対しての順応度の差である。

権能はそれぞれ担当する種族があるのはもはや論ずるべき事でもないが、混霊種であるエラは現存する種の中で最も妖精神に近い種族でもある。

だからこそ混霊種は第三勢力が力を持つ事を恐れられた森妖種や窟暗種達から迫害されているのだが、その話はまたいずれの事だ。

兎にも角にも完全解放された力の代行はそれだけでも十二分な脅威である。


「妖精神の権能か、ついに完全に覚醒したか。それならば確かに戦力比は悪くないな」

「妖精神だぁ? なんだが知らんが強くなったのならよし、これで同じくらいだなフィリル。もう躊躇わない、絶対に俺が殺してやるよ」

「──いや、やめておくよ。絶対に勝てる試合じゃないなら私はやらない、いまここで死ぬわけには行かないからね」


覚悟を決めて拳を握りしめたバーンに対して、フィリルは突き放すようにして逃げる準備を始める。

ハッタリや動揺させるための罠などではなく本気で逃げようとするフィリルを前にして、バーンは己の決意を踏み躙られたと感じて強い怒りを覚える。


「逃すと思ってんのか? あぁ!?」

「逃げられるさ、だって後ろみて見なよ」

「ア? 何を言って──お前!」


フィリルの指差した先にいるのは瀕死のレネスに肩をかすアウローラ。

その胸からは背後から突き刺された刃物のようなものが体を貫通して露出しており、どくどくと溢れ出す血の量は誰が見るまでもなく致死量である。


「な、なにこれ」


疑問を口にするのは脳がそれを受け入れようとしていない証でもある。

だがしかし実際事実として胸に受けた傷は致命傷でありどうしようもなく死を予感させるそれはどくどくと流れる血液とともに命が浪費されていく様を視覚的に見せてくれた。

全ての粘液種の位置は割り出せていたはず、全員の思考の中にそんな言葉が浮かび上がるが、アウローラを刺した粘液種は付近の草むらに隠れてはいなかった。

彼が隠れていたのはアウローラが普段持っている鞄の中、その中で小さな欠片となりながらタイミングを測り、肉体的な強化がほぼなく一般人となんら変わらない身体能力のアウローラをこうして狙ったのだ。


「残念だけど彼は私の意思で巻き込んだんだ。私のはじめての分身体、彼も実質は私さ」

「アウローラぁ!!」

「フィリルっ! 貴様ぁぁぁぁぁ!!」

「おっさんあいつのことは放っておけ! それよりも早く回復魔法を!   死なれたら洒落になんないぞ!」


微笑みを浮かべるフィリルの事は無視して全員がアウローラの方へ向き直ると、様々な医療処置を始める。

フェルは持ち前の魔法技術による回復と邪神の権能を使った毒や呪いなどの除外を、バーンは血液を操作し出血多量を防ぎながら流れ出た血を濾過してアウローラの中へと戻していく。

ヘレディックはアウローラの身体に纏わりついていた粘液種を腕の一振りで消し炭に変えると、周辺の警戒を始めていた。

負傷者を助けることには慣れている三人、己が己のするべき事をしている中で彼らの隣に立とうとしていたエラは自分の感情を制御できないでいた。


「アウローラ! アウローラ! 死なないでアウローラ!」

「大…丈夫よエラ……アンタのおかげで…あいつも居なくなったし……これくらい…」


喋るたびに口元から流れ出る血は肺からか喉からか、見てみれば赤い血の中には何やらドス黒い何かが紛れ込んでおりそれがアウローラの体を蝕んでいるようでもあった。

瀕死の重症者に対しての救護方法も心得ているはずのエラだったが、指先一つすらまともに動かすことができずただただあたふたと己が邪魔ばかりをしている事を自覚しながらもその場から動くことさえできないでいた。

ようやく思い出したとばかりに清潔な布を取り出して刺された傷口に対して圧迫止血を試みるが、血はとめどなく溢れ出てきておりフェルとバーンが居なければいまごろ死んでいてもおかしくは無い。


「血が…こんなに……」

「血は大丈夫だ、俺の能力を使えば元に戻せる。問題は損傷した肉体の方だ、回復魔法が効かん」

「レネスは!? レネス!」


仙桜種の知識はそれこそ知識を専門としないものであろうとも人智を超えるだけのものを持つ。

自分には理由がわからなくともレネスであれば何かわかるのでは無いか、そう思いエラが必死に言葉を呼びかけると人形のようであったレネスの瞳にようやく、色が灯り始める。


「────っ! ようやく意識が戻った、状況は理解した回復魔法をかける。離れていてくれ」


飛び起きると同時にこちらにやってきたレネスが回復魔法をかけ始めるが、血の流れはほんの少しずつ遅くなっているようにも感じられるがこれといった明確な手応えというのは感じられない。

いくつかの魔法をひとしきり試したレネスであったが、首を横に振ると少し震えた声で言葉を発した。


「ダメだ、ただの傷じゃない。私にはとてもではないが……」


仙桜種のレネスがダメならば一体誰に頼めばいいのか。

絶望がエラの体を突き抜けていった。

結局は自分は誰も守れない、目の前で大切な人が死ぬのをただ指を咥えて眺めているだけしかできないのか。

絶望感に打ちひしがれるエラの横で、ふと思い出したようにヘレディックが口を開いた。


「妖精神の権能には時を司るものがあると聞く。

それで彼女の体の時を止めれば、あるいは死なずに済むやもしれん。

賭けでしかないが、治療法が見つかるまでそれでやり過ごすほかあるまい」

「それなら──っ!」


力を制御できるようになったとはいえ、妖精神の中でも最も強力な権能である時への干渉を行えばどんな影響が出るのか判ったものでは無い。

だがエラは一切の躊躇をせずに権能を発動させてアウローラの身体にそっと触れる。

数瞬前までの無力な自分と別れを告げて、目の前の大切な人を守るためにエラは自分の限界を突破した。

本来ならば不可能に近いだけの所業を思いの力だけで乗り越えたエラ、だが状況は好転する事なくただそこで停滞するだけ。

だがそれだけでもエラからしえみれば大きな一歩であった。


「なんだ…治せる方法見つかるまでの…辛抱ね……ごめんねエラ…貴方に心配かけちゃって」

「任せてアウローラ。絶対に私が貴方を助けてみせる、絶対に。だから今は眠っていて」

「……おやすみ…エルピス」


最後にアウローラが呼んだのは側にいるエラの名ではなくエルピスの名前であった。

彼がここに居てくれれば若しくもしかすれば──そう思うと同時にエラはぞくりと自分の背中を冷たいものが通っていくのが感じられる。

何も死に直面しているのはアウローラだけでは無い、イロアスもクリムもエルピスも死んだっておかしくは無いのだ。

邪竜という強大な敵はそれだけの脅威であり、エラは自分の身を盾にしてでも守らなければと動かない体を無理矢理引きずって彼らの元に行こうとする。

だが未だに隠れている敵がいない保証もなく、レネスに止められたエラは冷静になりアウローラの側で膝を抱えて座り込む。

自分の無力を嘆くのはこれで何度目のことだろうか、だが自分は確かに自分の大切な人をなんとか救うことができたのだ。

エルピスが生きて帰ってきてくれたなら、なんと言葉をかければいいのだろうか。

彼ならば許してくれるだろうか、精一杯頑張り彼の隣に立とうとし、そうして彼の最愛の人を傷つける要因を作ってしまった自分のことを。

その事を考えるだけでエラの胸はひどく動悸する、人生で初めてエルピスに会いたく無いと心の底からそう思ってしまったのだった。

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