第209話生まれ落ちるもの

「中々派手にやっているじゃないか」


 戦闘が始まり幾千万の閃光が行き交う戦場を眺めているのはレネス。

 彼女が見つめる先で戦っているのはエルピス陣営と破壊神の僕たちであり、苛烈を極める戦場に行きたい気持ちとやらなければいけないことの間でレネスの心は揺れていた。


 できれば今すぐにでも駆けつけて戦闘に加わりたい。

 エルピスのことが心配なのも理由としてはあるが、それよりも仙桜種としての使命感が創生神の敵である破壊神の僕を殺すべきであると叫ぶのだ。


 だがいまレネスに任せられているのは状況判断と自分の力が必要な戦場の選定だ。

 自分のやるべきことを見失わないように冷静さを保ちつつレネスが刀に手をかけていると、ふとニルがそんなレネスに対して言葉をかける。


「レネスは敵集団の殲滅、僕と姉さんはエルピスのお父様とお母様の護衛。やることの把握は大丈夫だよね?」

「もちろん問題ないわ。フェル達と連絡は?」

「さっき戦闘が始まったって報告が来てたよ、始祖のあまりは全部向こうに行ったみたいだね、相当な激戦みたいだよ」


 レネスに与えられた役割は他の人員が手を開けることができるように雑兵を蹴散らすことである。

 ニルやセラはエルピスからのお願いでご両親の護衛に回らなければいけないので手が空いているのは自分だけ。

 それを理解しているからこそレネスはその指示を受け入れたわけだが、そうなってくると一つの疑問がレネスの中に浮かび上がった。


「エラたちの方は人数不利で問題ないのだろうか? 元はといえばエルピスの力を頼りで吸血鬼と粘液種はこちらの方についたのだろう?」


 始祖達の会合の場所にレネスはいたので、吸血鬼の王である彼がこちらの戦力をアテにしてついてきていることは知っている。

 確かに敵の中で一番強い敵と一番弱い敵はこちら側で引き受けているわけではあるが、それでも始祖種の数は向こうのほうが多い。


 レネスの見立てでは英雄使いの始祖種が二人分の働きをできるとして、邪神の権能の使用権をもらっているフェルも混ざって破壊神の権能を持った始祖とどっこいといったところだ。

 確実に勝てる戦闘ではない以上彼が戦況不利と判断して裏切る可能性だってもちろん存在する。


「それはそうだけど問題ないよ、すでに手は打ってあるからね。戦力的には十分さ」

「問題は邪竜の復活地点がどこになるかね」


 だがどうやら問題ないらしい。

 ニルの手のものというと一番最初に頭の中に浮かぶのは龍の谷の人物だが、彼らはいま帝国から離れるわけにはいかないだろうからほかに誰かいるのだろうか。


 どうせ後でエラたちのほうに向かうのでその時にみればいいかと判断を下したレネスは、ついで次の疑問について説明を求める。


「邪竜であればエルピスがあの場所ごと消し飛ばしたではないか」

「吹き飛ばしたからそう判断したんだよ、外から壊せる術式ならはじめっから外から壊してるでしょ。

 そうしてないってことは正式な手段を踏まないと壊せないか、もう魔法が完全に起動していたかのどちらかだろうさ」

「なるほどな、であれば早々に敵の数は減らしておくのが得策か。では行ってくる」


 聞いておくべきことは全て頭の中に入れられただろうと判断したレネスはそれだけ口にするとその足でおそらくは敵が大勢いるだろうと思われている地区に向かって目にもとまらぬ速さで駆けていく。


 レネスの個人的な討伐目標はエラ達の方にいる始祖種であり、その為の弊害である雑魚に時間をかけるのが嫌なのだろう。


「さすがに早いな~レネスは。姉さんはどうする? このままエルピスのご両親見守っておく?」

「ソレが得策でしょうね。まぁでも私達の入る余地があるのかと聞かれると少し疑問だけれど」


 セラとニルの視線の先で戦うエルピスの両親達は、どちらもこの世界で生きる人間として最高峰の技術を持っていた。

 能力自体ももちろん高くはあるがそれだけでは上位種には勝てないだろう。

 彼等は天性の武の才を持っており、技術を持って敵を圧倒するという術を持っていたのだ。

 どれだけ訓練を重ねればそれほどの技術を手に入れることができるのか。

 死線を多数搔い潜ってきたからこその実力なのだろうがやはり英雄と呼ばれるような人間はどこかほかの人間とは違うようだ。


「凄いよねこの世界で生きてきてアレだけの技術力を持てるのは賞賛に値するよ、さすがご両親」

「権能の代行使用もいくつか確認しているけれどうまく捌いているわね。山岳地帯の方はどう?」

「向こうのほうは大丈夫そうかな、仙桜種が守ってるだけあってほとんど抜かれてないよ。多少は漏れてるけど十分対処できる程度だし」


 多少は漏れているとニルは言っているが、実際のところはニルが仙桜種に指示を出してある程度まで魔物は見逃す様に口を出してあるのだ。

 仙桜種にとってのある程度、となると人の国にとってはそれなりの災害に当たるだろうが、そんな困難すら解決できないのであればどちらにせよ長くはないだろう。

 魔界に面しているのだからある程度の防御は元からあるだろうが、人の国がどれほど地力を備えているのかということもニルの興味を引くことの一つであった。


「そうなってくると問題は邪竜復活のタイミングね」

「レネスがいま大量に刈り取ってくれているから、それが終わったら出てきそうだけどね」

「魂を供物として召喚術式を組んでいる可能性よね。ソレが一番可能性は高いでしょうけど、殺さないわけにもいかないし難しい所ね」


 召喚物の呼び出しのために供物として要求されるのは主に金品、肉体及び精神、魔力の三つに分類されることが多い。

 この中で最も効率の良い供物が肉体及び精神であり、生きている生物であることが最も好ましいが死体でも大量にあれば強力な生物を召喚することができる。


 次元の狭間から対象を召喚するのだからそれ相応の供物を必要とするわけだが、魔界で今から死んでいくであろう生物達全てを供物にできるとすれば十分に召喚に必要な分は手に入れることができるだろう。


「街の方の被害はそれほど問題はなさそうだけど……遥希君達のいる所はちよっとまずいかな」

「まさか戦線が崩壊でもした?」

「いや、逆に結構勝っちゃってるからね。もしかしたらあっちに邪竜出ちゃうかも」

「うーん、エラが援護に行ってるから大丈夫だとは思いたいけれど」


 一番理想的な形としては、邪竜と破壊神の信徒の相手をエルピスとその両親が。

 残りの始祖種はフェルと他数名の努力で持って撃墜し、問題のあるところをニルとセラの二人でカバーするのが理想的である。


 ただそれも邪竜がエラ達の側に復活するとなると到底無理な話であり、出来れば事前におおよその蘇生ポイントの選定もニル達のやらなければいけない仕事のうちの一つだ。


「まぁあっちはエラちゃんに任せるしかないかなぁ。僕達もそろそろでばんだろうし」

「間違ってもお二人に怪我など無いようにするのよ? 言うまでも無いでしょうけれど」

「任せてよ、久々に本気でやっちゃうよ」


 二柱の女神は会話を終えると動き始める。

 その足取りは確かなもので、勝利に向かってただ真っ直ぐに進む彼女達の後ろ姿には確かに神の威厳があった。

 今この時をもってこの戦争は開始されたのである。


 /


 英雄と呼ばれこの世界で圧倒的な力を持つイロアス・アルヘオはここ魔界の地においてもその力を遺憾無く発揮していた。

 いくつかの閃光が瞬くと同時に戦局は刻一刻と変化していくが、その全ての変化が自分にとって有利に動くようにイロアスは常に己の位置を変化させている。


 守るものが無い事を考えれば有利なのは敵側、イロアスにはクリムやエルピスといった明確な弱点が存在し、そのどちらかを攻撃されれば対処をせざるおえない。

 だがイロアスの放つ英雄としての覇気はそんな考えを相手に抱かせないのだ。

 一瞬でも隙を見せれば確実に殺す、必殺の意志で持って相手と対峙しているイロアスの前では破壊神の僕であろうとも気を抜くことは許されない。


(クリムの方は余裕があるとしてエルピスは……さすがにか、子供の前で無様な姿を見せるわけにはいかないが、どうにもこうにも厳しいな)


 だがそんなイロアスとて余裕があるわけでは無い。

 破壊神の僕と仮定されている敵の能力は今のところ未知数。

 破壊に関する何かではあるのだろうが、その能力を使用されるまでどれくらいの威力のどんなものなのか分からないので、迂闊に近寄ることすらできない。


 イロアスとて神と戦った経験すらある珍しい男だが、故にその経験が相手に対して過度なまでの臆病さを産んでしまったのだ。

 だがそんな臆病さが今回限りは良い方向に働く。

 イロアスがいま相手にしていた老人は元は小さな国の宮廷魔術師であった男であり、イロアスのことはもちろん小耳に挟んでいた。


 人類の中で唯一英雄と呼ばれる男、その実力を過小評価していたわけではなかったが、所詮人には限界があると考えていた老人はまるで底の見えないイロアスの実力にいまや恐怖心を抱き始めている。


「厄介なのはあの神よりもお主の方…そう言うわけか」

「自慢じゃないがまだいまのところ一度も負けてないんでな、息子の前では見栄を張らせてもらうぞ」


 魔神としての力を発揮した状態のエルピスとは一度も戦ったことがないが、それでも嘘はついていない。

 自信満々にそう答えたイロアスに対してならば手加減はできないと判断したのか、老人が手を前の方で組むと魔力とはまた違った何か別の力が渦を巻きながらその手の中へと集まっていく。


 おそらくはそれが破壊神から与えられた力なのだろう、今日一番の警戒を見せながらイロアスは先程までよりも更に間合いを取る。


「悪いがその命、貰うぞ」

「残念だが家族サービスもまともにしてないからこんな所で死ぬわけには行かないんだ、逝くなら一人で行ってくれ」

「そう寂しい事を言うな小僧!」


 ニヤリと笑みを浮かべて老人が放ったのは初級魔法に分類される無属性の矢の魔法、魔法を覚えた人間が最初に使う攻撃魔法に分類されるそれだが、明確に違うのは先端に先ほど老人が集めていた黒い何かが付着している事だろう。


 無数に飛んでくるそれらを全て魔法で迎撃するために防御壁を展開するが、それを何もないかのようにすり抜けてきた弓矢はイロアスの直ぐそばの大地を易々と抉り取った。

 その性質は初級魔法に付与できるようなものではない、全てのものを貫通して攻撃を与える性質はやはり権能のそれだ。


「どうじゃ、ワシの自慢の矢は」

「どうと言うことはないね」


 自慢げに顎髭を触りながらそう口にした老人に対し、イロアスは余裕を演出しながらもその効果を頭の中で予測する。

 

 可能性が高いものとしては全ての防御を無効化するもの、だがそれだとすると地面を抉り取っているのは元の威力を考えると少しおかしい。

 二つ目に考えられるのはなんらかの属性を付与しているもの、たとえば空間を抉り取る作用を付与していればあんな風になるだろう。

 三つ目はイロアスの認識では理解できない未知の方法による攻撃という可能性。

 これに関しては考えるだけ無駄なので思考から排除するのが適切だろう。

 

 さてどうしたものかとイロアスが頭を悩ませていると、ふとイロアスの横に気配もなく現れる一人の女性。

 家族以外でここまで接近を許したのはイロアスの人生の中でも初だ、驚きのあまり前にいる敵すら忘れて横を見てみればそこにはニルが立っていた。


「戦闘中に失礼しますお父様。一対一に横槍を入れる無礼をお許しください」


 鍵爪の様な装備を手に付けて油断なく敵の方を見据えるニルを見て、イロアスは戦闘を妨げられたことに対しての怒りなどはなくただ純粋に二度目の驚きを得ていた。


「まさか君に助けられるとはな。てっきり君はエルピスに付きっきりになるのかと思ってたけど」

「まさか、お父様のことも大切に思っていますとも。それにアレは私達が残してしまった負の遺産のようなもの。この世界に1秒も長くあれがあることが許せません」


 初めてイロアスがニルの姿を見たのは温泉地にエルピス達が居たころだったか。

 あの時の彼女の目はイロアスも何度か見たことのある狂信者のそれであったし、二人の関係性がどういったものなのか詳しく理解はしていないが普通の関係性ではないのだろうという事は察して有り余る。


 ニルが老人に向ける目線は殺意を超えて狂気すら感じさせるものであり、神の力を持っているはずの老人ですらその鬼気迫るニルの姿に恐怖の感情をあらわにして無意識に足を少しだけ後ろに下げた。

 敵から逃げたいという感情が生み出したそのほんの一瞬の隙、それだけの隙があれば敵をしとめるのには十二分な時間がある。


 ニルよりもほんの早く先に飛び込んだのはイロアス、さすがに英雄と呼ばれるだけあってもはや無意識で攻撃を仕掛けたイロアスに対して遅れて老人がそれに対応。

 破壊の権能を付与した矢がイロアスの胸元へ向かって飛び出すが、一番遅れて動き始めたニルがいとも容易くそれを全て撃ち落とす。

 エルピスから一時的に借用した権能で持って破壊の力を打ち消し、本来ならば打ち落とすことのできない矢を撃ち落としたのである。


「馬鹿な! ワシが、ワシの力が押し負けるじゃと……!?」

「他人の力を信用しすぎだよ、それじゃあさよならだお爺さん」


 触れるようにしてイロアスが老人の腹を撫でると、一瞬体内から光輝いたかと思うと老人はそのまま膝を折る。

 体内にある魔法を使う回路に横から入り込み、それを暴走させることで臓器不純などを引き起こし殺害する方法。


 暗部などでよく用いられる殺害方法だが魔法使い相手には非常に困難な代物であり、それを最も容易く行うイロアスはやはり人類最強である。


「助けてくれてありがとう、助かったよ」

「いえいえ、お互い持ちつ持たれつですよ。それに僕一人ではあそこまで気を引けなかったでしょうし」

「そんな事はないさ、君なら一人でも勝てると思うよ。俺はクリムの救援に行ってくるから君はエルピスの方に行くといい」

「それでしたらお母様の方には姉が行っているので大丈夫だと思いますよ。それにエルピスはいまは一人の方がいいでしょうし」


 ニルが視線を向けた先、遥か遠くではあるが視覚を強化したイロアスにも見えたのは膝をつき泣き叫ぶ男とそれを見下ろすエルピスの姿。

 込み入った事情があるのだろうと言う事は容易に察することができる。


 息子にそれを受け止められるだけの度量があるのだろうかとほんの少しだけ考え、それが出来ているからこそいま自分の判断でこの地に立っているのだろうとイロアスの考えも至る。


 ならばイロアスが優先すべきなのはクリムの方かとクリムの方を見てみれば、全身から血を出しながら拳を振るうクリムの姿が視界の端に捕らえられた。


「なんなんだ! なんなんだよお前よぉ!? 血ぃ出てんじゃんか! なんでそれで殴ってくるんだよォ!?」


 全身の穴という穴から血を吹き出し、殴った腕からありえない量の出血をしながらもクリムは殴る事をやめずただ淡々と敵の息の根を止めにかかっていた。

 クリムが戦闘している相手の権能は自分に触れたものの崩壊という権能であり、即座に崩壊するわけではないが近くに居ればいるほどに徐々に体が崩れていく能力なのだ。


 こうなればクリムはもはや誰の静止も効かず、ただひたすらに敵がその生命活動を停止させるまで攻撃し続ける。

 宝石のような金色の髪を振り回し、整った顔の殆どを血に濡らしながら攻撃を仕掛け続けるクリムに対して敵も致命傷になりうる攻撃を仕掛けるが、何故かクリムは一切怯む事なく攻撃を仕掛けつづていた。


「家族の敵は私が倒す。それだけよ」


 ほんの一瞬だけ理性の色を目に灯したクリムがそう答えると、先程までよりも更に素早い速度で拳が飛び始める。

 驚異的なまでの回復速度はクリムの能力ではない、だとすれば近くにいるセラがその回復力の原因を作っているのだろう。


 拳が消し飛べば瞬きの間に拳が元に戻り、足が折れれば瞬時に元の形へと戻る。

 不死身だと思えるほどの回復力を付与しているセラの額には汗一つ浮かんでおらず、頭部を狙った攻撃などの回復魔法を使用していても致命傷になりかねない攻撃を障壁を用いて防ぐ余裕すら見せている。


 どれだけやってもじり貧でしかない戦闘に嫌気がさし逃げ出そうとする男の背を万力の様な力でつかみ逃がさないレネスはその拳でもって完全にとどめを刺した。

 返り血と己の血で全身を濡らす彼女の姿は恐れられている破龍の二つ名そのもの。

 だがそんな顔からは想像もつかないほどの可憐な笑みを見せたクリムは、己に回復魔法をかけて外傷を治すと付近に視線を移す。


「これで後はエルピスの方だけね。他のところはどうなってるかしら」

「戦闘開始前にエルピスがエラとアウローラを移したので大丈夫です、私が治療いたしますので楽にしていてください」

「ごめんなさいねセラちゃん。ニルちゃんも手伝ってもらってありがとう」

「いえいえこれくらいならいつでも頼ってください。姉さんそういう事ならお母様は任せたよ、僕は付近を索敵してくるから」


 回復魔法をかけ始めたセラといつのまにかやってきていたニルが各々の対処を開始している一方で、イロアスもその疲れ切った体をなんとか動かしながらセラ達の方へ合流していた。


「さて……エルピスは負けそうにないからまだいいとして、問題は次に何が来るかか」

「どうせ邪竜はなんだかんだ復活するでしょうし、それまでに何かしておきたいところだけれど」


 英雄と呼ばれたものとして、この世界で最強の名を欲しいがままにするものとして、おそらくは邪竜が復活するだろうと二人は予想を立てていた。

 普段から最悪の事態を想定して物事を組み立てている彼等だが、相手が相手なだけに予想を立てたところで出来ることなどほとんどない様に感じられる。


「まぁ特に何かできることはなさそうだな。体はもう大丈夫だし魔力も半分くらいは戻った、いつでもやれる」

「私も身体さえ治れば大丈夫そうね」

「でしたら御二方、もしよろしければ手伝っていただきたいことがあるのですが──」


 だがそんな何もすることがない様な状況で、セラは一つの提案をする。

 最近一人で用意していたものをいまこそ持ち出すべきだろう、そう思い至ったセラは二人に対して自分の計画を話し始めた。


 @


 場面は変わってエルピス側。

 破壊神の信徒と一対一をしているエルピスはなにやら疲弊している様子であった。

 神と神の僕の差を見せると大口を叩いた彼が疲弊している理由、それは単に彼が目の前の敵に対して攻撃することを躊躇ってしまっているからである。


「何故私の息子が死ななければいけなかったのだろうか。

 何故私の息子は見殺しにされたのだろうか。

 何故息子を見殺しにした貴様が、いまだにこの世界でのうのうと生きているのだろうか」


 普段のエルピスであれば一刀の元に切り捨てる存在、両親の援護に回る余裕すらあっただろう相手にここまで時間がかかる理由は相手が顔見知りだからだ。

 男の名前はなんだったかエルピスは覚えていないが、その顔だけは覚えていた。


 学園での悲劇が発生した後に王城にてエルピスと出会った貴族の一人、息子がその悲劇に巻き込まれて死んでしまった哀れな人間である。

 彼はエルピスに縋りつきながら何故息子を助けてくれなかったのかと泣き叫んでいた。


 最初から敵が来る事を分かっていても全ての人間を救えたかどうかも分からない自分にそんな事を言われても、そう思う気持ちはあるがそれと同時に英雄の息子として全ての人間を救うべきであったという考えもないわけではない。

 助けられる命がある様に助けられない命もある。


 そう割り切ったのはかなり昔の話だが、それでもこうして被害者の立場であった人間から自分の非を声高に主張されれば、ほんの少しだけ躊躇いというものも生まれてしまうのだ。

 歩み寄る道はないものか、そんな甘い考えで持って口を開こうとしたエルピスを彼は手で止める。


「いらん、答えなど求めていないし聞く気もない。

 俺はお前を殺す、そしてそれが終われば息子の死に関わった者を全員殺す。

 私の可愛いかわいい何にも代えがたいあの子の苦痛、考えるだけで胸が張り裂けそうだ」


 雄二は既に死に、あの事件に関わった亜人はその殆どがエルピスの手によって殺害されている。

 だとすれば確かにいま生き残っている人物の中で最も死に関わったのはエルピスである、そう仮定するのも出来ないことではないのかも知れない。


 涙を流しながら権能に蝕まれた体で血反吐を吐きながら戦おうとする姿は、エルピスがいままでに向けられたことのない意志を孕んでいた。

 

 だがエルピスもはいそうですかと殺されるわけにはいかない。

 ここで殺されれば人類は終わり、この世界も終わるだろう。

 自分の両肩に乗せられた重荷は得られる幸福よりも最近エルピスの肩に重くのしかかってきている。

 だがこんなところで挫けるわけにはいかないのだ。


 エルピスの使命は家族が生きる世界を守る事、家族を失った恨みにとらわれる目の前の男はもしかすれば自分の未来の姿なのかもしれないが、だとすれば猶更目の前の彼を止めずにはいられない。


「貴方の息子さんがあの時どこにいたのかすら知りませんし、救えるだけの人数は救いました。

 文句を言われる筋合いなんてありませんね」

「まだ言うか! 息子の未来を! 息子の幸せを奪っておきながら!!」


 奪われた命が戻らないのは仕方のないことだ。

 そう割り切れるのであれば人は報復など考えないし復讐の鬼へと変化してしまうこともない。


 たとえそれが己で理不尽な怒りだと分かっていようと、それで怒りを発散しなければ正気を保つことすら──いや、もはや正気などどこにもないのかもしれないが。

 だがどちらにしろこの世界で生きていくには誰かを恨まねばやっていけないのだ。


権能で先のないことを分かっていながら誰かを巻き込んで、一人でも幸福なものをこの世界から消し去ってしまおうとしているその姿はエルピスには哀れに映る。


「……何を言っても無駄なんですよねきっと。残念ですがこんなところで死ぬわけにはいかないので、私はあなたを殺します」

「息子の事は見殺しにしておきながら、全く関係のない魔界の住人は救おうとするのだな」

「邪龍が復活すれば魔界だけでなく全世界が危ないんですよ。貴方の息子一人のために俺が死ねば全世界の人間が危機に晒される。

 単純に数の差です」

「数で優先度が決まるのか? 数が多ければ捨てられる人間は黙って許容できるとでも?」


 そんな事が許せるはずがないだろう。

 そう口にした男の体からは激情と共に先程よりも濃く破壊神の権能が漏れ出始める。

 触れたもの全てを壊す権能はエルピスの身体を容易に傷つけ、その度にエルピスは苦痛を歯の奥で堪えながら最後の言葉を投げかけた。


「本当に話を聞く気が無いんですね」

「最初から話など通じるわけがないといっていただろう? 思想が違うのはこちらとしても理解していた。

 結局強い方の意見が通るのだよ、この世界は」


 その声は酷く悲しそうな声であった。

 いま自分の手にしている力を持ってあの時の息子の元に駆けつけられたら、そう考えてしまったのだろうか。

 だがそんなものは淡い幻想に過ぎないのである。


 いま持っているもので、今できる事をするしかないのが残念ながら世界というものだ。

 小さな魔力の塊を弾幕の様に放ってくる男に対して、エルピスは目にも止まらぬ速さで詰め寄っていく。

 魔法の質も量も並大抵のそれ、威力は権能で強化されていなければ微風ほどの感覚も与えてくれないだろうという程度のもの。


 だがそんな魔法をエルピスは正面から全て切り伏せ、一歩一歩確実に男の首元へとその刃を差し向けていく。

 男の顔に恐怖の色はなく、ただ怒りのこもった目を持ってエルピスの事を睨みつけるばかり。


「その意見には同意です。悲しい事ですが」

「近接戦なら勝てるとでも?」

「残念ながらどちらでも俺は貴方に勝てますよ」


 既に刀が届く距離まで近づいていたエルピスは、男に対して刃を向ける。

 破壊神の権能によって守られた男を斬りつける事は本来不可能、だが同じ神の権能を持つエルピスはいくつかの権能を刀にコーティングする事でその不可能を可能にしていた。


 魔法戦闘ならば物量で潰すこともできただろう、技能スキルでの戦闘ならば搦手で倒せただろう、そして近接戦ならばこれといった苦労もなく切り捨てることができる。

 肩から腹まで斜めに切りつけられた男の体はまるで抵抗もなく切りけられ、生命活動に必要な内臓を突きによって破壊されたことで男の運命は完全に決まる。

 権能を持っていようと男は数年前までペンしか握ったことのない貴族の生まれ、どれだけ強い能力を手に入れようとも研鑽が足りていない男の攻撃ではエルピスには届き得ない。


「ああ……ここまでか。ああ、なぜ私は息子を救えなかったのか、あの子を助けてあげたかった。ただそれだけだったのに…」


 もはな上半身だけになった体で大地に臥した男は、だがそれでも己の無力を嘆き続けた。

 目からは大粒の涙が溢れ、息子の死をいつまでも悼んでいるその姿は優しい父親のそれである。

 世界を敵に回したかったわけではない、彼からしてみればある日突然世界が敵になったのだ。


「残念ですがあなたはもう死にます。最後に何かありますか?」

「私が死ねば邪龍が復活する。この世界がどうなるか、もはやどうでもいいがそんなにも大切なものが守りたいのなら頑張るといい。

 私はこんな世界壊れてしまえばいいと思うがね……」


 最後の最後、親としての顔を見せた男は気になる事を口にした。

 彼の死が邪竜の復活のトリガーとなっている、そんな言葉にエルピスは回復魔法をかけようと彼の体に手を差し伸べるが、その時には既に彼の命はこの世界から離れてしまっていた。


「────クソっ!!!!」


 天地へと轟くその咆哮は生誕の知らせ。

 この世界全てを恨みこの世界全てを破壊する。

 この世全ての悪にして、この世を終わらせられる最悪の邪竜。

 いまここにそれは産まれ落ちる。

 相対するは神の称号を持つ龍帝、伝説に語られる殺し合いがいままさに始まろうとしていた。

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